第65話 広がる道
三日後、大和は中継地点の前で、地面にしゃがみ込んでいた。目の前には大きな板。その上に、いくつかの線と丸が描かれている。
「ここがラナ」
大和が一つの丸を指す。
「で、こっちがカダ」
ロウが首を振った。
「もっとこっち」
「また?」
「近すぎる」
大和は描いた丸を布で消した。少し離れた場所へ描き直す。
「この辺?」
「たぶん」
「案内してる本人が『たぶん』って言うなよ」
「上から見たことないから分からない」
「それはそうだけど」
隣ではアビナが板を覗き込んでいる。
「セラはここニャ」
勝手に丸を描いた。大和が見る。
「何でそこ?」
「この前こっちに歩いたニャ」
「方向は合ってるけど、距離が分からないだろ」
「遠かったニャ」
「それで決めるの?」
アビナはもう丸の横に何かを書き始めている。大和が覗く。
「何それ?」
「セラニャ」
「文字じゃないよね?」
「鹿ニャ」
「絵かよ」
小さな四本脚らしきものが描かれていた。レティが後ろから覗き込む。
「それ鹿?」
「鹿ニャ」
「耳が長すぎない?」
「分かればいいニャ」
大和が言った。
「地図に鹿描く必要ある?」
「セラで食べたニャ」
「それだけ?」
「大事ニャ」
ノルアが反対側に座った。
「じゃあカダは麦?」
アビナが顔を上げる。
「描くニャ」
「待って。何の地図になるんだよ」
レティが少し笑った。
「分かりやすくはなるんじゃない?」
「村の位置を知りたいだけだったんだけど」
大和は板を見る。ラナ、カダ、セラ。まだ名前だけしか知らないトダ、ベル、イル。六つの村。少し前までなら、名前すら知らなかった場所が半分あった。
「トダは?」
大和がロウに聞く。
「こっち」
ロウが指す。大和が丸を描く。
「ベル」
今度は別の方向。
「イル」
さらに一つ。大和は手を止めた。
「……これ、本当に合ってる?」
ロウが板を見る。
「だいたい」
「だいたいか」
シェルドが通りかかった。板を見る。
「何をしている」
「地図」
大和が答える。シェルドはしばらく見た。
「セラに動物がいるが」
「アビナ」
「鹿ニャ」
「そうか」
それだけ言って行こうとする。大和が呼び止めた。
「何かないの?」
「何が」
「位置とか」
シェルドは板をもう一度見る。
「ラナとカダの間が短い」
大和がロウを見る。
「ほら」
「さっき直した」
「まだ短いらしいぞ」
ロウが板を睨んだ。アビナが笑う。
「また消すニャ」
「お前は鹿を消せ」
「嫌ニャ」
◇
結局、正確な地図にはならなかった。道を歩く時間は、森の状態や荷物の有無でも変わる。まっすぐ歩けるわけでもない。それでも、六つの村が、おおよそどの方向にあるのか、どの道がどこへ繋がっているのか、それくらいは見えるようになった。大和は板を眺める。
「こうして見ると」
レティが聞く。
「何?」
「思ったより近いんだな」
「そう?」
「今まで、一つずつ別の場所だと思ってたから」
ラナ、カダ、セラ。名前だけを聞けば、それぞれ離れた村のように感じる。だが、板の上に並べてみると、その間に道がある。人が歩いている。物が動いている。完全に切れているわけではない。ノルアが言った。
「前はもっと行き来してたんでしょ」
ロウが頷く。
「怪物が増えてから減った」
「じゃあ新しく繋げてるんじゃなくて」
大和が板を見る。
「戻してる部分もあるのか」
「そうだな」
シェルドが戻ってきて言った。手には小さな木片を持っている。大和が見る。
「何?」
「セラから」
「何が?」
シェルドは木片を大和へ渡した。何本か線が刻まれている。
「死んだ」
大和が止まる。
「怪物?」
「ああ」
アビナがすぐ寄ってくる。
「もうニャ?」
大和も同じことを思った。
「いつ?」
「昨日」
シェルドが答える。
「使ったのは、あいつらが作った枠?」
「そうらしい」
ロウが木片を受け取る。刻まれた線を見る。
「どうだった?」
「拘束してから六日」
大和が聞く。
「六日?」
「完全に動かなくなったのが六日目。さらに一日待った」
「腐った?」
「臭いと崩れを確認したとある」
ルシアンが後ろから来た。
「見せて」
