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この世界に残るもの  作者: 深空 律
第二部 残された世界
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40/72

第40話 夜の話

大和が村にいない夜は、以前より増えていた。白い区画で記録を読む日もある。中継拠点から戻るのが遅くなる日もある。道路の補修に呼ばれ、そのまま中心区域へ行くこともある。今日もそうだった。


夕食はとっくに終わっている。火のそばには、アキト、レティ、アビナ、ルシアン、ノルアが残っていた。話すために集まったわけではない。アキトは槍の柄を拭いている。ルシアンは小さな記録板を見ている。


ノルアは布を縫っていた。アビナは寝転びながら何かを食べている。レティだけが、何度も入口の方を見ていた。


「遅い」


誰に言うでもなく呟いた。アビナが寝たまま答える。


「まだ暗くなったばっかりニャ」


「もう暗い」


「同じことニャ」


「違う」


アビナは果実を一口齧った。


「そのうち帰ってくるニャ」


「分かってる」


レティはそう言いながら、また入口を見る。アキトが槍から目を上げた。


「気になるなら迎えに行けばいい」


「シェルドに止められた」


「なら待て」


「アキトは気にならないの?」


「何が」


「大和」


アキトは少し考えた。


「帰ってくるだろ」


「だから、帰ってくるまでが遅いって言ってる」


「仕事だ」


「最近ずっと仕事」


アビナが笑った。


「レティ、ヤマトが村にいないと機嫌悪いニャ」


「悪くない」


「悪いニャ」


「悪くない」


ノルアが縫い物から顔を上げる。


「悪いと思う」


「ノルアまで?」


「ちょっとだけ」


レティは不満そうに黙ったが、少しして口を開いた。


「だって」


「前はもっといた」


その言葉に、アキトの手が少し止まった。確かに、大和が村へ来たばかりの頃は、ほとんど毎日ここにいた。畑、川、知識蔵、誰かの家。大した用もなく村の中を歩いていた。今は違う。


