第49話 交換
中継拠点の棚が、また一つ増えていた。大和は入口で足を止める。食料、道路作業、宿泊、水。そこまでは知っている。だが、一番端に見慣れない棚がある。
上には木板があり、短く一語だけ書かれていた。交換。
「……何これ」
棚の前にいたミナが振り返る。
「交換するもの」
「それは見れば分かる」
棚には干した肉、布、小さな袋、乾燥させた植物、木製の器。いくつかの品物が並んでいる。
「いつできたの?」
「昨日」
「また俺の知らないところで」
「大和、昨日いなかったから」
「それ言われると何も言えない」
アビナとの外出を思い出し、大和はそれ以上聞かなかった。代わりに棚を見る。
「で、どうやって使うの?」
ミナが一枚の木板を見せた。誰かの名前、持ってきた物、その横に別の印。
「これ持ってきた人?」
「そう」
「こっちは?」
「持っていった物」
大和は少し考える。
「物々交換?」
「何それ」
「物と物を直接交換すること」
「そう」
「でも、交換する相手いないじゃん」
「ここに置く」
ミナは棚を指した。
「欲しい人が持っていく」
「じゃあ何と交換するの?」
「自分も何か持ってくる」
大和はもう一度、木板を見る。
「なるほど」
誰かと直接、肉と布を交換する形ではない。肉を持ってきた人が棚へ置き、別の誰かが肉を持っていく。その人は代わりに別の物を置くため、交換相手が同じである必要はない。
「誰が考えたの?」
「分からない」
「分からない?」
「最初は余ったものを置いてただけ」
ミナが棚を見る。
「持っていく人が、代わりに何か置くようになった」
「勝手に?」
「うん」
大和は少し笑った。まただった。誰かが仕組みを作ろうとしたわけではない。使っているうちに形ができている。
◇
昼前、最初の問題が起きた。
「これじゃ足りない」
ドランが言った。手には小さな金具がある。何かの留め具らしい。棚の前には、カダとは別の村から来た男が立っていた。男の前には布が一束。
「布三つ」
男が言う。ドランが首を振る。
「足りん」
「何で」
「作るのに時間がかかる」
「布も時間かかる」
「同じじゃない」
大和は少し離れたところで聞いていた。
「何の話?」
ミナが答える。
「交換」
「揉めてる?」
「少し」
大和は二人の方へ行く。
「何交換したいの?」
ドランが金具を見せる。
「これ」
男は布を指す。
「これと」
大和は両方を見る。
「三つじゃ駄目?」
ドランが言う。
「鉄を使う」
「ああ」
村には小規模な鍛冶があり、すでにある金属を熱し、叩いて、道具や金具に加工している。だが、木工ほど簡単ではなく、金属そのものも大量にあるわけではない。
「じゃあ布いくつならいいの?」
「五つ」
男がすぐ言う。
「多い」
「じゃあ四つ?」
ドランが黙る。男も黙る。大和は少し笑った。
「交渉だな」
二人が見る。
「何だそれ」
「いや、今やってるやつ」
結局、布四つに乾燥した薬草を一袋加えることで話がまとまった。大和は横で見ていて、少し面白かった。問題は解決した。
ただ、棚を見ると、もっと面倒なことが起きそうだった。
◇
午後、別の問題が起きた。今度は肉だった。カダから持ってきた干し肉を欲しがる者がいる。だが、その者が持ってきたのは木製の器。肉を置いた者は、その器を欲しがっていない。
「これどうするの?」
大和が聞く。ミナは少し考えた。
「置いていく」
「器を?」
「そう」
「でも肉持ってきた人、器いらないんでしょ?」
「別の人が使う」
「じゃあ肉の人は?」
「後で欲しいもの持っていく」
大和は止まった。
「それ、成立する?」
「今のところ」
「誰がどれくらい持ってきたか覚えてる?」
ミナが木板を見せる。
「書いてる」
そこには名前と品物が並んでいる。肉、布、器、薬草、道具。大和は木板を手に取った。
「増えたな」
「何が?」
「書くこと」
棚が増え、人が増え、品物が増えれば、記録も増える。以前は麦の数を記録するだけだったが、今は誰が何を持ってきて、何を持っていったかまで残している。
「木板、場所取らない?」
ミナが棚の横を見る。すでに何枚か重ねられていた。
「取る」
「だよね」
「でも必要」
「紙があればなあ」
「紙?」
「前にも言ったけど、薄くて書けるやつ」
「作れる?」
「知らない」
ミナが大和を見る。
「知らないの?」
「知ってるのと作れるのは違うんだよ」
大和は木板を戻した。今はこれでやるしかない。
◇
夕方、シェルドが戻ってきた。交換棚の前で、しばらく記録を見る。大和が横から言った。
「結構ややこしくなってきた」
「何が」
「交換」
「見れば分かる」
「みんなそれ言うな」
シェルドは一枚の木板を持つ。
「これは誰の肉だ」
ミナが名前を一つ挙げて答える。
「この器は?」
ミナは別の名前を答える。
「布は?」
今度はまた別の名前だった。シェルドは少し考えた。
「直接交換していないのか」
「そうみたい」
大和が答える。
「肉欲しい人が器しか持ってなくても、とりあえず器置いて肉持っていく。器は別の人が持っていく」
