(4)距離税
翌朝、宿を出てすぐ、行列にぶつかった。関所だ。埃っぽい土のにおいに、馬の汗と革のにおいが混じって漂ってくる。馬車が三台、荷を積んだ商人が四人、あとは徒歩の旅人がまばらに並んでいる。あたしたちはその最後尾についた。
「毎回思うんだけど、この行列、どうにかならないの?」
「ならない。距離税は稼いだ距離に応じて払うもの。並ぶこと自体は税と関係ない」
セシルが手帳を木炭の先で軽く叩きながら即答する。理屈は正しい。正しいけど納得はいかない。
「屁理屈じゃん」
「屁理屈じゃなくて制度」
ヴァレナは何も言わず、荷物の紐を締め直していた。列が進むたびに半歩前に出る、無駄のない動き。あたしはその横で、あくびを噛み殺しながら、こういう待ち時間が旅の九割を占めるという現実と向き合っていた。チキン流のことも、賞金首の噂も、こういう地味な時間の積み重ねの上にしか乗っていない。誰もそうは思ってくれないけど。
行列の前のほうでは、荷馬車の車輪が何かに引っかかったらしく、御者が舌打ちしている。子供を連れた旅の一家が、退屈そうにあくびを繰り返していた。誰も彼も、同じ行列に並ぶ、同じ旅人だ。
関所の役人が、革の記録帳を片手に近づいてくる。朝から仕事に飽きたような顔をしている。
「通行証と、換算票を」
セシルが懐から折りたたんだ紙を差し出す。役人は一瞥して、数字を読み上げた。
「三名、直近の移動、換算で街三区画分。距離税、銀貨二枚と端数」
「高くないっすか」
つい、目上の人向けの口調が出た。相手が役人だと、なぜか勝手に敬語混じりになる。中身は普段と変わらず、納得はしていない。
「商人以外は計算が曖昧なので、余分に見ています」
「こんなにちゃんと記録してるのに?」
「代わりに審査は早く終わらせますよ」
役人はそう言って、記録帳に何か書き込んだ。世の中には、自分ではどうにもできない扱いというものがある。もう慣れた。
関所の壁には、色あせた手配書が何枚か貼られていた。見慣れた顔ぶれの中に、見慣れない一枚が増えている。詳細までは読み取れなかったが、賞金額の欄の数字だけは、遠目にもやけに大きく見えた。風にあおられて紙の端がめくれるたび、下に貼られた古い手配書がちらりと覗いた。何枚も重なった手配書の層が、この関所を通り過ぎていった逃亡者の数を、無言で物語っていた。
セシルが顎でそちらを示す。あたしは小さくうなずいた。
「触れないでおくね」
「頼む」
列を抜けたところで、セシルが手帳を開いて計算を始める。歩きながらでも指先は止まらない。
「ちなみに、街一区画は大人の早歩き三百歩分。威力は積み重ねに比例する。今のリクの持ち分だと、全部出しても、たぶん街門一つ壊せるかどうか」
「いや、壊して入ろうとか思ってないし」
「なら普段から小出ししないで。負債計算するの面倒なんだから」
セシルの言い方には感情が乗らない。それでも、数字の後ろにはいつも誰かを気にかける気配が隠れている。なんて、柄にもなく分析したふりをしてみたけど、単に見抜かれるのが怖いだけかもしれない。
「ちなみに、その換算表ってどこまで正確なわけ」
「経験則の集積だから、完全に正確ではない。でも、外れたことは今のところない」
「じゃあ正確ってことじゃん」
「経験則と理論は別物。声を大にして言いたい」
セシルにしては珍しく、少しだけ熱がこもっていた。測る仕事への誇りみたいなものが、こういうところにふっと顔を出す。
「セシルって、なんでこの仕事選んだの」
何気なく聞いたつもりだった。セシルは一瞬だけ手を止めて、それから何事もなかったように歩き出した。
「数字は、裏切らないから」
短い答えだった。それ以上は聞かなかった。裏切らない、という言葉の裏に、何か裏切られた経験があるんだろうな、というのは、なんとなく察しがついた。ただ、察しがついたからといって、踏み込むべきだとは思わない。踏み込まれたくないことは、あたしにだってある。
「まあ、あたしの逃げ足だって裏切らないよ、たぶん」
「たぶん、って自信なさげだね」
「今のところ、って意味。過去に一度も裏切られてないってだけで、この先も絶対とは言えないでしょ」
