(30)再出現
南へ続く街道を三日ほど進んだ頃、砦の跡地が見えてきた。崩れかけた石壁と、苔むした門柱が、かつての姿を微かに留めている。木々に半ば飲み込まれた廃墟は、静けさの中に、どこか張り詰めた空気を漂わせていた。
道中、あたしたちは何度も休憩を挟みながら、体力の温存に努めた。ヴァレナは、歩きながらも剣の間合いを繰り返し確認し、セシルは地図と首っ引きで周辺の地形を頭に叩き込んでいた。
「この辺りから、視界が開けてくる。奇襲される危険は減るはず」
セシルの言葉に、あたしは頷いた。緊張が高まるにつれ、自然と口数が減っていく自分に気づく。
「リク、大丈夫?」
トトが、心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫。ちょっと、気合いを入れ直してただけ」
無理に笑ってみせると、トトも少しだけ表情を緩めた。それでも、その目の奥には、隠しきれない不安が滲んでいる。
「今日、決着つけるんだよね」
「うん。あんたたちを守れるだけの力、示してみせる」
強がりではなく、本気の言葉だった。トトは、その真剣な表情に、少しだけ安心したように頬を緩めた。四人分の足音だけが、緊張をはらんだ静けさの中に、静かに響いていった。
あたしの言葉に、トトは小さく頷いた。四人分の足音だけが、静かな街道に響いていく。
「ここが、セシルの言ってた砦の跡」
「うん。入り組んだ構造だから、戦うなら悪くない場所」
セシルが、崩れた壁の隙間を確かめながら頷いた。手帳に何かを書き込み、周囲の地形を丹念に記録していく。
「トト、何か気配感じる?」
聞いてみると、トトは目を閉じてしばらく耳を澄ませてから、小さく頷いた。
「まだ、近くにはいないと思う。でも、遠くの方で、何か動いてる気配がする」
トトの言葉に、あたしたちは緊張を新たにした。ヴァレナが、得物の柄に手をかけながら、周囲を見渡す。
「油断はできない。あの人、気配を消すのが上手い」
「うん。ここで待ち構えるより、動きながら様子を見た方がいいかもしれない」
セシルの提案に従い、あたしたちは砦の跡地の奥へと進んだ。崩れた回廊を抜け、かつての中庭だったと思われる開けた場所に出る。石畳の隙間から、雑草がたくましく伸びていた。
「静かすぎる」
呟いた瞬間、風の音に混じって、微かな足音が聞こえた気配があった。あたしたちは、思わず身構える。
「誰かいる」
トトが、震える声で言った。あたしは、剣の柄に手をかけながら、周囲を注意深く見渡した。
物陰から、静かにガイン・オルスが姿を現した。以前と変わらぬ、感情の読めない表情。ただ、纏う空気には、明らかに以前とは違う圧が滲んでいた。
その姿を目にした瞬間、あたしの背筋に、冷たいものが走った。以前の交戦とは、纏う空気の密度が、明らかに違う。今日は、本気で来る。そう直感した。
「セシル、トト、下がって」
短く指示を出すと、二人はすぐに後方の石壁の陰へと移動した。ヴァレナが、あたしの隣に並び立つ。
「今度は、あたしも一緒に前に出る」
「うん、頼りにしてる」
短いやり取りの中に、これまでの旅で積み重ねてきた信頼が滲んでいた。ガイン・オルスは、ゆっくりとした足取りで、こちらに歩み寄ってくる。
「また会ったな」
「今日は、逃げるつもりはない」
あたしは、真っ直ぐガイン・オルスを見据えて言った。声が震えないよう、意識的に腹に力を込める。
「ほう。前回とは、心構えが違うようだ」
「あんたに、はっきり言っておく。あたしたちは、逃げ回るだけの生活に、そろそろ疲れた。今日、決着をつける」
あたしの言葉に、ガイン・オルスは僅かに目を細めた。感情の起伏の乏しいその顔に、初めて何かが揺らいだように見えた。
「面白い。前回の力量は、測らせてもらった。ザラ・ヴィントとの交戦記録も、こちらで確認させてもらっている。今日は、力量を測るだけでは済まさない」
その言葉とともに、ガイン・オルスが剣を抜いた。刃が、鈍く光る。空気が、一気に張り詰めた。
「みんな、配置について」
あたしの合図に、ヴァレナが前に出て、セシルとトトが後方へ下がった。四人それぞれの役割が、無言のうちに定まっていく。
「トトは、絶対に無理しないで。危なくなったら、すぐ逃げて」
「うん。分かってる」
トトの声には、以前よりも確かな強さが宿っていた。あたしは、その成長を頼もしく感じながら、改めてガイン・オルスと向き合った。
「行くぞ」
ガイン・オルスの声とともに、彼の姿が一瞬でかき消えた。次の瞬間、鋭い斬撃が、あたしの目の前に迫っていた。
とっさに剣で受け止める。金属同士がぶつかる衝撃が、腕の骨まで響いた。想像していたよりも、遥かに重い一撃だった。
「くっ」
思わず声が漏れる。それでも、後ろに下がるわけにはいかなかった。ヴァレナが、すかさず横から斬りかかる。ガイン・オルスは、最小限の動きでそれをかわし、間合いを取り直した。
「二人がかりか。前回よりは、多少ましな連携だな」
「褒め言葉として受け取っとく」
強がりの声とは裏腹に、額には冷たい汗が滲んでいた。軽く息を整えながら、あたしは相手の間合いを測り直した。ガイン・オルスの剣筋には、無駄がない。一撃一撃が、確実にこちらの隙を突いてくる。それでも、前回の交戦を経て、多少は相手の動きの癖が見えてきていた。
軽口を叩きながらも、あたしの心臓は激しく脈打っていた。じっとりとした汗が、手のひらに滲む。それでも、視線だけは、真っ直ぐ相手に向け続けた。
「トト、大丈夫か見てて。何かあったら、すぐ教えて」
後方に向かって叫ぶと、トトの声が返ってきた。
「うん、任せて」
その返事に、わずかに心が軽くなる。仲間がいる。その事実だけで、恐怖に押し潰されずに済んでいた。以前の自分だったら、きっと一人で抱え込んで、闇雲に逃げ出していただろう。
ガイン・オルスが、再び間合いを詰めてくる。今度は、あたしとヴァレナ、二人同時に狙いを定めているのが分かった。
「合わせて」
短く声をかけると、ヴァレナが小さく頷いた。二人の呼吸が、自然と重なっていく。刃と刃がぶつかり合う音が、砦の跡地に何度も響き渡った。崩れた石壁の隙間から差し込む光が、剣戟の度に鈍く反射する。埃が舞い上がり、陽光の筋の中を漂っていた。この決着が、これからのあたしたちの道を、大きく左右することになる。
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