グリズリーと称される北部の公爵は、「でかすぎる」と婚約破棄された令嬢が可愛く見えて仕方ない。
一年の大半が雪に囲まれた、北部グラッセリア公爵領。
北部のグリズリーと称されるマグセド・グラッセリア公爵の執務室からは、今日も嘆くような声が響いた。
「閣下!どうしますか?これでもう四人目です」
執事の嘆きを聞き流し、マグセドは淡々と言った。
「四人目ともなれば、もう諦めるしかないな」
「なりません!閣下の代でグラッセリア公爵家の血筋を途絶えさせるわけにはいきません」
叫ぶように言う執事の顔を、げんなりとした瞳で見据える。
「そうは言っても、もういないだろう」
「いいえ。探せば帝国のどこかに一人はいらっしゃるはずです」
執事の言う、帝国のどこかに一人しかいないであろう者とは、マグセドの婚約者候補である。雪に埋もれた北部に嫁ぎ、グラッセリア公爵夫人になる人物。
「ははっ」
マグセドは自嘲するように笑った。
(帝国広しと言えど、執事の予想でも一人しかいないとは)
いくら北部とはいえ、公爵夫人という高い地位になるというのに、希望者がいないのはマグセドの風貌と噂が原因だった。
北部の者は元々、身体が大きい。しかしマグセドの大きさは規格外だった。2メートルを優に超える上背。獰猛な金の瞳。輝く銀髪と、髭。度重なる魔物討伐の様子から、人々はマグセドを北部のグリズリーと称し畏怖していた。
「ではその奇跡のような一人を頑張って探してくれ」
マグセドはそう言って目の前の書類に視線を戻した。
正直なところ、婚約者を探したり会ったりする時間が惜しい。誰も嫁ぎたくはないだろう。このような辺境へ。
――と、考えていた三日後。執事のノエルが天にも昇りそうな様子でマグセドの自室へやってきた。
「閣下!いらっしゃいましたよ。婚約を承諾してくださるご令嬢が」
「なに?」
一瞬驚いたものの、すぐに落ち着きを取り戻した。
(やはり公爵夫人の肩書は魅力的なのだろう。他の四人もそうだったではないか)
公爵夫人の肩書に釣られ、実際にマグセドを見ると恐れおののき、逃げ出すのだ。人より体が大きく成長し、面倒で髭の処理を怠るようになってからは、まともに女性と目を合わせていない。あちらが目を逸らすのだ。
(先日まで婚約者だった令嬢の瞳の色すら覚えていないな)
鎧を身に着けているマグセドを見てノエルは眉を顰めた。
「どちらへ?討伐の予定はなかったはずですが」
「たった今、西の街道で目撃情報があったと報告が来た。西の街道は流通のかなめだ。すぐに対処せねば」
ノエルが表情を曇らせながら言った。
「五日ほどで片付けられますか?」
「ああ。規模にもよるが、五日あれば十分だろう。何かあるのか?」
「七日後に開かれる皇室主催のパーティーで、ご令嬢のエスコートを任されました」
マグセドは目を瞬いた。
「……私がか?」
「他に誰がいるのですか」
「婚約もしていないのにか?」
「もう婚約しましたよ」
「――なに?」
あやうく持っていたマントを落としそうになった。ノエルは満足そうに続ける。
「先方の意志が変わってはいけませんので、婚約に関する書類はすでに神殿に送っております」
開いた口が塞がらない。
「せめて会ってからにするべきだろう?顔も知らぬ相手と……」
「閣下のことを知らない貴族は帝国にはおりません」
先方はそうかもしれないが、マクセドの意見は尊重してもらえないのだろうか。言外に『お前には選ぶ選択肢はない』と言われているようだ。
ノエルを半眼で睨み、マグセドは頭を抱えて息を吐いた。
(私に会いもせず、婚約書にサインするとは。よほど大きな借金があるのか……何か曰くがあるのか。なんにせよ、ご令嬢が気の毒だ)
「どこのご令嬢なんだ」
マグセドの質問にノエルは目を輝かせて言った。
「エドセン侯爵のご息女、シシリア嬢です」
「エドセン侯爵の?シシリア嬢は皇太子殿下の婚約者ではなかったか?」
想定外の人物に慌てる。シシリア・エドセン。覚えている。随分前にグラッセリアを訪れたことがある。
「シシリア様の事をご存じなのですか?」
「ああ。十年前の大寒波で、エドセン侯爵家が開発した温風の出る魔道具を寄付してくれただろう?あの時に会ったんだ」
空色の瞳の可愛らしいご令嬢だった。そうか。もうそんなに大きくなったのか。
