第5話 亜人の村
「まだ?」
大和が聞くと、前を歩いていたアビナが振り返った。
「もうちょっとニャ」
「さっきもそれ聞いた」
「そうだっけ?」
「聞いた」
アビナは少し考え、それから何事もなかったように答えた。
「じゃあ、今度こそもうちょっと」
「信用できないなあ」
大和はため息をついた。森の中を歩き始めてから、それなりに時間が経っている。とはいえ、一人で歩いていた時とはまるで違った。アビナは頻繁に道を外れた。見慣れない虫を見つければしゃがみ込み、花が咲いていれば顔を近づけ、木の実を見つければ枝を引き寄せる。
「それ何?」
大和が聞く。
「知らない」
「知らないのかよ」
「知らないから見てるニャ」
「なるほど」
大和は、怪物の刃も「見たい」と言っていたことを思い出した。この調子では、なかなか村へ着きそうにない。しばらく進むと、森の密度が少しずつ下がってきた。木々の間から差し込む光が増え、道幅も広くなる。地面は明らかに踏み固められ、脇の草も刈られていた。
「もうすぐ」
アビナが言った。
「今度は信じていい?」
「いいニャ」
今度は本当に、数分で森が開けた。家が一軒、その奥にも屋根がいくつも見えた。大和は足を止めた。
「……村だ」
思わず口に出した。大和が想像していたより、ずっと普通の村だった。
木と石で組まれた家が並び、その間を土の道が通っている。畑があり、柵があり、薪が積まれている。軒先には布が干され、道の脇には細い水路まで流れていた。煙突から煙が上がっている家もある。
荷物を運ぶ者や立ち話をする者の間を、子連れの姿が通っていく。遠くから見れば、人間の村にしか見えない。だが近づくにつれ、大和には違いが見えてきた。頭の上に耳がある。犬らしい大きな耳。
猫のような三角形の耳。その代わり、大和なら耳がある顔の横には何もない。腰の後ろからは尾が伸びている。鼻の形も少しずつ違った。犬型らしい者は、人間より鼻筋が少し高く、鼻先がわずかに前へ出ている。
猫型はアビナと同じように、鼻が小さく低い。腕や脚には薄く毛が生えているが、全身を覆うほどではない。皮膚は普通に見えている。大和は村人たちを見回した。アビナだけが特別なのではない。ここでは、これが普通なのだ。
「本当に異世界だな」
「また言ってるニャ」
アビナが横を見る。
「いや、ここまで来るとな」
大和は村を見ながら笑った。
「もう疑う方が難しいだろ」
アビナは当然のように首を傾げた。村へ入る。その瞬間、周囲の空気が変わった。歩いていた者が止まる。話していた者がこちらを見る。大和も足を止めかけた。当然だ。自分はどう見ても異物だ。耳の位置も服も違い、尾もない。
しかも森を歩き、怪物と戦ったせいで服は破れ、血まで付いている。警戒されて当たり前だった。実際、最初の反応はそう見えた。驚いて目を見開く者がいる。作業の手を止める者がいる。犬型の女性が、小さな子供を自分の後ろへ下げた。
大和も無意識にアビナの少し後ろへ立った。知らない村へ突然入ってきたのはこちらだ。下手に動かない方がいい。ところが、妙だった。誰も武器を取りに走らない。怒鳴り声も上がらない。大和を見つめていた村人の表情から、少しずつ強張りが消えていく。
子供など、母親の後ろから顔を出して、もう大和を覗き込んでいる。犬型の小さな男の子が一歩出た。母親が肩を掴む。
「こら」
だが、その声も思ったほど強くない。大和はアビナへ顔を寄せた。
「……俺、そんなに安全そうに見える?」
「うん」
「即答かよ」
「なんか大丈夫ニャ」
またそれだ。大和は眉を寄せた。
「この村、知らない奴に対して警戒心薄くない?」
「そう?」
「そうだと思うけどな」
少なくとも自分なら、見たことのない姿の男がいきなり集落へ入ってきたら、もう少し距離を取る。そう考えていると、人垣の奥から一人の男が歩いてきた。大和は自然に背筋を伸ばした。大きい。百七十五センチほどある大和でも見上げるほどだった。百八十センチは明らかに超えている。
犬型の男だった。短い濃茶色の髪。その上から同じ色合いの立ち耳が伸びている。顔立ちはやや精悍で、鼻筋も大和より明確に高い。肩幅が広く、胸板も厚い。ただ、大柄だからといって威圧的ではなかった。
