第40話 夜の話
大和が村にいない夜は、以前より増えていた。白い区画で記録を読む日もある。中継拠点から戻るのが遅くなる日もある。道路の補修に呼ばれ、そのまま中心区域へ行くこともある。今日もそうだった。
夕食はとっくに終わっている。火のそばには、アキト、レティ、アビナ、ルシアン、ノルアが残っていた。話すために集まったわけではない。アキトは槍の柄を拭いている。ルシアンは小さな記録板を見ている。
ノルアは布を縫っていた。アビナは寝転びながら何かを食べている。レティだけが、何度も入口の方を見ていた。
「遅い」
誰に言うでもなく呟いた。アビナが寝たまま答える。
「まだ暗くなったばっかりニャ」
「もう暗い」
「同じことニャ」
「違う」
アビナは果実を一口齧った。
「そのうち帰ってくるニャ」
「分かってる」
レティはそう言いながら、また入口を見る。アキトが槍から目を上げた。
「気になるなら迎えに行けばいい」
「シェルドに止められた」
「なら待て」
「アキトは気にならないの?」
「何が」
「大和」
アキトは少し考えた。
「帰ってくるだろ」
「だから、帰ってくるまでが遅いって言ってる」
「仕事だ」
「最近ずっと仕事」
アビナが笑った。
「レティ、ヤマトが村にいないと機嫌悪いニャ」
「悪くない」
「悪いニャ」
「悪くない」
ノルアが縫い物から顔を上げる。
「悪いと思う」
「ノルアまで?」
「ちょっとだけ」
レティは不満そうに黙ったが、少しして口を開いた。
「だって」
「前はもっといた」
その言葉に、アキトの手が少し止まった。確かに、大和が村へ来たばかりの頃は、ほとんど毎日ここにいた。畑、川、知識蔵、誰かの家。大した用もなく村の中を歩いていた。今は違う。
行ける場所が増えた。やることも増えた。それだけだ。アキトはそう思った。だが、レティが言いたいのは、多分それだけではない。
「大和は外に行くのが好きだから」
アビナが言った。レティが見る。
「好き?」
「知らないものあると行くニャ」
「それはお前だろ」
アキトが言う。
「私はもっと行くニャ」
「威張るな」
アビナは笑った。ルシアンが記録板から顔を上げずに言った。
「大和は知らないものを見たいだけではない」
「じゃあ何?」
レティが聞く。
「必要だから行ってる」
「何が必要?」
「道を広げる。怪物を減らす。昔の記録を見る」
「それは分かってる」
「ならそういうこと」
レティは納得していない顔をする。ノルアがルシアンを見る。
「でも、それだけ?」
ルシアンが顔を上げる。
「何が」
「大和自身も行きたいんじゃない?」
少し間が空いた。
「行きたい?」
アキトが聞く。ノルアは糸を切った。
「嫌なら、あんなに毎日行かないでしょ」
「必要なら行く」
「必要でも嫌なことはある」
アキトは黙った。ノルアは続ける。
「大和って、結構楽しそうな時あるよ」
アビナがすぐに頷いた。
「あるニャ」
「何か見つけた時とか」
「変な文字読んでる時もニャ」
ルシアンが言った。
「文字は変じゃない」
「私には変ニャ」
「読めないだけ」
「同じニャ」
「違う」
アビナは笑った。レティが聞く。
「じゃあ、楽しいから帰ってこないの?」
「そこまで言ってない」
ノルアが笑う。アキトは槍を置いた。
「大和は昔からああだ」
全員が見る。
「昔?」
アビナが聞いた。
「昔って言っても、ここへ来てからだ」
「知ってるニャ」
「怪物がいると言えば行く。誰かが困っていると言えば行く。危ないと言っても、自分なら大丈夫だと言う」
レティが小さく頷いた。
「そう」
「そこは嫌い」
アキトが普通に言った。レティが少し驚く。
「嫌いなの?」
「そこはな」
「大和のこと嫌いなの?」
「そんなこと言ってないだろ」
アキトは少し面倒そうな顔をした。
「怪我することを軽く考えるところが嫌いだ」
「治るからじゃない?」
アビナが言う。
「治るからって、怪我していいわけじゃない」
以前、大和本人にも何度も言っている。レティが少し笑った。
「アキト、大和のことすごく気にしてるよね」
「お前に言われたくない」
「私は気にしてるって言ってる」
「言ってない」
「今言った」
アビナが笑い出した。ノルアも少し笑う。アキトはため息をついた。
「仲間が危ないことをするなら止める。それだけだ」
ルシアンが言った。
「大和は止めても行く」
「だから困る」
今度は全員が笑った。
◇
しばらくして、アビナが寝返りを打った。
「ルシアンはヤマトのこと好き?」
突然だった。ルシアンが止まる。レティがすぐに顔を向ける。ノルアも見る。アキトだけが嫌そうな顔をした。
「何で急にそうなる」
「聞きたくなったニャ」
ルシアンは少し考えた。
「好き嫌いで言うなら、好き」
アビナの耳が立った。
「へえ」
「何」
「ちゃんと言うんだニャ」
「聞かれたから」
