第38話 拠点
西側の調査を始めてから、さらに数日が過ぎた。道は少しずつ伸びていた。怪物を見つければ倒し、危険な建物には印を付ける。崩れた場所は、直せるなら直し、無理なら迂回路を作る。それを繰り返しているだけなのに、地図の空白は確実に減っていった。ただ、別の問題が出てきた。
「今日、もう戻るの?」
大和が聞いた。太陽はまだ高い。少なくとも、大和の感覚では午後のかなり早い時間だった。シェルドは地図を畳みながら答えた。
「戻る」
「まだ調べられるでしょ」
「村へ着く前に暗くなる」
「俺なら間に合うけど」
「お前だけ帰ってどうする」
「それはそうだけど」
大和は西へ続く遺跡の道路を見る。今日見つけた建物は三つ。その先にもまだ道が続いている。怪物の新しい痕跡はない。あと少し進めそうだった。
それでも戻る。最近は、朝に村を出て中心区域を通り、西側へ入って調査するという繰り返しが増えていた。昼を過ぎた頃から帰る時間を気にし始め、まだ動けるうちに引き返す。最初は気にならなかったが、活動範囲が広がるほど、歩いている時間の方が増えてきた。
「もったいないな」
大和が言う。アキトが横を見る。
「何が」
「ここまで来る時間」
「仕方ない」
「ここで寝たら?」
全員の足が止まった。大和も止まる。少し考える。
「……駄目?」
シェルドが即答した。
「駄目だ」
「早いな」
「夜の状況が分からない」
「怪物?」
「それもある」
シェルドは周囲の建物を見る。
「昼間に安全だった場所が、夜も安全とは限らない」
「じゃあ見張りつけるとか」
「建物の強度も分からない」
今度はドランが言った。今日、道路の状態を見るために一緒に来ていた。
「これだけ残ってるんだから丈夫じゃない?」
大和が近くの建物を指す。灰色の壁。上部は一部崩れているが、一階部分はかなり形を残している。ドランはその建物を見た。
「残っていることと、安全なことは違う」
「そうなの?」
「壁だけ残っていて、中が落ちているものもある」
「なるほど」
「屋根が落ちることもある」
「それは嫌だな」
「床が抜けることもある」
「もっと嫌だな」
ドランは何でもないことのように言う。大和は建物から少し離れた。シェルドが続ける。
「泊まる話は後だ」
「じゃあ、ここまで毎日歩く?」
「それも考える」
「何か方法ある?」
シェルドは答えなかった。代わりにドランが道路の先を見る。
「物を置く場所はあってもいい」
大和が振り返る。
「物?」
「木材。縄。工具。食料」
「ここに?」
「毎回運ぶ必要がなくなる」
大和は少し考えた。確かに、今も調査に必要な物の多くは村から運んでいる。補修用の工具、予備の槍、水、食料、記録板、怪物が出た時のための縄。必要になるたび、誰かが持ってくる。
「それなら人も休める?」
「建物次第だ」
「じゃあ、それ作ろう」
「まだ作るとは言っていない」
シェルドが言った。
「でも便利でしょ」
「使える建物があるか確認してからだ」
大和は笑った。
「結局やるんじゃん」
「確認してからだ」
「分かってます」
その日の調査は、そこで少し目的が変わった。西へ進むのではなく、戻りながら使えそうな建物を見ることになった。
◇
最初の候補は大きかった。遺跡の道路のすぐ横にあり、一階部分だけでも村の集会所より広い。大和は入口で中を見た。
「ここ良くない?」
「何が」
ドランが聞く。
「広い」
「それだけか」
「いっぱい置ける」
「屋根を見る」
ドランは中へ入らず、外から上部を確認した。壁を一周する。亀裂。傾き。崩れている場所。
大和もついて歩く。
「どう?」
「駄目だ」
「何で」
ドランが上を指した。建物の角。大きな亀裂が斜めに走っている。大和には、それがどれほど危険なのか分からない。
「あれ?」
「上が沈んでいる」
「落ちる?」
「分からん」
「じゃあ大丈夫かもしれない?」
