第53話 残された記録
翌日、大和たちは再び古い施設へ向かった。今回は二人ではない。シェルド、ルシアン、ドラン、アビナ、そして大和が、それぞれ松明を持っている。
「今度は勝手に触るなよ」
シェルドが言った。アビナがすぐ振り返る。
「前も勝手に触ってないニャ」
「配管の下まで潜ってただろ」
「見てただけニャ」
「同じだ」
「違うニャ」
大和は横で笑った。
「まあ、見つけたのアビナだし」
シェルドが大和を見る。
「お前も止めろ」
「止めても聞かないですよ」
「最初から諦めるな」
アビナは気にせず先を歩いている。ドランは大きめの道具をいくつか持っていた。壊すためではない。管の太さや固定のされ方を確かめたり、表面を軽く削ったりするためらしい。
「絶対壊さないでよ」
大和が言う。
「壊さない」
「前、黒い板ずっと叩いてたじゃん」
「あれは持って帰った物だ」
「今回は俺が寝てたやつだから」
ドランが大和を見る。
「分かってる」
「ならいいけど」
大和は少しだけ安心した。
◇
施設の入口へ着く。昼でも内部は暗い。入口から差し込む光は、少し進めば消える。松明へ火を移す。炎が揺れる。
五つの灯りがあるだけで、前回来た時よりかなり明るい。それでも、見えるのは周囲だけで、その先は黒かった。
「こんなところにいたのか」
シェルドが言う。大和は少し笑った。
「俺も最近知った」
「自分で?」
「起きた時は何も見てないって言ったでしょ」
大和は奥を指す。
「蓋開けて、向こうに光が見えたから、そのまま出ただけ」
ルシアンが聞く。
「他は見なかった?」
「全然」
「記録も?」
「読めなかったし、そもそも探してない」
大和は少し考える。
「外に出る方が先だった」
当然だったと思う。目覚めた時、周囲は暗く、何が起きたのか分からなかった。その状態で、自分が寝ていた設備を詳しく調べる余裕などなかった。
今は違う。戻る場所があり、一緒に来る者も、松明の火もある。同じ場所なのに、状況は全く違っていた。
◇
奥の部屋へ入る。大和が目覚めたカプセルが、松明の光に浮かび上がった。前回来た時より明るい。複数方向から光を当てると、全体の形も分かる。ドランが一周する。
ルシアンは文字の残る部分を見る。シェルドは周囲の部屋や通路を確認している。アビナは早速しゃがんでいた。
「また下見るの?」
大和が聞く。
「前の続きニャ」
「分かったけど火近づけすぎるなよ」
「分かってるニャ」
大和自身は、カプセル側面の管理票へ向かった。前回読んだ場所には、藤原大和、解凍処理完了、生体機能安定、覚醒反応なしとある。文字は変わらない。当たり前だった。
それでも、もう一度読む。やはり間違いではない。
「日付は?」
ルシアンが横から聞く。大和が指す。
「ここ」
ルシアンも見る。
「ニュースより前?」
「うん」
「どれくらい?」
大和は少し考えた。
「正確には比べられない。でも前なのは間違いない」
「現在までの時間は?」
「分からない」
ルシアンが頷く。
「なら、分かるのは順番だけ」
「そう」
大和は少し笑う。
「そういう言い方すると助かる」
「何が?」
「考えすぎなくて済む」
ルシアンはもう一度管理票を見る。
「解凍された」
「うん」
「起きなかった」
「うん」
「その後は?」
「前回はここまで」
大和が指を動かす。汚れた部分は文字が薄く、一部は何かが付着して読めなくなっている。ドランが近づく。
「削るぞ」
大和がすぐ振り返った。
「何を?」
「表面の汚れ」
「記録まで削らない?」
「削らない」
「本当に?」
ドランが少し面倒そうな顔をする。
「ならお前がやれ」
「無理」
「じゃあ黙ってろ」
大和は黙った。ドランは表面そのものを傷つけないよう、細い工具で文字のない部分から少しずつ慎重に汚れを剥がす。ルシアンが松明の角度を変えた。
薄かった文字が少し見えた。
「ここ」
ルシアンが言った。大和が近づく。
「経過……観察」
その下も読む。
「生命……維持、継続」
さらに下は、文字が欠けている。
「栄養……供給」
「続きは?」
シェルドが聞く。大和は松明を近づける。
「継続、だと思う」
「確実?」
ルシアンが聞く。
「多分」
ルシアンは少し待つ。大和が言い直した。
「いや。文字の形は継続に見える。でも一部欠けてる」
「なら確定じゃない」
「はい」
シェルドが管理票を見る。
「少なくとも、解凍した後も生かしていた?」
大和は頷く。
「そう見える」
ドランが言う。
「死んでないなら当然だろ」
大和が見る。
「まあ……そうなんだけど」
妙に簡単だった。解凍しても起きないが、身体は生きている。ならば生命維持を続ける。それだけのことだ。大和は少しだけ胸の奥に引っかかるものを感じた。誰かが、自分が起きるのを待っていたのだろうか。それとも、単に死んでいない患者だから維持していただけなのか、今の記録だけでは分からない。
◇
「こっちにもある」
シェルドの声がした。少し離れた壁にも、小さな管理板が固定されている。大和たちが集まると、状態確認、処置、記録者らしい欄が見えた。
