第67話 同じ合図
朝、中継地点の横に、妙なものが立っていた。大和はしばらく黙って見た。
「……怪物?」
ドランが答える。
「違う」
「ですよね」
太い丸太の横から四本の細い木が伸びている。前には別の木材が括り付けられ、頭のようなものまである。そこから縄が何本も伸びていた。少し離れた場所で、ラナの男たちが縄を持っている。引けば、丸太の脚が動くらしい。アビナが横から覗き込む。
「怪物ニャ」
「ドランは違うって言ってるぞ」
「怪物に見立てるニャ」
「それならそう」
ドランは胴体の丸太を叩いた。
「壊すな」
大和がすぐ答える。
「まだ何もしてないですよ」
「先に言っている」
アキトが笑った。
「信用がないな」
「最近は壊してないだろ」
アビナが言う。
「滑車ニャ」
「それはもういい」
少し離れたところで、ダガンが木の怪物を見ていた。腕を組んでいる。
「軽い」
大和が見る。
「何が?」
「本物より」
「そりゃ木だから」
ダガンは不満そうだった。
「止めても意味が分からん」
ドランが言う。
「ならもっと重くするか」
「それがいい」
「待って」
大和が二人を見る。
「訓練で本物みたいな重さにする必要ある?」
ダガンが聞く。
「ないのか?」
「最初から潰されたら練習にならないでしょ」
アキトが頷いた。
「大和が珍しく正しい」
「珍しくって何だよ」
◇
シェルドが集まった者たちを見た。
「最初は何も決めない」
大和が聞く。
「昨日の話は?」
「自分の村で普段やっているように動け」
「それ危なくない?」
「だから武器は本物を使わない」
シアを見る。彼女の手には、昨日の投槍より短く、先端を丸くした木の棒があった。ラグも刃物を持っていない。ダガンの棒も先端の補強を外してある。ネイドだけは普段通り縄を持っている。
「まず」
シェルドが言った。
「どこでぶつかるか見る」
ルシアンは少し離れたところで記録板を持っている。大和が見る。
「俺も?」
「ああ」
「普通に?」
「普通に」
大和は少し考えた。
「本当に?」
シェルドが睨む。
「何だ」
「俺が普通に動いたら、たぶんすぐ追いつくけど」
「壊すな」
「そこじゃなくて」
アキトが言う。
「怪物を倒す必要はない」
「分かってるよ」
「なら問題ない」
大和は木の怪物を見る。今日は倒す訓練ではなく、一緒に動く訓練だ。大和は頷いた。
「了解」
◇
配置についた。正面にはアキト、少し離れてダガン。側面にラグ、反対側にロウとバル。シアは後方、ネイドは縄を持って少し下がっている。大和はどこに立つか迷った。
「俺どこ?」
シェルドが答える。
「自分で考えろ」
「最初から難しいな」
大和は少し後ろへ下がった。全体が見える場所。シェルドが手を上げる。
「始める」
縄を持った男たちが走り出した。木の怪物が動く。思ったより速い。脚が不規則に跳ねる。
「意外と怪物っぽい」
大和が呟く。次の瞬間、ラグが口笛を一度鳴らし、シアが投げた。
「え」
大和の目の前を木の棒が飛び、ダガンの盾へ、ばこんと当たる。ダガンが止まり、シアも止まる。ラグが叫ぶ。
「何で投げる!」
「合図しただろ」
「寄せる合図だ!」
「うちは投げる!」
「昨日言っただろ!」
「だから変えたのかと思った」
「変えてない!」
その間にも木の怪物は進む。アキトが前へ出て、ダガンも出る。二人は同時に正面へ立った。
「そっち行くのか」
アキトが言う。
「止める」
ダガンが答える。
「俺もだ」
二人が並ぶ。木の怪物がぶつかる。丸太そのものは軽い。だが後ろから三人が縄を引いている。アキトとダガンが同時に押す。方向がずれた。木の怪物が横へ流れる。
「こっち!」
ラグが走る。自分の方へ誘導しようとする。だが、流れた先にネイドがいた。
「待て」
