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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
5章 王都の裏側

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(40)旅支度

翌朝、宿の食堂に集まったあたしたちは、これからの旅程について、改めて打ち合わせをした。セシルが手帳を広げ、昨夜のうちに計算していたらしい数字を、指でなぞりながら説明する。


「馬車の手配は、もう済ませた。明後日の朝、出発できる」


「明後日って、意外と早いね」


「早い方がいい。貸し手も、いつまでも悠長に構えてるとは限らない」


セシルの言葉に、あたしは頷いた。休息は大切だけど、無駄に長引かせる理由もなかった。本音を言えば、あと三日くらい惰眠を貪りたい気分だったけど、口にしたところで、セシルの手帳にお小言付きで記録されるだけだ。黙っておくのが得策だった。


「それまでの間は、何をするの」


トトが、パンをかじりながら尋ねてきた。


「装備の点検と補充。あと、ライネスまでの道中に必要な物資の買い出し」


「買い出しなら、あたしも手伝う」


ヴァレナが、椅子から立ち上がりながら言った。彼女は、こういう実務的なことにも、意外と抜け目がなかった。


朝食を終えると、あたしたちは連れ立って、王都の市場へ向かった。昨日とは違う区画の通りには、武具や旅道具を扱う店が軒を連ねていた。革製の防具、鍛え上げられた剣、携行食を詰めた袋。どれもが、これまで通ってきた田舎町では見かけなかった品揃えだった。石畳の隙間からは、朝露の匂いが微かに立ち上っていた。


「さすが王都、品物の質が違う」


ヴァレナが、剣の刃を陽にかざしながら、感心したように呟いた。


「値段も違うけどね」


セシルが、値札を見て顔をしかめる。それでも、必要なものは惜しまずに揃えていくのが、彼女の流儀だった。無駄遣いは絶対にしないが、必要な出費は決して渋らない。その線引きの確かさが、彼女の頼もしさの一つだった。


あたしは、防具屋の店先で、丈夫そうな革の手袋を手に取った。これまで使っていたものは、度重なる戦いですっかりくたびれていた。指先の縫い目はほつれ、掌の部分も薄くすり減っている。ガイン・オルスとの一戦を思えば、こんな消耗も当然だったのかもしれない。


「それ、いいと思う。手首の保護がしっかりしてる」


店の主人が、商売っ気のある笑みを浮かべながら声をかけてきた。


「じゃあ、これにする」


新しい手袋を両手にはめてみると、掌にしっくりと馴染む感触があった。柄を握る動作を何度か繰り返し、違和感がないことを確かめる。こういう細かな道具の一つ一つが、実際の戦いでは命を左右することを、この旅で嫌というほど学んでいた。


支払いを済ませると、トトが、露店で売られている干し肉の匂いに誘われるように、そちらへ歩いていった。


「トト、あんまり離れないでよ」


「分かってる、すぐ戻る」


トトは、以前よりもずっと自由に、市場の中を動き回るようになっていた。人混みへの恐れが、少しずつ薄れているのが分かる。それは、旅を通じて確かに育ってきた成長の証だった。出会った頃の、物陰に隠れがちだった小さな背中を思い出すと、あたしは自然と口元が緩むのを感じた。あの頃と比べて、随分と表情も豊かになった。


昼過ぎになる頃には、必要な物資はあらかた揃った。荷馬車一台分になるかと思われた荷物も、セシルの的確な選別のおかげで、思ったよりコンパクトにまとまっていた。携行食、包帯や薬草、雨具に予備の刃。並べてみると、旅の長さを物語る品々だった。


「無駄なものは持たない主義」


「その分、必要なものは絶対に削らないよね」


「当たり前。命に関わることで、けちる意味がない」


セシルの言葉に、あたしは思わず笑った。数字にうるさい彼女だからこそ、本当に必要なものとそうでないものの見極めが、いつも的確だった。


荷物をまとめ終えると、セシルは満足げに手帳を閉じた。荷造りの手際は、旅を重ねるごとに磨かれていて、今では誰もが安心して任せられる仕事になっていた。


夕方、宿に戻る道すがら、ヴァレナがふと、通りの向こうに目を向けた。


「あれ、見て」


指さす先には、大きな掲示板があり、様々な依頼や公示が張り出されていた。その中の一枚に、あたしたちの目が吸い寄せられる。


「魔導評議国、通行制限の強化について、か」


セシルが、掲示の文面を読み上げた。ライネス国境付近での通行審査が、最近になって厳格化されているという内容だった。文面には、通行者の身元確認と、携行品の申告を厳しく求める旨が、簡潔な文字で記されていた。


「情報屋の言ってたこと、本当みたいだね」


「うん。行ってみないと、詳しいことは分からないけど」


あたしたちは、顔を見合わせた。得体の知れない何かが、国境の先に待っている。それでも、進む以外の道は、もうなかった。


「不安がないって言えば、嘘になる」


「あたしも同じ。でも、行かないと何も分からないまま」


ヴァレナの言葉に、セシルが頷いた。トトだけが、掲示板をじっと見つめたまま、何か考え込むような表情を浮かべている。


「セシルは、こういう魔導関係のこと、詳しい?」


あたしが尋ねると、セシルは掲示板の文字を指でなぞりながら答えた。


「測量士の仕事柄、多少はね。でも、魔導評議国が絡む話は、専門外。向こうに着いてから、実際に確かめるしかない」


セシルの正直な返事に、あたしは頷いた。分からないことを分からないと言える強さも、彼女の美点の一つだった。


「トト、大丈夫」


「うん。ちょっと、緊張するだけ」


トトの声には、以前とは違う落ち着きがあった。怖さを隠すのではなく、正面から受け止めようとする強さが、そこにはあった。


宿に戻ると、疲れた体を休めながら、それぞれが出発への心構えを整えていった。窓の外では、王都の夜が、無数の灯りに彩られていた。明後日には、この賑やかな景色とも、しばらくお別れになる。


夕食の席では、これまでの旅の思い出話に花が咲いた。初めて出会った頃のぎこちないやり取りから、幾度もの戦いを乗り越えてきた今までのことまで、話は尽きなかった。


「最初、リクのこと、ただの臆病者だと思ってた」


「今もそう思ってるでしょ」


「今は、頼れる臆病者だと思ってる」


セシルの言葉に、あたしは思わず噴き出した。褒められているのか貶されているのか、微妙なところだったけど、悪い気はしなかった。


「みんな、準備は万端」


「うん、大丈夫」


「あたしも」


「準備なら、任せて」


三人の声が、揃って返ってきた。その頼もしさに、あたしは改めて、この仲間たちと共に旅を続けられることの幸運を噛み締めた。式典から逃げ出したあの日、一人ぼっちだったことを思えば、今この場にいる自分は、随分と遠くまで来たものだと思う。


……なんて、柄にもなくしんみりしたことを考えてしまった。柄にもない台詞は、台詞帳では即減点対象だ。今の分は、記録から除外しておく。


夜が更けていく中、あたしは寝台に横になりながら、これから向かう先のことを考えた。魔導結界がらみの検問、貸し手との繋がり、そして、まだ見ぬ困難。胸の奥には、まだ拭いきれない緊張が残っていた。それでも、隣の部屋から聞こえる仲間たちの気配が、確かな安心感を与えてくれていた。


最後までありがとうございました!


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それでは次回の更新をお楽しみに!

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