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この世界に残るもの  作者: 深空 律
第二部 残された世界
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第48話 始まりの場所

昼前、大和は中継拠点の外で、作業用の水桶が運び出されていくのを見ていた。昨日決めたことが、今日はもう普通に使われている。近くの水場にはドランが作った簡単な足場もできていた。大和が何か言わなくても、必要なことは進んでいる。


「暇そうニャ」


後ろから声がした。振り返ると、アビナが立っていた。


「暇そうって」


「暇じゃない?」


「まあ……暇かも」


「じゃあ行くニャ」


「どこに?」


「大和がいたところ」


一瞬、何を指しているのか分からなかった。


「俺がいたところ?」


「最初に起きたところ」


大和は少し黙った。森の中にある古い施設――自分が目を覚ました場所のことだ。


「あそこ?」


「そうニャ」


「何で急に?」


「ちゃんと見てないから」


「誰が?」


「私」


「お前が見たいだけかよ」


「うん」


即答だった。大和は笑った。


「何かあると思う?」


「分からないニャ」


「じゃあ何で行くの」


「分からないから」


それもアビナらしかった。周囲の遺跡では、使えそうな場所や危険な通路、古い設備の調査が少しずつ進み、調査済みの場所には印まで付くようになった。だが、大和が目覚めた設備そのものには、ほとんど誰も触れていない。


自分の身体に関係するものかもしれない。壊してしまえば戻せない。それに、大和自身も積極的に調べようとはしてこなかった。


「行ってみるか」


アビナの耳が立つ。


「行く?」


「暇だし」


「じゃあデートニャ」


大和が止まった。


「……何でそうなる」


「レティと行った時、そう言ってたニャ」


「やっぱり聞いてたのか」


「聞こえたニャ」


「どこからだよ」


アビナは答えず、歩き始めた。大和も後を追う。


「今回は遺跡の調査だろ」


「二人で出かけるニャ」


「それだけじゃデートじゃないって」


「じゃあ違う?」


大和は少し考えた。レティの時、自分で説明した。好きな相手と二人で出かけたりするもの。その言葉を思い出すと、簡単に否定するのも妙だった。


「……好きに呼べばいいんじゃない?」


「じゃあデートニャ」


「軽いな」


「名前変えて何か変わる?」


「変わらないけど」


「じゃあいいニャ」


そう言って、アビナは先へ行く。大和はその背中を見ながら歩き出した。レティとは、やっぱり違う。


◇


遺跡までの道は、以前とはかなり変わっていた。倒木は除かれ、大きな石も端へ寄せられている。分かれ道には簡単な目印がある。最初に大和が一人で歩いた時のように、どこへ向かえばいいのか分からなくなることもない。