ネイドが縄を投げる。一本の脚へ掛かり、それを引くと、木の怪物がさらに横へ倒れかける。
「今!」
シアが投げた。
「待っ――」
ラグが避ける。木の棒が脚のすぐ横を通った。
「危ない!」
大和が思わず前へ出た。一気に距離を詰め、倒れかけた木の怪物を横から押さえる。止まった。全員が動きを止め、少し静かになった。アビナが離れた場所から言った。
「ぐちゃぐちゃニャ」
大和が答える。
「うん」
シェルドも言った。
「止めろ」
◇
木の怪物を元の位置へ戻した。誰も怪我はしていない。だが、大和はさっきの動きを思い返す。
「本物だったら」
アキトが言った。
「シアの槍がダガンに当たってたな」
シアが答える。
「盾で止まった」
ダガンが見る。
「本物なら刺さる」
「盾がある」
「槍が壊れる」
「そこ?」
大和が聞いた。ラグがシアを見る。
「そもそも俺の合図で投げるな」
「同じ音を使う方が悪い」
「セラではずっとこれだ」
「ベルも」
「じゃあどっちが変える」
「そっち」
「何でだ」
昨日と同じだった。大和は少し笑う。シアが見る。
「何?」
「いや、本当に昨日の続きだなって」
シェルドが地面へ線を引いた。
「まず合図を決める」
ラグとシアを見る。
「村の合図は使わない」
二人とも黙る。
「ここでは」
シェルドが続けた。
「全部、新しくする」
ネイドが聞く。
「音?」
「音だけでは足りない」
ルシアンが言った。全員が見る。
「怪物がうるさい時もある。離れて聞こえないこともある」
ダガンが盾を叩いた。どん。
「これは?」
アキトが首を振る。
「怪物が向く」
「向かせたい時もある」
「だから駄目なんだよ」
大和が笑った。ダガンが少し考える。
「そうか」
◇
それから、合図を作った。難しいものにはしなかった。多ければ覚えられない。シェルドが言う。
「三つでいい」
一つで止まる。二つで下がる。三つで拘束に入る。音は、中継地点にあった古い金具を短く叩くことにした。かん、と高い音が出る。一回、二回、三回。回数で意味を分ける。大和が聞く。
「攻撃は?」
「各自」
「投げる時は?」
シアが聞いた。
「声」
シェルドが答える。
「投げる前に言え」
「何て?」
大和が口を挟む。
「投げる、とかでいいんじゃない?」
シアが大和を見る。
「そのまま?」
「分かりやすいでしょ」
ラグが言った。
「投げる」
少し間があった。
「分かりやすいな」
「でしょ?」
アビナが離れた場所から言う。
「大和でも分かるニャ」
「何で俺基準なんだよ」
◇
次は役割を決めた。シェルドが地面へ怪物を表す丸を描き、その正面を示す。
「止めるのは一人」
アキトとダガンを見る。二人が顔を見合わせた。大和が聞く。
「どっち?」
ダガンが言った。
「俺」
アキトが答える。
「いい」
あっさりだった。大和が少し驚く。
「いいの?」
「ダガンの方が止めるのに向いてる」
アキトは普通に答えた。
「俺は横へ入る」
ダガンも頷く。
「それがいい」
大和は何となく嬉しくなった。昨日まで、二人とも同じ場所へ立っていた。別に、どちらが上かを決める必要はない。使う場所を変えればいい。シェルドが続ける。
「ダガンが正面」
地面へ線を引く。
「ラグは進路を決める」
別の線を引く。
「アキト、ロウ、バルは横」
「大和は?」
大和が聞く。シェルドが少し考える。
「自由」
「一番困るやつじゃん」
「お前は動ける場所が多すぎる」
「それ褒めてる?」
「事実だ」
ルシアンが言った。
「最初は後ろで見た方がいい」
大和がルシアンを見る。
「俺もそう思ってた」
「なら聞くな」
「参加しろって言われたから」
シェルドが言う。
「必要な時に入れ」
「了解」
次はシア。
「後ろから脚を狙う。ただし声を出してから」