「その寄付された魔道具ですが、シシリア様が開発されたそうですよ」
ノエルの言葉に、手を顎に添えて思案したままマグセドは固まった。
「――なに?当時はシシリア嬢は八歳くらいだったはずだが?」
「ええ。他にもいくつか魔道具を開発されているのだとか。あ、閣下が湯あみ後に使用している冷風機もシシリア様の発明です」
「なんと……!」
それはお会いしたら感謝の意を述べねば。北部と言えど、湯あみ後は暑くて敵わない。冷風機は効率的に身体の温度を下げられるため重宝している。
「そういった功績もあり、シシリア様は早くから皇太子殿下の婚約者でした」
「ますます分からん。金銭面で困っておらず、それほど名誉のあるご令嬢がなぜ私の婚約を受けるのだ」
「少し前に、皇太子殿下との婚約が白紙になったそうです」
「……皇族の婚約が白紙になるとは。何があったんだ」
「それが……」
めずらしくノエルが言い淀む。何やら大変な事件が起こったらしい。
「……シシリア様の背が、高すぎると」
ノエルが何を言っているのか分からない。そんなことで皇族の婚約が白紙になる訳はないので、マグセドは聞きなおした。
「すまん、もう一度言ってくれ」
「背が高すぎると言われたそうです」
聞き間違いではなかったようだ。
「なんだと?」
「何でも、皇太子殿下はシシリア様との婚約が不満だったようで、日々の鬱憤が溜まったのか、よりによって公の場で『でかくて、かわいげのない女などと結婚したくはない』と叫んだと……報告を受けております」
「……」
マグセドとノエルはしばし沈黙した。
「……世も末ですね」
「同感だな」
互いに頷き、帝国の未来を憂う。
「そのような事をしでかした皇太子殿下は、どうされているのだ?」
「謹慎中とのことで、近いうちに皇位継承権は第二皇子殿下に移されるのではと」
「ならば良かった。そんな下衆のような皇太子に仕えたくはないからな」
「シシリア様に落ち度はないとはいえ、皇族との婚約が破棄になったご令嬢に良い縁談は恵まれません」
(とはいえ、シシリア嬢が希望した事ではないだろう。エドセン侯爵も、娘の縁談を無理強いするような人物には見えなかったが……人は分からぬものだからな)
寒い中、侯爵と共に領民たちをねぎらってくれた姿が脳裏に浮かぶ。
(婚約云々は置いておいて、またあのご令嬢に会えるのには感謝しよう。あの時は充分に礼が出来なかったからな)
「ふむ……。早々に魔物を狩って帰還しよう」
マグセドはマントを羽織り、エントランスへ向かった。
◇
魔物討伐は思ったより長くかかり、帰還を決めたのは五日後だった。グラッセリア公爵領から皇城のある首都までは、馬を駆けて早くて一日はかかる。
(想定より遅くなってしまったな。まあ急げば間に合うだろう)
途中から魔物討伐に参加していたノエルが急かすように言った。
「公爵邸に戻っていては、遅くなってしまいます。このまま首都のタウンハウスへ向かいましょう」
馬を走らせ、朝日が昇り始めた頃。騎士団を率いて街道を抜けていくと、前日の雨でぬかるんだ道に嵌まった馬車を見つけた。
「――どうどう」
右手を上げて騎士団を制止させる。
「我々が行きましょうか?」
馬を寄せて団員が言った。五日間魔物討伐に勤しんでいた騎士団を半分に分け、半分は公爵邸へ帰還させ、残りは共にタウンハウスへ向かっている。付いて来た団員は連日の戦闘と移動で満身創痍だ。疲れも見える。
「いや、いい。ノエルを残して他は先に進め」
マグセドはそう言うと、馬からひらりと降りて馬車へ向かった。初老の御者と、中年の御者が馬車を持ち上げようとしているが、馬車は微かに揺れるだけだ。
「失礼。お困りのようなので助力させてください」
マグセドの高貴な鎧を見て、御者の二人が慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません、騎士様。助かりま……」
二人は顔を上げて、マグセドの大きさにビクッと身体を揺らした。
身体の大きさに驚かれるのは慣れているので、気にせず車輪に手を伸ばす。
「フッ」
気合を入れて持ち上げ、車輪を泥濘から引き揚げ、ゆっくりと地面に降ろす。
(おそらく中に誰か乗っている。出てこないと言うことは女性だろうか?)
