(12)市場の一日
翌朝は、朝から快晴だった。宿の窓から差し込む光がやけに眩しくて、あたしは布団の中で小さく呻いた。
「今日くらい、ゆっくりしてもいいっすよね」
誰に向けたつもりもない独り言だったのに、返事が返ってきた。
「だめ」
セシルの声だった。すでに身支度を終えて、手帳を片手に部屋の入り口に立っている。
「今日は買い出し日。トトの靴、そろそろ限界」
言われて見ると、トトの靴は、片方の紐がほどけたままで、爪先の縫い目もほつれかけていた。本人はまるで気にしていない様子で、けろりとした顔をしている。
「別に、まだ歩ける」
「歩けるのと、履き潰れてるのは別」
セシルの正論に、トトが小さく口を尖らせた。この二人のやり取りは、いつの間にかすっかり定番になっている。
身支度を整えて外に出ると、市場はもう活気づいていた。布地屋の店先には色とりどりの反物が並び、香辛料の匂いが道の奥まで漂ってくる。呼び込みの声、値切り交渉の声、荷車の軋む音。あらゆる音が重なって、一つの賑わいになっていた。
「靴屋、こっち」
セシルが手帳片手に先導する。数字にはうるさいくせに、道順の記憶だけはやけに正確だ。
靴屋の店先で、トトはいくつかの靴を試しては、どれも「別に」しか言わなかった。素直じゃない返事の連続に、店主も苦笑いを浮かべている。
「気に入ったの、一つもない?」
「ない、わけじゃないけど」
歯切れの悪い返事。ヴァレナが、棚の隅にあった一足を無言で差し出した。飾り気のない、丈夫そうな革靴だった。
「これは」
「別に」
そう言いながら、トトはさっさと履き替えていた。新しい靴を履いた足で、その場でぴょんと跳ねてみせる。
「悪くない」
「気に入ったんじゃん」
「別に、悪くないってだけ」
意地の張り方が、なんだかあたし自身を見ているようで、少しおかしかった。血は繋がっていないのに、こういうところだけ似てくるものらしい。
靴屋を出たところで、店主が呼び止めてきた。
「そういや、あんたたち。宿場町の噂の一団だろ」
「噂の一団、っすか」
「賞金首連れて、なぜかガキまで拾って歩いてる連中がいるって。まさか本人とは思わなかったが」
店主は面白そうに笑っている。悪意はなさそうだったから、あたしも軽く笑い返しておいた。
「拾ったんじゃなくて、たまたま一緒にいるだけ」
「そのたまたまが、もう何人分だい」
的確な指摘に、ヴァレナが小さく吹き出した。セシルは我関せずという顔で、次の店の場所を手帳で確認している。
「次、どこ行くの」
「布地屋。ヴァレナの外套、もう継ぎ接ぎだらけ」
指摘されたヴァレナが、自分の外套の袖口を見下ろした。たしかに、あちこち擦り切れている。
「これくらい、まだいける」
「まだいけるって言い張って、着倒すのがあんたのパターンでしょ」
セシルの正論に、ヴァレナは黙り込んだ。反論できないときの、いつもの沈黙だった。
布地屋では、店主に勧められるまま、丈夫そうな厚手の布を選んだ。ヴァレナは終始無口だったけれど、生地を選ぶ手つきだけは、やけに真剣だった。
「意外と、こだわりあるんだ」
「装備は命に関わるから」
短い答えの中に、それなりの重みがあった。伊達に長く得物を背負っているわけじゃない。
一通りの買い出しを終えて、ついでに立ち寄った雑貨屋で、あたしはマジビジョンの専門雑誌を見つけて手に取った。表紙には、今月の運勢占い、の文字が大きく躍っている。
「あ、これこれ。占い、当たるかどうか見てみよ」
「当たったことない、って自分で言ってたのに」
セシルが呆れた声で言う。
「当たらないから見るんじゃない。当たらなさを確認する儀式」
「意味わかんない」
トトが真顔で突っ込んでくる。それでも、あたしはページをめくって占いの欄を読み上げた。
「今週のあなたは、大きな決断を迫られるでしょう。逃げるが勝ち、という言葉を胸に」
読み上げた瞬間、全員が黙った。妙に言い当てられているようだった。いや、当てられているというより、あたし向けに書かれたような言葉選びだった。
「これは」
「気のせい。マジビの占いは、誰にでも当てはまるように作ってあるだけ」
セシルが冷静に分析する。
「じゃあ、なんで毎回買うわけ」
「気のせいでも、面白ければ買う。それだけの話」
反論になっているのかいないのか、自分でもよく分からない理屈だった。ヴァレナが横から雑誌を覗き込んで、別のページを指さす。
「こっちの、逃亡者向け特集。読んでみたら」
「なにそれ、あたしのために作られたコーナーみたいな言い方」
「実際そうでしょ」
言い返せなかった。開いてみると、追われる者のための護身術、という見出しに、ずいぶん頼りない挿絵が添えられていた。分かってはいるけど、なんとなく胸に残る一文だった。
昼過ぎ、買い出しを終えて、四人で並んで屋台のスープを啜った。トトの新しい靴が、日差しを受けて鈍く光っている。
「靴、ありがとう」
小さな声で、トトがぽつりと言った。誰に向けた言葉かは、あえて聞かなかった。ヴァレナが、素っ気なく肩をすくめて答える。
「別に。安かったから買っただけ」
「安くなかったでしょ、それ」
セシルが手帳を見ながら訂正を入れる。ヴァレナは何も言わず、スープをすすり続けていた。
賑やかな一日だった。稼ぎにはならなかったけど、悪くない一日だと思う。基準は低いほうが、毎日を気分よく終えられる。
宿への帰り道、トトが新しい靴の踵を、確かめるように何度も地面に打ちつけていた。
「そんなに気に入った?」
「別に」
「別にって顔じゃないけど」
「うるさい」
言い返す声が、いつもより弾んでいた。素直じゃない言葉の裏側が、こんなにも分かりやすい子は珍しい。
セシルは手帳に、今日買ったものの値段を几帳面に書きつけている。木炭の先で軽く叩いて合計を確かめる仕草は、いつ見ても変わらない。ヴァレナは新しい布地の包みを、大事そうに小脇に抱えていた。誰も何も言わないけれど、それぞれのやり方で、今日という一日を持ち帰ろうとしているのが分かる。こういう積み重ねが、いつか大きな何かになるのかもしれない、なんて柄にもなく思ってしまった。
夕暮れの光が、買い物袋を提げた四人の影を、長く街道に伸ばしていた。明日もまた、こんな一日が続けばいい。根拠のない願いだったけど、悪くない願い方だと思った。
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