第61話 自分たちで
大和は板を押さえたまま動きを止めた。
「……これでいいか」
木の枠に合わせ、少しだけ力を掛ける。軋む。だが、割れない。そのまま位置を整え、横から木栓を打ち込んだ。
「よし」
後ろから声がした。
「だいぶ壊さなくなったニャ」
大和は振り返った。アビナが立っていた。いつから見ていたのか分からない。
「最初からそんなに壊してないだろ」
「壊してたニャ」
「何を?」
アビナは少し考えた。
「色々ニャ」
「具体的じゃないな」
大和はもう一度板へ向き直った。村の共同作業場で使っている棚だった。壊れたわけではない。物が増え、上に積むようになった結果、少し傾いていた。そのまま使えなくもない。
だが、誰かが横板を足そうと言い出した。木材も余っている。それなら、と大和が作業を始めた。
「前は力入れると壊れてたニャ」
「力加減が分からなかったんだよ」
「今は分かるニャ?」
「多分」
大和が木栓をもう一度叩くと、乾いた音がした。今度も割れなかった。アビナが頷く。
「上手くなったニャ」
「何か腹立つな」
アビナは棚の横にしゃがんだ。
「何が?」
「褒められてるはずなのに」
「褒めてるニャ」
「じゃあいいか」
大和は次の板を手に取った。アビナはそのまま動かない。
「手伝わないの?」
「見てるニャ」
「何で?」
「壊すかもしれないニャ」
大和は手を止めた。
「信用してるのかしてないのか、どっちなんだよ」
「前より信用してるニャ」
「前よりか」
板を棚へ当てると少し長かった。大和は一度外し、端を見る。
「これ削らないと駄目だな」
「折れば早いニャ」
「折るなよ」
「大和ならできるニャ」
「できるけど、そういうことじゃない」
近くに置いた道具を取ろうとしたところで、別の声がした。
「何してるの?」
レティだった。手に小さな籠を持っている。
「棚直してる」
「壊したの?」
「壊してない」
アビナが横から言う。
「最近は壊さなくなったニャ」
「前よりはね」
大和は二人を見る。
「お前もそっちなの?」
レティが笑った。
「だって本当にそうじゃん」
「そんなに壊してた?」
「水車の時とか」
「あれは壊してない」
「木を持ったら、ドランが止めてた」
「あれは念のためだろ」
「壁も」
「壁?」
「最初の頃」
大和は少し考えた。思い当たるものがいくつかあった。
「……まあ、少しは」
アビナが得意そうに頷いた。
「壊してたニャ」
「少しな」
レティが籠を棚の横へ置いた。中には布や縄が入っている。
「これも置ける?」
「そのために直してる」
大和は棚を見る。
「最近、物増えたよな」
「増えたね」
以前なら、必要な物だけをその辺に置き、使ったら戻し、壊れたら直せば十分だった。今は布、縄、木栓、小さな工具、予備の容器、誰かが作ったものまである。
誰かが持ってきたもの。使う人間も増えている。棚を一つ足したくらいでは、すぐ足りなくなるのかもしれない。
「こっちにも作る?」
大和が壁際を指す。レティがすぐ首を振った。
「そこは駄目」
「何で?」
「朝、そこ通るから」
「朝?」
「畑に行く人」
大和は壁際を見る。確かに入口から裏手へ抜けるには、そこが一番近い。
「知らなかった」
「大和、朝ここにいないでしょ」
「いる時もあるよ」
「毎日じゃない」
「そうだけど」
アビナが言う。
「大和は色んな所に行くニャ」
「最近はそうでもないだろ」
「病院行くニャ」
「行く」
「遺跡行くニャ」
「行く」
「中継拠点行くニャ」
「行くな」
レティが笑う。
「結構いないじゃん」
「言われてみれば」
大和は棚を見た。自分が知らない時間、自分がいない場所でも、村は普通に動いている。以前なら、それを意識すること自体が少なかった。
「何の話?」
ノルアが来た。片手に縫いかけの布を持っている。アビナがすぐ答えた。
「大和が壊さなくなった話ニャ」
「その話もう終わったから」
「まだ終わってなかったんだ」
ノルアが大和を見る。
「ノルアまで乗らなくていい」
「何か壊したの?」
「壊してない」
「今日は?」
「今日も」
ノルアが少し笑った。大和はため息をついて、削るための道具を取った。
「俺、何で三人に囲まれてこんな話してるんだろ」
「大和がここにいるからじゃない?」
レティが言う。
「そういう意味じゃない」
