第7話 討伐
鳥の声に、四人が土を踏む音が重なっていた。大和は葉の擦れる音がするたび、そちらへ目を向けた。大和は歩きながら、何度も周囲を見回した。先頭を歩くのはルシアン。その少し後ろにアキト、大和、最後尾にシェルド。
アビナは出発する直前まで「見るだけニャ」と粘っていた。「遊びじゃない」とシェルドに止められた時の顔を思い出し、大和は少し笑った。
「この辺だったと思うんだけど」
大和は周囲を見る。昨日――いや、一昨日か。目を覚まして、初めて怪物に襲われた場所。必死で逃げ、走り、転がった。正直、道順などほとんど覚えていない。
「本当に分かるのか」
シェルドが聞く。
「大体」
「大体か」
「怪物に追いかけられながら道覚える余裕あります?」
「ないな」
「でしょ」
意外にもシェルドは素直に認めた。大和は少し笑う。前を歩いていたルシアンが足を止め、地面へしゃがんだ。
「何かある?」
大和が近づく。ルシアンは土に残った跡を指した。深く、大きな足跡。人間でも犬でも猫でもない。
「これ、多分あいつ」
ルシアンは跡を追って数歩進み、またしゃがんだ。折れた枝。抉れた木。黒く乾いたもの。
「血?」
「怪物の体液だ」
ルシアンは短く答えた。
「こっちだ」
しばらく進むと、腐ったような匂いがした。大和は顔をしかめる。
「うわ」
アキトは鼻を押さえ、顔を背けていた。
「これは……」
木々の向こうに黒いものが見えた。大和の足が止まる。いた。自分が倒した怪物だ。形はまだ残っている。ただ、生きて動いていないせいか、戦った時より少し小さく見えた。大和は近づきながら少し緊張した。
死んでいる。分かっている。それでも、あれほど何度も再生した相手だ。また動くのではないかと思ってしまう。アキトが槍を構えたまま近づき、先端で怪物の身体を突いた。反応はない。今度は強く突き、黒い皮膚を貫く。
それでも動かなかった。シェルドが聞く。
「ここか?」
大和は怪物の胴を見る。大きく裂け、黒く変色して崩れている場所。
「多分。最後にここを切った」
しゃがんで指す。ルシアンも近づき、傷口をじっと見る。
「他の傷は?」
大和は怪物の脚を見た。
「最初に一本切った。多分……これ」
一本だけ僅かに形が違う。だが、きちんと身体へ繋がっている。再生したのだ。大和は戦った時を思い出す。脚を切ったあと、本体の断面から肉と骨が伸び、再び立ち上がった。
「やっぱり戻ってる」
ルシアンが傷を見る。
「痕跡はある」
「でも治ってる」
「そうだな」
シェルドが確認する。
「最後の傷だけ治らなかった?」
「そう。昨日の奴も同じだった」
全員が黙った。目の前の死体。昨日、村で倒した怪物。二体とも、大和が最後に深く傷つけたあと再生しなくなった。偶然と考えるには、少し難しくなっている。アキトが死体を見ながら言った。
「怪物の死体を見るのは初めてだ」
大和が振り返る。
「一度も?」
「俺はない」
シェルドも頷く。
「動かなくなるところまではある」
「でも戻る」
「そうだ」
シェルドは怪物へ視線を戻した。
「頭を潰しても、身体を切り離してもな」
大和は少し嫌な顔をする。
「それでも?」
「時間がかかるだけだ」
アキトが答えた。
「だから俺たちは、怪物を『倒す』とは言わない」
大和はその言葉を考えた。治るまでの間に追い払うか、逃げるか。何度会っても、またそれを繰り返すのだ。
「じゃあ、怪物ってずっといるんですか?」
「何が言いたい」
「減らない?」
シェルドはすぐには答えなかった。
「増えるかどうかも分からない」
「分からない?」
「数えられない」
ルシアンが言う。
「森の奥へ行けば、戻ってこない者もいる」
大和は少し黙った。
「怪物に?」
「怪物だけとは限らない。でも多い」
大和は死体を見る。一体の怪物が、死なずに森のどこかを歩き続ける。何年。何十年。もっとかもしれない。
「厄介すぎるな」
自然に言葉が出た。シェルドが大和を見る。
「だから昨日の話になる」
「俺だけが殺せるかもしれない」
「そうだ」
大和は右腕を見る。普通の腕だ。あれがどういう仕組みなのかも、なぜ怪物の再生だけを止められるのかも分からない。
「それで、どうするんです?」
シェルドは答える前にアキトを見た。アキトも少し考え、それから言った。
「まず村へ戻る」
「それだけ?」
「死体が本当に残っていることは確認できた。昨日の一体も残っている。十分だ」
アキトは大和を見る。
「お前に怪物と戦えとは言わない」