頑丈そう。最初に浮かんだのは、その印象だった。男はアビナを見る。
「アビナ」
「ただいま」
「また一人で森へ行ったのか」
「うん」
「だから――」
そこで男の言葉が止まった。大和を見る。目が合った。男の表情が一瞬だけ硬くなる。その反応を見て、大和は少し安心した。そうだ。普通はそうなる。ところが男はそのまま大和を睨み続けることはなかった。
眉間に少し皺を寄せたまま、何か確かめるようにこちらを見る。それから大和の前まで来た。
「初めて見る」
低い声だった。大和は軽く頭を下げる。
「藤原大和です」
男は少し間を置いた。
「アキトだ」
近くで見ると、さらに大きい。大和より一回り以上体格がいい。その一方で、声や立ち方には妙な落ち着きがあった。
「アビナが森で見つけたのか?」
「見つけたニャ」
「拾われたみたいに言うな」
大和が言うと、アビナが笑った。アキトの口元も僅かに緩んだ。思ったより話しやすそうだ。
「森で迷ったのか?」
「それが、俺にもよく分からなくて」
「分からない?」
「目が覚めたら森の中だったんです」
アキトの耳が僅かに動いた。
「一人で?」
「はい」
「どこで?」
「壊れた建物みたいな場所です」
コールドスリープ装置と言っても通じそうにない。どう説明したものか考えていると、アキトの後ろから別の男が歩いてきた。同じ犬型。だが、アキトとはかなり印象が違う。身長はやはり大和より高い。
ただし体格は一回り細い。灰褐色の短い髪に、細く長めの立ち耳。鼻筋は高いが、アキトより顔全体がすっきりしている。服装も道具の位置もきちんとしていて、雑なところがない。視線は顔から服、手元へと動き、アビナとの間を測るように止まった。大和もつられて背筋を伸ばした。
「アキト」
男が声を掛ける。
「誰だ」
「森でアビナが会ったらしい」
「そうか」
男は大和を見る。
「シェルドだ」
「藤原大和です」
「どこから来た」
いきなり本題だった。
「それが分からなくて」
「自分がいた場所も?」
「はい」
「仲間は?」
「いません」
「家族は?」
大和は一瞬黙った。病室で見た両親の姿が頭をよぎる。
「……今は」
言葉を濁した。シェルドはそれ以上追わなかった。
「森を一人で歩いてきたのか」
「途中からアビナと」
「それ以前」
「ああ。はい」
「怪物には会ったか」
大和の動きが止まった。アビナがこちらを見る。アキトの表情も変わる。
「会いました」
「どこで」
「こっちへ来る途中です」
大和は森の方向を指した。
「襲われた?」
「はい」
シェルドの視線が大和の身体を上下する。
「怪我は」
「しました」
「しました?」
「治りました」
短い沈黙。シェルドが眉を寄せた。アキトも同じような顔をする。
「治った?」
「はい」
大和は左腕を見せた。
「ここ、かなりやられたんですけど」
当然、傷はない。シェルドは近づきはしない。離れたまま腕を見ている。
「見えない」
「もう消えたんで」
アキトが聞いた。
「怪物から逃げ切ったのか?」
大和は少し迷った。
「いや」
「?」
「倒しました」
周囲で様子を見ていた村人まで口を閉じた。アビナだけは、大和と周囲を交互に見ながら耳を立てていた。シェルドが聞く。
「倒した?」
「はい」
「一人で?」
「一人で」
「怪物を?」
「そうです」
「完全に?」
大和はその言葉に引っかかった。
「完全に?」
「動かなくなっただけではなく、死んだのか」
「死にました」
今度の沈黙は長かった。周囲から小さなざわめきが起きる。大和はアキトを見る。シェルドを見る。何かがおかしい。
「怪物って、そんなに珍しいんですか?」
「珍しくはない」
シェルドが答えた。
「倒す方が珍しい」
「そうなんですか?」
アキトが続ける。
「傷は付けられる」
少し間を置く。
「だが、死なない」
切った脚も頭も戻った、あの怪物を思い出した。最後の傷だけが治らなかった。
「……やっぱり」
「何がだ」
シェルドが聞く。
「俺が戦った奴も、傷がすぐ治ってたんです」
その時だった。
「ええっ!」
大きな声が飛んできた。大和が振り返る。犬型の若い女性がこちらへ走ってくる。明るい茶色の髪が肩の周りで跳ねる。その上のやや大きな立ち耳も、走るたびに動いている。身長は大和とそれほど変わらない。
