(39)王都、雑踏の中で
王都の朝は、あたしたちが今までに見てきたどの町よりも騒がしかった。石畳の大通りに、行商人の呼び声、荷馬車の車輪、鍛冶屋の槌音が絶えず入り混じる。人いきれと、焼きたてパンの匂いと、どこか鉄くさい匂いが、朝の空気にみっしりと詰まっていた。
思わず呟くと、行き交う人の波に、あたしは一瞬、足を止めた。故郷の村はおろか、これまで通ってきたどの町とも、規模が違いすぎた。
「これだけ人がいれば、四人くらい紛れても目立たない。むしろ好都合」
セシルが手帳を胸に抱えたまま、周囲を見渡す。手帳を木炭の先で軽く叩く癖は、王都に来てからも変わらなかった。
昨夜のうちに、セシルが目星をつけていた宿に落ち着き、今日はいよいよ本格的な情報収集に乗り出すことになっていた。目的は一つ、貸し手の正体に近づくことだ。
「まずは、どこから当たるの」
「大通り沿いの両替商。金の流れに詳しい連中が集まる場所」
セシルの提案に従い、あたしたちは大通りを進んだ。両側に並ぶ店の看板は、これまで見てきたどの町よりも派手で、金箔をあしらったものまである。トトは、その一つ一つに目を丸くしていた。
「すごい町だね」
「はぐれないでね、トト」
「うん、分かってる」
トトは、あたしの袖をしっかり握りながら答えた。人混みに慣れていないせいか、時折びくりと肩を震わせる。それでも、以前のような怯えきった様子はなく、好奇心の方が勝っているように見えた。
両替商の並ぶ通りに着くと、セシルは慣れた様子で一軒の店に入っていった。あたしたちは、目立たないよう少し離れた場所で待つことにする。
「セシル、こういう場所での聞き込み、慣れてるね」
「測量士時代の癖。数字を扱う仕事は、どこでも似たようなもの」
ヴァレナが、得物の柄に軽く触れながら答えた。周囲への警戒は怠っていないものの、その口調はどこか穏やかだった。王都という新しい環境に、少しずつ順応しつつあるようだった。
しばらくして、セシルが戻ってきた。手帳には、いくつかの走り書きが加わっている。
「収穫は」
「金融組合の存在は、やっぱり確からしい。ただ、末端の両替商じゃ、貸し手個人の情報までは掴めない」
「じゃあ、次はどこ」
「情報屋。この手の話は、表よりも裏の情報網の方が早い」
セシルの言葉に、あたしたちは頷いた。日が高くなるにつれ、通りの喧騒はいっそう増していく。露店の呼び込み、演奏をする旅の楽師、賑やかな市場の一角では、マジビの占い雑誌を売る屋台まであった。
「マジビの雑誌、王都にもあるんだ」
思わず足を止めると、トトが興味津々に屋台を覗き込んだ。
「今日の運勢、見てく?」
「見ない見ない。占いで運勢悪いって出たら、朝から凹むだけ」
「リクらしいね、それ」
軽口を交わしながらも、あたしたちは足を止めずに歩き続けた。目的地はまだ先だ。
情報屋の店は、大通りから一本入った、少し薄暗い路地の奥にあった。古びた木の扉には、判読しづらい紋章が彫られている。セシルが慣れた手つきで扉を叩くと、しばらくして、痩せた中年の男が顔を出した。
「何の用だ」
「情報を買いたい。貸し手について」
セシルが単刀直入に切り出すと、男の目つきが一瞬、鋭くなった。
「その名前、軽々しく口にするもんじゃない。誰の差し金だ」
「差し金なんてない。純粋な興味」
「興味だけで首を突っ込む話じゃないぜ、お嬢さん」
男は、扉に寄りかかったまま、あたしたちの顔を一人ずつ、値踏みするように見た。
「金なら払う。相応の対価は」
セシルが懐から硬貨をいくつか取り出すと、男はようやく扉を大きく開けた。
「話すだけなら構わない。ただし、深入りはしないことだ」