降ろした馬車をノエルと二人でゆっくりと押し、乾いた地面の場所まで移動させた。
御者の二人は感謝の意を込めて深く頭を下げている。
「助かりました。名のある騎士様とお見受け致しますが、お名前を窺ってもよろしいでしょうか?」
手が小刻みに震えているところを見るに、感謝と恐怖の両方を感じているようだ。
名乗るか迷い、手で後頭部に触れると、手に血がついた。
(なるほど。おそらく俺は今、血まみれなのだな?)
魔物討伐の一番の功労者はマグセドだ。その分、魔物の返り血を嫌という程浴びている。御者の二人がこれほど震えるのも分かる。
「私はグラッセリア公爵だ。礼ならいい。帝国民ならば守護の対象だからな」
ガタガタっ……!と、馬車から音がした。
「お嬢様……!」
馬車に乗っていた令嬢が顔を出した。慌てて御者が手を差し伸べる。
柔らかなベージュブラウンの髪がさらりと流れ、馬車から降りた令嬢は美しい所作でカーテシーをとった。
「助けていただき感謝いたします。グラッセリア公爵閣下。エドセン侯爵家の末娘、シシリアと申します」
マグセドはぽかんとシシリアを見た。
(シシリア嬢?)
マグセドは寝不足の頭で、ノエルの『背が大きすぎて……』という報告を思い出した。そしてぽつりとつぶやく。
「……ぜんぜん大きくないではないか」
呟きが聞こえたのだろう。シシリアの顔がみるみる赤く染まった。その恥じらう様子を見て、マグセドはさらに目を見開いた。
(いや、可愛いな?)
ノエルが肘でマグセドを小突く。マグセドは我に返り慌てて挨拶をした。
「失礼致しました。お怪我がないようでなによりです。シシリア・エドセン嬢」
一歩前に出ると、シシリアの身体がびくりと揺れた。
(おっと。近づいては怖がらせてしまうな)
前に出した足をもう一度下げると、シシリアがマグセドを見た。そのまっすぐとした視線を受け止め、空色の瞳に吸い込まれそうになる。
シシリアはマグセドを見て、申し訳なさそうに口を開いた。
「魔物の血に驚いただけです。決して閣下が恐ろしかった訳ではございません」
(シシリア嬢は私の心が読めるのだろうか?)
