(32)追い詰められて
ガイン・オルスの動きが、一段と鋭さを増した。防御一辺倒だった構えから、明確な攻勢へと切り替わっている。あたしとヴァレナは、後退を余儀なくされた。
「くっ、思ったより速い」
息を切らしながら、あたしは剣の柄を握り直した。手のひらの汗で、柄が滑りそうになる。
「油断するな。まだ、本気の一部だ」
冷静に言い放つガイン・オルスの言葉に、背筋が凍る思いがした。これまでの攻防でさえ、まだ手加減の範囲だったということか。あたしは剣を握り直し、じりじりと後退しながら、活路を探した。
崩れた石壁の通路は、次第に狭くなっていく。気づけば、背後は行き止まりの小部屋だった。かつて物見台として使われていたと思しき、円形の狭い空間。窓のような穴から、外の光が差し込んでいる。
石造りの壁には、長年の風雨で削られた跡が残り、床には崩れた瓦礫が散らばっていた。逃げ場を探して視線を巡らせても、出口らしきものは見当たらない。心臓が、痛いくらいに早鐘を打っていた。乾いた空気の中に、埃っぽい石の匂いだけが漂っていた。
「どうする、リク」
ヴァレナの問いに、あたしはとっさに答えられなかった。冷静に考えようとするほど、焦りが思考を鈍らせていく。
「まずい、退路がない」
ヴァレナが、周囲を見渡しながら呟いた。ガイン・オルスは、その入り口を静かに塞ぐように立ちはだかっている。
物見台の壁を背に、あたしたちは追い詰められていた。振り返っても、頼れる退路はない。
「これで、逃げ場はなくなったな」
淡々とした声が、狭い空間に響いた。あたしは、剣を構えながらも、内心で必死に打開策を探していた。円形の壁に反響する声が、逃げ場のなさを、いっそう際立たせていた。窓のような穴から吹き込む風だけが、乾いた音を立てていた。
「セシル、聞こえる?」
小さく叫ぶと、離れた場所から、セシルの声が返ってきた。石壁越しに響くその声は、少し震えていたけれど、言葉自体は落ち着いていた。
「聞こえてる。今、そっちに回り込めるルートを探してる」
「無理はしないで」
「無理してでも、行く。あんたたちを、見捨てられるわけない」
セシルの声には、いつになく強い覚悟が滲んでいた。冷静さを武器にしてきた彼女らしくない、感情のこもった一言だった。
セシルの強い言葉に、あたしは思わず目頭が熱くなるのを感じた。こんな状況でも、仲間の存在が、確かな支えになっていた。
「トトは無事?」
「無事。安全な場所に隠れてる」
その返事に、少しだけ肩の力が抜けた。それでも、目の前の状況は、依然として厳しいままだった。
「ヴァレナ、覚悟決めた?」
「とっくに決めてる。ここで退くわけにはいかない」
ヴァレナの声には、迷いのない強さが宿っていた。あたしは、その横顔を見て、改めて自分を奮い立たせた。
「なら、やるしかない」
ガイン・オルスが、静かに剣を構え直した。狭い空間の中、逃げ場のない状況で、次の一撃が、これまでで最も重いものになることは、誰の目にも明らかだった。
「かかってこい」
あたしの言葉に、ガイン・オルスは僅かに目を細めた。
「威勢だけは、一人前だな」
その言葉とともに、彼の姿が消えた。次の瞬間、鋭い斬撃が、真横から迫っていた。とっさに剣で受け止めたものの、衝撃で体が大きく傾く。
「リク!」
ヴァレナが叫びながら、割って入ろうとした。しかし、ガイン・オルスの動きは、それを許さないほど速かった。二撃目が、ヴァレナの剣を弾き飛ばす。甲高い金属音とともに、剣が石畳の上を転がっていった。
「ヴァレナ!」
武器を失ったヴァレナに、ガイン・オルスの刃が迫る。あたしは、考えるより先に、体が動いていた。
刹那、頭の中に、これまでの旅の光景が次々と浮かんだ。初めて出会った夜のヴァレナ、慌てて逃げ出した式典、仲間たちと過ごした穏やかな夜。守りたいものが、はっきりと形になった。
「させない!」
ヴァレナを庇うように、あたしは前に飛び出した。刃が、あたしの肩を浅く切り裂く。鋭い痛みが走ったが、それでも足を止めることはできなかった。血の熱さが、布地を通してじんわりと広がっていく。
「リク、大丈夫」
「大丈夫じゃないけど、まだ、動ける」
肩を押さえながら、あたしは剣を構え直した。じわりと血が滲むのが分かる。それでも、ここで倒れるわけにはいかなかった。
「リク、代わって」
「だめ。あんたの武器、まだ拾えてないでしょ」
ヴァレナが焦った声を上げたが、あたしは首を振った。仲間を守るという意志だけが、今のあたしを支えていた。痛みよりも、その一心が勝っていた。
ガイン・オルスは、僅かに動きを止め、あたしを見据えた。その表情に、これまで見たことのない、微かな戸惑いのようなものが浮かんでいるように見えた。
「守ろうとするか。それも、一つの強さだ」
「あんたに、褒められる筋合いはない」
強がりの言葉とは裏腹に、あたしの膝は、僅かに震えていた。それでも、ここで退けば、大切なものを失う。その一心だけで、足を踏ん張っていた。
ヴァレナが、拾い上げた剣を握り直し、あたしの隣に並んだ。
「一緒に戦う。もう、一人にはさせない」
その言葉に、あたしは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「うん。頼りにしてる」
短いやり取りの中に、これまでの旅で積み重ねてきた絆の重みが滲んでいた。傷ついた体を寄せ合いながらも、二人の目には、確かな闘志が宿っていた。
強がりの言葉を返しながら、あたしは頭の中で、これまでの武勇伝の記憶を必死に手繰り寄せていた。今、この状況を打開できるだけの一手が、どうしても必要だった。焦りが胸を締め付ける中、あたしは必死に呼吸を整えようとしていた。
これまで使ってきた技は、どれも器が小さすぎる。この局面を打開するには、もっと大きな武勇伝が必要だった。けれど、頭に浮かぶのは、いつも使ってきた小粒な逃走劇ばかりで、決め手になるような記憶は、なかなか見つからなかった。
「リク、時間がない」
ヴァレナの声に、あたしは焦りを覚えながらも、必死に記憶の奥底を探り続けた。ガイン・オルスが、再び間合いを詰めてくる。もう、猶予はほとんど残されていなかった。心臓の音が、耳の奥で、警鐘のように鳴り響いていた。
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