女性としてはかなり背が高い方だろう。細すぎず、身体全体が引き締まっている。じっと立っている姿より、走っている姿の方が似合いそうな人物だった。その女性は勢いを落とすことなく、大和の目の前まで来た。
「怪物に襲われたの!?」
「え、あ、はい」
「怪我した!?」
「しましたけど」
「どこ!?」
「いや、もう」
「見せて!」
「治ったって!」
大和が身体を引くより先に、女性は腕を掴んでいた。左右を確認する。傷を探す。
「ない」
「だから治ったって」
「ほんとに?」
「ほんとに」
女性は大和の顔を見上げた。そして、心底安心したように笑った。
「よかった!」
「……ありがとう?」
大和は困った。初対面だ。名前すら知らない。なのに、どうしてここまで本気で心配されるのか。しかも近い。アビナとは別の意味で距離が近い。女性の後ろでは、茶色い尾が激しく左右へ動いている。
大和は思わずそこを見る。
「あ」
「なに?」
「いや……尻尾」
女性も自分の尾を見る。
「尻尾?」
「すごい動いてる」
「だって、よかったから」
当然のことのように答えた。大和はアビナを見る。アビナは肩をすくめる。
「犬だからニャ」
「やっぱりそういう感じなんだ」
「どういう感じ?」
女性が聞く。
「いや、何でもない」
アキトが少し困ったような顔をした。
「レティ」
「あ」
女性はようやく思い出したらしい。大和を見る。
「レティ!」
「藤原大和です」
「ヤマト?」
「そう」
「ヤマト!」
一度聞いただけで、すぐ名前を呼ぶ。大和も思わず笑った。
「覚えるの早いな」
「うん!」
レティも笑う。それにしても。大和は周囲を見た。アビナだけではない。初対面にしては、村全体の空気が柔らかい。自分でも、今の自分がかなり怪しいことは分かっている。森から突然現れた。出身不明。
怪物を殺したと言う。大怪我が勝手に治ったと言う。普通なら、もっと警戒されてもよさそうなものだ。少し離れた建物の壁際に、もう一人立っていることに気づいた。猫型の男だった。大和より少し小さい。
細身で、アビナと同じ猫型らしい軽い体つきをしている。短い髪は黒に近い濃い灰色。頭の上には細めの三角形の耳。尾も細く長い。明るい色のアビナとは正反対で、全体的に暗い色合いだった。
男は壁へ寄りかかったまま、近づいてこなかった。視線だけがアキトやシェルド、レティ、周囲の村人へ移り、また大和に戻る。
「……どうも」
大和が軽く手を上げる。男は視線を外さず、僅かに顎を動かした。
「ルシアンだ」
アビナが言った。
「へえ」
大和はもう一度手を上げる。
「よろしく」
「ああ」
それだけだった。大和はアビナへ小声で聞く。
「嫌われてる?」
「いつもあんな感じニャ」
「そうなの?」
「聞こえてるぞ」
ルシアンが言った。アビナは平然としている。
「聞こえるように言ったニャ」
大和は笑った。ルシアンは小さく息を吐いた。ただ、その視線は大和から離れない。
「怪物をどうやって殺した」
「やっぱり聞く?」
「聞く」
大和は右腕を見る。
「説明しにくいんだけど」
「説明できる範囲でいい」
「腕が変わった」
ルシアンの耳が僅かに動く。
「変わった?」
「刃みたいなのが出た。骨みたいなやつ」
レティの耳が止まった。アキトの表情も変わる。シェルドは何も言わず聞いている。
「それで斬った」
「今は?」
「出せない」
「出そうとした?」
「何回か」
「出なかった?」
「全然」
ルシアンは大和の右腕を見る。そこに何かあるわけでもない。大和から見ても、普通の腕だ。ルシアンはそれ以上聞かなかった。腕から顔へ戻った視線が、しばらくそこに留まった。その時、大和はまた別の視線を感じた。
家の陰。一人の女性が立っている。猫型。アビナと同じくらい小柄で、細身。肩より少し長い銀灰色の髪。その上に、同じ淡い色の三角耳がある。アビナほど耳は大きくない。細い尾も、落ち着いたまま身体の後ろに伸びている。
顔立ちは柔らかく、全体に穏やかな印象だった。青灰色の瞳が大和を見ている。目が合う。女性は少し驚いたように視線を逸らした。大和も前へ向き直る。数秒後。何となく、もう一度見る。また目が合った。