シシリアの言葉に驚いていると、ノエルが横から口を挟んだ。
「シシリア様。こんな時間に馬車でどちらへ?」
「ええと、領地から首都へ向かっていたのですが、遅くなってしまい……お手数をおかけして申し訳ありません」
「でしたら、ご一緒に首都まで向かいましょう。まだこの辺りは魔物が出ますから。良いですよね?閣下
」
ノエルはマグセドに問うたが、返答を聞くつもりはないようだ。
「よろしいのですか?」
おずおずと聞くシシリアを見下ろし、マグセドは素早く頷いた。
「もちろんです」
シシリアが馬車に戻ると、ノエルの顔色が少し悪くなった。「しまった。まさかここでお会いするとは……閣下の髭くらい剃っておけば……いや、御髪だけでも鋤いていれば……」などと、ぶつぶつ言っていた。
エドセン侯爵邸に着くと、ノエルが言った。
「ほら!早く行ってエスコートしてください」
とりあえず頭に付いていた血はノエルがふき取ったが、今の自分はいつも以上に令嬢をエスコートできる風貌ではない。
「私が行っては怖がらせないか?」
「とはいえ閣下のご婚約者ですから。怖がられたらすぐに下がってください」
ノエルはよく無茶を言う。緊張して馬車に近づき、扉を開き手を差し出した。シシリアは大きな瞳を瞬いて、幻だろうか?恥じらうように微笑んだ。シシリアはマグセドの手を躊躇なく取り、馬車を降りた。
(やはり小さい)
『でかすぎる』とまで言われた女性だ。自分より大きいことはないだろうと思っていたが、想像よりも小さい。
手まで小さなことに驚きながら、そのまま邸宅までエスコートをした。
◇
翌日の早朝、マグセドはノエルによってたたき起こされた。昨夜はタウンハウスに戻ってすぐ、湯あみを済ませると早々と眠ってしまった。
「閣下!本日はお早くご起床ください」
マグセドはベッドから身を起こし、半眼で言った。
「なんだ……朝から騒々しい」
そう叫ばずとも、野営に慣れているので少しの物音で目は覚める。
ノエルから白湯を受け取り飲んでいると、次々と侍女が入って来た。不穏な空気を察し、マグセドはノエルを睨む。
「なんだ?こんなに朝早くから……」
主人の言葉を遮りノエルは言った。
「今日はとことん着飾っていただきます。まず、グリズリーと称される所以になった髭を剃りましょう」
「なんだと?」
髭に愛着はないが、時間がかかるので面倒なのだ。
「時間が……」
「今日はまだ早朝でございます。お時間がかかっても問題ありません。だいたい、普段から手入れしていればこのように時間はかからないのですよ。シシリア様をエスコートするのですから、整えない訳にはいきません」
至極真っ当なノエルの言い分に、マグセドは観念するしかなかった。
大人しく髭を剃り用意された礼服を着る。仕上がったマグセドを見て、ノエルと侍女たちは息を呑んだ。
「――閣下……!私は本当にもったいないと常々思うのです。閣下が普段から身だしなみに気を使ってくれさえすれば、おそらくここ数年の私の心労はなかったことでしょう」
ノエルが感嘆の声を出す。鏡に映る自身の姿に驚きはするが、自分の顔なので特に何の感想も浮かばない。
「まあ……!坊ちゃんのお髭のないお顔を拝見するのは、五年ぶりくらいでしょうか?相変わらず、美しいこと……!」
邸宅で一番の古株である侍女長もうっとりと言うので、まあ悪くはないのだろう。しかし成人もとうに過ぎているので『坊ちゃん』はやめてほしい。
◇
「エドセン邸まで迎えにあがらなくとも良かったのか?」
皇城に着き、長い廊下を進みながらロエルに言った。ロエル自身も男爵位を持っている。この後、婚約者と落ち合うようだ。
「ええ。シシリア様は陛下に婚約破棄の件で呼ばれているそうです。我々は応接室へ向かいましょう」
「シシリア嬢は、小さかったな」
思い返してふと言うと、ノエルが怪訝な声を出した。
「え?」
「お前よりも小さいじゃないか」
ノエルは呆れた様子で口を開く。
「閣下……北部の男を基準として考えないでください。私は190cmありますから、私より大きい女性は北部でもいませんよ」
