(38)王都を望んで
街道を三日ほど進んだ頃、遠くの丘の向こうに、王都の輪郭がうっすらと見え始めた。高い城壁と、いくつもの尖塔が、朝靄の中に浮かび上がっている。
朝露に濡れた草を踏みしめながら、あたしたちは丘を登った。頂に立つと、視界いっぱいに、壮大な都市の姿が広がっていた。石造りの建物がひしめき合い、その向こうには、荘厳な城が聳え立っている。
「あれが、王都」
トトが、目を丸くして呟いた。あたしも、その規模に、思わず息を呑んだ。これまで訪れたどの町よりも、遥かに大きい。城壁の向こうに広がる街並みは、見渡す限り続いているようだった。
「立派だね。あんな場所に、あたしたちが入り込むなんて」
「目立たないように行動すれば、大丈夫。人混みは、むしろ隠れ蓑になる」
セシルの言葉に、あたしは頷いた。緊張と期待が入り混じった、不思議な感覚だった。
「王都に着いたら、まず何から始めるの」
聞いてみると、セシルは手帳を確認しながら答えた。
「情報屋への接触と、金融組合の周辺調査。貸し手の正体に、少しでも近づきたい」
あたしは、思わず眉をひそめた。
「危険な調査になりそうだね」
「その分、慎重に進める。今回は、時間をかけてでも、確実な情報を集めたい」
セシルの慎重な姿勢に、あたしは安心した。これまでの旅で積み重ねてきた経験が、確かな判断力を育んでいるのが分かる。
「宿の確保も、目立たない場所を選びたい。あたしが、事前に何軒か候補を見つけておく」
「頼りにしてる」
セシルは、手帳に何かを書き込みながら、小さく頷いた。彼女の几帳面さが、こういう場面で何度も、あたしたちを助けてきた。地図に書き込まれた候補地には、既にいくつも印がついていた。
ヴァレナが、剣の柄に軽く触れながら、遠くの王都を見つめていた。
「ガイン・オルスも、いずれまたあたしたちの前に現れる。今度は、もっと本気で来るって言ってた」
「うん。次に会う時までに、少しでも強くなっておきたい」
「そのためにも、この王都行きは、いい機会になるはず」
ヴァレナの言葉に、あたしたちは頷き合った。街道の先に見える王都は、期待と不安が入り混じる、新たな旅の始まりを予感させていた。
「怖くないの、この先のこと」
トトが、少し不安げに聞いてきた。ヴァレナは、剣の柄から手を離し、優しく笑った。
「怖いよ、正直。でも、みんなと一緒なら、なんとかなるって、今は思えてる」
「あたしも、同じ気持ち」
トトは、少し安心したように頷いた。
短いやり取りの中に、確かな絆が滲んでいた。不安を隠さず、それでも前に進む。それが、今のあたしたちの在り方だった。かつての一人ぼっちの逃走とは、まるで違う旅路が、ここにあった。
しばらく休憩を挟みながら、あたしたちは再び歩き出した。街道沿いには、王都を目指す旅人や商人の姿が、次第に増えていく。
「人が多くなってきたね」
「これくらいなら、まだ大丈夫。王都に近づくほど、もっと増える」
セシルの言葉通り、周囲の往来は、時間が経つにつれて賑やかさを増していった。荷馬車の車輪の音、旅人たちの話し声、行商人の呼び込み。これまでの静かな旅路とは、明らかに違う喧騒だった。埃っぽい街道に、様々な匂いが混ざり合って漂っていた。
トトが、ふと足を止めて、あたしの袖を引いた。
「リク、あたし、ちゃんと役に立ってる?」
「もちろん。トトの索敵、何度も助けられてる」
「よかった。あたしも、みんなの役に立ちたいから」
トトの真剣な表情に、あたしは優しく微笑んだ。出会った頃の怯えた小さな子供は、もうそこにはいない。確かな仲間として、共に歩む姿があった。
「トトがいてくれるから、あたしたちは何度も危険を避けられた。それだけで、十分すぎるくらい」
「本当に?」
「うん、本当に」
念を押すように答えると、トトは嬉しそうに顔をほころばせた。その笑顔を見て、あたしの胸にも、温かいものが広がった。この笑顔を守るためにも、これから先の道を、しっかり進んでいきたいと思った。
「さあ、行こう。新しい旅の始まりだ」
あたしの号令に、三人が力強く頷いた。四人分の足音が、街道の先へと続いていく。遠くに見える王都は、これから待ち受けるであろう、数々の困難と出会いを、静かに予感させていた。日差しが、四人の影を長く街道に落としていた。
それでも、あたしたちの足取りに、迷いはなかった。仲間と共に歩むこの道の先に、どんな未来が待っているのか、まだ誰にも分からない。それでも、今この瞬間、確かな絆と共に前へ進めることが、何よりの支えだった。
思い返せば、たった一人で式典から逃げ出したあの日、こんな未来を想像すらしていなかった。仲間ができて、共に戦い、共に笑い合う。逃げることしか知らなかったあたしが、今では、守るべきもののために立ち向かう強さを持てるようになっていた。
日が傾き始める頃、あたしたちは王都の外れに位置する、小さな宿場町に辿り着いた。今夜はここで休み、明日、本格的に王都へと足を踏み入れる予定だった。宿場町は、王都に向かう旅人たちで賑わい、活気に満ちた喧騒が、通り全体を包んでいた。
宿の窓から見える王都の灯りは、遠くからでも眩しいほどに輝いていた。あたしたちの物語は、まだ、始まったばかりだった。
夕食を終えたあと、あたしは一人で窓辺に立ち、遠くの灯りを眺めていた。夜風が、心地よく頬を撫でていく。ヴァレナが、静かに隣に並ぶ。
「明日から、また忙しくなりそうだね」
「うん。でも、みんなとなら、乗り越えられる」
「頼もしいこと言うようになったね、あんた」
からかうような口調に、あたしは苦笑した。それでも、その言葉に嘘はなかった。かつては軽口で誤魔化していた本音を、今は、素直に口にできるようになっていた。
あたしは、窓の外を見つめたまま、静かに言葉を続けた。
「セシルもトトも、あんたも。みんながいるから、あたしはこうして前を向いていられる」
「あたしたちも、同じだよ」
ヴァレナの穏やかな声が、静かな夜の空気に溶けていった。
ヴァレナの言葉に、あたしは静かに頷いた。窓の外の灯りを見つめながら、明日への確かな期待が、胸の奥に静かに広がっていった。長い旅路は、まだこれからも続いていく。
ーーー ーーー ーーー
その夜、遠く離れた都で、一人の魔導師が報告書を握りつぶしていた。
「断られた、か」
貸し手に断られた。それだけの、短い一文。だが、その裏にある意味を、この魔導師は正確に理解していた。
賞金の額を、これ以上つり上げる資金は出さない。そう告げられたということは、つまり、上はまだリク・アーレンという小娘一人に、本腰を入れるつもりがないということだ。
「まあいい。まだ一巻の頭だ」
魔導師は、握りつぶした報告書を炉に放り込んだ。紙が燃える音だけが、静かな部屋に響く。
「時間はいくらでもある。逃げ回れるうちに、せいぜい逃げ回ってもらおう」
窓の外では、遠い街の灯りが、いくつも小さく瞬いていた。
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