「分かった」
次はネイド。
「拘束は合図の後」
「分かった」
ラグが聞く。
「俺が誘導してる途中で拘束した方がいい時は?」
シェルドが答える。
「お前が三回鳴らせ」
「俺が?」
「一番近くで動きを見ている」
ラグは少し考え、頷いた。大和が言った。
「シェルドが全部指示するんじゃないんだ」
「離れている時まで俺を見るのか?」
「無理だな」
「なら、その場所にいる者が決める」
大和は頷く。その方がずっと現実的だった。
◇
二回目。木の怪物が動き、ダガンが前へ出る。今度、アキトは行かずに横へ回る。ロウ、バル、ラグが走り、怪物の進行方向をずらしてダガンの盾へ向かわせる。ぶつかる。どん、とダガンが一歩下がる。だが、止めた。
「重くない」
まだ不満そうに言う。大和が遠くから叫ぶ。
「今それいいから!」
ラグが横へ回る。木の怪物の向きを変える。シアが槍を構える。
「投げる!」
全員が少しだけ位置を確認する。シアが投げ、木の棒が一本の脚へ当たった。
「今!」
ラグが金具を、かん、かん、かんと三回鳴らす。ネイドが動き、一本の脚へ縄を掛ける。アキトが反対側の脚を押さえ、ロウとバルが胴体の動きを抑える。木の怪物が傾き、倒れる。大和はまだ動いていなかった。
「……終わった?」
アビナが聞く。大和も少し驚く。
「終わったっぽい」
シェルドが言った。
「止めろ」
全員が手を離した。さっきより、かなり早い。何より、誰も誰かの前へ飛び出していない。大和は木の怪物へ近づいた。
「俺、何もしてない」
アキトが言う。
「必要なかった」
「またそれ?」
「良かっただろ」
大和は少し笑った。
「まあね」
◇
三回目は少し変えた。怪物役の男たちが途中で急に方向を変えた。ダガンの正面へ行かない。ラグが追う。
「そっち!」
アキトが先へ回る。シアは投げない。射線にロウがいる。ネイドも待つ。大和は今度は動いた。逃げる木の怪物の前へ一気に回り込む。ただし、触らずに進路を塞ぐ。
「こっち!」
大和が声を出す。怪物役の男たちが予定通り方向を変える。それを見たラグが、さらにダガンの方へ誘導する。どん、と盾へ当たり、金具が三回鳴る。縄、槍、横からの押さえ。止まった。今度は、大和も中にいた。だが、最後まで、怪物そのものには触らなかった。シェルドが聞く。
「どうだった」
大和は少し考える。
「楽」
「何が」
「全部やらなくていい」
アキトが言う。
「最初からそうだ」
「俺は最近知ったんだよ」
バルが笑う。
「遅いな」
「うるさいな」
◇
昼、全員が中継地点の前に座り、食べ物を回していた。昨日より座る場所が混ざっている。アキトの横にはダガン、ロウの向かいにはラグが座っている。シアはネイドと、さっき縄を掛ける時にどこまで待つか話している。大和はその少し外側で食べていた。アビナが隣へ座る。
「大和、暇そうだったニャ」
「訓練中?」
「うん」
「結構忙しかったよ」
「走っただけニャ」
「俺の役割だよ」
「速い係ニャ」
「雑だな」
ノルアも座った。
「でも、大和に合ってるんじゃない?」
「何が?」
「決まった場所にいなくていいところ」
大和は少し考えた。
「それ褒めてる?」
「たぶん」
「またそれ?」
レティが食べ物を持ってきた。
「自由に動く人が一人いる方がいいんじゃない?」
大和が受け取る。
「俺、自由すぎない?」
「前からでしょ」
「そうかな」
三人とも否定しなかった。
「否定してよ」
アビナが笑った。少し離れたところでは、アキトとダガンが朝の訓練について話していた。
「やっぱり、お前が正面でいいな」
アキトが言う。ダガンは食べながら答える。
「止めるならな」
「俺より押す力あるだろ」
「知らん」
「いや、あるだろ」
ダガンは少し考えた。