「お前が大きい大きいと言うから」
「言ったのは私ではありませんよ。皇太子殿下です。確かにシシリア様は、北部の女性並みに背が高いですね。180cm弱といったところでしょうか」
「小さい」
「閣下から見たら、どのお方もそうでしょうね」
諦めた様子で言うノエルに、もう一言付け加えたかったが、やめた。
シシリア嬢は小さいし可愛らしい。
(可憐な令嬢だ。私に嫁がずとも、良い御縁はあるだろう)
「今日はエドセン侯爵も来ているんだよな?」
「ええ。商談で遅くなると伺っていますが、会場に入られたのを確認したらお伝えしましょうか?」
「ああ頼む」
◇
応接室の前まで行くと、中から声が聞こえた。シシリアと他にも令嬢がいるらしい。雰囲気からして、どうやら仲の良い友人という訳ではなさそうだ。
「まぁ。シシリア嬢、大丈夫なの?そんなに高いヒールを履いて。隣に並べる令息がいないのではない?」
「大丈夫よ。たしか新しく婚約されたのでしょう?北部のグリズリーと言われるあの方と」
「えっ!本当に」
「ええ。あの方は熊のようなのでしょう?恐ろしいけれど、貴方ほどの大女は、他の方では無理よねぇ」
――バキッ。
力を入れたつもりはないが、取っ手が取れてしまった。破壊音に驚き、口を開いていた令嬢たちは固まってこちらを見た。
後ろから「ああ‥‥また扉を壊されて」と呆れたノエルの声がしたが、それは放置する。
扉を押し開き、部屋の中を見回した。
数人の令嬢たちがパートナーを待っていたが、マグセドを見て令嬢達は黄色い声を上げた。
「きゃあ‥‥!どなた?」
「綺麗な方‥‥!どちらのご令息かしら?誰のパートナーなの?」
「あんな素敵な方、首都にいたかしら?」
いつもと違う浮ついた声に、違和感を感じたが、気にせずシシリアの元へ大股で向かった。
「お待たせ致しました。行きましょう」
「あ、えっ‥‥」
シシリアはおろおろしながらマグセドを見ている。マグセドは少しショックを受けた。
「……髭がないので、私が分かりませんか?」
シシリアは手と首を大きく振った。
「い、いいえ。分かります。‥‥閣下‥‥!あまりに素敵で‥‥」
みるみる赤く染まる顔を見て、マグセドの口角が緩む。
(このような顔を見れるのならば、着飾るのも悪くないな)
周りにいた令嬢達が息を呑んだ。
「えっ!北部の……グラッセリア公爵?」
「嘘でしょう?全然グリズリーではないじゃない」
令嬢たちの視線を無視して、マグセドはシシリアと会場へ向かった。
「マグセド・グラッセリア公爵閣下、ならびにシシリア・エドセン侯爵令嬢が入られます!」
会場に侍従の声が響き、大きな扉が開いた。
シシリアの視線が下に下がっている。マグセドが耳元で囁いた。
「背筋を伸ばしてもかまいませんよ。そのほうが貴方の表情がよく分かるので、私としては助かります」
シシリアは驚いた顔でマグセドを見て、すぐに前を向いた。背筋は伸び、Aラインのドレスがすらりとした女性らしい曲線を際立たせている。堂々と中央を歩き、玉座に座る皇帝の前に立った。
「帝国の唯一無二の太陽、皇帝陛下にご挨拶致します」
口上を述べたマグセドの隣で、シシリアは綺麗なカーテシーをとっている。
皇帝はシシリアに視線を向け、口を開いた。
「うむ。此度はエドセン侯爵令嬢には迷惑をかけた。今宵は充分に楽しんでくれ」
皇帝への挨拶を済ませ、シシリアの父であるエドセン侯爵を探そうと会場を見渡した。すると、スイーツコーナーへ熱視線を送っていたシシリアと目が合った。
慌てて目を逸らすシシリアを見て、思わず笑顔が漏れる。
「あっ、笑いましたね!しょうがないじゃないですか‥‥お腹が空いて‥‥」
赤面しながら言うシシリアが、途方もなく可愛く見える。
「ふふ。私もちょうど小腹が空いていたのです」
会場を移動すると、嫌でも周囲の声が聞こえる。――が、思いのほか悪意のあるものは少なかった。
「グラッセリア公爵があんなにかっこいい方だったなんて」
「ええ。まともにお顔を拝見するのは初めてだけど。ほれぼれするわ」
「エドセン侯爵令嬢も、あの方と並ぶとすらりとして綺麗な方ね」
