(29)決戦前の準備
町を出てから数日、あたしたちは山あいの小さな集落を拠点に、次の一手を練っていた。集落の外れにある古びた納屋を借り、地図と情報を持ち寄って、これからの動きを話し合う日々が続いていた。
「貸し手についての情報、少しずつ集まってきた」
セシルが、手帳を広げながら切り出した。木炭の先で地図の一点を叩き、視線を上げる。
「王都近郊に、大きな金融組合がある。噂じゃ、そこの中枢に近い人物が、今回の依頼主らしい」
「金融組合か。だとしたら、依頼を取り下げさせるのは、簡単じゃなさそうだね」
「うん。組織的な後ろ盾がある以上、ガイン・オルス一人を退けても、次の刺客が来るだけ。根本的な解決には、ならない」
セシルの言葉に、あたしは思わずため息をついた。逃げ続けることの限界を、改めて突きつけられた気分だった。
「じゃあ、どうすればいいの」
「今すぐの答えはない。でも、まずは目の前のガイン・オルスに、はっきりとした決着をつける必要がある。あの人が退かない限り、次の一歩を考える余裕もない」
ヴァレナが、剣の手入れをしながら口を挟んだ。刃を確かめる目つきには、以前よりも鋭さが増している。
「あたしも、そう思う。中途半端に逃げ続けるより、一度きっちり向き合った方がいい」
「ヴァレナの傷、もう大丈夫なの」
「もう平気。むしろ、この数日でしっかり鍛え直した」
得物の柄に軽く触れながら、ヴァレナは自信ありげに笑った。その表情には、以前の怯えの色はもうなかった。
トトは、納屋の隅で、あたしたちの様子を静かに見守っていた。
「あたしも、何か役に立てることないかな」
「トトの索敵の力、今回もきっと頼りになる。それに、いざという時、みんなで守るから」
あたしがそう言うと、トトは小さく頷いた。まだ不安の色は残っているものの、以前よりも表情に落ち着きが見える。
「みんなで、ちゃんと決着をつけよう」
トトの言葉に、あたしたちは頷き合った。窓の外では、夕暮れの光が、山の稜線を橙色に染めていた。
「セシル、次にガイン・オルスと会う場所、予測できそう?」
「彼の行動パターンから見て、この集落から南に下る街道が、次の接触点になる可能性が高い。向こうも、あたしたちの動きを読んでるはず」
「じゃあ、あえてそこに向かう?」
「そう。今度は、こっちから機会を作る。逃げ続けるだけじゃ、いつまでも終わらない」
セシルの提案に、あたしは深く息を吸い込んだ。決意を固めるように、拳を握りしめる。
「よし。次に会ったら、今度こそ、ちゃんと決着をつける」
あたしの言葉に、三人が力強く頷いた。夜が更けるにつれ、納屋の中には、静かな緊張と、確かな覚悟が満ちていった。
夜、荷物の点検を終えたあと、あたしは一人で納屋の外に出た。夜風が、昼間の熱を冷ますように頬を撫でていく。空には、無数の星が瞬いていた。
しばらくすると、セシルが隣にやってきた。手には、何かの巻物を抱えている。
「まだ起きてたの」
「うん。少し、頭を整理したくて」
セシルは、巻物を広げながら、静かに言った。
「これ、集落の古老から借りた、この辺りの古い地図。南の街道沿いに、昔使われてた砦の跡があるみたい」
「砦の跡」
「うん。もし戦うなら、地形を味方につけたい。開けた場所より、多少入り組んだ場所の方が、こっちの人数の少なさを補える」
セシルの提案に、あたしは感心した。数字と記録に頼るセシルらしい、着実な発想だった。
「さすが、よく考えてる」
「考えるくらいしかできないから。あたしは、剣も技も使えないし」
「そんなことない。セシルの分析がなかったら、あたしたちはとっくに追いつかれてた」
素直な言葉に、セシルは少し驚いたような顔をしてから、小さく微笑んだ。
「ありがとう。そう言ってもらえると、少し自信がつく」
二人で夜空を見上げていると、ヴァレナも姿を見せた。
「二人とも、こんな時間に何してるの」
「作戦の相談。砦の跡地を使えないか、って話」
「砦か。いいね、あたしも見ておきたい」
三人で地図を囲みながら、しばらく作戦の細部を詰めていった。トトは、すでに眠ってしまったのか、納屋の中から寝息が聞こえてくる。
「トトには、なるべく戦闘に巻き込まれない配置を考えよう」
「うん。索敵と合図の役に徹してもらう。前線には出さない」
セシルの言葉に、あたしとヴァレナは頷いた。仲間を守るという一点で、迷いはなかった。
夜が深まるにつれ、星の瞬きが一段と鮮やかになっていく。明日からの戦いに向けて、あたしたちは、それぞれの覚悟を静かに固めていった。
翌朝、あたしたちは荷物をまとめ、南へ続く街道を目指して、集落を後にした。振り返ると、小さな集落の輪郭が、朝靄の中に霞んで見えた。この数日で積み重ねた準備が、無駄にならないことを、あたしは静かに願っていた。
道すがら、セシルが今後の作戦を改めて確認した。
「向こうが本気で来るなら、こっちも全員で連携する必要がある。リクとヴァレナが前衛、あたしが後方支援、トトが索敵。役割は崩さない」
「了解。何かあったら、すぐ声かけて」
四人の足並みが、街道の上で静かに揃っていく。次の対決がどんな形になるのか、まだ誰にも分からない。それでも、逃げるだけだったこれまでとは違う、確かな覚悟が、あたしたちの中に芽生えていた。
歩きながら、あたしはふと、これまでの旅を振り返った。式典から逃げ出した日、右も左も分からないまま、ただがむしゃらに走っていた。あの頃と比べれば、今は仲間もいるし、多少なりとも先を見据えて動けるようになった。
「何、一人で考え込んでるの」
隣を歩くヴァレナが、顔を覗き込んできた。
「昔のこと、少し思い出してた。式典から逃げ出した日のこと」
「懐かしいね。あの頃のあんた、本当に何も考えてなさそうだった」
「否定できないのが悔しい」
軽口を交わしながら、あたしたちは街道を進んだ。日差しは強くなってきたけれど、吹き抜ける風には、どこか秋の気配が混じり始めていた。季節の移ろいすら、今のあたしたちには、静かな覚悟の後押しのように感じられた。空を見上げると、渡り鳥の群れが、南の方角へと連なって飛んでいくのが見えた。あたしたちも、あの鳥たちのように、迷わず前へ進んでいきたかった。
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