レティが身を乗り出す。
「でも、ルシアンって大和のこと疑ってたよね」
「今も分からないことは多い」
「じゃあ信用してない?」
「信用してる」
レティが首を傾げた。
「どっち?」
「両方」
「分からない」
ルシアンは記録板を置いた。
「大和が何をするかは信用してる」
「うん」
「大和の身体が何なのかは分からない」
「ああ」
「別の話」
レティは少し考える。
「分からないのに信用できるの?」
「できる」
今度はアビナが聞く。
「何で?」
ルシアンは少し間を置いた。
「見てきたから」
それだけだった。アビナは何か言おうとして、やめた。アキトも何も言わなかった。大和が村へ来てから、何をしたか。それは全員が知っている。
怪物と戦った。カダへ行った。道を作った。人を助けた。失敗もした。
無茶もした。嘘をついて何かを奪ったことはない。ルシアンが言う。
「分からないことがあるのと、信用できないのは同じじゃない」
ノルアが小さく頷いた。
「それ、ちょっと分かる」
レティはまだ考えている。
「私は全部分からなくてもいいけど」
「それも違う」
ルシアンが答える。
「何で?」
「危険かもしれない」
「大和が?」
「身体が」
レティの表情が少し変わる。ルシアンは続けた。
「本人にも分かってない」
「それなら仕方ないじゃん」
「だから調べてる」
「ルシアンが?」
「大和も」
レティは少し考えてから言った。
「じゃあ手伝ってあげて」
ルシアンが一瞬黙る。
「手伝ってる」
「ならいい」
話はそこで終わった。ルシアンはまた記録板を手に取った。だが、さっきまでとは少し違った。レティはルシアンが大和をどう見ているかを知り、ルシアンも、レティが大和をどう見ているのかを少し知った。
◇
「アビナは?」
ノルアが聞いた。
「何ニャ?」
「大和のこと」
アビナは迷わなかった。
「好きニャ」
「早い」
「何で?」
「もう少し考えるかと思った」
「考えることある?」
ノルアは笑った。
「どういうところが?」
アビナは果実を齧った。
「面白い」
アキトが言う。
「それだけか」
「変」
「悪くなってるぞ」
「知らないこといっぱい知ってる。でも知ってるのにできないこともいっぱいある」
ノルアが笑う。
「それは分かる」
「強いのに、変なところで弱い」
「例えば?」
「高いところから落ちても平気なのに、猫に引っかかれたら痛いって言う」
「痛いものは痛いだろ」
アキトが言う。アビナは続ける。
「最初に会った時も変だったニャ」
「最初?」
レティが聞く。アビナだけが知っている。村へ来る前の大和、森の中、初めて会った時。
「私見て、ずっと耳見てた」
ノルアが自分の耳に触る。
「耳?」
「猫耳だって」
「猫の耳でしょ」
「ヤマトには珍しかったニャ」
レティが少し笑う。
「その頃、本当に何も知らなかったんだ」
「何も知らなかったニャ」
アビナは思い出す。言葉が通じるだけで驚いていた。村があると聞いて喜んだ。犬がいると聞いて、さらに変な顔をした。
「今と全然違う?」
ノルアが聞く。アビナは少し考えた。
「同じ」
「同じ?」
「知らないもの見た時の顔は同じニャ」
「どんな顔?」
「こう」
アビナが目を少し大きく開ける。全然似ていない。レティが笑った。
「そんな顔しない」
「するニャ」
「しない」
「する」
二人が言い合う。ノルアはその横で笑った。アキトが聞く。
「最初から信用してたのか?」
アビナが止まった。
「ん?」
「大和を」
少しだけ考える。
「怖くはなかったニャ」
「怪しかっただろ」
「怪しかったニャ」
「なら何で村へ連れてきた」
「話せたから」
「それだけ?」
「困ってたし」
アビナは少し考えてから言った。
「あと、何となく」
アキトはそれ以上聞かなかった。アビナ自身も、それ以上は考えなかった。今思えば、最初から気に入っていたのかもしれない。だが、理由は別に一つではない。
最初の日から今日まで、色々あった。今の「好き」が、最初の日と同じものだとも思わなかった。
◇
「ノルアは?」
今度はレティが聞いた。ノルアは少し嫌そうな顔をした。
「順番に聞くの?」
「ここまで来たら」
「嫌ならいいニャ」
アビナが言う。ノルアは少し考えた。
「嫌じゃないけど」
縫いかけの布を置く。
「私も好きだよ」
「ほら」
「でも」
レティが見る。
「でも?」
ノルアは少し言葉を探した。
「みんな、大和のこと考えすぎじゃない?」
今度は、誰もすぐには答えなかった。アビナが身体を起こす。
「そう?」
「最近、大和の話ばっかりする」
「今してるからじゃない?」
「今日だけじゃなくて」
ノルアは火を見る。
「怪物が出たら大和」
「それは仕方ない」
アキトが言う。
「昔の文字も大和」
「読めるから」
ルシアンが言う。
「重い物も大和。遠くへ行く時も大和。新しいことを始める時も大和」
