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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
3章 網を潜り抜けて

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(27)貸し手という噂

街道沿いの町は、思ったより賑わっていた。市場には露店が並び、行商人の呼び声があちこちから響いている。土埃と、揚げ物の香ばしい匂いが入り混じる、活気ある空気だった。


セシルは、情報収集のために、まず酒場を目指すことを提案した。


「昼間から人が集まる酒場は、噂話の宝庫。特に、旅の商人や傭兵崩れが集まる店がいい」


「セシル、詳しいね」


「測量士時代、各地を回ってたから。人の集まる場所の見分け方くらいは、覚えてる」


セシルは、手帳を懐にしまいながら、事も無げに答えた。過去の話に触れても、以前ほど声が固くならなくなっている。その変化に、あたしは密かに安堵していた。


町の酒場は、昼だというのに、すでに何人かの客で賑わっていた。あたしたちは目立たない席を選び、それとなく周囲の会話に耳を澄ませた。


「聞いたか、賞金稼ぎの噂。北の方で、逃げ回ってる娘がいるらしい」


「ああ、チキンの娘だろう。この前、賞金稼ぎ四人まとめて出し抜いたって話だ」


「そんな噂もあるが、追ってる方も相当な手練れらしいぞ。ガイン・オルスとかいう男だ」


その名前が出た瞬間、あたしたちは思わず顔を見合わせた。声を潜めたまま、さらに耳を傾ける。


「ガイン・オルスか。あの男、依頼を受けたら絶対に仕留めるって評判だな」


「今回の依頼主は、相当な大物らしい。噂じゃ、王都の商会か、それとも貴族筋か」


「詳しいことは分からんが、報酬の額が桁違いだって話だ。普通の賞金首とは、わけが違う」


会話が途切れると、セシルが小声で呟いた。


「王都の商会、貴族筋。どちらにせよ、個人的な恨みじゃなさそうな口ぶり」


「依頼主の正体、掴めそう?」


「今の情報だけじゃ、まだ足りない。でも、方向性は見えてきた」


トトは、話を聞きながら、どこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。


「トト、大丈夫?」


「うん。ただ、大物の依頼主って言葉、なんか嫌な感じがして」


トトの声には、明らかな不安が滲んでいた。あたしは、その肩にそっと手を置いた。


「まだ、はっきりしたことは分からない。でも、何か分かったら、必ず共有する」


「うん」


トトは小さく頷いたけど、その表情はまだ硬いままだった。ヴァレナが、話題を変えるように口を挟んだ。


「それより、今夜の宿はどうする。この町、少し人目が多すぎる」


「町外れの宿を取ろう。目立たない場所を、もう調べてある」


セシルが手早く提案し、あたしたちは席を立った。酒場を出ると、傾き始めた日差しが、町の通りを橙色に染めていた。


「依頼主が大物なら、簡単には諦めないってことだよね」


歩きながら、あたしは呟いた。


「たぶん、そう。でも、正体さえ分かれば、対処のしようもある」


セシルの言葉に、少しだけ心が軽くなった。分からないまま怯えるより、少しずつでも敵の輪郭を掴んでいく方が、まだ前に進んでいる実感がある。


町外れの宿に着く頃には、空はすっかり夕暮れに染まっていた。遠くの丘の稜線が、燃えるような赤に縁取られている。今日集めた情報を、頭の中で整理しながら、あたしは静かに息を吐いた。


宿の食堂で夕食を取りながら、セシルは手帳に今日聞いた噂を書き留めていた。木炭の先が紙をこする音が、静かな部屋に小さく響く。


「王都の商会か貴族筋。どっちにしても、報酬を桁違いに積める相手ってことだよね」


「そう。個人的な怨恨や、単純な賞金稼ぎの仕事じゃない。組織的な後ろ盾がある可能性が高い」


「なんで、そんな大物が、あたしを狙うんだろう」


素朴な疑問を口にすると、セシルはしばらく考え込んでから答えた。


「正直、分からない。あなたの過去に、何か心当たりは」


「ないよ。強いて言えば、あちこちで色々やらかしてきたけど、恨まれるほどのことをした覚えはない」


「そう。なら、あなた自身が狙われてるんじゃなくて、何か別の理由がある可能性も考えた方がいいかもしれない」


セシルの推測に、あたしは思わず眉をひそめた。考えたこともない角度だった。


「別の理由って、たとえば」


「今は分からない。ただ、可能性の一つとして、頭の隅に置いておく」


ヴァレナは、食事の手を止めずに、静かに話を聞いていた。脇腹の傷のせいか、動きはまだぎこちないけど、顔色はだいぶ良くなっている。


「情報が集まるまでは、慎重に動くしかないね」


「そうだね。しばらくは、この町を拠点に、少しずつ調べを進めよう」


トトは、食事をほとんど残したまま、じっと窓の外を見つめていた。


「トト、食べないの」


「ごめん、あんまり食欲なくて」


心配になって顔を覗き込むと、トトは無理に笑顔を作った。


「大丈夫。ちょっと、考え事してただけ」


その笑顔がどこか痛々しくて、あたしはそれ以上、深く聞くことができなかった。夜が更けるにつれ、宿の周りは静けさを増していった。窓の外に見える星の光だけが、やけに鮮明に思えた。


食事を終えたあと、あたしは一人で宿の外に出た。夜風が、昼間の熱気を洗い流すように、頬を撫でていく。石畳の道には、行き交う人の姿もまばらだった。


しばらく歩いていると、井戸端に座り込むヴァレナの姿が見えた。


「一人で出歩いて、大丈夫なの」


「傷なら、もう平気。それより、あんたこそ、こんな時間に何してるの」


「ちょっと、頭を整理したくて」


隣に腰を下ろすと、ヴァレナは空を見上げたまま、ぽつりと言った。


「トトのこと、気になってるんでしょ」


「うん。何か抱えてるのは分かってるけど、無理に聞き出すのも違う気がする」


「そうだね。あの子には、あの子のペースがある」


ヴァレナの言葉に、あたしは静かに頷いた。夜空には、雲一つない澄んだ星々が広がっている。こんな穏やかな夜が、いつまで続くのか、正直分からない。それでも、今この瞬間だけは、確かな安らぎがあった。


「明日から、また忙しくなりそうだね」


「そうだね。でも、今夜くらいは、ゆっくり眠ろう」


ヴァレナの言葉に頷いて、あたしたちは並んで、しばらく夜空を眺めていた。遠くで、犬の遠吠えが響き、それきり、あたりはまた静寂に包まれた。明日への不安を、今だけは横に置いておきたかった。星明かりの下、二人分の呼吸だけが、静かに重なっていた。この時間が、もう少しだけ長く続けばいいと、あたしは密かに願っていた。


最後までありがとうございました!


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