「石なら押す」
大和がそちらを見る。
「石なら?」
「動かすからな」
アビナも見る。
「アキトよりダガンの方が強いニャ?」
アキトが答える。
「押す力なら、たぶんな」
ダガンが言う。
「分からん」
「じゃあ比べればいいニャ」
大和が嫌な予感を覚えた。
「何を?」
アビナは二人を見る。
「どっちが強いかニャ」
「だから怪物相手の強さと力比べは違うって」
「力だけニャ」
「それなら……」
大和は少し考えた。二人を見る。
「腕相撲でもする?」
アキトが聞く。
「何だそれ」
「知らない?」
誰も反応しない。大和は食事を置いた。
「こうやって」
近くにあった平たい板を自分の前へ引き寄せる。肘をつく。
「二人で手を握って、相手の手をこっちまで倒した方が勝ち」
ダガンが板を見る。
「それだけか?」
「それだけ」
アキトも大和の手を見る。
「腕だけ?」
「基本は」
ラグが少し離れたところから聞く。
「何が分かる?」
「腕相撲が強いかどうか」
「それだけ?」
「それだけ」
ラグは少し考えた。
「意味ないな」
「遊びなんだから意味なくていいんだよ」
大和が言った。アビナがすぐ板の横へ移動する。
「やるニャ」
「アビナはやらないだろ」
「見るニャ」
「さっきと同じだな」
アキトがダガンを見る。
「やるか?」
「ああ」
「乗るんだ」
大和が言う。二人が板を挟んで座った。ダガンが太い腕を置き、アキトも肘をつく。手を握ると、大和は二人の手を見た。どちらも大きい。
「板、大丈夫かな」
ネイドが顔を上げた。板を見る。
「薄い」
大和が止まる。
「やっぱり?」
ダガンが板を軽く叩く。
「これくらいなら大丈夫だ」
ネイドが言う。
「固定されてない」
「腕相撲するだけだよ」
「ずれる」
ロウが板の反対側を足で押さえた。
「これでいいだろ」
ネイドは少し見る。
「たぶん」
大和が言う。
「ネイドの『たぶん』怖いな」
「始めないのか?」
アキトが言った。
「あ、はい」
大和が二人の手を見る。
「じゃあ」
少し考える。
「始め」
一気に力が入った。板が、ぎ、と鳴った。だが、腕はほとんど動かない。
「お」
大和が身を乗り出す。アキトの腕も太い。ダガンはさらに太い。二人とも声を出さない。ただ、握った手だけが少しずつ震える。アビナが覗き込む。
「動かないニャ」
「今やってるから」
ロウも見る。バルも少し近づいてきた。ラグまで食事を持ったまま見ている。シアはまだ座ったままだった。本当に少しずつ、アキトの腕が傾いた。大和が言う。
「ダガン押してる」
アキトが力を入れ直す。戻った。
「おお」
今度はバルが言った。
「アキトも強いな」
ダガンの顔が少しだけ変わった。笑っている。
「強いな」
アキトも笑う。
「そっちもな」
大和は二人を見る。
「何か普通に楽しんでない?」
アビナが答える。
「勝負ニャ」
もう一度、ダガンが押した。今度は戻らない。ゆっくり傾く。アキトも粘る。だが最後に、手の甲が板へついた。どん。
「終わり」
ロウが言った。
「何でロウが判定してるの?」
「近かったから」
アキトが腕を離す。手を何度か振った。
「強いな」
ダガンも手を開く。
「お前も」
アキトは気にした様子もなく言った。
「やっぱり正面はお前だな」
ダガンが見る。
「腕相撲で決めるのか?」
「訓練でも止めてただろ」
「そうか」
大和は少し笑った。勝った負けたより、朝の役割の確認になっている。アビナが言った。
「次ニャ」
「まだやるの?」
「やるニャ」
バルが板の前へ出た。大和が見る。
「バルも?」
「やるならやる」
「急に参加するなあ」
ロウが笑う。
「バル、こういうの好きだぞ」
バルがロウを見る。
「誰が言った」
「今座っただろ」
「それはそうだけど」
