↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
2章 積み重ねた距離の分だけ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/97

(18)近づく足音

夜通し歩き続けて、空が白み始める頃、ようやく開けた場所に出た。木々の隙間から差す朝の光が、川面に反射してきらきらと揺れている。水の流れる音が、やけに大きく耳に響いた。小さな川のほとりで、ひとまず休憩をとることにする。


「誰も、追ってきてないみたい」


「みたい、っていうのが怖いんだけど」


セシルが手帳を開いて、これまでの移動距離を確認している。目の下に、うっすらと隈ができていた。徹夜で歩き続けたのは、あたしだけじゃない。


「少し寝たほうがいい。交代で見張るから」


ヴァレナの提案に、誰も異論はなかった。トトは、川のほとりに座り込んだ瞬間、糸が切れたように眠りに落ちた。よほど気を張っていたんだろう。あどけない寝顔に、少しだけ安心する。


「見張り、最初はあたしがやる」


ヴァレナが、川を見渡せる岩の上に腰を下ろした。得物を膝に乗せ、周囲に目を配る姿は、いつも以上に頼もしく見えた。


「無理しないでよ」


「無理はしない。無茶はするかもしれないけど」


物騒な軽口に、あたしは苦笑した。それでも、この人が見張りに立ってくれるなら、少しは安心して目を閉じられる。


「マジビの占い、今日は見た?」


つい、場違いな軽口を挟んでみる。ヴァレナは呆れた顔で首を振った。


「見てない。見る余裕、今どこにあるの」


「余裕がないときこそ、くだらないことを考えるのがコツ」


「その理屈、いつか痛い目見るよ」


「もう何度も見てるから、今更」


軽口を返しながらも、頭の片隅では、左目に傷のある男のことを、ずっと考えていた。くだらない軽口は、そういう不安を紛らわすための、ちょっとした儀式みたいなものだった。


あたしも、岩に背をもたせかけて目を閉じた。それでも、なかなか眠りは訪れなかった。左目に傷のある男の影が、まだ頭の隅にこびりついている。


うとうとしかけたところで、ヴァレナの声で目が覚めた。


「起きて」


短い一言に、緊張が滲んでいた。あたしは飛び起きて、周囲を見回す。


「何」


「あれ」


ヴァレナが指さす先、川の対岸の土手に、足跡が残っていた。真新しい、しかも大きな足跡。あたしたちのものじゃない。


セシルが駆け寄って、足跡の深さや幅を確認する。膝をつき、指先で土の締まり具合を確かめながら、手帳に素早く数字を書き込んでいった。


「大人の男。体格は、かなり大きい。足跡の新しさから見て、つい先ほど、この場を通ったばかり」


「まさか」


「断定はできない。でも、可能性は高い」


心臓が、嫌な音を立て始めた。あたしたちが眠っていたほんの数刻の間に、誰かがすぐそばを通り過ぎていった。もし気づかれていたら。もし、あのまま眠り続けていたら。考えるだけで、背筋が冷える。


「なんで気づかなかったんだろう、あたしたち」


トトが不安げに聞いてくる。あたしにも、はっきりした答えは出せなかった。


「見張りが甘かった、ってわけじゃないと思う。ヴァレナはちゃんと起きてたわけだし」


「起きてた。それでも、気づかなかった」


ヴァレナの声には、悔しさが滲んでいた。自分の役目を果たせなかった、と感じているのかもしれない。


「気づかれないように、わざと避けて通った可能性もある」


セシルが冷静に指摘する。それが一番、ぞっとする可能性だった。気づかせないまま、こちらの居場所も戦力も、静かに測っている。そういうやり口だとしたら、これまでの追手とは、確かに格が違う。


「油断してたわけじゃ、ないんだけどね」


「油断してた、してないの話じゃない。相手の技量の話」


セシルの言葉に、反論できなかった。実力の差を、こんな形で思い知らされるのは、あまり気分のいいものじゃない。


トトが目を覚まし、状況を察したのか、顔を強張らせた。


「見つかった?」


「まだ、分からない。でも、油断はできない」


あたしは努めて、いつもの調子で答えた。それでも、声が少し震えているのは、自分でも分かった。


足跡は、川に沿って上流のほうへ続いていた。あたしたちが向かおうとしていた方角とは、少しずれている。すれ違いだったのか、それとも、あたしたちを見つけたうえで、あえて距離を測っているのか。判断がつかない。


トトが、あたしの袖をぎゅっと握った。何も言わなかったけど、その手の強さが、すべてを物語っていた。


「大丈夫」


言いながら、自分でもどこまで本気で言えているのか、分からなかった。それでも、口に出すことにだけは、意味があると信じたい。


トトは、それ以上何も聞いてこなかった。ただ、あたしの袖を握る手に、もう一段、力がこもった。その重みを、あたしはしっかり受け止めた。


「動こう」


ヴァレナが立ち上がり、荷物を担ぎ直す。誰も異論を挟まなかった。


川を離れ、街道とは違う道を選んで進む。誰も、口を開かなかった。足音を殺し、息を潜め、ただ前へ進み続けた。


歩きながら、あたしは頭の中で、これまでのことを整理していた。式典から逃げ出した日、賞金首になった日、ヴァレナと出会った夜、セシルが仲間になった日、トトを拾った街角。積み重ねてきた距離の分だけ、あたしは強くなってきたはずだ。それでも、目に見えない足音に怯えている今の自分は、あの頃とそう変わっていない気がする。