薄暗い店の中に通されると、埃っぽい紙の匂いが鼻をついた。棚には、無数の書類や地図が乱雑に積まれている。男は机の奥に座り、あたしたちに椅子を勧めた。
「貸し手ってのは、特定の個人を指す通り名だ。王都の金融組合の中枢に近い誰か、としか分かっていない。表舞台には一切出てこない」
「金融組合の中枢って、具体的には」
「そこまでは、俺も知らない。ただ、噂じゃ、魔導評議国とも繋がりがあるって話だ」
「魔導評議国」
セシルが、思わず声を上げた。あたしも、聞き覚えのある単語に耳を澄ませる。
「ライネスの国境あたりに、金融組合の出先機関がある。詳しく知りたいなら、そっちに行くのが早いだろうな」
男の言葉に、あたしたちは顔を見合わせた。まさか、こんなに早く次の目的地が見えてくるとは思わなかった。
ライネス。字面だけでなんだか格好いい響きだ。着いたらさっそく、それらしい二つ名の一つでも思いつけるかもしれない。我ながら緊張感のない発想だと思うけど、思いついたものは仕方がない。台詞帳の隅に、小さくメモしておく。
「情報屋さんは、ライネスに行ったことあるんですか」
トトが、興味津々に尋ねた。
「若い頃に、一度だけな。あの辺りは、独特の空気が漂ってる。魔導評議国の連中は、他の国とは、少し考え方が違うから」
「考え方が違う、というのは」
「効率と規則を、何よりも重んじる連中だ。人情なんてものは、あまり期待しない方がいい」
男の言葉には、実体験に基づいた重みがあった。あたしたちは、その言葉を、しっかりと胸に刻んだ。
「ライネスまでの道のりは」
「王都から北西に、馬車で五日ほど。国境地帯は、独自の通行規則があるから、普通の関所とは勝手が違う」
「通行規則って」
「詳しくは知らんが、噂じゃ、魔導結界がらみの検問があるらしい。距離税の仕組みとも、少し違うとか」
男の言葉に、セシルが眉をひそめた。手帳に何かを素早く書き込んでいる。
「それ以上は、俺も知らない。この辺りで手を打ってくれ」
「十分。助かった」
セシルは、追加の硬貨を机に置いて席を立った。情報屋を後にすると、路地には昼の光が差し込んでいた。
「魔導結界がらみの検問、か」
呟くように言うと、ヴァレナが得物の柄に触れながら答えた。
「今までの関所とは、違う何かがあるってことだね」
「うん。でも、行かないことには始まらない」
あたしの言葉に、三人が頷いた。トトだけが、少し不安げな表情を浮かべている。
「ライネスって、遠いところなの」
「馬車で五日らしい。でも、四人一緒なら、なんとかなる」
「うん」
トトは、小さく頷いた。まだ完全には安心しきれていないようだったけど、それでも、あたしたちを信じてくれている目だった。
宿への帰り道、王都の喧騒は相変わらず賑やかだった。次の目的地が定まったことで、あたしの胸には、緊張と、僅かな高揚感が入り混じっていた。露店の並ぶ通りを抜けながら、あたしは改めて、これから向かう先の未知の危険を思った。魔導結界がらみの検問というものが、いったいどんな仕組みなのか、想像もつかない。それでも、立ち止まっていては、貸し手の正体には永遠に近づけない。
宿の部屋に戻ると、セシルはさっそく手帳を広げ、旅程の計算を始めた。木炭を走らせる音が、静かな部屋に規則正しく響く。
「馬車の手配、明日の朝一番でやる。ライネスまでの道中、補給できる町も調べておいた方がいい」
「相変わらず、抜かりないね」
「準備は、命を守る一番の武器だから」
セシルの言葉に、あたしは素直に頷いた。窓の外では、王都の夕焼けが、石造りの街並みを橙色に染めていた。
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