大和は少し意外だった。
「言わないんですか?」
「言ってほしいのか?」
「いや。できれば戦いたくないです」
即答だった。アキトが少し笑う。
「なら、それでいい」
大和は返事ができなかった。もっと期待されると思っていた。怪物を殺せる。村にとって明らかに価値がある。だから戦え。そう言われても不思議ではない。だがアキトは言わない。
「……でも」
大和が言うと、三人がこちらを見る。
「昨日みたいに、また誰かが襲われたら?」
レティの姿が頭に浮かぶ。アキトは静かに答えた。
「俺たちが守る」
大和は眉を寄せる。
「殺せないのに?」
「今までもそうしてきた」
「でも――」
「大和」
アキトの声は静かだった。
「お前が来る前から、俺たちはここで生きている。お前一人に全部背負わせる理由はない」
大和は何も言わなかった。何かが引っかかった。神様。世界を救え。そんな冗談を自分で言っていた。選ばれた主人公が能力を与えられ、怪物を倒して世界を救う。そういう物語なら、主人公は当然戦うのだろう。
でも自分は別に、そうしたいわけではない。怪物は普通に怖い。傷は治るが、痛いものは痛い。昨日だって、レティが襲われなければできれば逃げたかった。
「帰ろう」
アキトが言った。大和はもう一度怪物の死体を見てから頷いた。
「はい」
◇
村へ戻った頃には昼を過ぎていた。怪物の死体が残っていたという話は、すぐ村中に広がった。大和が歩くと、昨日とは少し違う視線を感じる。怖がっている者もいる。だが、それだけではない。期待。
大和にはそう見えた。
「あの人?」
「そう」
「怪物を?」
「二体」
「本当に死んだって」
小さな声が聞こえる。大和は聞こえないふりをした。居心地が悪い。最初は、変な服を着た耳のない男として見られていた。今は「怪物を殺せる男」になっている。
「有名人ニャ」
横からアビナが現れた。
「嬉しくない」
「なんで?」
「目立つの苦手」
「変なの」
「お前に言われたくない」
アビナが笑う。
「死体あった?」
「あった」
「見たかったニャ」
「見なくていい」
「何で?」
「腐ってる」
アビナは少し考えた。
「それは嫌ニャ」
「だろ」
珍しく話が早かった。二人で歩いていると、レティが向こうから走ってきた。
「ヤマト!」
「何?」
「怪物、いた?」
「死んでた」
レティの表情がぱっと明るくなる。
「ほんと!?」
「ほんと」
「じゃあ……」
レティは続けようとして止まり、大和を見た。
「やっぱり、ヤマトなら倒せるんだ」
その言葉は少し重かった。レティは笑いかけたまま、大和の返事を待っていた。昨日の怖がった顔が重なった。大和は軽く言った。
「たまたまかもしれないけどな」
「二回も?」
アビナが言う。
「二回はたまたまじゃないニャ」
「そうかな」
「そうニャ」
レティも頷いた。大和は頭を掻く。
「そういうことにしとくか」
◇
その日の夕方、大和はまた大きなテーブルのある家にいた。昨日と同じ顔ぶれだ。アキト、シェルド、レティ、アビナ、ルシアン、ノルア。ただし、テーブルの上には大きな布が広げられている。線、印、文字。
大和にはほとんど読めない。
「地図?」
「地図?」
アビナが聞き返す。
「土地の絵」
シェルドが言った。
「なら地図」
大和は覗き込む。正確ではない。少なくとも大和が知っている地図とは違う。山、川、森、道、村。それらを大まかに記したものらしい。シェルドが村らしき印を指す。
「ここが俺たちの村」
次に森の中の赤い印を示す。
「これは?」
「怪物が多い場所」
「多い?」
「何度も確認されている」
シェルドの指が村の北、東、少し離れた南へ動く。
「近いな」
「近い」
「よく村残ってますね」
アキトが答える。
「だから道を残している」
「道を?」
地図上の一本の線を指す。
「怪物が現れやすい場所は避ける。ここも、ここも、使わなくなった」
大和は地図を見る。怪物によって使えなくなった道がある。その赤い印の向こうに、四角い印が描かれていた。
「これは?」
一瞬、全員が少し黙る。
「昔の建物」
アキトが言った。大和が顔を上げる。
「建物?」
ルシアンが答える。
「石や、俺たちが知らない素材で作られている」
大和の表情が変わった。
「見たことある?」
「遠くから」
「中は?」
「入れない」
「怪物?」
シェルドが頷く。
「多い」
大和は地図を見た。自分が目を覚ました場所。壊れた建物。機械。人工物。そこへ繋がる何かがあるかもしれない。
