第57話 治る速さ
「そのまま持っててくれ」
荷車の向こうでアキトがしゃがみ、車軸の下へ短い角材を差し込んだ。土の上で一度座りを確かめてから大和に合図をする。ゆっくり下ろすと、荷車は少し傾いたところで止まった。
「これでいい?」
「ああ。助かった」
大和は荷台を覗き込んだ。底板の一枚が割れ、端の方が浮いている。アキトがその板を外そうとすると、途中で引っ掛かった。
「引っ張ろうか」
「釘が残ってる。待て」
伸ばした手を止める。アキトは板の隙間へ道具を差し込み、少しずつこじった。釘が抜けるたびに木が鳴り、やがて板が丸ごと外れた。裏側には、曲がった釘が二本残っていた。
「無理に引くと、こっちまで割れるんだ」
アキトが荷台の枠を指す。
「なるほど。じゃあ俺、持ち上げる係で」
「それだけでも十分だよ」
倉庫の軒下では、ドランが新しい板に印をつけていた。必要な長さを確かめると、板を抱えて作業台の方へ歩いていく。ほどなく、鋸を引く音が聞こえ始めた。施設から帰ってきたのは昨日だった。朝のうちにアキトにも配管の話をしたが、自分の身体をどう調べるかまでは決まらなかった。考えながら村を歩いていると、荷車を直すから手を貸せと呼ばれたのだった。
外した板を脇へ寄せ、大和は荷台の縁に腰を下ろした。長く使われた木の角は丸くなり、手の下だけ滑らかだった。
「具合が悪いわけじゃないんだよな」
アキトは抜いた釘を拾いながら言った。
「それは全然。今の荷車だって、持ってるだけなら平気だし」
「ならいいけど。朝からずっと考えてるだろ」
「俺の身体、何をどれだけ使って動いてるんだろうなって」
アキトが顔を上げる。
「飯は食ってるだろう」
「食ってる。でも、昔より大食いになったつもりはないんだよ。あれだけ走ったり、木を運んだりしてるのにさ」
昨日の施設では、動くものが何もなかった。管をたどっても、最後は止まった機械に行き着いた。その中で眠り続けていた身体が、今は荷車を持ち上げている。大和は足元の割れた板を靴で裏返した。
「身体を動かす方は、ずいぶん少なくて済んでる気がする。でも、傷を治す方は足りなくなったことがある。病院の前で戦った時」
釘を拾う音が止まった。あの時の痛みは、今も思い出せる。腹の傷が閉じず、膝に力を入れても身体を支えられなかった。いつもなら立てるはずだと思っていたせいで、戻らない脚を何度も踏ん張ろうとした。
「あれは見てるこっちもきつかったぞ」
アキトが言った。
「お前、傷が開いたまま前へ出ようとするんだから」
「うん。あの時は、すぐ治ると思ってた」
「分かってる。そういう顔してた」
大和は膝に置いた手を引っ込めた。今は普通に曲がる脚が、あの時はいつまで待っても戻らなかった。病院で見た説明では、大きな傷を治すには、それだけ多くの材料が要る。自分も足りなくなっていたのだとすれば、その後、刃が怪物に刺さったままの間に回復が速まったことにも説明がつく。
「治すために使うものがなくなれば、俺だって治らないんだろうな」
声にしてみると、アキトは釘を掌の中でまとめた。
「あの時くらい遅くなるのは、怪物でもあるよ」
大和は顔を上げた。
「お前の傷を見てた時も、似てるとは思った。塞がってはいるんだけど、さっきまでと速さが違う」
「それ、前から?」
「何度も傷を負わせた奴ならな。最初は槍を抜いてる間に傷が塞がるのに、そのうち傷口が残るようになる」
アキトは拾った釘を小さな木箱へ落とした。大和が続けて聞こうとした時、ドランが板を持って戻ってきた。
「おい、そこに座られると合わせられん」
「あ、ごめん」
飛び降りて場所を空ける。ドランは新しい板を荷台へ置き、端を押して隙間を見た。
「少し長いな。大和、そっち押さえてろ」
今度は持ち上げる役ではなかった。大和が両手を置くと、ドランは余った部分に印をつけた。アキトも反対側へ回り、古い板の釘穴を調べ始めた。
◇
底板を取り替え終わる頃には、倉庫の前の日陰が狭くなっていた。ドランは道具を取りに戻り、大和とアキトは軒下へ移った。アキトが水を飲んでいる間、大和は膝についた木屑を払った。
「さっきの怪物の話だけど」
アキトが水の容器を下ろす。
「回復が遅くなったあと、どうしてた?」
「立てなくなったら離れる。荷物を通したい時は、その間に通す」
「前に言ってた、動かなくなるところまではあるって、そういうことか」
「ああ。脚を潰しても、すぐ戻るうちは追ってくるからな。起きるまでに間が空くようになれば、離れられる」
大和にも見覚えのある状態だった。横たわった怪物の傷が動いていても、身体の方はすぐには起き上がれない。自分がいれば、そこで刃を入れて終わらせていた。
「そこから、もっと傷を負わせたことは?」
アキトは容器の口を拭いてから答えた。
「ある。でも、その頃にはこっちも疲れてる。槍を握ってた指が開かなくなるし、脚もきつい。傷が動いてるのを見て、まだ生きてるなと思ったら、もう行くよ」