行ける場所が増えた。やることも増えた。それだけだ。アキトはそう思った。だが、レティが言いたいのは、多分それだけではない。


「大和は外に行くのが好きだから」


アビナが言った。レティが見る。


「好き?」


「知らないものあると行くニャ」


「それはお前だろ」


アキトが言う。


「私はもっと行くニャ」


「威張るな」


アビナは笑った。ルシアンが記録板から顔を上げずに言った。


「大和は知らないものを見たいだけではない」


「じゃあ何?」


レティが聞く。


「必要だから行ってる」


「何が必要?」


「道を広げる。怪物を減らす。昔の記録を見る」


「それは分かってる」


「ならそういうこと」


レティは納得していない顔をする。ノルアがルシアンを見る。


「でも、それだけ?」


ルシアンが顔を上げる。


「何が」


「大和自身も行きたいんじゃない?」


少し間が空いた。


「行きたい?」


アキトが聞く。ノルアは糸を切った。


「嫌なら、あんなに毎日行かないでしょ」


「必要なら行く」


「必要でも嫌なことはある」


アキトは黙った。ノルアは続ける。


「大和って、結構楽しそうな時あるよ」


アビナがすぐに頷いた。


「あるニャ」


「何か見つけた時とか」


「変な文字読んでる時もニャ」


ルシアンが言った。


「文字は変じゃない」


「私には変ニャ」


「読めないだけ」


「同じニャ」


「違う」


アビナは笑った。レティが聞く。


「じゃあ、楽しいから帰ってこないの?」


「そこまで言ってない」


ノルアが笑う。アキトは槍を置いた。


「大和は昔からああだ」


全員が見る。


「昔?」


アビナが聞いた。


「昔って言っても、ここへ来てからだ」


「知ってるニャ」


「怪物がいると言えば行く。誰かが困っていると言えば行く。危ないと言っても、自分なら大丈夫だと言う」


レティが小さく頷いた。


「そう」


「そこは嫌い」


アキトが普通に言った。レティが少し驚く。


「嫌いなの?」


「そこはな」


「大和のこと嫌いなの?」


「そんなこと言ってないだろ」


アキトは少し面倒そうな顔をした。


「怪我することを軽く考えるところが嫌いだ」


「治るからじゃない?」


アビナが言う。


「治るからって、怪我していいわけじゃない」


以前、大和本人にも何度も言っている。レティが少し笑った。


「アキト、大和のことすごく気にしてるよね」


「お前に言われたくない」


「私は気にしてるって言ってる」


「言ってない」


「今言った」


アビナが笑い出した。ノルアも少し笑う。アキトはため息をついた。


「仲間が危ないことをするなら止める。それだけだ」


ルシアンが言った。


「大和は止めても行く」


「だから困る」


今度は全員が笑った。


◇


しばらくして、アビナが寝返りを打った。


「ルシアンはヤマトのこと好き?」


突然だった。ルシアンが止まる。レティがすぐに顔を向ける。ノルアも見る。アキトだけが嫌そうな顔をした。


「何で急にそうなる」


「聞きたくなったニャ」


ルシアンは少し考えた。


「好き嫌いで言うなら、好き」


アビナの耳が立った。


「へえ」


「何」


「ちゃんと言うんだニャ」


「聞かれたから」


レティが身を乗り出す。


「でも、ルシアンって大和のこと疑ってたよね」


「今も分からないことは多い」


「じゃあ信用してない?」


「信用してる」


レティが首を傾げた。


「どっち?」


「両方」


「分からない」


ルシアンは記録板を置いた。


「大和が何をするかは信用してる」


「うん」


「大和の身体が何なのかは分からない」


「ああ」


「別の話」


レティは少し考える。


「分からないのに信用できるの?」


「できる」


今度はアビナが聞く。


「何で?」


ルシアンは少し間を置いた。


「見てきたから」


それだけだった。アビナは何か言おうとして、やめた。アキトも何も言わなかった。大和が村へ来てから、何をしたか。それは全員が知っている。


怪物と戦った。カダへ行った。道を作った。人を助けた。失敗もした。


無茶もした。嘘をついて何かを奪ったことはない。ルシアンが言う。


「分からないことがあるのと、信用できないのは同じじゃない」


ノルアが小さく頷いた。


「それ、ちょっと分かる」


レティはまだ考えている。


「私は全部分からなくてもいいけど」


「それも違う」


ルシアンが答える。


「何で?」


「危険かもしれない」


「大和が?」


「身体が」


レティの表情が少し変わる。ルシアンは続けた。


「本人にも分かってない」


「それなら仕方ないじゃん」


「だから調べてる」


「ルシアンが?」


「大和も」


レティは少し考えてから言った。


「じゃあ手伝ってあげて」


ルシアンが一瞬黙る。


「手伝ってる」


「ならいい」


話はそこで終わった。ルシアンはまた記録板を手に取った。だが、さっきまでとは少し違った。レティはルシアンが大和をどう見ているかを知り、ルシアンも、レティが大和をどう見ているのかを少し知った。