大和が笑った。今度はバルとダガンが手を組む。カダでも狩りや見回りをしているバルは大きい。だが、ダガンほどではない。
「始め」
最初から板がきしんだ。大和が板を見る。
「本当にこれ大丈夫?」
ネイドが答える。
「今は」
「今はって何?」
ダガンが押す。バルもかなり粘った。しかし、少しずつ押される。バルが負けた。
「強いな」
立ち上がりながら言う。ダガンは頷いた。
「石を動かすからな」
ラグが聞く。
「毎日?」
「必要なら」
「どれくらいの石?」
ダガンは周囲を見る。少し離れたところに転がっている石を指した。大和が見る。
「それ?」
「それくらいなら一人で動かす」
「普通に?」
「ああ」
ラグが石を見る。
「鹿より重そうだな」
シアが食べながら言う。
「鹿と比べるの?」
ラグが振り向く。
「運ぶなら同じだ」
「違うでしょ」
「重いものを運ぶ話だ」
昨日の肉と魚とは違う。今度は、持つ物の話になっていた。ロウが言う。
「麦袋も重いぞ」
大和が見る。
「どれくらい?」
「運べるくらい」
「それ何も分からない」
バルが両手で大きさを示す。
「これくらい」
「結構あるな」
「収穫の時は何度も運ぶ」
ラグが言った。
「鹿は一回だ」
ロウが答える。
「麦は逃げない」
「またそこ?」
大和が笑う。シアが言った。
「網も重い」
全員が少しそちらを見る。
「魚?」
大和が聞く。
「魚も。水を吸った網も」
シアは手で引くような動きをした。
「湖から上げる」
ラグが聞く。
「一人で?」
「何人かで」
「じゃあ一人の力じゃない」
シアがラグを見る。
「何で一人でやる必要があるの?」
ラグが少し止まった。大和が笑う。
「それ、今日の訓練で聞いた話みたいだな」
アキトも笑った。ラグは少し不満そうだったが、否定はしなかった。ネイドが縄を持ち上げる。
「濡れた縄も重い」
大和が見る。
「イルまで参加する?」
「重くなる」
「そうじゃなくて」
ネイドは気にせず続けた。
「布も濡れると重い」
ダガンが言う。
「石は濡れても同じだ」
「少し重くなる」
ネイドが答える。ダガンが考える。
「少しだろ」
「少しでも増える」
「そこ気にするんだ」
大和が言った。ネイドは当然のように答えた。
「運ぶから」
昨日は器の重さで揉めていた。今日も結局、同じところへ戻っている。ただ、昨日より話している相手が増えていた。アビナが板を指す。
「次、ラグニャ」
ラグが見る。
「俺?」
「鹿運ぶニャ」
「鹿を運ぶのとこれは違う」
「さっき同じって言ってただろ」
大和が言った。ラグが黙った。ロウが笑う。
「やれよ」
「お前がやれ」
「いいぞ」
今度はロウが板の前に座った。大和が少し驚く。
「ロウもやるんだ」
「何だよ」
「いや、判定する人かと思ってた」
「誰が決めた」
ラグも向かいに座る。二人が手を組む。大和が見る。
「セラ対カダ?」
シアが言う。
「そういうのにするの?」
「しない方がいい?」
「負けた方が面倒そう」
ラグが見る。
「何で俺を見る」
「見てない」
「見てた」
大和が言う。
「始めていい?」
ロウとラグが頷く。
「始め」
今度はさっきより動いた。ラグが押す。ロウが戻す。またラグ。大和は少し面白くなってきた。
「結構いい勝負」
バルが言う。
「ロウ、力抜くな」
「抜いてない!」
ラグが笑った。その瞬間、ロウが少し押し返す。
「笑うなよ」
「お前が言うからだろ」
今度はラグが力を入れる。ロウの腕が傾く。止まる。また少し傾く。最後はラグが押し切った。
「終わり」
今度はアキトが言った。ロウが手を離す。
「狩りしてる奴は強いな」
ラグも腕を振る。
「お前も道ばっかり歩いてる割に強い」
「道歩くの関係ある?」
大和が聞いた。ロウが言う。
「荷物も運ぶ」