シェルドから木片を受け取る。刻まれた記録を読む。
「脚は一回しか切ってない」
大和が見る。
「一回?」
「最初から届かないように固定したみたい」
ロウが少し笑った。
「セラらしいな」
大和も思わず笑った。ラナでは、木へ吊った。カダでは、それをそのまま使った。セラでは、自分たちが普段使っている縄と枠へ置き換えた。同じやり方ではない。だが、怪物は死んだ。
「これで三つか」
大和が言った。ルシアンが頷く。
「ラナ、カダ、セラ」
「もう偶然とは言いにくいな」
シェルドが言った。
「普通の怪物なら、方法として扱っていいだろう」
大和は板を見る。三つの丸。まだ何も起きていない三つ、トダ、ベル、イル。
「次は?」
ロウが聞く。シェルドは答えた。
「もう動いてる」
「何が?」
大和が聞く。シェルドが中継地点の向こうを指した。
「来る」
◇
昼を少し過ぎた頃、最初に来たのは二人だった。大和の知らない顔だ。そのあと、別の道から三人、さらに遅れて二人。中継地点の前に、見慣れない亜人たちが増えていった。大和はアビナの横に立って見ていた。
「誰がどこ?」
「知らないニャ」
「アビナも?」
「全部の村の人を知ってるわけないニャ」
「それもそうか」
レティは少し離れたところで、一人と話している。どうやら以前会ったことがあるらしい。ノルアも別の者から何か聞いている。大和だけが完全に分からない。一人の男が大和を見る。
「人間?」
「はい」
「大和?」
「そうです」
男は頷いた。
「本当に耳が丸い」
大和は自分の耳に触れた。
「そこから?」
「聞いてた」
「何て?」
「人間は耳が丸い」
大和は少し考えた。
「まあ、間違ってないですけど」
アビナが横から言う。
「あとすごく壊すニャ」
大和が振り向く。
「何でそれを広めるの?」
男が大和を見る。
「壊す?」
「昔の話です」
「最近も壊したニャ」
「滑車の話はいいだろ」
男はよく分からないまま頷いた。
「滑車?」
「そこから説明すると長いです」
◇
やがて、誰がどの村から来たのか、大和にも分かってきた。トダ、ベル、イル。三つの村から、怪物の話を聞くために来ていた。大和がロウへ小声で聞く。
「早くない?」
「何が?」
「セラで死んだの昨日だろ」
「怪物を殺せるって話はその前から回ってる」
「誰が伝えたの?」
「カダからも行ってる」
大和は少し止まった。
「俺、知らなかった」
「今知っただろ」
「そうだけど」
また、自分が知らないところで人が動いている。以前なら、少し置いていかれたような感覚があったかもしれない。今は、それより面白かった。シェルドが中央に立つ。
「ラナとカダとセラで、普通の怪物が死ぬことは確認した」
集まった者たちを見る。
「ただし、同じやり方をする必要はない」
セラから届いた記録を見せる。
「地面や周囲から補給させない。逃がさない。必要以上に触らない。再生が止まるまで待つ」
トダから来た男が聞いた。
「木がない場所なら?」
セラの記録を見せながらロウが答える。
「枠でもできる」
ベルから来た女が聞く。
「見張りは何人必要?」
「場所による」
「少なくできない?」
「できるなら、その方がいい」
イルから来た者が縄を持ち上げる。
「途中で切れた時が一番危ない?」
シェルドが頷く。
「だから一つに任せない」
大和は少し離れたところから聞いていた。同じ怪物。同じ問題。だが、出てくる質問が違う。
「面白いね」
ノルアが隣に来た。
「何が?」
「村で気にするところが違う」
大和が頷く。
「うん」
ラナでは、まず本当に死ぬのかを調べた。カダでは、同じ方法が使えるかを確かめた。セラでは、もっと上手く拘束する方法へ変えた。そして今、三つの村がそれぞれ別のところを見ている。アビナが反対側から顔を出す。
「全部混ぜればいいニャ」
大和が見る。
「何を?」
「いいところニャ」
「簡単に言うなあ」
「駄目ニャ?」
大和は少し考えた。
「いや」
話している者たちを見る。
「たぶん、それが一番いい」
◇
話が一段落した頃、食事になった。中継地点に置かれていた保存食と、各村から持ってきたものが、気づけば一つの場所に並んでいた。大和は、その中に干した魚を見つけた。