いつの間にか四人になっていた。特に約束したわけではない。大和が棚を直しているところへ、アビナとレティとノルアが順に来ただけだった。それでも誰もすぐには離れなかった。大和は板の端を削る。アビナはしゃがんだまま見ている。
レティは籠の中身を整理し始めた。ノルアは近くの腰掛けに座り、布を膝へ置いた。
「最近、大和ここにいること増えたね」
ノルアが言った。
「そう?」
「前より」
レティも頷く。
「前は起きたらどっか行ってた」
「そんな犬みたいに言うなよ」
「犬は私」
レティが自分の耳を指す。大和が止まる。
「……そうだった」
アビナが笑った。
「忘れてたニャ」
「忘れてないよ」
大和も笑った。少し間が空き、板を削る音、布を畳む音、遠くで誰かが木を叩く音が続いた。
子供の声も聞こえた。大和は顔を上げた。
「静かだな」
アビナが耳を動かす。
「音いっぱいするニャ」
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味?」
レティが聞く。大和は少し考えた。
「平和っていうか」
三人が黙る。言葉にすると、少し違う気がした。怪物はいる。森へ出れば危険もある。少し前まで一体を木から吊って、死ぬまで一週間見続けていた。
平和と言い切れる世界ではない。それでも、今は棚を直している。三人はその横で雑談している。誰も急いでいない。
「まあ、今だけかもしれないけど」
大和が言う。レティが首を傾げた。
「今平和なら、それでいいんじゃない?」
「そういうもの?」
「先の危険考えてたら、ずっと休めないよ」
「それはそうだけど」
ノルアが大和を見る。
「また考えてる?」
「何を?」
「何か起きた時のこと」
「いや」
大和は否定しかけて止めた。
「ちょっとは」
「ほら」
「でも、何も考えない方が無理だろ」
アビナが言った。
「面白いこと考えればいいニャ」
「急に雑だな」
「何考える?」
「今?」
「今ニャ」
大和は板を見た。
「この棚どうやって増やすか」
三人とも何も言わなかった。
「何だよ」
レティが先に笑った。
「休むの下手だね」
「作業中なんだから仕方ないだろ」
ノルアも笑う。
「じゃあ休みになったら何する?」
「何もしない」
「本当に?」
「……何かするかも」
「何ニャ?」
「だから分からないって」
アビナは少し考える。
「食べるニャ」
「それは普段もする」
レティが言う。
「寝る」
「寝るのも普段する」
ノルアが言う。
「誰かと話す」
大和は三人を見る。
「今やってるな」
「じゃあ休んでる」
「俺は作業してるけど」
「半分休み」
「そんな分類ある?」
答えは返ってこなかった。大和は少し笑いながら削った板を棚へ戻した。今度は収まった。木栓を打ち、完成した。
「できた」
アビナが棚を押した。
「壊れないニャ」
「壊すなよ」
「確認ニャ」
「力入れるな」
レティが籠を持ち上げ、新しい段へ置く。
「前より使いやすい」
「だろ?」
大和は少し満足した。ノルアが周囲を見る。
「ここも結構変わったね」
「ここだけじゃないよ」
レティが言う。
「道も広くなったし、雨の日に使える場所も増えた」
アビナが指を差す。
「あっちも屋根増えたニャ」
大和が見る。
「いつ作った?」
「知らない」
レティも首を振る。ノルアも知らないらしい。大和は少し驚いた。
「誰も知らないの?」
「作った人は知ってると思う」
「そりゃそうだ」
大和は笑った。以前なら、何かが変われば、誰が言い出したのかを知っていることが多かった。今は気づいた時には変わっている。必要だから誰かが直し、別の誰かが手伝ったのだ。
そして使われている。それで終わる。
「中継拠点の方がもっと変わってるよね」
レティが言う。
「そうだな」
大和は頷く。最初は荷物を置くための小さな建物だったが、今は水も食料も道具もあり、泊まる者までいる。カダ村をはじめ、別の村から来る人間もいる。道路を直す者、荷物を運ぶ者、探索へ行く者も集まっていた。
「もう中継拠点って呼び方も変な気がするな」
大和が言った。ノルアが見る。
「何で?」
「中継するだけじゃないから」
「確かに」
レティが頷く。
「泊まるしね」
「物も集まるニャ」
「人も集まる」
大和は少し考えた。
「名前つけた方がいいのかな」
アビナが首を傾げる。
