(35)痛みを伴う勝利の余韻
砦の跡地から離れ、近くの村に辿り着いた頃には、あたしの意識は、ほとんど朦朧としていた。全力放出の反動が、想像していたよりも遥かに重くのしかかっていた。
足を一歩踏み出すたびに、視界が揺れる。仲間たちに支えられながら、あたしはかろうじて歩みを進めていた。全身の感覚が、少しずつ遠のいていくのが分かった。
「リク、しっかりして」
ヴァレナの声が、遠くから聞こえるようだった。目を開けているつもりでも、視界は霞み、体は鉛のように重かった。誰かに支えられている感触だけが、辛うじて分かった。
宿に運び込まれてから、あたしは丸二日近く、目を覚まさなかったらしい。ようやく意識が戻った時、真っ先に目に入ったのは、心配そうに顔を覗き込むトトの顔だった。窓から差し込む光の角度から、朝であることだけが、辛うじて分かった。
「リク、起きた」
「うん……ここ、どこ」
「宿の一室。あれから、丸二日も寝てたんだよ」
「実は、あんたが寝てる間、色々あって」
トトが、少し言いにくそうに切り出した。
「なにかあったの」
「ヴァレナが、片時もそばを離れなかった。セシルも、交代で見ててくれた。二人とも、あんまり眠ってないと思う」
トトの言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。仲間たちの支えを、改めて実感する瞬間だった。一人で逃げ続けていた頃には、想像もできなかった温かさだった。仲間という存在の重みを、あたしは改めて噛み締めていた。
「みんなに、迷惑かけたね」
「迷惑なんかじゃない。心配しただけ」
トトはそう言って、あたしの手を、もう一度そっと握った。その温もりが、じんわりと体に染み渡っていく。小さな手なのに、こんなにも安心できるものかと、あたしは密かに驚いていた。
トトの言葉に、あたしは思わず目を見開いた。中放出の代償よりも、明らかに長く、深い眠りだった。全力放出の代償が、それを上回るのは当然のことかもしれない。それでも、実際に体験する重さは、想像を遥かに超えていた。全力を出し切るということの意味を、身をもって思い知らされた。
体を動かそうとするたび、鈍い痛みと、深い倦怠感が全身を覆う。頭の芯が、鉛を詰め込まれたように重たかった。この二日間、自分がどんな状態だったのか、記憶はほとんど残っていない。
「みんなは」
「大丈夫。セシルは、ずっと記録つけてる。ヴァレナは、さっきまで付き添ってくれてた」
トトの説明に、あたしは安堵の息を漏らした。体を起こそうとして、全身に走る鈍い痛みに、思わず顔をしかめる。関節という関節が、錆びついたように軋んだ。
「まだ、無理しないで」
慌てて止めるトトの声に、あたしは素直に体を横たえた。天井の木目を見つめながら、改めて、今回の戦いの重さを噛み締める。
窓の外から、村の日常の物音が微かに聞こえてくる。子供のはしゃぐ声、荷馬車の車輪の音。穏やかな日常が、すぐそこにあることが、不思議なくらい遠く感じられた。それでも、こうして横になっているだけで、少しずつ、体に力が戻ってくるのが分かった。時間をかけてでも、確実に回復に向かっている実感があった。
しばらくして、セシルが部屋に入ってきた。手には、いつもの手帳を持っている。扉を開けた瞬間、あたしの目が開いているのに気づいて、僅かに表情を緩めた。
「目、覚めたんだ。よかった」
セシルの声には、いつになく安堵の色が滲んでいた。普段は数字と記録に感情を挟まない彼女にしては、珍しい素の反応だった。
「心配かけて、ごめん」
「謝らなくていい。あんたが無事なら、それでいい」
短いやり取りの中に、これまでの旅で積み重ねてきた信頼が滲んでいた。セシルは、手帳を開きながら、今回の代償について淡々と記録を語った。
セシルは、机代わりの小卓に手帳を広げ、丁寧な字で記録をつけていた。
「全力放出の代償、丸二日の昏睡。中放出の時より短いのは、意外だった」
「短いというより、単純に危険度が高いんじゃないの」
「その可能性もある。今後は、使うタイミング、慎重に見極めた方がいい」
「代償って、単純に出力に比例するわけじゃない、ってこと?」
「多分。技の種類とか、記憶との相性とか、そのときの体の状態とか……関係する要素が多すぎて、まだ法則が見えない。全力放出は、短時間で一気に持っていかれる代わりに、目覚めれば動ける。中放出は、時間をかけてじわじわ削られる分、長引く。そういう違いなのかもしれない」
セシルの声には、いつもの冷静さの奥に、隠しきれない心配が滲んでいた。数字と記録に頼るセシルらしい分析だったけれど、その根底には、確かな気遣いがあった。
セシルの分析に、あたしは頷いた。命を賭けるほどの技を、軽々しく使うわけにはいかない。改めて、その重みを心に刻んだ。
「セシル、あの時のあたし、どんな感じだった」
聞いてみると、セシルは少し考えてから答えた。
「正直、怖かった。呼吸が浅くて、何度も、大丈夫かって確かめた」
いつも冷静なセシルの声に、僅かな震えが混じっていた。あたしは、素直に頭を下げた。数字でしか語らないと思っていた彼女の、素の感情に、初めて触れたような瞬間だった。
「心配かけて、本当にごめん」
「謝るより、次からはもう少し、加減を考えて」
セシルの言葉には、叱責というより、切実な願いが込められていた。あたしは、その気持ちを、しっかりと受け止めた。次に同じ場面が来ても、今度はもう少し賢く立ち回れるよう、心に刻んでおきたかった。無茶をする自由と、仲間を心配させない責任、その両方を大切にしたい。
夕方になって、ヴァレナが部屋に顔を出した。傷の手当てのおかげか、動きにはもう硬さがなかった。扉を開けたその表情には、隠しきれない安堵が浮かんでいた。
「調子、どう」
「まだ、体が重い。でも、大丈夫」
「無理しないで。今度は、あたしが見ててあげる」
ヴァレナはそう言うと、部屋の隅の椅子に腰を下ろした。窓の外では、夕暮れの光が、静かに村を染めていた。長い戦いの果てに訪れた、穏やかな休息の時間だった。
「ヴァレナも、ちゃんと休んで。ずっと付き添ってくれてたんでしょ」
「あたしは平気。それより、あんたが心配だった」
素っ気ない口調の中に、確かな気遣いが滲んでいた。あたしは、その優しさに、思わず頬が緩むのを感じた。
「ありがとう。おかげで、また動けそう」
「まだ、無理はしないで。今日は、ゆっくり眠って」
ヴァレナの言葉に頷き、あたしは再び目を閉じた。全身に残る鈍い痛みは、まだ完全には消えていない。それでも、仲間たちに囲まれているという安心感が、何よりの支えになっていた。
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