「魚も持ってきたんだ」
近くにいた女が答える。
「ベルのだよ」
大和は一匹手に取る。しっかり乾燥している。
「川で獲ったやつ?」
「湖」
大和が顔を上げた。
「湖?」
「ベルの向こうにある」
大和は板の地図を見る。ベルの丸。その先。何も描かれていない。
「湖まであるのか」
「知らなかった?」
「ベル村を知ったのがつい最近だから」
女は少し笑った。
「じゃあ知らないか」
「知らないこと増えたな」
レティが言う。
「減るんじゃなくて?」
「一個知ると、その先にまた出てくる」
女が干し魚を大和へ差し出した。
「食べる?」
「いいんですか?」
「そのために持ってきた」
大和は一口食べた。硬い。塩気も強い。だが、保存食としては悪くない。
「うまい」
「普通だよ」
「その普通を俺は知らなかったんですよ」
女は少し首を傾げた。大和も、それ以上は説明しなかった。横でアビナが手を出す。
「私もニャ」
大和が渡す。一口食べると、アビナの耳が立つ。
「うまいニャ」
「だろ?」
「大和が作ったみたいに言うな」
レティが言う。
「言ってないよ」
ノルアも少し貰う。そこへアキトが来た。干し魚を一つ取る。食べる。
「硬い」
大和が見る。
「感想それだけ?」
「うまい」
「順番逆じゃない?」
アキトはもう一つ取った。
「食べるなら同じだろ」
「違うと思うけどな」
知らない村の者まで少し笑った。大和も笑う。さっきまで、怪物をどう殺すか話していた。今は、干し魚が硬いかどうか話している。それでいい。大和はそう思った。
◇
夕方、三つの村の者たちはそれぞれ帰る準備を始めた。縄、記録、簡単な図、セラで使った拘束方法、カダでの経過。そのすべてを持って帰る。トダから来た男がシェルドに聞いた。
「次に出たら、やってみる」
「知らせてくれ」
「分かった」
ベルの女も言う。
「うちも」
イルの者が続ける。
「一度試す」
大和が聞いた。
「みんな一斉に?」
ロウが答える。
「怪物が出ればな」
「そうか」
怪物は試すために出てくるわけではない。いつ、どの村の近くに現れるのか、誰にも分からない。だから、次の結果が出る順番も分からない。大和は板の地図を見る。六つの丸。その間を細い線が繋いでいる。
今朝、大和たちが適当に描いたものだ。正確ではない。距離も違い、道の形もかなり怪しい。それでも、一つだけ朝とは違って見える。
「これ」
大和が言った。ロウが見る。
「何?」
「もう中継地点って、ラナのためだけじゃないよな」
ロウも板を見る。
「前からそうだろ」
「そうだった?」
「カダも使ってる」
「そうだけど」
大和は周囲を見る。トダ、ベル、イル。知らなかった村の人間が、今ここから帰ろうとしている。
「なんか」
大和は言った。
「本当に真ん中になってきたな」
シェルドが聞いていた。
「なら、置くものを増やす必要がある」
「何を?」
「村ごとの記録。道の状態。怪物を見た場所」
ルシアンがすぐ反応する。
「場所は残した方がいい」
大和が見る。
「怪物の?」
「うん」
「何のため?」
「どこで多いか分かるかもしれない」
大和は少し考えた。
「それ、面白そうだな」
シェルドが言う。
「面白いかどうかは知らんが、役には立つ」
「そういう意味だよ」
アビナが地図を指した。
「怪物も描くニャ?」
大和が嫌な予感を覚える。
「何描くつもり?」
アビナは板の端に、黒い塊のようなものを描いた。脚が四本。牙らしき線。
「怪物ニャ」
大和は見た。レティも見る。ノルアも見る。ロウまで見る。しばらく。誰も何も言わなかった。大和が言う。
「鹿よりひどくない?」
「怪物は変な形ニャ」
「便利な言い訳だな」
アビナは満足そうだった。大和は笑った。六つの村、道、食べ物、縄、怪物が、少しずつ一つの場所へ集まり始めている。まだ一つの町でも、同じ村でもない。
ただ、以前より、互いのことを知っている。以前より、行き来している。そして、一つの村で見つかった怪物の倒し方がもう六つの村へ向かって広がっていた。大和は板の上の線を見る。道は描いたから出来るわけではない。人が歩くから、繋がっていく。