「中継拠点に?」
「毎回『中継拠点』って呼んでるだろ」
「困る?」
「困ってないけど」
大和は言ってから止まった。
「……そういえば」
三人を見る。
「この村って何て呼んでるの?」
アビナが即答した。
「ラナ村ニャ」
大和は黙った。
「……名前あったの?」
今度は三人が大和を見る番だった。レティが最初に口を開く。
「知らなかったの?」
「知らない」
ノルアも少し驚いている。
「ずっと?」
「ずっと」
アビナが不思議そうに言う。
「ラナ村ニャ」
「それは今聞いた」
「何て呼んでたの?」
レティが聞く。
「村」
「それだけ?」
「ここにいる時に村の名前言う必要なかったし」
ノルアが少し考える。
「カダ村と話す時は?」
「こっちの村とか」
「よくそれで困らなかったね」
「今まで困らなかったんだよ」
大和は少し納得できない顔で三人を見る。
「誰も教えてくれなかったけど」
アビナが答えた。
「聞かなかったニャ」
大和は黙った。以前にも似たようなことがあった気がした。
「それで終わり?」
「何が?」
「名前あるなら普通教えない?」
レティが言う。
「大和が知らないって知らなかったし」
「それもそうか」
ノルアが笑う。
「大和、知らないこと結構あるね」
「知らないことだらけだよ」
大和は棚へ腰を預けた。
「じゃあ中継拠点は?」
「中継拠点」
レティが答える。
「名前ないの?」
「ないと思う」
ノルアも頷く。アビナが言う。
「付けるニャ?」
「付けた方がいい気はする」
「何がいい?」
レティが聞く。大和は考える。
「場所に関係ある名前とか」
アビナがすぐ言う。
「アビナ拠点ニャ」
「却下」
大和が即答した。
「何でニャ」
「お前の家じゃない」
「皆使えるニャ」
「なら余計駄目だろ」
レティが笑う。
「じゃあ大和拠点」
「もっと駄目」
「何で?」
「俺の場所みたいになる」
ノルアが少し笑った。
「じゃあシェルド拠点」
「本人が嫌がるだろ」
「ロウ拠点」
「道路みたいだな」
「ドラン拠点」
「工房になる」
アビナが言う。
「長いニャ」
「名前って普通もう少し考えるものだろ」
「みんなが呼べればいいんじゃない?」
ノルアが言った。大和は少し考える。
「でも一回決まったら、ずっと残るかもしれないだろ」
アビナはすぐ答えた。
「変えればいいニャ」
「そんな簡単に?」
「変えちゃ駄目なの?」
大和は答えられなかった。レティが言う。
「今度、シェルドたちにも聞けばいいよ」
「そうだな」
大和は頷いた。
「カダの人たちも使ってるし、俺たちだけで決める話でもないか」
ノルアも頷く。
「じゃあ今は決めない?」
「候補くらい――」
足音がした。四人ともそちらを見た。ロウが歩いてくる。走ってはいない。だが、いつもの様子とは少し違った。
服に土が付いている。槍も持っている。大和の身体が先に反応した。
「どうした?」
ロウが近づく。
「怪物が出た」
空気が変わった。大和は棚から離れ、レティも表情を変えた。アビナの耳が立ち、ノルアも立ち上がる。
「どこ?」
大和が聞く。
「西の道から少し外れたところ」
「シェルドたちは?」
「残ってる」
「行く」
大和は道具を置いた。ロウが言う。
「もう吊ったよ」
大和が止まった。
「……え?」
「脚潰して、動けなくなったから吊った」
大和はロウを見る。
「もう?」
「ああ」
「俺、呼ばれてないけど」
ロウは少し不思議そうな顔をした。
「呼ぶ必要なかったから」
大和は何も言わなかった。レティが先に聞く。
「大丈夫なの?」
「今のところ」
「怪我した人は?」
「いない」
アビナが大和を見る。
「行くニャ?」
大和は少し考えた。
「行く」
自分が必要だからではなく、見たい。それだけだった。
◇
森へ入り、大和たちはロウの後ろを歩いた。途中で前回の怪物を下ろした場所へ近づくと、臭いで先に分かった。
大和が足を止めた。木陰では、黒かった身体の表面が一部崩れ始めている。形そのものはまだ残っているが、生きていた時とは違う。
虫が集まっていた。表面の一部は変色し、柔らかく沈んでいる。
「腐ってる」
大和が言った。ロウが少しだけ振り返る。
「昨日くらいから臭いが強くなった」
大和は死体を見る。もう傷が閉じることも、動くこともない。ただの死体になっていた。