「古い建物って、他にもある?」
「ある」
ルシアンが答える。
「森の中」
「何がある?」
「知らない」
「調べないの?」
ルシアンは赤い印を見る。それだけで答えは分かった。怪物が死なない。だから行けない。赤い印を避けると、建物へ届く道がなかった。シェルドが地図を閉じようとした。
「今日はこれだけだ」
大和が地図を押さえる。
「何だ」
「怪物を減らしたら……」
大和は少し迷ってから赤い印を指した。
「ここ、通れるようになる?」
シェルドが答える。
「可能性はある」
「建物にも?」
「近づける」
大和は黙った。あそこに何がある?自分のいた世界。何年眠ったのか。何が起きたのか。何か分かるかもしれない。でも、そのためには怪物と戦う必要がある。大和は右腕を見る。怖い。普通に怖い。
「大和」
アキトが呼ぶ。
「無理に考えるな。誰もお前にやれとは言っていない」
「分かってます」
「なら――」
「でも」
大和はレティを見る。昨日、怪物に追われて怯えていた。アビナは普通に森へ行く。きっとまた行く。ルシアン、アキト、シェルド。みんな、怪物を殺せないままここでずっと生きてきた。大和は少し息を吐いた。
「俺、一人だったら多分やらないです」
シェルドは黙って聞いている。
「怪物なんて怖いし、痛いし」
レティが少し申し訳なさそうな顔をする。大和は続けた。
「でも、飯もらって、寝る場所もらって、何も分からない俺を、なんか知らないけどみんな普通に受け入れてくれて」
アビナが言う。
「なんか大丈夫だったニャ」
「その『なんか』が一番気になるんだけど」
少し笑いが起こる。大和も笑った。それから、もう一度地図を見る。
「だから、俺にできるなら……やってみてもいい」
アキトはすぐには答えなかった。シェルドもルシアンも黙っている。
「条件があります」
大和が続けると、シェルドが眉を上げた。
「条件?」
「俺一人で行かない」
「当然だ」
「あと、危なくなったら逃げる」
シェルドがほんの少し笑った。
「それも当然だ」
「世界を救えとか言われても困るんで」
「誰も言っていない」
「ですよね」
大和は少し安心したように笑った。アキトが聞く。
「本当にいいのか」
大和は少し考える。
「多分」
「多分?」
「やってみないと分からないです」
正直、それしか言えない。アキトはしばらく大和を見てから頷いた。
「分かった」
シェルドがすぐ地図を広げ直す。切り替えが早い。
「なら最初はここだ」
村からそれほど遠くない、小さな赤い印。
「一体がよく出る」
「一体?」
「確認されているのは一体」
大和は少しだけ安心した。
「それなら、いけるかも」
ルシアンが言った。
「明日、痕跡を探す」
「明日?」
大和が聞く。
「早くない?」
「何日後なら怖くなくなる」
大和は黙った。
「……明日で」
アビナが勢いよく手を上げる。
「行くニャ」
「行かない」
シェルドが即答した。
「何で!」
「偵察はルシアン」
「私もできるニャ」
「大和の注意が散る」
「散らさないニャ」
「散る」
「なんで決めるニャ!」
言い合いが始まる。大和はそれを見ながら少し笑った。明日、怪物を討伐する。怖い。それでも、一人で戦った時とは全く違った。
◇
翌日、大和、アキト、シェルド、ルシアンの四人は森へ入った。先頭はルシアン。昨日よりさらに慎重に、足跡、折れた枝、木についた傷、匂いを一つずつ確認していく。大和には分からないものばかりだ。
途中でルシアンが手を上げた。全員が止まる。
「いる」
小さな声だった。大和の身体が一気に緊張する。
「どこ」
ルシアンが森の先を指す。大和にはまだ見えない。アキトが槍を握り、シェルドも武器を構えた。
「大和」
シェルドが言う。
「最初から前へ出るな」
「え?」
「俺たちが動きを止める」
「でも」
「お前は殺せる。だから最後まで残れ」
大和は少し驚いた。確かに理屈は分かる。自分が最初に無茶をして動けなくなれば意味がない。
「分かりました」
茂みが動いた。怪物が姿を現す。村を襲ったものとも、最初に戦ったものとも違う。細長い身体に四本の脚。前の二本だけが異様に長く、頭部は低い。背中には骨のような板がある。大和は喉を鳴らした。
怖い。やはり、見ただけで身体が緊張する。怪物はまだこちらに気づいていない。シェルドが手で指示を出す。アキトが横へ。ルシアンは反対へ回る。大和は後ろで待つ。今日は自分たちから探しに来た。まだこちらに気づいていない怪物を前に、大和は右手を握り直した。