「妙に現実的なこと言うね、あんたにしては」
「たまにはね」
街道に戻ると、日差しが強くなってきた。三人分の足音と、荷物が擦れる音だけが続く。
「なあ、この換算って、そもそも誰が最初に考えたわけ?」
「距離税自体の大元は、大昔に異世界から来たっていう来訪者。消費に税をかけるより、歩いた距離に応じて公平に取って、街道の整備や大陸地図の作成に回すほうが理に適ってる、って進言したのが始まりらしい。マジビを作ったのと同一人物、って説もある」
「じゃ、威力の目安に使ってるほうは?」
「それは、あたしが勝手に流用してるだけ。国が定めた単位が便利だったから、リクの力を測るのに借りてる。逃げる距離と技の威力が比例するなんて現象、国のお墨付きがあるわけじゃない」
「関所で申告した距離って、力からは引かれちゃうの?」
「別物。税として払った距離は、そこでもう清算済み。あんたの中で使える力とは関係ない。あたしが換算に使ってるのは、あくまであんたの実際の逃走距離であって、申告した数字とは違う」
「なんだ、そうなんだ」
「そもそも、そんな現象、世間的にはリクしか起こしてないし」
「詳しいな」
「仕事柄ね」
セシルはそれ以上続けなかった。話したくないというより、話す必要がないという顔だった。あたしもそれ以上は聞かない。聞かなくていいことは、聞かない。三人でやってきた旅の、暗黙のルールだ。
そういえば、技を放つたびに叫ぶ言葉は、その場の思いつきで決まる。ちゃんとした技名なんて、最初から存在しない。あたしが逃げてきた記憶なら、正直、在庫はいくらでもある。困るのは、いい記憶を選び損ねて、格好悪いやつを引いてしまったときだ。今日はどれを引くことになるのか、こればっかりは、その瞬間になってみないと分からない。
昼過ぎ、道端の木陰で少し休む。セシルが干し肉と堅焼きパンを三等分にした。
「今日の分は配給ずみ。追加はなし」
「ケチだな」
「計画的、って言って」
木陰に座って刃を膝に置く。今日はまだ、街道を歩いた分しか積んでいない。関所での申告分は、もう吐き出した後だ。溜まっているのか、いないのか、見た目では分からない。分かるのは、いざというときにそこにある、ということだけ。
「なあ、ヴァレナ」
「なに」
「昨日の税、多く払ってなかった? あたしの分まで」
ヴァレナは前を向いたまま、少し間を置いて答えた。
「気のせい」
「気のせいって顔じゃなかったけど」
「気のせい」
二度言われると、それ以上は聞けない。あたしは肩をすくめて、それきり黙った。ただ、口元だけはゆるんでいた。こういうところ、本当に分かりにくい。分かりにくいまま、ずっと一緒にいる。
食事を終え、また歩き出す。セシルの手帳には、これまで訪れた街の換算距離がびっしり書き込まれていた。行き先はいつも、賞金稼ぎの噂が届きにくい、小さな街ばかりだ。
「次はどこに向かうの」
「まだ決めてない。決めると、そこに向かって最短距離で動きたくなるから、あえて決めない」
「効率悪いな」
「効率より、安全。追われてる身で最短距離を選ぶのは、一番やっちゃいけないこと」
セシルの言葉に、あたしは何も言い返さなかった。それが正しいことくらい、自分でも分かっている。
日が高くなるにつれ、道行く人の数も増えてきた。荷馬車とすれ違うたびに、御者と会釈を交わす。顔見知りというわけじゃない。ただ、旅慣れた者同士が交わす、ちょっとした礼儀みたいなものだ。
日が傾く前に、次の街の輪郭が遠くに見え始めた。屋根の連なりが、夕方の光を受けて薄く橙に染まっている。
門に近づくにつれ、微かに煙のにおいがした。焦げたにおいじゃない。もっと生活くさい、竈にしては量が多い、そういう匂い。
「セシル、あれ」
「見えてる。火事、じゃなさそう。人が集まってる」
嫌な予感がした。あたしの嫌な予感は、だいたい当たる。今日はまだ、地味な一日で終わってほしかったのに。願いというのは、たいてい叶わないようにできているらしい。
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