日向の荷車の下へ小さな鳥が一羽降りた。落ちた木屑をつついたが、食べ物ではなかったのかすぐに首を上げる。
「近くにもう一匹いるかもしれないだろ。動けなくした奴のそばで、いつまでも粘っていたくはない」
「そりゃそうだな」
大和はさっきまでの聞き方が少しおかしかったと思った。目の前に倒れた怪物がいて、追われている者や運ぶ荷物がある。その場を抜けられるようになったら、抜ける。槍を持つ手が利かなくなるまで戦ったあとで、傷の塞がる様子を眺めている余裕はない。
「そのまま死んだ奴はいなかったのかな」
「分からない。戻った時にはいないことが多いから」
「立って歩いていったと思ってた?」
「実際、起きてくるのも見てる。翌日に同じ辺りで襲われることもあった」
起き上がってくるところを見ているなら、死なないと思うのも当然だった。大和も今までそう考えてきた。けれど、回復が遅くなる話を聞いた今は、自分の傷が頭から離れなかった。病院の前では、自分の脚もそうだった。治るはずなのに治らず、時間ばかりかかった。何も使わずに元へ戻れる身体なら、あんなことにはならなかったのではないか。
「俺と同じように、使いすぎたら足りなくなるんじゃないかな」
大和が言うと、アキトはこちらを見た。
「怪物も?」
「治すための材料とか、身体を動かす力とか。あいつらだって、何も要らないわけじゃないと思うんだ。あれだけ治り方が似てるなら、遅くなる理由も似てるかもしれない」
アキトは少し黙り、自分の掌へ目を落とした。釘を拾っていた指先に、黒い汚れがついていた。
「それを使い切るまでやれば、戻らなくなるってことか」
「そう。どこまでやればいいのかは分からないけど」
大和は水を一口飲んだ。考えている間、口の中が乾いていたらしい。
「次に動けなくしたら、少し見てたい。どれくらいで傷が塞がるか。そのあと、もう一度傷つけたらどうなるか。俺が斬る前に」
「長くなりそうだな」
「うん。俺がやれば傷が塞がらなくなるから、そこは頼むことになるけど」
自分が前に出た方が早い、と思うたびに出ていた。今度は、その間のことをアキトたちに教えてもらう必要があった。
「止めるところまでは、俺たちでもできる。お前は、そのあとを見ててくれ」
アキトは立ち上がり、腰についた土を払った。
「ただ、長くなるならシェルドに話そう。いつもの見回りのつもりじゃ、戻りが遅れる」
大和も立った。荷車の下にいた鳥が、二人の足音に驚いて飛び去った。
◇
シェルドは倉庫の奥で、戻ってきた道具を確かめていた。アキトが怪物の話を始めると、手にしていた槍を壁へ立て掛けた。二人の話を途中で遮らずに聞き、最後に大和へ顔を向ける。
「お前の傷が遅くなったのと、同じことが起きると考えているんだな」
「似てるんじゃないかと思ってます。俺のも、ずっと同じ速さじゃなかったから」
「こいつらを長く戦わせても、結局戻るかもしれんぞ」
「その時は、どれくらいで戻ったかを見たいです。俺がいつも通りに倒したら、そこが分からないままなんで」
シェルドは大和からアキトへ視線を移した。
「どうだ」
「小さい奴なら、まず動きを止める。それから確かめたい。二人だけでやるつもりはないよ」
しばらく考えたあと、シェルドは壁際に並んだ槍を見た。
「明日の見回りで、様子を見よう。ロウにも話しておく。ルシアンにも来てもらうか」
「助かります」
「大和。危なくなったら終わらせろ。分からんものは、また考えればいい」
「はい」
大和が頷くと、シェルドは道具の確認へ戻った。アキトも一本取り上げ、柄に緩みがないかを確かめる。皆が戦っている後ろで、傷の治り方を見ている。明日の自分の役目を考えると、どうにも落ち着かなかった。これまでも後ろで待つことはあったが、最後は呼ばれれば出ていけばよかった。今回はまだ動いている怪物を前にして、もう少し待つことになるかもしれない。
アキトが槍を戻しながら、こちらを見た。
「何か言いたそうだな」
「いや。ちゃんと見てるよ」
「頼む。戦ってると、目の前の爪とか脚しか見えなくなるからな」
大和は頷いた。見るものは、傷が閉じるまでの時間、最初と後での動き方、アキトたちが離れたあとも回復が続くかどうかだった。
「見落としたら困るから、ルシアンにも一緒に見てもらおう」
「それがいい」
倉庫を出ると、ドランが修理した荷車を引き出していた。
「話は終わったか。こっちも手を貸せ」
荷台の隣には、運ぶ板が積んであった。アキトが先に二枚持ち上げる。大和も隣へしゃがみ、束の下へ手を入れた。
「釘はないよな」
「それはない。角をぶつけるなよ」
板を積み終えると、ドランが行き先を指した。大和が前を引き、アキトが荷台の後ろを支える。倉庫の前の段差を越えた時、取り替えた底板が小さく鳴った。アキトが一度だけ荷台を覗き込み、そのまま押した。