今度は大和が軽く会釈した。女性は少し迷うような間を置いてから、小さく頭を下げた。
「あの人は?」
大和がアビナへ聞く。
「ノルア」
「俺、何かした?」
「知らない」
「さっきから見られてる気がする」
アビナは大和を見る。
「ヤマト変だからニャ」
「それで全部片付けるのやめない?」
ノルアを見ると、今度は視線を逸らさなかった。警戒しているようにも見える。興味を持っているようにも見える。大和には判断できなかった。ただ、やはり逃げる様子はない。
「とりあえず」
アキトが言った。
「ここで立ち話を続けるのも何だ。中で話そう」
シェルドが大和を見る。少し考えてから頷いた。
「そうだな」
大和は逆に驚いた。
「いいんですか?」
「何が」
シェルドが聞く。
「いや」
大和は自分を指した。
「俺、明らかに怪しくないですか?」
誰もすぐには答えなかった。アビナが首を傾げる。レティまで大和を見直している。
「森から急に来た知らない男ですよ。怪物を殺したとか言ってるし、怪我も勝手に治るし」
自分で言っていて、かなり怪しい。シェルドは大和を見たまま答えた。
「話を聞いてから判断する」
「それなら分かります」
大和は頷いた。それでも、やはり少し引っかかった。追い返すという選択肢が、最初からあまり強く存在していないように見える。それがこの村の文化なのか。アビナが連れてきたからなのか。それとも単に、自分が考えすぎなのか。
今の大和には判断できなかった。案内された家には、大きなテーブルがあった。大和が椅子へ座る。向かいにアキトとシェルド。アビナは当然のように近くへ座った。レティもいる。ルシアンは少し離れた席。
しばらくしてノルアも入ってきた。大和は集まった顔を見る。
「……面接?」
レティが首を傾げる。
「めんせつ?」
「ああ、いや。こっちの話」
シェルドが質問を始めた。大和は覚えている範囲で話した。長く眠り、壊れた施設で目覚めたこと。森へ出て、怪物に襲われたこと。ただ、コールドスリープや病院の話になると説明が難しくなった。
癌。未来の医療。身体を冷やしたまま保存する技術。大和には当たり前だった言葉でも、相手には意味が伝わらない。何度か言い換えているうちに、自分でも説明が面倒になってくる。
「多分」
大和は言った。
「俺、一回死んでるんだと思います」
アキトの耳が少し動く。
「死んだ?」
「俺のいた世界では、治らない病気だったんです」
大和は少し笑った。
「でも今は元気」
レティの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、よかった!」
「まあ、そうだな」
あまりに真っ直ぐ言われ、大和も笑った。シェルドはまだ納得していない顔をしている。
「元いた世界と言ったな」
「はい」
「ここではない?」
「多分」
大和はテーブルを囲む顔を見た。アビナの金色の猫耳も、レティの茶色い犬耳も、こちらを向いていた。
「少なくとも、俺のいたところに、こういう人はいなかった」
アビナの耳が動いた。
「猫はいたけど」
「ねこ?」
「アビナみたいなのじゃない」
「どんなの?」
大和は手で大きさを示す。
「もっと小さくて、四本足で歩いてた」
アビナの顔から笑みが消えた。
「……それ、ねこ?」
「俺の世界では」
「へんニャ」
「お互い様だ」
レティが笑った。アキトも少し口元を緩める。ノルアも僅かに笑っている。張っていた空気が少しだけ軽くなった。しばらく質問が続いたあと、シェルドが言った。
「怪物の死体は残っているか」
「多分」
「場所は分かる?」
アビナが聞く。
「通ってきた道を戻れば、大体は」
「大体か」
シェルドが言う。
「怪物に追われながら道覚えてる余裕なかったんで」
「それはそうだな」
意外にも素直に納得した。シェルドはアキトを見る。
「明日確認する」
アキトが頷く。
「俺も行く」
レティがすぐ手を上げた。
「私も!」
「必要ない」
シェルドが即答する。
「なんで!」
「確認だけだ」
「私も確認できる!」
「人数を増やす理由がない」