「本当に死んだんだな」
誰に言うでもなく呟いた。アビナが少し離れたところから見る。
「臭いニャ」
「近づくなよ」
「行かないニャ」
それ以上は止まらず、少し進むと木々の間にシェルド、アキト、ルシアンの姿が見えた。そして、その上には怪物が吊られていた。本当にもう吊り上げられていることに、大和は足を止めた。
もう吊られている。前脚は潰れている。後脚もまともに地面へ届かない。二本の縄で身体を支え、別の縄で揺れを抑えている。前回より少し安定して見えた。
「来たか」
シェルドが言った。大和は怪物を見上げたまま聞く。
「どうやったんですか?」
アキトが答えた。
「前と同じだ」
「いや、前より早い」
ロウが言う。ルシアンが記録板を見せた。
「脚を優先して潰した。追えなくなったところで吊った」
大和は怪物を見る。
「ずっと攻撃してない?」
「必要ないだろ」
シェルドが言った。
「吊ってから戻ればいい」
大和は少し黙った。その通りだった。前回は怪物の回復がどこまで落ちるかを見るために、何度も傷を増やした。今は違う。
目的は分かっている。動けなくして周囲から離し、戻った脚が危険なら切る。あとは待つ。
「縄は?」
大和が聞く。
「中継拠点にあった」
「準備してたんですか?」
「前回使ったからな」
それだけだった。大和は周囲を見る。誰も慌てていない。アキトは水を飲んでいる。ルシアンは傷の位置を書いている。
ロウは地面へ座り、シェルドは吊り方を確認している。怪物だけが宙で身体を動かしていた。
「本当に俺、何もしてないな」
大和が言った。アキトが見る。
「何かしたかったのか?」
「そういうわけじゃない」
「ならいいだろ」
「うん」
大和は少し笑った。レティが怪物を見る。
「これも一週間くらい?」
ルシアンが答える。
「分からない。前と同じならそのくらい」
「個体で違うかもしれないしな」
大和が言う。
「だから見る」
シェルドが答えた。大和は頷いた。それでいい。一匹目は偶然だったかもしれない。だが二匹目も同じように弱り、同じように死ぬなら、方法になる。大和は吊られた怪物を見上げた。少し前までなら、怪物が出れば自分が呼ばれ、最後に斬る。それが普通だった。今日は棚を直してアビナと話した。レティとノルアも来て、村の名前を初めて知り、中継拠点の名前も考え始めた。
その間に、怪物はもう吊られていた。
「大和」
ノルアが横から呼ぶ。
「何?」
「変な顔してる」
「また?」
「さっきとは違う」
大和は少し考えた。
「良かったと思ってる」
「うん」
「でも」
ノルアは待った。大和は怪物を見る。
「思ったより早かったなって」
「何が?」
「俺がいなくても大丈夫になるの」
レティが聞いていた。
「前から大丈夫だったよ」
大和が見る。レティは怪物ではなく、大和を見ていた。
「怪物を殺せなかっただけ」
大和は少し止まった。それから笑った。
「それ、そうだな」
ノルアも小さく笑う。アビナが言った。
「今は殺せるニャ」
「多分な」
「じゃあもっと大丈夫ニャ」
「簡単に言うな」
「簡単ニャ」
怪物が僅かに身体を捩り、縄が軋んだ。四人ともそちらを見る。一瞬で空気が張り詰める。
シェルドが縄を確認する。
「今日はここまでだ。見張りを交代する」
大和が聞く。
「俺も残ります?」
「好きにしろ」
以前なら「残れ」、あるいは「お前が必要だ」と言われたかもしれない。今は「好きにしろ」だった。
大和は少し考えた。
「じゃあ帰ります」
シェルドはそれ以上何も言わなかった。帰り道、アビナが言った。
「名前どうするニャ?」
大和は何の話か一瞬分からなかった。
「あ」
中継拠点の名前について、途中で止まっていた話だった。レティが笑う。
「まだ考えてたの?」
「アビナが言ったんだろ」
ノルアが言う。
「今日はもう決まらなそうだね」
「別に急がなくていいか」
大和は前を見た。森の先にはラナ村がある。今までずっと「村」としか呼んでいなかった場所にも、名前は前からあった。大和が知らなかっただけだった。中継拠点には、まだ名前がない。
それも今すぐ決める必要はないのかもしれない。怪物についても、今日はもう自分がすることはない。
大和は三人と並んで歩いた。その後ろでは、吊られた二匹目の怪物が残っているものを少しずつ使い続けていた。




