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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
3章 網を潜り抜けて

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21/94

(21)分断

沢沿いの道を下っていくと、やがて木々がまばらになり、遠くに街の輪郭が見え始めた。


「もう少し」


セシルが息を切らしながら言う。誰もが限界に近かった。トトの足取りは、明らかに重くなっている。


「トト、おぶろうか」


「大丈夫。まだ、走れる」


強がりだったけど、無理に押し切るのも違う。あたしは何も言わず、ただ隣で歩調を合わせて走った。


荒い息のまま歩き続け、街の入り口が見えてきたところで、道が二手に分かれていた。片方は正門へ、もう片方は、街の外周を回る裏道へと続いている。


「セシル」


「正門は、人が多い分、目撃情報が広まりやすい。裏道は、静かだけど、何かあったときに助けを呼べない」


「どっちがまし」


「状況次第。今は、まだ判断がつかない」


珍しく歯切れの悪い答えだった。いつもなら即答するはずのセシルが迷う、それだけで、追い詰められている度合いが伝わってきた。


その時、背後の茂みで、微かな足音が聞こえた。振り返る間もなく、ヴァレナが鋭く叫んだ。


「散れ!」


考えるより先に、体が動いた。セシルがトトの手を引いて裏道へ、あたしとヴァレナが正門側へ。とっさの判断だったけど、二手に分かれることで、追跡の的を絞らせない狙いがあった。


走りながら、心臓が痛いくらいに脈打った。トトと離れる不安が、胸の奥で暴れている。それでも、今は前へ進むしかない。


「これでよかった?」


「分からない。でも、他に手がなかった」


ヴァレナの声にも、迷いが滲んでいた。それでも、足を止める選択肢はなかった。


背後を振り返っても、追ってくる気配は、はっきりとは掴めなかった。それが、かえって不気味だった。見えないということは、油断していい理由にはならない。


「あの男、あたしたちが二手に分かれたこと、もう気づいてるかな」


「気づいてる前提で動くしかない。楽観は、命取りになる」


ヴァレナの声には、これまでにない緊張感があった。長年、こういう修羅場をくぐってきた人間の顔をしている。あたしはその横顔を見て、少しだけ心強さを覚えた。


正門をくぐると、街の喧騒が一気に押し寄せてきた。市場の呼び込み、荷馬車の音、子供たちの笑い声。焼きたてのパンの匂いが、風に乗って漂ってくる。さっきまでの静寂な森とは、まるで別世界だった。


「セシルたちのほう、大丈夫かな」


「セシルは、頭が回る。トトも、思ったより芯が強い。信じるしかない」


ヴァレナの声には、自分自身にも言い聞かせるような響きがあった。


ヴァレナの言葉に、少しだけ安心した。それでも、不安は消えない。


人混みに紛れながら、あたしたちは慎重に歩を進めた。ガイン・オルスの姿は見えない。それでも、どこかで見られているような感覚が、ずっと張り付いていた。


市場の屋台からは、焼いた肉と香辛料の匂いが漂ってくる。普段なら、思わず足を止めてしまうような賑わいなのに、今は味わう余裕すらなかった。すれ違う人の顔一つ一つが、なんだか怪しく見えてくる。疑心暗鬼というのは、案外こういう、他愛もない瞬間から始まるものらしい。


「一旦、落ち合う場所を決めておくべきだった」


「今更言っても仕方ない。でも、次からはそうする」


反省を口にしながら、あたしは街の中心にある噴水広場を思い浮かべた。この街には、以前一度だけ来たことがある。もし、はぐれたときの合流場所として、あそこなら分かりやすいはずだ。


「ヴァレナ、噴水広場、知ってる?」


「知ってる。あそこで待つ?」


「うん。セシルたちも、たぶん同じこと考えてるはず」


祈るような気持ちで、人混みを縫うように、あたしたちは広場を目指した。人混みをかき分けながら進むうち、少しずつ、心臓の音が落ち着いていく。それでも、完全に安心できたわけじゃなかった。トトとセシルの無事を確かめるまでは、どこにも心が落ち着けそうになかった。


広場に着くと、噴水の周りには、旅人や商人たちが思い思いに休んでいた。水しぶきが陽光を受けて、小さく煌めいている。セシルたちの姿は、まだ見当たらない。


「まだ、来てない」


「来る。信じて待つしかない」


ヴァレナの言葉に頷きながら、あたしは噴水の縁に腰を下ろした。トトの小さな背中を思い浮かべると、胸がざわついて仕方なかった。無事でいてほしい、それだけを、何度も心の中で繰り返した。


待つ間、あたしは何度も広場の入り口に目をやった。人が来るたびに、心臓が跳ねる。その繰り返しに、体力とは別の疲労が溜まっていく。


「大丈夫。セシルは、あんたが思ってる以上に、しぶとい」


ヴァレナが、あたしの内心を見透かしたように言った。図星だったから、何も言い返せなかった。


しばらく待っていると、人混みの向こうに、見覚えのある二人の姿が見えた。セシルとトトだった。


「無事?」


駆け寄って聞くと、二人とも息を切らしながらも、頷いた。


「無事。裏道、誰もいなかった」


セシルの言葉に、全身から力が抜けた。トトが、あたしの服にしがみつくように抱きついてくる。小さな体が、まだ小刻みに震えていた。


「怖かった」


「うん。あたしも怖かった」


素直な言葉が、するりと口をついて出た。強がる余裕も、今はなかった。抱きついてくるトトの背中を、あたしはそっと撫でた。


四人揃ったことを確認して、あたしたちは、これからどうするかを話し合い始めた。ガイン・オルスの追跡は、確実に続いている。この街に留まるのは危険だ。それでも、今すぐ動く体力は、誰にも残っていなかった。


「今夜だけ、宿を取ろう。休まないと、判断力が鈍る」


セシルの提案に、誰も異論はなかった。


「あの男、この街まで来ると思う?」


「時間の問題だと思う。ただ、今すぐではないはず。あたしたちを見失った以上、もう一度、情報を集め直す必要がある」


セシルの分析に、少しだけ息をつく余裕ができた。それでも、まだ油断はできない。


「今夜のうちに、次の動きを決めよう。ずっと逃げてるだけじゃ、いずれ体力が尽きる」


ヴァレナの言葉に、誰も反論しなかった。逃げ続けることにも、限界がある。それを、みんな、口には出さないまま、肌で感じ始めていた。


人混みに紛れながら、あたしたちは宿を探して歩き出した。トトは、あたしの手を、離そうとしなかった。

最後までありがとうございました!


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それでは次回の更新をお楽しみに!

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