レティが聞いた。
「嫌なの?」
「嫌じゃない」
ノルアはすぐに答えた。
「大和がいるからできることが増えた。それは分かってる」
少し間を置く。
「でも、大和が来る前から私たちは暮らしてた」
誰も否定しなかった。村はあった。畑もあった。水路もあった。狩りをして、食べて、眠って、子供が生まれて、年を取る。
大和が来る前にも、生活はあった。
「大和が来て、世界が始まったわけじゃない」
ノルアが言った。アキトが頷く。
「そうだな」
レティは少し考える。
「でも大和が来て変わった」
「それもそう」
「じゃあいいんじゃない?」
「何が?」
「始まったわけじゃないけど、変わった」
ノルアはレティを見る。少しして笑った。
「うん。そうかも」
アビナが言う。
「私は面白くなったニャ」
「お前はそればっかりだな」
アキトが言った。
「大事ニャ」
◇
少し会話が途切れた。火が小さくなる。アキトが薪を一本入れた。ノルアがふと聞いた。
「逆は?」
「逆?」
レティが聞く。
「大和は、私たちのことどう思ってるんだろ」
今までで一番長く、誰も答えなかった。アビナが先に口を開く。
「好きなんじゃない?」
「私もそう思う」
レティが言う。ノルアは首を振った。
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあ何?」
「私たちって、大和にとって何なんだろ」
今度はレティも黙る。ノルアは続けた。
「仲間なのか。村の人なのか。守る人なのか」
「全部じゃない?」
アビナが言う。
「そうかもしれない」
「じゃあ何が気になるニャ」
ノルアは少し迷った。
「大和って、昔の世界に帰りたかったんでしょ」
それは全員が知っている。大和はここを異世界だと思っていた頃、元いた場所へ帰れるかもしれないと考えていた。だが、もう帰れない。ここは同じ地球で、大和が知っていた時代は遥か昔に終わっている。
「今は?」
ノルアが聞いた。
「帰る場所、どこなんだろ」
レティがすぐに答えた。
「ここ」
言い切った。ノルアが見る。
「聞いたの?」
「聞いてない」
「じゃあ分からないでしょ」
「ここに帰ってくる」
「それは住んでるから」
「同じじゃない?」
「違うかもしれない」
レティは不満そうだった。アビナが言う。
「ヤマト、村好きニャ」
「それは分かる」
ノルアも答える。
「でも、私たちが思ってるのと同じ意味かは分からない」
ルシアンが口を開いた。
「本人に聞けばいい」
全員がルシアンを見る。
「終わらせた」
アビナが言う。
「一番早い」
「そうだけど」
ノルアは苦笑した。アキトが言う。
「少なくとも」
全員が見る。
「帰っては来る」
ノルアが少し笑う。
「レティと同じこと言ってる」
「違う」
「何が?」
「俺は事実を言った」
ルシアンがアキトを見る。
「それは俺の言い方」
「知らん」
アビナが笑い、レティも笑った。ノルアも笑いかけたその時、外から足音がした。一人ではない。誰かと話している。
近づいてくる。レティが最初に立った。
「大和」
アキトは座ったまま入口を見る。アビナは寝転んだまま耳だけを向ける。ルシアンは記録板を閉じた。ノルアは、さっきまでの話を思い出しながら、入口を見た。扉が開く。
大和が顔を出した。
「ただいまー」
「遅い!」
レティが言った。大和が止まる。
「え?」
「遅い」
「ごめん」
「何してたの?」
「ドランに捕まってた」
「何で?」
「石」
アキトが笑った。
「またか」
「また」
大和が中へ入る。アビナが手を上げた。
「おかえりニャ」
「ただいま」
ルシアンも小さく頷く。大和はノルアを見る。
「どうした?」
「何が?」
「何か見てたから」
ノルアは少し考えた。さっきの問いを、本人に聞けばいい。ルシアンはそう言った。聞こうと思えば、今聞ける。だが――
「何でもない」
ノルアはそう答えた。
「そっか」
大和は気にせず火の近くへ座った。
「飯残ってる?」
レティがすぐに動く。
「ある」
「よかった」
大和は、自分がいない間に何を話していたのか知らない。アキトが自分の無茶を嫌っていることも、ルシアンが自分を理解できなくても信用していることも、アビナが最初の日から今まで自分を面白いと思っていることも、ノルアが自分を好きでありながら、自分を世界の中心にはしたくないと思っていることも知らない。だが五人は、さっきまでより少しだけ互いのことを知っていた。レティが食事を持ってくると、大和はそれを受け取った。
「ありがとう」
「遅くなるなら言って」
「次からそうする」
「絶対?」
「多分」
「絶対」
「はい」
いつもの会話が始まる。さっきまでの話は、誰も大和には言わなかった。それでも、なくなったわけではない。話したことも、聞いたことも、それぞれの中に、そのまま残っていた。