「ここも調べたニャ?」


アビナが崩れた建物を指す。壁に調査済みの印がある。


「俺じゃない。多分シェルドたち」


「何あった?」


「知らない」


アビナが振り返った。


「大和、知らないこと多いニャ」


「最近それ言われすぎなんだけど」


「ほんとだからニャ」


大和は苦笑した。以前なら、自分が先に見ていた。今は違う。誰かが調べる。誰かが道を直す。


必要なら結果だけ教えてもらう。それで回るようになっている。しばらく進むと、見覚えのある建物が見えてきて、大和の足が少し遅くなった。


「ここニャ?」


「うん」


入口の一部が崩れ、そこから昼の光が入り込んでいる。大和はその光を見た。最初に目覚めた時、自分はカプセルの中にいた。蓋を開けても、周囲は暗かった。


何があるのかも分からなかった。ただ遠くに光が見えた。だから、その光へ向かって歩いた。


「俺、ここほとんど見てないんだよな」


「自分がいたところなのに?」


「起きた時、真っ暗だったんだよ」


大和は入口を指す。


「向こうに光が見えたから、そのまま出た」


「怖くなかった?」


「怖かったよ」


「大和が?」


「俺だって怖いって」


アビナが少し笑う。


「怪物には突っ込むのに」


「それとこれは別」


大和が持ってきた松明へ火を移すと、炎が上がる。昼の光が届くのは入口から少し先までで、その奥は黒い。二人は松明を持って中へ入った。


◇


数歩進むだけで、外の明るさは急速に弱くなった。松明の光が壁を照らす。その先は見えない。炎が揺れるたび、古い設備の影が動く。


「暗いニャ」


「だから何も見てないって言っただろ」


「これなら分かるニャ」


アビナの声も少し小さくなっていた。床には埃、壁には何の用途か分からない金属部品。途中には調査された跡もあるが、奥へ行くほど少なくなる。大和は松明を前へ出す。


「こっちだったと思う」


「覚えてる?」


「光の方向は覚えてる。逆に行けばいいはず」


それだけだった。当時は部屋の形も通路の長さも見ておらず、明るい方へ歩いた記憶しかない。しばらく進むと、やがて大きな部屋へ出た。


松明を高く上げる。光の中に、何かが浮かび上がる。長い設備、人が横になれる形。大和は足を止めた。


「……これだ」


アビナが近づく。


「大和が入ってた?」


「多分」


「多分?」


「こんな形してたの、今初めて見た」


大和自身も少し変な気分だった。自分が何年、何十年、あるいはそれ以上いたかもしれない場所を、今になって初めて見る。アビナはすぐにカプセルの周囲を歩き始め、右から見たあと左へ回り、しゃがんで松明を床近くまで下げた。


「何してるの?」


「見てるニャ」


「それは分かる」


「大和も見ればいいニャ」


言われて、大和もカプセルの側面へ松明を近づけた。そこには古い文字が残っている。以前なら読めなかったが、今なら分かる。


「藤原……大和」


自分の名前だった。アビナが横から覗く。


「大和?」


「俺の名前」


「本当に大和のだったニャ」


「そこ疑ってた?」


「ちょっと」


「何でだよ」


アビナは答えず、別の場所を見る。大和は松明を近づけた。金属板の一部に、小さな文字が並んでいる。機械の表示ではない。印刷された管理票のようなものだった。


一部は汚れ、読めなくなっている。大和は埃を慎重に払う。


「……処置記録?」


「分かる?」


「少し」


行を追う。冷却開始、維持、状態確認、そして解凍処理。大和の目が止まり、松明を近づけた。


「解凍……完了」


「何ニャ?」


「凍ってた俺を、元に戻したってこと」


「それで起きた?」


「いや」


そのすぐ下には、短い記録があった。大和は黙って、もう一度読む。


「覚醒反応なし」


「起きなかった?」


「みたいだな」


さらに下には、生体機能安定、経過観察とある。大和は日付の数字を確認した。松明の炎が揺れて読みにくく、もう一度近づける。


「……待て」


「何?」


大和はその日付を見つめ、遺跡都市で見たニュースに残されていた年月と、頭の中で比べた。


「これ、あのニュースより前だ」


「前?」


「街で見つけた古いニュース。あれより前に、俺は解凍されてる」


アビナが少し考える。


「じゃあ、その時にはもう起きてた?」


「いや」


大和は記録を指す。


「起きてない」


「凍ってない。でも寝てる?」


「……そうなる」


大和はカプセルを見る。今まで、長い間コールドスリープ状態が続いたのだと思っていた。何らかの理由で予定より長く眠り続け、目覚めた時には世界が変わっていた。だが、違う。少なくともニュースで確認した時代より前に、解凍処理は終わっている。


なのに自分には、その後の記憶がない。


「じゃあ俺、解凍されてから……いつまでここにいたんだ?」


答えはない。そもそも現在の正確な年代すら分からない。記録も途中から汚れ、読めなくなっている。


「何で起きなかったんだ」


大和は小さく呟いた。アビナも今回は何も言わなかった。


◇


しばらく大和が記録を見ている間、アビナは再びカプセルの周囲を歩いていた。松明を低くし、床すれすれまで近づける。炎の角度が変わった時、アビナが声を上げた。


「大和」


「ん?」


「ここ」


大和もしゃがむ。アビナが床を指している。白っぽい筋があった。普段なら埃に紛れて見落とす程度のものだ。松明を横から当てると、細かな凹凸が浮かび上がる。


「何これ」


「何か流れてたニャ」


「水?」


「多分」


アビナが筋を追うと、カプセルの下へ続いている。大和も松明を動かした。そこには整然と固定された古い管が何本かあり、それとは別に、一本だけ妙な形で入り込んでいるものがあった。