大部分は読めない。ルシアンが一つの行を指した。
「これは?」
大和が読む。
「連絡……」
その先が薄い。松明を近づける。
「家族?」
大和の声が少し止まった。もう一度読む。
「家族連絡……」
さらに横の文字は欠けている。
「不能?」
ルシアンが聞く。大和は少し時間をかけて見る。
「多分」
その下にも別の行があり、「引受」の文字が残っている。大和は黙った。
「何だ」
シェルドが聞く。
「引き取り先……なし、かな」
「引き取り?」
アビナが後ろから聞く。大和が振り返る。
「誰かが病院から出る時に、家族とかが迎えに来るだろ」
アビナは少し考える。
「大和にはいなかった?」
大和は管理板を見る。
「少なくとも、この時には」
声が少し低くなった。自分が眠りについた時、未来で治療できる可能性を信じた。目覚めれば、何かがあると思っていた。だが、実際に解凍された時、家族への連絡はできなかった。引き取る者もいなかった。
その時、自分はまだ生きていた。でも起きなかった。大和はしばらく管理板を見ていた。
「ヤマト」
呼びかけたのは、今日はノルアではなくアビナだった。
「大丈夫ニャ?」
大和は少しだけ考えた。以前なら、家族がいない、時間が経った、仕方がないと、事実だけを見て処理していたと思う。今は――
「ちょっと寂しい」
大和はそのまま言った。アビナは何も言わなかった。ただ近くに立っていた。大和もそれ以上説明しなかった。
◇
ドランがカプセルの下を見ている。前回見つけた、正式な設備とは違う細い管へ松明を近づけた。
「これか」
「そう」
大和が答える。ドランは触れずに、固定部、接続部、表面、周囲の沈殿を見て、隣にある正式な配管とも比較する。
「違う」
しばらくして言った。
「何が?」
大和が聞く。
「作り方」
「やっぱり?」
「こっちは最初から付いてる」
ドランは正式な管を指す。
「こっちは後」
次に、問題の細い管を指した。
「何で分かる?」
ドランが固定部分を指す。
「壁と一緒に作られてない」
大和も見る。言われても、よく分からない。ドランはさらに説明する。元々の管は床や設備の一部としてきれいに収まっているが、問題の管は壁の隙間を通し、別の固定具で留め、無理にカプセル側へつないだ形になっている。
「修理?」
シェルドが聞く。
「かもしれん」
「他の可能性は?」
「追加」
ルシアンが言う。
「元々なかった機能を、後から足した?」
ドランが頷く。
「そう見える」
大和は細い管を見る。
「何を通してたんだろ」
「分からん」
「水?」
「分からん」
「栄養?」
「分からん」
ドランが少し苛立った顔をした。大和は笑った。
「全部分からない」
「見ただけで中身まで分かるか」
「ですよね」
ルシアンが床を見る。白い沈殿、水分が長期間通ったような跡。
「液体だった可能性は高い?」
ドランが考える。
「跡だけなら」
「でも何かは分からない」
「そうだ」
大和は少し安心した。何も分からないのに、勝手に答えを作らない。今はそれでいい。
◇
さらに周囲を調べる。カプセルの近くには、正式な栄養供給系、循環、排出、生命維持の管がいくつかある。その中で、問題の一本だけが明らかに異質で、誰かが後から追加したものだった。
何かを流した可能性は高い。だが、誰が、いつ、何のために、何を流したのかは分からない。シェルドが言った。
「少なくとも、最初からあったものではない」
大和が頷く。
「うん」
「なら、解凍後に追加された可能性もある」
ルシアンが言う。大和は少し考える。
「俺が起きなかったから?」
「可能性はある」
「でも確認できない」
「そう」
大和はカプセルを見る。解凍。覚醒しない。生命維持、栄養供給。そして、後から追加された何か。
自分がここで何をされていたのか、その輪郭だけは少しずつ見え始めている。だが、中心はまだ見えない。
◇
帰る前、大和はもう一度、管理票を見る。藤原大和、解凍処理完了。覚醒反応なし。生命活動安定、経過観察、生命維持、栄養供給、家族連絡不能、引受先なし。文字は短く、それだけだった。そこには、大和が何を考えていたのかも、誰かが大和をどう見ていたのかも、何も書かれていない。
ただ、患者として、生きているから、維持されていた。大和は少しだけ手を握った。
「俺、ずっと凍ってたんじゃなかったんだな」
シェルドが横を見る。
「前にも分かっただろ」
「うん」
大和は頷く。
「でも今日、ちゃんと分かった気がする」
解凍された。目覚めないまま、その後も身体だけは生き続けていた。大和の中で、過去の見え方が変わる。今まで抱いていたのは、なぜこんな未来で目覚めたのかという疑問だった。今は違う。
「起きるまでの間に」
大和が言った。
「俺に何が起きてたんだろ」
誰も答えなかった。答えられない。松明の火だけが揺れている。大和は、自分が目覚めた場所であるカプセルを見た。
だが、本当の意味では、ここで何が始まったのか、まだ何も分かっていなかった。