シェルドが棚を見る。
「誰が損したか分からなくならないか」
「そこなんだよ」
大和は木板を指す。
「今はミナが書いてるから分かる。でも、これ人増えたらかなり面倒」
シェルドは少し黙った。
「お前の世界ではどうしていた」
大和はすぐ答えた。
「お金」
「金?」
「金属の金じゃなくて」
言ってから止まる。
「いや、金属を使うこともあったけど」
シェルドが見る。大和は考えながら説明する。
「物そのものを交換する代わりに、みんなが価値があるって認めたものを間に挟む」
「どういうことだ」
大和は棚から干し肉を一つ指す。
「俺がこれ欲しい」
次に、木の器を指す。
「でも持ってるのはこれだけ」
「今と同じだ」
「そう。でも肉を持ってきた人が器いらなかったら困る」
「今は棚に置く」
「うん。でも昔の俺の世界だと、器を誰かに売って、お金にする。そのお金で肉を買う」
シェルドが少し考える。
「その金は何に使える」
「大体何にでも」
「誰でも受け取る?」
「基本は」
「なぜ」
大和が止まった。
「なぜって……」
大和は考える。紙幣、硬貨、銀行口座に記された数字。自分はそれらを当然のものとして使っていた。
「次の人も受け取ってくれるから」
シェルドが眉を寄せる。
「それだけか」
「かなり大事だよ」
「食えるのか」
「食えない」
「道具になる?」
「ならない」
「ならなぜ価値がある」
大和は少し笑った。
「みんなが価値あると思ってるから」
シェルドは納得していない顔をした。
「変な仕組みだな」
「俺も今説明しててそう思った」
横で聞いていたミナが言う。
「じゃあ作る?」
「何を?」
「お金」
大和はすぐ首を振った。
「まだいいと思う」
シェルドが見る。
「なぜ」
「誰が作るの?」
二人とも答えない。
「何を使う?」
二人はまた答えない。大和は続ける。
「金属なら作れなくはないだろうけど、金具とか道具に使う方が大事だろ」
ドランが近くから言った。
「当たり前だ」
いたらしい。
「じゃあ木?」
ミナが聞く。大和は棚に積まれた木板を見る。
「それだと同じの簡単に作れる」
「駄目?」
「勝手に増やせる」
シェルドが理解した。
「価値がなくなる」
「多分ね」
「じゃあ誰かが管理する?」
「そうすると、その人を信用しないといけない」
ミナが少し嫌そうな顔をする。
「面倒」
「でしょ」
大和は笑った。
「今の人数なら、無理に作らなくてもいいと思う」
◇
話はそこで終わらなかった。やって来たルシアンも、交換棚と木板を見て、説明を聞く。
「物の価値を合わせる必要がある」
ルシアンが言った。
「そう」
大和が答える。
「でも全部同じ基準にはできない」
ドランが言う。
「当たり前だ」
「鉄の金具と布じゃ、作る手間も材料も違う」
「だから話して決める」
ドランは簡単に答えた。シェルドが言う。
「今はそれで足りる」
「人が増えたら?」
大和が聞く。
「その時考える」
その答えに、大和は少し笑った。最近、この言葉が増えた。先の全部を決めない。困ったところだけ変える。水の時もそうだった。
交換も同じなのかもしれない。
「じゃあ、とりあえず今のやり方続ける?」
ミナが聞くと、シェルドが頷く。
「ただし記録は残す」
「誰が何持ってきたか?」
「それと持っていったもの」
「価値は?」
少し考える。
「揉めた時だけ話す」
ドランが言った。
「それでいい」
大和も頷いた。完全な仕組みではない。だが、今は使える。
◇
夜、交換棚には朝より品物が増えていた。干し肉は減っている。代わりに布がある。木の器も一つ減った。その場所には小さな袋が置かれていた。
大和は木板を見る。朝とは違う名前が並んでいる。肉を持ってきた者、肉を持っていった者、器を持ってきた者、器を持っていった者。直接会っていない者同士の間で、物が動いている。
「面白いな」
隣にいたルシアンが見る。
「何が」
「誰と交換したか分からないのに、交換できてる」
「記録があるから」
「うん」
大和は棚を見る。最初は余ったものを置いただけだった。次に代わりの物を置くようになり、それを記録するようになった。誰かが最初から考えたわけではない。
必要になったからこそ、少しずつ形ができた。
「お金作らないの?」
後ろからアビナの声。大和が振り返る。
「聞いてたの?」
「途中から」
「作らない」
「何でニャ」
「まだいらないから」
アビナは交換棚を見る。
「便利そうなのに」
「便利だと思う。でも、そのために面倒なことも増える」
「じゃあ面倒になったら作る?」
大和は少し考えた。
「多分」
「また多分ニャ」
「最近これでいい気がしてきた」
アビナが笑う。大和は棚へ目を戻した。必要になる前に、昔の仕組みをすべて持ち込むことはない。今ここにいる人たちが困った時に、今あるものを使って考える。
それで足りなくなったら、また変える。中継拠点の片隅では、今日も誰かが物を置き、別の誰かが持っていく。まだ市場でも店でもなく、もちろんお金もない。ただ、交換する場所だけが、少しずつ出来上がっていた。