怪物が顔を上げた。目がアキト、ルシアン、シェルドへと動き、大和のところで止まった。怪物の身体が僅かに変わる。また、あの反応。大和を見る時だけ何かが違う。
「来るぞ」
シェルドが言った。怪物が動く。狙ったのはアキトではない。大和だった。
「え」
速い。
「大和!」
アキトが横から槍を入れる。怪物の身体が逸れ、大和の横を通過した。
「最初から俺!?」
怪物はすぐ反転し、また大和を見る。シェルドが脚を斬り、ルシアンが別の脚へ刃を入れる。怪物が倒れる。傷はすぐに再生し始めた。大和は右腕を見る。
「出ろ」
何も起きない。怪物が立つ。
「頼むから、こういう時は出ろって!」
怪物がシェルドを振り払い、地面へ転がした。
「シェルド!」
大和が走る。だが怪物は倒れたシェルドを踏み越え、大和へ向かってくる。
「こいつ……」
村でレティが追われた時のように、今度は自分だけを狙ってくる。
「何でだよ!」
怪物が飛ぶ。大和は横へ避けた。前脚が肩を掠め、皮膚が裂ける。血が出るが、すぐに治る。それでも刃は出ない。
「くそ!」
大和は拳を怪物の顔へ叩き込んだ。大きくへこみ、怪物が後ろへ飛ぶ。だが傷は戻っていく。
「力じゃダメ」
分かっている。大和は焦った。レティを守った時、どうやって刃を出した?レティを守ろうとした。切る。止める。今は何を考えている?ただ出せ、出ろと、それだけを繰り返していた。怪物が再び来る。
アキトが前へ出て、槍を怪物の口へ深く突き刺した。
「大和!」
「はい!」
「焦るな!」
簡単に言う。それでも、その声で少し頭が冷えた。怪物が槍を折り、前脚をアキトへ振り下ろそうとする。大和は見た。昨日、アキトは自分に「戦わなくていい」と言った。お前一人に全部背負わせない、と。
怪物の脚がアキトへ落ちる。大和の頭から「能力を出せ」という考えが消えた。守る。アキトをやらせない。
「――そこ!」
右腕が熱くなる。大和は走った。白い刃が皮膚の下から伸びる。間に合う。怪物の脚を切断した。アキトの目の前へ落ちる。
「出た!」
大和自身が少し驚く。怪物が大和を見る。大和も怪物を見る。
「悪いけど、俺も仕組み分かってないんだよ!」
踏み込む。怪物が前脚を振る。大和は骨刃で受けた。重い。腕が軋むが耐える。左拳を胴へ叩き込み、動きを止める。そして右腕を深く突き刺した。
「これで!」
怪物が暴れる。大和は刃を刺したまま、強く思った。止めたい。もう動かすな。再生させるな。骨刃が僅かに変化した。大和には何が変わったのか分からない。ただ、身体が何かをしている。刃を横へ振り、大きく傷を開く。
「離れろ!」
シェルドの声。全員が距離を取る。怪物の傷口が動く。肉が伸びる。再生しようとする。そして止まった。組織が黒く変色し、崩れる。怪物の身体が激しく震えた。大和は息を止めた。前の二体と同じだ。
怪物が倒れる。再生しない。動きが少しずつ弱くなり、やがて止まった。誰もすぐには近づかなかった。数分待ってから、ルシアンが慎重に傷を確認する。アキトも続いた。
「どう?」
大和が聞く。ルシアンは怪物を見たまま答える。
「同じだ」
「死んだ?」
「多分」
シェルドも近づき、怪物と大和を見比べる。
「三体」
大和は、もう縮み始めている右腕の刃を見る。
「三体ですね」
偶然と呼ぶのは、もう無理がある。大和が攻撃すると、何かが起こる。怪物が再生できなくなる。大和は深く息を吐いた。
「本当に、俺なら殺せるんだ」
誰も否定しなかった。
◇
帰り道、大和は少し後ろを歩いていた。帰り道の先で、踏み跡が二つに分かれていた。草に埋もれた方へ目をやり、あの地図の赤い印を思い出した。ここも、また通れるようになるだろうか。アキトが横へ来た。
「後悔しているか」
大和が見る。
「何を?」
「戦うと言ったこと」
大和は少し考えた。
「怖いです」
「そうか」
「でも」
森の先、村のある方向を見る。レティの顔と、さっきのアキトの姿が浮かんだ。
「やらなかったら、多分その方が後悔する」
アキトは何も言わず、ただ頷いた。大和は少し笑う。隣を歩くアキトの槍は、短くなっていた。さっき自分の前へ出て、折られたものだ。大和はその歩調に合わせた。村が見えてくる。入口でアビナが待っていた。
大和たちを見つけると走ってくる。
「どうだったニャ!」
大和は少し疲れた顔で右手を上げた。
「死んだ」
アビナの目が輝く。
「見たかったニャ!」
「そこじゃないだろ!」
大和の声が森に響いた。