「結局みんな何か運んでるな」
「生きてれば運ぶだろ」
バルが言った。大和は少し納得した。
「それはそうか」
アビナが突然、大和を見る。嫌な予感がした。
「次、大和ニャ」
「やらないよ」
即答した。
「何でニャ?」
「俺入れたら比較にならないだろ」
ラグが言う。
「やってみないと分からない」
大和が見る。
「何で急にそっち側なの?」
「見たい」
シアまで言った。
「シアも?」
「速いのは見た」
「腕力は?」
「知らない」
「だから見たい?」
シアが頷く。ネイドだけは大和ではなく板を見ていた。
「やめた方がいい」
大和がネイドを指す。
「ほら」
アビナが聞く。
「何でニャ?」
「板が持たない」
一瞬、全員が板を見る。大和も見る。
「そんなに?」
ネイドは板の端を持ち上げた。
「薄い。下も支えてない」
ダガンが叩く。
「さっき持った」
「さっきはダガンとバル」
「俺もいる」
「だからだよ」
大和が言った。ダガンが大和を見る。
「やるか」
「何で相手がダガンなの?」
「今一番強い」
「そういう大会になったの?」
アビナが言う。
「一番決めるニャ」
「最初そんな話じゃなかっただろ」
アキトが笑う。
「怖いのか?」
大和がアキトを見る。
「煽るなよ」
ロウも笑っている。バルまで言った。
「やればいい」
「何でカダまで敵になってるの?」
ラグが言う。
「勝てば終わる」
「俺が勝ったらダガンが納得しないだろ」
ダガンが答える。
「する」
大和が止まる。
「するんだ」
「負けたら負けだ」
「そこは潔いな」
シアが言った。
「早くやれば?」
完全に逃げ道がなくなった。大和は板を見る。次にネイドを見る。
「本当に壊れる?」
「分からない」
「一番怖い答えだな」
ダガンはすでに座っている。大和はため息をついた。
「分かったよ」
向かいに座る。肘を板へ置く。ダガンと手を組む。大きい。大和の手でも、かなり握り応えがある。ダガンが聞いた。
「これでいいか」
「いいけど」
大和は板を見る。
「力加減どうする?」
「普通に」
「普通が一番困る」
アビナが目を輝かせている。
「始めるニャ」
「待って。アビナがやるの?」
「始めニャ!」
「ちょ――」
ダガンに力が入った。反射的に大和も押し返した。動かない。一瞬だった。ダガンの腕にさらに力が入る。大和も力を入れた。ばきっ。乾いた音がした。二人とも止まった。誰も動かなかった。大和がゆっくり下を見る。板の中央に亀裂が入っている。
「……」
みし。もう一度音がした。次の瞬間、板が二つに割れた。大和とダガンの肘が同時に落ちる。
「うわっ」
二人とも手を離した。割れた板が地面へ落ちる。しばらく、誰も何も言わなかった。大和が板を見る。ダガンも見る。アビナが言った。
「大和ニャ」
「待って」
大和がすぐ顔を上げる。
「今回は絶対俺だけじゃない」
ダガンが言う。
「俺は押しただけだ」
「俺も押しただけだよ!」
ロウが吹き出した。バルも笑う。アキトはもう普通に笑っている。大和が指差す。
「何でみんな俺を見るんだよ」
ラグが割れた板を見る。
「本当に壊すんだな」
大和が振り向く。
「誰から聞いた?」
「昨日から聞いてる」
シアも板を見る。
「滑車も壊したんでしょ」
「何でそこまで広がってるの?」
アビナが答える。
「有名ニャ」
「誰が広めたんだよ」
ネイドがしゃがんだ。割れた部分を見る。
「だから持たないと言った」
大和がネイドを見る。
「今それ言う?」
「言った」
「それは聞いた」
ダガンもしゃがむ。割れた板を一本持ち上げる。
「薄い」
ネイドが言う。
「使い方が悪い」
「もっと厚ければ割れない」
「重くなる」
「またそれ?」
大和が言った。昨日の器と同じだった。ダガンが割れた板を見る。
