Episode29ー【閉話】帰宅
「大丈夫よ。そんなに心配しなくても」
母はそう言うが、ヴィオレッタはそわそわと落ち着かない様子で部屋の扉に視線を向けた。
フロストハイムからクロイツ公爵邸へ戻ってすぐに、ルーカスは父であるクロイツ公爵の執務室に連れて行かれた。ヴィオレッタも付いて行こうとしたのだが、母に止められてしまったのだ。父への婚約の報告に『私も一緒に行くから大丈夫』と言った手前、申し訳なく感じてしまう。
(大丈夫かしら。ルーカス……)
父は、ヴィオレッタとクロイツ夫人にはめっぽう甘い。だからベルナントに冷遇されている時も言えなかった。
しばらくして扉が開いた。ルーカスが疲弊した顔で部屋に入って来た。
「大丈夫?」
思わず駆け寄り、ルーカスの後ろにいた父に非難の視線を向ける。クロイツ公爵が心外だと言うように口を開いた。
「失礼だな、ヴィオ。何もしていないぞ。うちの娘と婚約を結ぶならば、守るべき事例を教えていただけだ。ちなみに私が結婚する際に誓った項目でもある」
クロイツ夫人が口を挟んだ。
「それで?どうなのルーカス。ヴァルターが伝えたすべての項目を守ることが出来なければ、ヴィオレッタとの婚約は認めないわよ」
ヴィオレッタは母とルーカスを交互に見た。いったいどんな項目なのだろう。以前母が言っていた、『不誠実な真似をすれば、男の象徴を切り落とす』といった類のことだろうか。クロイツ夫人は鋭い目つきでルーカスを見据えている。
「な、何が書いてあったの?」
ルーカスの披露した表情を見て、思わず身構える。
ルーカスはにこりと微笑って言った。
「大したことではありません。どれも誠実であれば当然のことですよ。ただそれを言語化してあったのに驚いただけです」
ルーカスはクロイツ夫人に向き直った。
「もちろん守ります。あの項目全て。ですので、お嬢様との婚約をお許しいただけますか」
「…………許しましょう」
長い間をあけて、クロイツ夫人は応えた。ルーカスが安堵の息を漏らす。
「ち、父上に許可は……」
ヴィオレッタが言うと、ルーカスが微笑んだ。
「閣下からの許可はさきほど貰えました。夫人からの許可が一番難しいと、閣下に言われたので……よかった」
「まあ。私は元々、ルーカスをヴィオレッタの相手に望んでいたのですから。反対などしませんよ」
クロイツ夫人の言葉に、公爵が眉を顰める。
「しかし君、『ルーカスであっても、あの項目を見て怯むようなら許さない』と言っていたじゃないか」
ますます項目が気になる。母に視線を向けたら、「貴方が成人したら見せましょう」と言われた。
公爵がソファに深く座り、息を吐いた。
「何にせよ、ヴィオに良い縁談が決まって良かった。ああ、そうだ。ベルナント……お前の元婚約者だが、廃嫡が決まったそうだ。王都も去るだろうから、アカデミーでももう顔を合わせなくて済むぞ」
「それは僥倖です。アカデミーではそれが心配でしたから」
ルーカスが言った。
ヴィオレッタはといえば、そこまで心配はしていなかった。もうベルナントの一挙一動に心が揺さぶられることはないからだ。とはいえ、会わなくて済むならばそれが一番良い。
◇
父と母への報告も済ませ、フロストハイムでのお土産話もしていたら日が暮れた。夕食までの時間、ヴィオレッタは庭園を散歩しようとルーカスを誘った。
どうしても、ルーカスに聞いておきたいことがあったのだ。
「ええと……聞きたいことがあるのだけど」
「何でしょう?」
神妙な顔で言ってしまったからか、ルーカスも何を言われるのかと身構えている。大したことではないのだが、変に力んでしまった。ヴィオレッタは息を吸い込むと一気に言った。
「へ、変なことを聞くけれど、ルーカスに幼馴染はいるのかしら?疑っている訳ではないのよ?ただ……ほら、私の場合気になって……いても良いの。気にはしないわ。いるのか、いなのかだけ教えてちょうだい」
息もつかずに言い切ったので、呼吸が荒くなる。息を整えて前を向くと、ルーカスは考え込むように眉間に皺を寄せていた。
(い、いるのね。この顔は、いるんだわ)
確信し、ショックを受けていると、ヴィオレッタの様子に気付いたルーカスが慌てて言った。
「わあ!すみません、いません!泣かないでください!」
「泣いてないわよ。嘘を言わなくていいのよ」
泣いてないつもりだったのに、目に涙が溜まっていたようだ。ルーカスが指でヴィオレッタの目元を掬うと雫が付いていた。
ルーカスは狼狽えて弁解している。
「ほ、本当にいないのです。と言いますか、幼馴染の定義を考えておりました。幼い頃からよく一緒にいる、家族以外の人のことですよね。だとしたら、僕にとってはお嬢様がその対象になるかもしれないと……」
ルーカスの慌てぶりに、ヴィオレッタの涙は引っ込んだ。
(考え込んでいただけ?本当にいないみたいね。)
ほっと胸を撫で下ろす。
「ルーカスが思い浮かぶのは私だけなのね。ならいいわ」
ヴィオレッタとルーカスは厳密には幼馴染とは言えないが、思い浮かぶのが自分だけなのは嬉しい。
ルーカスがほっと息を漏らし、ヴィオレッタの髪をひとすくい掬い口付けた。
「ル……」
呼びかけて固まった。ルーカスの熱を帯びた瞳がヴィオレッタを捉えていたからだ。
「僕は、結婚しても、する前も……貴方を一途に愛します」
ヴィオレッタは自分の目に、また涙が溜まるのを感じた。ルーカスが懐からハンカチーフを取り出すよりも早く、両手を広げてルーカスを抱きしめて言った。
「私も!」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
もう少し、もう少しと書いていたら29話になっておりました。
最後まで楽しく書かせていただきました。
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短編を投稿しています。こちらも見ていただけると嬉しいです。
【グリズリーと称される北部の公爵は、「でかすぎる」と婚約破棄された令嬢が可愛く見えて仕方ない。】
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