いや、変わっていないわけじゃない。あの頃は一人だった。今は、後ろに三人分の気配がある。それだけで、随分と心強い。


セシルが、隣を歩きながら小声で言った。


「怖い?」


「怖い。でも、一人のときの怖さとは、ちょっと違う」


「どう違うの」


「守りたいものがある分、怖さの種類が増えた。単純に自分が怖いだけじゃなくて、みんなが怖い目に遭うのが怖い」


自分で言っていて、柄にもない台詞だと思った。それでも、撤回する気にはならなかった。


「らしくないこと言うね」


「らしくなくていい。今日くらいは」


セシルが、小さく笑った気配がした。暗い中でも、その気配だけは、はっきり伝わってきた。


しばらく進んだところで、あたしはふと足を止めた。


「どうした」


「なんか、視線を感じる」


我ながら、根拠のない直感だった。それでも、あたしの嫌な予感は、だいたい当たる。今まで、外れたことがない。


振り返っても、誰の姿も見えない。木々の合間から差す朝日が、地面にまだらな影を落としているだけだ。


「気のせいなら、いいんだけど」


ヴァレナが、得物の柄に手をかけたまま呟いた。誰も、それを気休めだとは思わなかった。


セシルが、周囲の地形を確かめるように視線を巡らせた。


「もし本当にいるなら、この距離感は、まだ様子見の段階だと思う。仕掛けてくる気なら、とっくに仕掛けてる」


「様子見って、何を見てるの」


「たぶん、あたしたちの戦力。逃げ足、連携、装備。全部、値踏みされてる」


淡々とした分析だったけど、聞いているだけで肌が粟立った。値踏みされている、という表現が、何よりも不気味だった。誰かに正体も知られず、じっと観察され続ける感覚は、正面から斬りかかられるよりも、ずっと神経を削る。


トトが、震える声で聞いてくる。


「値踏みされて、それから、どうなるの」


「勝てないと判断すれば、しばらく距離を保ったまま、機会を待つ。勝てると判断すれば、たぶん、すぐに仕掛けてくる」


「今は?」


「分からない。分からないから、今できることをやるしかない」


セシルの答えは、誠実だけど、少しも安心できるものじゃなかった。それでも、嘘の慰めよりは、ずっとましだと思う。


遠くで、鳥が一斉に飛び立った。何かに驚いたような、慌ただしい羽音だった。その方向を見つめたまま、あたしたちはしばらく動けなかった。心臓の音が、耳の奥でやけに大きく響いている。


「行こう」


セシルが、静かに、けれどきっぱりと言った。


「立ち止まってても、状況は変わらない。動きながら、考える」


その通りだと思う。逃げながら考える。それが、あたしのやり方だ。今回も、それを貫くしかない。


歩き出す前に、あたしは三人の顔を順番に見た。ヴァレナは、いつも通り険しい顔で前を見据えている。セシルは、手帳を握りしめながらも、足取りだけは揺るがない。トトは、まだ不安そうだったけど、それでも自分の足で立っていた。


「みんな、ついてきて」


我ながら、頼りない号令だった。それでも、誰も文句は言わなかった。ヴァレナが先頭に立ち、セシルがトトの手を引き、あたしが最後尾についた。


四人分の足音が、朝靄の中に消えていく。振り返った先には、まだ誰の姿もない。それでも、確かに、何かが近づいてきている。その気配だけが、はっきりと肌に残っていた。


木々の切れ間から、朝日が少しずつ強くなっていく。夜通し歩いた疲労は、まだ体のあちこちに残っている。それでも、足を止めるわけにはいかない。止まった瞬間、今まで稼いできた距離が、まるごと無駄になる。


賞金首になって、もう何年も経つ。逃げることには、それなりに慣れたつもりだった。それでも、今回だけは、これまでとは違う手触りの緊張がある。守るべきものが増えたぶん、逃げ方も、これまでと同じではいられないのかもしれない。一人で逃げていた頃の身軽さは、もうどこにもない。その代わり、失ったつもりのないものが、今は確かに隣にある。


いつか、この足音の主と正面から向き合う日が来るんだろう。それがいつになるのかは、まだ分からない。分からないまま、あたしたちは、ただ前へ進み続けるしかなかった。


最後までありがとうございました!


楽しんでいただけたら、評価やブックマークを入れてもらえるととても嬉しいです。


反応があると更新速度が上がります(重要)


それでは次回の更新をお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。