「これ……何だ?」


壁の方から来ている。途中で細くなり、カプセルの下へ入っている。他の管とは取り付け方が違う。


「後から付けた?」


「誰が?」


「分からない」


アビナが松明をさらに近づける。壁際には水分が長く通ったような跡が残っている。白い沈殿、黒ずんだ部分。床の一部だけ色も違う。大和は管を目で追った。


「水漏れかな」


「でも大和のところに行ってるニャ」


「そう見えるな」


カプセルには元々、生命維持用と思われる管がいくつもある。栄養、循環、排出。用途を示す文字が残っているものもあった。だが、アビナが見つけた一本には何もない。少なくとも、他の系統と同じ作りには見えない。


「これ、何か入れてたのかな」


「大和に?」


「分からない」


大和はそこで止めた。排水かもしれない。修理で後から足されたものかもしれない。今は判断できない。ただ、長い間、水か何かが通っていたらしいことと、それが自分のいた設備につながっていることだけは確認できる。アビナが管の先を覗き込む。


「持って帰る?」


「壊しそうだからやめよう」


「じゃあどうする?」


「場所と形だけ覚えておく。今度みんなでもう一回見る」


大和は簡単な図を残した。アビナはまだ床を眺めている。


「面白いニャ」


「俺としてはあんまり面白くない」


「何で?」


「全部俺の話だから」


アビナが大和を見る。


「だから面白いニャ」


「お前はな」


大和は苦笑した。


◇


二人はもう少し部屋を調べた。だが、松明の光だけでは細かな文字をすべて読むのは難しく、古い物を不用意に動かすのも危険だった。今日はここまでにして、戻ることにする。


途中、大和は何度か振り返った。暗闇の奥にカプセルがある。最初に目覚めた時、自分はあそこから出た。ただそれだけだったが、今は違う。


解凍はとっくに終わっていた。それでも自分は目覚めなかった。その後、どれだけの時間をあそこにいたのか分からない。なぜ起きなかったのか、誰が自分を見ていたのか、いつまで設備が動いていたのか。あの正体不明の管は何なのか、分からないことが増えた。


「難しい顔してるニャ」


前を歩いていたアビナが振り返った。


「そりゃするよ」


「デートなのに」


大和は思わず笑った。


「自分の医療記録見るデートって何だよ」


「面白かったニャ」


「お前はそうだろうな」


「大和は?」


聞かれて、大和は少し考えた。レティと出かけた時とは全く違う。あの日は、何も考えずに歩いた。食べて、川で遊んで、笑った。今日は、自分が目覚めなかったという記録を見つけた。


何のためか分からない管も見つけた。同じ二人での外出でも、まるで違っている。


「まあ」


大和はアビナを見る。


「一人で来るよりは良かったかな」


アビナの耳が立つ。


「じゃあデートでいいニャ」


「そこに戻るの?」


「大和が一人より良かったなら同じニャ」


「どういう理屈だよ」


アビナは答えずに先へ進む。施設の入口が近づくにつれ、松明とは違う白い光が見えてきた。最初に目覚めた時、大和は外に何があるのかも知らず、あの光へ向かって一人で歩いた。今度は二人でその光の中へ出る。するとアビナがすぐに何かを見つけ、道の端へ寄っていった。


「何してる?」


「変な虫いるニャ」


「帰るぞ」


「ちょっとだけ」


「絶対長くなるだろ」


大和は言いながら、その後を追った。分からないことは残っている。いずれ調べなければならない。それでも今日は、最初に一人で出てきた場所から、今度は二人で帰る。そのことだけで、あの暗い施設は、以前とは少し違う場所になっていた。


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