レティの耳が少し下がった。尾の動きも止まる。大和はその様子を見て、笑いそうになるのを堪えた。分かりやすい。その後、食事が出された。湯気の立つスープと焼いた肉、野菜。硬めのパンのようなものもあった。
大和は目の前に置かれた料理を見た。
「食べていいんですか?」
アキトが答える。
「もちろんだ」
「いや、何もしてないのに」
「腹が減っているだろう」
「まあ」
昼に果物をかなり食べたはずなのに、匂いを嗅ぐと腹が鳴りそうになる。
「いただきます」
誰も反応しない。大和は少し恥ずかしくなった。スープを口へ運ぶ。温かい。塩気がある。肉の味と、知らない香草の香り。
「……うまい」
思わず声が出た。レティの耳が立つ。
「おいしい?」
「うん」
「よかった!」
自分が作ったわけでもなさそうなのに、やけに嬉しそうだ。大和はパンをちぎり、スープへ浸した。汁を吸ったパンが、口の中でほどけた。こうして誰かの作った料理を食べるのは、いつ以来だろう。
隣から手が伸びた。アビナが大和の皿から肉を一つ取った。
「おい」
「なにニャ?」
「俺のだぞ」
「まだある」
「そういう問題じゃない」
アビナはもう食べている。
「うまいニャ」
「お前も同じのあるだろ」
「ヤマトの方がおいしそうだった」
「同じだろ!」
レティが笑う。アキトも笑った。ルシアンの口元まで僅かに動く。大和も笑った。ふと手が止まった。話し声の間で水が注がれ、アビナの伸ばした手を見てレティがまた笑う。食べながらこんなふうに騒いだのは、ずいぶん前だった。
最後に家族と食卓を囲んだのはいつだっただろう。病気が進んでからは食欲が落ちた。母親は何なら食べられるかを何度も聞いてきた。大和はスープへ目を落とした。さっきまで喋っていたのに、急に声が出しにくくなった。
「ヤマト?」
レティが聞く。大和は顔を上げる。
「ん?」
「どうしたの?」
「いや」
大和は笑った。
「うまいなと思って」
「ほんと?」
「ほんと」
レティの尾がまた動き始める。大和は今度こそ普通に笑った。
食事が終わると、寝る場所まで用意された。木の壁と屋根のある小さな部屋に、寝具が用意されていた。大和は入口で足を止めた。アキトが聞いた。
「何か足りないか?」
「いや、十分すぎます」
「なら休め」
「でも」
大和はアキトを見る。
「本当にいいんですか?」
「何がだ」
「俺がここにいて」
アキトは少しだけ考えた。
「困るのか?」
「いや」
「ならいい」
大和は笑った。
「そんな簡単でいいのかな」
アキトの口元も少し緩む。
「明日から働いてもらう」
「やっぱり?」
「当然だ」
「ですよね」
少し離れたところからシェルドが言った。
「何ができるかも確認する」
「はいはい」
「返事は一回」
「はい」
大和は思わず笑った。妙に懐かしかった。誰かに何かを言われる。文句を返す。それでも、ここにいていいらしい。アキトたちが去っていく。最後にアビナが入口から顔を出した。
「ヤマト」
「ん?」
「明日、森行く?」
「行かない」
即答した。アビナの耳が少し下がる。
「なんでニャ」
「怪物に殺されかけたばっかりなんだぞ」
「でも倒した」
「だからって、また行きたくなるわけじゃない」
「つまんない」
「勝手に行くなよ」
「考えとくニャ」
「それ絶対行くやつだろ」
アビナは笑って去っていった。大和は柔らかい寝床に横になった。壁の向こうから話し声と子供の足音が聞こえ、遠くでは何かを叩いていた。目を覚ました時は、暗闇の中に一人だった。外へ出ても森しかなかった。
怪物に襲われた。自分の身体まで変わった。何も分からなかった。今も分からないことだらけだ。ここが本当に異世界なのか。自分はなぜこんな身体になったのか。怪物は何なのか。なぜ自分だけが殺せたのか。
それでも、今日会ったばかりなのに、この村の者たちは妙に普通に接してくる。大和は天井を見る。
「……この村、人が良すぎないか?」
自分で言って、少し笑った。アビナの言う通り。なんとなく大丈夫。この村では、それで通るのかもしれない。食事をもらい、寝床まで借りた。外にはまだ人の気配があった。
「……明日考えればいいか」
大和は目を閉じた。眠気はすぐに来た。外ではまだ、村の生活音が続いていた。