◇


「アビナは?」


ノルアが聞いた。


「何ニャ?」


「大和のこと」


アビナは迷わなかった。


「好きニャ」


「早い」


「何で?」


「もう少し考えるかと思った」


「考えることある?」


ノルアは笑った。


「どういうところが?」


アビナは果実を齧った。


「面白い」


アキトが言う。


「それだけか」


「変」


「悪くなってるぞ」


「知らないこといっぱい知ってる。でも知ってるのにできないこともいっぱいある」


ノルアが笑う。


「それは分かる」


「強いのに、変なところで弱い」


「例えば?」


「高いところから落ちても平気なのに、猫に引っかかれたら痛いって言う」


「痛いものは痛いだろ」


アキトが言う。アビナは続ける。


「最初に会った時も変だったニャ」


「最初?」


レティが聞く。アビナだけが知っている。村へ来る前の大和、森の中、初めて会った時。


「私見て、ずっと耳見てた」


ノルアが自分の耳に触る。


「耳?」


「猫耳だって」


「猫の耳でしょ」


「ヤマトには珍しかったニャ」


レティが少し笑う。


「その頃、本当に何も知らなかったんだ」


「何も知らなかったニャ」


アビナは思い出す。言葉が通じるだけで驚いていた。村があると聞いて喜んだ。犬がいると聞いて、さらに変な顔をした。


「今と全然違う?」


ノルアが聞く。アビナは少し考えた。


「同じ」


「同じ?」


「知らないもの見た時の顔は同じニャ」


「どんな顔?」


「こう」


アビナが目を少し大きく開ける。全然似ていない。レティが笑った。


「そんな顔しない」


「するニャ」


「しない」


「する」


二人が言い合う。ノルアはその横で笑った。アキトが聞く。


「最初から信用してたのか?」


アビナが止まった。


「ん?」


「大和を」


少しだけ考える。


「怖くはなかったニャ」


「怪しかっただろ」


「怪しかったニャ」


「なら何で村へ連れてきた」


「話せたから」


「それだけ?」


「困ってたし」


アビナは少し考えてから言った。


「あと、何となく」


アキトはそれ以上聞かなかった。アビナ自身も、それ以上は考えなかった。今思えば、最初から気に入っていたのかもしれない。だが、理由は別に一つではない。


最初の日から今日まで、色々あった。今の「好き」が、最初の日と同じものだとも思わなかった。


◇


「ノルアは?」


今度はレティが聞いた。ノルアは少し嫌そうな顔をした。


「順番に聞くの?」


「ここまで来たら」


「嫌ならいいニャ」


アビナが言う。ノルアは少し考えた。


「嫌じゃないけど」


縫いかけの布を置く。


「私も好きだよ」


「ほら」


「でも」


レティが見る。


「でも?」


ノルアは少し言葉を探した。


「みんな、大和のこと考えすぎじゃない?」


今度は、誰もすぐには答えなかった。アビナが身体を起こす。


「そう?」


「最近、大和の話ばっかりする」


「今してるからじゃない?」


「今日だけじゃなくて」


ノルアは火を見る。


「怪物が出たら大和」


「それは仕方ない」


アキトが言う。


「昔の文字も大和」


「読めるから」


ルシアンが言う。


「重い物も大和。遠くへ行く時も大和。新しいことを始める時も大和」


レティが聞いた。


「嫌なの?」


「嫌じゃない」


ノルアはすぐに答えた。


「大和がいるからできることが増えた。それは分かってる」


少し間を置く。


「でも、大和が来る前から私たちは暮らしてた」


誰も否定しなかった。村はあった。畑もあった。水路もあった。狩りをして、食べて、眠って、子供が生まれて、年を取る。


大和が来る前にも、生活はあった。


「大和が来て、世界が始まったわけじゃない」


ノルアが言った。アキトが頷く。


「そうだな」


レティは少し考える。


「でも大和が来て変わった」


「それもそう」


「じゃあいいんじゃない?」


「何が?」


「始まったわけじゃないけど、変わった」


ノルアはレティを見る。少しして笑った。


「うん。そうかも」


アビナが言う。


「私は面白くなったニャ」


「お前はそればっかりだな」


アキトが言った。


「大事ニャ」


◇


少し会話が途切れた。火が小さくなる。アキトが薪を一本入れた。ノルアがふと聞いた。


「逆は?」


「逆?」


レティが聞く。


「大和は、私たちのことどう思ってるんだろ」


今までで一番長く、誰も答えなかった。アビナが先に口を開く。


「好きなんじゃない?」


「私もそう思う」


レティが言う。ノルアは首を振った。


「そういう意味じゃなくて」


「じゃあ何?」


「私たちって、大和にとって何なんだろ」


今度はレティも黙る。ノルアは続けた。


「仲間なのか。村の人なのか。守る人なのか」


「全部じゃない?」


アビナが言う。


「そうかもしれない」


「じゃあ何が気になるニャ」


ノルアは少し迷った。


「大和って、昔の世界に帰りたかったんでしょ」


それは全員が知っている。大和はここを異世界だと思っていた頃、元いた場所へ帰れるかもしれないと考えていた。だが、もう帰れない。ここは同じ地球で、大和が知っていた時代は遥か昔に終わっている。


「今は?」


ノルアが聞いた。


「帰る場所、どこなんだろ」


レティがすぐに答えた。


「ここ」


言い切った。ノルアが見る。


「聞いたの?」


「聞いてない」


「じゃあ分からないでしょ」


「ここに帰ってくる」


「それは住んでるから」


「同じじゃない?」


「違うかもしれない」


レティは不満そうだった。アビナが言う。


「ヤマト、村好きニャ」


「それは分かる」


ノルアも答える。


「でも、私たちが思ってるのと同じ意味かは分からない」


ルシアンが口を開いた。


「本人に聞けばいい」


全員がルシアンを見る。


「終わらせた」


アビナが言う。


「一番早い」


「そうだけど」


ノルアは苦笑した。アキトが言う。


「少なくとも」


全員が見る。


「帰っては来る」


ノルアが少し笑う。


「レティと同じこと言ってる」


「違う」


「何が?」


「俺は事実を言った」


ルシアンがアキトを見る。


「それは俺の言い方」


「知らん」


アビナが笑い、レティも笑った。ノルアも笑いかけたその時、外から足音がした。一人ではない。誰かと話している。


近づいてくる。レティが最初に立った。


「大和」


アキトは座ったまま入口を見る。アビナは寝転んだまま耳だけを向ける。ルシアンは記録板を閉じた。ノルアは、さっきまでの話を思い出しながら、入口を見た。扉が開く。


大和が顔を出した。


「ただいまー」


「遅い!」


レティが言った。大和が止まる。


「え?」


「遅い」


「ごめん」


「何してたの?」


「ドランに捕まってた」


「何で?」


「石」


アキトが笑った。


「またか」


「また」


大和が中へ入る。アビナが手を上げた。


「おかえりニャ」


「ただいま」


ルシアンも小さく頷く。大和はノルアを見る。


「どうした?」


「何が?」


「何か見てたから」


ノルアは少し考えた。さっきの問いを、本人に聞けばいい。ルシアンはそう言った。聞こうと思えば、今聞ける。だが――


「何でもない」


ノルアはそう答えた。


「そっか」


大和は気にせず火の近くへ座った。


「飯残ってる?」


レティがすぐに動く。


「ある」


「よかった」


大和は、自分がいない間に何を話していたのか知らない。アキトが自分の無茶を嫌っていることも、ルシアンが自分を理解できなくても信用していることも、アビナが最初の日から今まで自分を面白いと思っていることも、ノルアが自分を好きでありながら、自分を世界の中心にはしたくないと思っていることも知らない。だが五人は、さっきまでより少しだけ互いのことを知っていた。レティが食事を持ってくると、大和はそれを受け取った。


「ありがとう」


「遅くなるなら言って」


「次からそうする」


「絶対?」


「多分」


「絶対」


「はい」


いつもの会話が始まる。さっきまでの話は、誰も大和には言わなかった。それでも、なくなったわけではない。話したことも、聞いたことも、それぞれの中に、そのまま残っていた。


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