「ええ。皇太子殿下と並んでいる時には分からなかったけれど、とても綺麗だわ」
(そうだろう。そうだろう。シシリア嬢の魅力にやっと気付いたとはな)
マグセドは誇らしげに歩いた。
「シシリア!ここにいたのか」
マグセドとシシリアが振り向くと、謹慎中の皇太子の姿があった。マグセドがちらりと玉座へ視線を移すと、皇帝が席を外していた。
皇太子の傍にそわそわと落ち着かない様子の令息が二人。
(皇帝が席を外した間に取り巻きだった令息達が引き入れたのか。なんとも杜撰な警備だな)
マグセドは自分の婚約者を馴れ馴れしく呼ぶ人物に、冷ややかな視線を向けた。
皇位継承権は剥奪予定とはいえ、今はまだ皇太子だ。マグセドのピリっとした空気を察したのか、シシリアが一歩前に出た。
「皇太子殿下。謹慎中と伺いましたが‥‥何故ここへ……」
皇太子は乱暴にシシリアの手を掴んだ。
「そんなことはどうでもいい!私と婚約をし直すんだ!」
「えっ?どういうことでしょう?」
シシリアが狼狽える。
「どうもこうもない!そなたとの婚約を破棄したから、皇位継承権が剥奪されそうになっている。婚約し直すしかないだろう!二人で陛下の所に行くぞ!」
皇太子は焦りながらシシリアを引っ張った。
バシッと腕を叩く音が辺りに響いた。
「うぅッ?!な、なにをする!」
皇太子が叩かれた腕を抑えながら喚いた。マグセドは皇太子の視線からシシリアを隠すように前に出た。
「それはこちらの台詞ですよ。殿下」
地を這うような声に、皇太子が一歩下がる。
「ま、待ってください!殿下、私はもう新たに婚約を結んでおります。殿下と婚約をし直すのは不可能です」
シシリアがマグセドの後から声を上げた。マグセドが皇太子に危害を加える前に、追い払おうとしているようだ。
シシリアの願いは届かず、皇太子が嘲るように笑った。
「はは!ああ、聞いている。たが、相手は北部のグリズリーだろう?僕と彼では、比べようもない。彼との婚約は僕が破棄してあげるから、戻ってきなさい。そなたは背が高すぎることを除けば、美人だし優秀なのは知っている」
こめかみがピクリと動く。皇太子をどう黙らせようかと思案していると、シシリアが前に出た。そしてすうっと息を吸い込んだ。
「殿下のような、器も何もかも小さな男は願い下げでございます!私は器の大きな閣下と結婚いたします!」
会場に響き渡った宣言に、周りの貴族たちも静まり返った。
皇太子が真っ赤な顔で震えている。
「な、何だと?」
マグセドはサッとシシリアを後に隠した。
(何とまあ。豪胆で勇敢な令嬢だ)
内心惚れ惚れとしていたが、シシリアの顔色はみるみる青ざめていく。
「不敬だ!シシリアを捕らえろ!」
皇太子が近くの衛兵に叫んだ。衛兵はこちらを向いたものの、躊躇している。
マグセドは皇太子に詰め寄った。皇太子はマグセドの威圧感に狼狽えた。
「お、お前はさっきから何だ!下がれ!」
「私の婚約者が危害を加えられそうだというのに、下がれません」
ずんずんと皇太子と距離をつめ、壁際へ追い込んでいく。
「なに?ではお前が、北部の……」
「グリズリーでございます」
壁の柱に手を付け、追い込んだと同時に柱を掴んだ。掴んだ部分は粉々に崩れる。手を開くとパラパラと柱の一部が崩れた。
横目で一部が壊された柱を眺め、皇太子は青ざめた。
「――何事か!なぜここに皇太子がいる?衛兵は早く連れて行け!」
戻ってきた皇帝が叫ぶように衛兵に命じ、皇太子はふらふらと会場を出て行った。
「シシリア!」
二人に駆け寄ってきたのは、見覚えのある顔だった。シシリアとよく似たベージュブラウンの髪色の紳士だ。
「お父様」
「何があったんだい?大丈夫だったか?」
エドセン侯爵は、心配そうに娘が怪我をしていないか確認している。
「大丈夫よ。閣下が助けてくれたから」
助けられたのはむしろ自分の方なのではないか。訂正しようにも説明が難しい。
「グラッセリア公爵閣下!おひさしぶりです。娘を助けていただき、ありがとうございます……!」
エドセン侯爵は記憶の通り、気のよさそうな人物だ。
(いや、しかし……!)