「次は厚い板を使う」
大和が止まる。
「次あるの?」
「勝負が終わってない」
周囲がまた笑った。大和は頭を抱えた。
「もういいだろ」
アビナが言う。
「引き分けニャ」
ダガンが少し考える。
「引き分けか」
「そこで納得するんだ」
アキトが言った。
「午後の訓練で決めればいいだろ」
大和が見る。
「何を?」
「どっちが役に立つか」
ダガンが答える。
「それはもう役割が違う」
「分かってるじゃん」
大和は思わず笑った。さっきまで腕一本で勝ち負けを決めていたのに、怪物相手になれば話は別らしい。シェルドの声が飛んできた。
「遊んでいるなら、そろそろ戻れ」
全員がそちらを見る。大和が聞く。
「いつから見てたの?」
「板が割れる前」
「止めてよ」
「止める前に割れた」
「俺のせいみたいに言うなよ」
シェルドは割れた板を見る。
「ドランには自分で言え」
大和の顔が止まった。
「これ、ドランの?」
ロウが板を見る。
「中継地点のだろ」
「もっと早く言ってよ!」
アビナが笑った。昼休みが終わる頃には、腕相撲で誰が一番強いのかは結局分からなかった。分かったのは、ダガンがかなり強いこと。バルも強いこと。ラグとロウが思ったよりいい勝負をすること。そして、大和とダガンを同じ板の上で力比べさせてはいけないことだった。
◇
午後、もう何度か繰り返した。完璧ではない。合図を聞き逃す。縄が絡む。ダガンが前へ出すぎる。ラグの誘導と怪物役の動きが合わない。シアが投げられない時間が長い。大和が速すぎて、逆に他の者が追いつけないこともある。そのたびに止め、話し、変えて、もう一度試す。
最初のように、全員が自分の村のやり方へ戻ることは少しずつ減っていった。一度、ダガンが正面へ出すぎた。アキトが横から言う。
「板みたいに壊すなよ」
ダガンが答える。
「壊したのは大和だ」
「何で確定してるんだよ!」
大和が後ろから叫ぶ。ラグまで笑った。
「大和、壊すなよ」
「お前まで言うの?」
シアも少し離れた場所から言う。
「投げる!」
「シアは普通に訓練して!」
木槍が飛んだ。今度は誰にも当たらない。大和は少し笑った。午前中なら、ラグの笛とシアの槍で全員が止まっていた。今は、シアが声を出せば、前にいる者が少しだけ開く。ラグが金具を三回鳴らせば、ネイドが縄を投げる。ダガンが正面に立てば、アキトはもう同じ場所へ行かない。ロウとバルも、その横へ自然に回る。
誰かが一つ変わると、その分だけ別の誰かも動く。夕方、最後の一回が終わった。木の怪物は地面へ横倒しになっている。四本の縄が別々の方向へ伸び、シアの木槍が一本の脚に刺さったように挟まっている。ダガンは正面。アキトたちは側面。ラグは少し離れて全体を見ている。大和もその中にいた。シェルドが言った。
「今日はここまで」
大和が息を吐く。
「明日も?」
「必要なら」
「本物で試さないと分からないこともある」
ルシアンが言った。皆、少し静かになった。木は噛まない。爪もない。急に形を変えず、怪物のように死なないわけでもない。大和が倒れた木を見る。
「まあ」
大和は言葉を継いだ。
「本物が出ない方がいいけど」
アキトが答える。
「そうだな」
ラグもダガンもシアもネイドも、誰も反対しなかった。それでも、次に怪物が現れた時は昨日までとは違う。六つの村から来た者たちには、同じ合図がある。同じ役割がある。そして、誰か一人のやり方ではない。大和は地面に転がった金具を拾い、軽く、かんと一度叩く。アビナがすぐ言った。
「止まるニャ」
大和が見る。
「覚えたの?」
「簡単ニャ」
「参加してないのに」
「見てたニャ」
大和は少し笑った。一つの音。昨日までなら、村ごとに意味が違った。今は、ここにいる全員が同じ意味を知っていた。