マグセドは鋭い視線を侯爵へ向けた。侯爵がびくりと固まる。
「エドセン侯爵。娘を心配するならば、望まぬ縁談など受けぬことだ。シシリア嬢は聡明で美しい。皇太子殿下との婚約破棄があったとて、良縁には恵まれるはずだ。無理に私に嫁がせるようなことは……」
「か、閣下!お待ちください!」
マグセドの言葉を遮ったのはシシリアだった。
「そうではないのです……!望まぬ縁談などでは……」
なんていじらしいのか。この場で、父もマグセドもどちらも立てようとしてくれている。
「いいんだ。無理せずとも……」
「もう!だから話を聞いてください!」
怒りを孕んだ声にマグセドは固まった。
(怒られた?いや、怒った顔も可愛いが)
固まったマグセドの隣で、侯爵が口を開く。
「何だ?シシリア。伝えていないのかい?閣下がシシリアの初恋相手だと言うことを」
「……!お、お父様!」
「な、何を……」
(聞き間違いか?聞き間違いに違いない)
狼狽えるマグセドに、侯爵が困ったように言った。
「ほら。お前がきちんと説明しないから、閣下が勘違いをなさっているだろう」
「う、うう」
シシリアは真っ赤になり泣きそうになっている。マグセドはどうすればいいのか分からず、あたふたするしかない。
侯爵が短く息を吐き、マグセドに向き直った。
「全く。――閣下、これは望まぬ婚姻ではありません。以前、グラッセリア公爵領へ赴いた時、シシリアは貴方に恋心を抱いたのです。ですが、当時は皇太子の婚約者でしたから、恋心は胸にしまい諦めさせました。しかし、この度その婚約が白紙になり、閣下が婚約者を探していると言うではありませんか。娘は喜んでこの縁談を承諾したのです」
マグセドはすぐに理解できず、ふらふらと視線をさ迷わせた。
「ノエル……いるか?」
婚約者とこの光景を見物していたノエルは急いでマグセドの傍に来た。
「ここに」
「夢かもしれん。殴ってみてくれ」
躊躇なくノエルがマグセドの脳天を叩く。
「痛くない……やはり夢?」
「私は痛いので夢ではありません閣下」
ノエルがきっぱりと言うので、マグセドは「そうか」と頷いた。
産まれてきて、こんなに嬉しいことがあっただろうか。マグセドはエドセン侯爵にシシリアを侯爵邸まで送るように頼まれた。
「どうぞ」
手を差し出し、馬車へエスコートする。シシリアも落ち着きを取り戻し、沈黙の多い少し気まずい空気の中、馬車が進んだ。
マグセドは気になっていたことを聞いた。
「シシリア嬢、その……本当に私と婚約しても良いのですか?」
落ち着きの戻ったシシリアは、空色の瞳でマグセドを見据えて頷いた。
「はい」
「私は27なので、貴方とは歳が離れていますが」
「好きな人の歳なので知っています」
「……!」
「閣下こそ、私で良いのですか?」
マグセドは空色の瞳に吸い込まれるように顔を寄せ、シシリアにキスをした。そして小さな声で答えた。
「貴方がいいです」
――◇――
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