「分からないから使わない」
「厳しいな」
「中に物を置いてから潰れたら全部なくなる」
「人いたらもっと困るしね」
「そういうことだ」
最初の候補は消えた。二つ目はそれほど大きくない。形もきれいに残っている。大和は期待した。
「これは?」
シェルドが出入口を見る。正面、横、裏、さらに壁が崩れた場所。
「多い」
「何が?」
「入口」
「出入りしやすいじゃん」
「守りにくい」
「ああ」
怪物が来た場合、どこから入ってくるか分からない。塞げばいい気もするが、それだけでも材料と手間が掛かる。ルシアンが建物の奥を見ていた。
「下へ続いている」
「地下?」
大和が近づく。床の一部に、暗い階段がある。先は見えない。
「入る?」
アビナが聞いた。今日は彼女もついてきていた。
「入らない」
シェルドが即答する。アビナの耳が少し下がる。
「聞いただけニャ」
「確認していない場所と繋がった建物は使わない」
ルシアンが地図へ印を付ける。地下あり。未確認。
「駄目か」
大和が言った。
「駄目とは決まってない」
ルシアンが答える。
「今日は使わない?」
「そう」
「それ、ほとんど駄目って意味じゃない?」
「違う」
いつもの返しだった。大和は笑った。
◇
三つ目は、大和にはあまり魅力的に見えなかった。小さく、道路から少しだけ離れている。外壁も汚れ、入口が一つと、窓らしき開口部が二つあるだけだった。
「ここ?」
大和が聞く。ドランはすでに外壁を見ている。シェルドは周囲、ルシアンは地図。アビナだけが入口から中を覗いていた。
「暗いニャ」
「それは俺も思った」
内部には光がほとんど入らない。大和が一歩入る。床には土や葉が溜まっている。壁際には壊れた何か。棚だったのか、机だったのか、形が崩れすぎて分からない。
「狭くない?」
誰も答えない。大和は奥まで行く。一階だけ。地下へ続くものはない。天井も低い。
部屋は二つ。それだけ。外へ戻ると、ドランが言った。
「ここがいい」
「本当に?」
「今見た中では」
大和はもう一度建物を見る。
「一番地味だけど」
「関係ない」
シェルドも頷く。
「入口が少ない」
ルシアンが続ける。
「地下がない」
ドランが壁を叩く。
「大きな亀裂もない」
アビナは少し不満そうだった。
「暗いニャ」
大和が言う。
「そこは窓増やすとか?」
ドランが即座に答えた。
「壁は削らない」
「あ、硬いんだった」
古代文明の材料は、今の工具では簡単に加工できない。
「じゃあ松明?」
「煙がこもる」
「じゃあ入口開けとく?」
「虫が入るニャ」
アビナが言う。
「注文多いな」
「住むなら大事ニャ」
シェルドが言った。
「まだ住まない」
「あ」
大和はそうだったと思い出す。泊まる場所ではない。まずは物を置き、休み、何かあった時に戻るための場所だ。それだけだった。
「じゃあ、ここでいいか」
大和が言う。誰も反対しなかった。
◇
翌日から、建物の中身を出す作業が始まった。大和は最初、大したことはないと思っていた。間違いだった。
「これ何?」
大和が黒い塊を持ち上げる。元は椅子か何かだったのかもしれない。一部が床へ張り付いている。
「外」
ドランが言う。
「全部?」
「使えないものは全部」
「かなりあるよ」
「だから出す」
大和は黒い塊を抱えて外へ出た。そこには同じようなものがすでに積まれている。アビナが布のようなもので棚を拭いていた。
「それ使える?」
大和が聞く。
「分からないニャ」
「分からないのに拭いてるの?」
「ドランが残せって」
見ると、壁に固定された棚のような部分だけは残している。材質はよく分からない。かなり古いはずなのに腐っていない。大和が触る。
「未来の棚」
「棚は棚ニャ」
「そうだね」
別の場所では、床の土や葉を外へ掃き出している。出入口の前。少し離れたところに、水の容器。さらに別の場所へ食料を置く棚を作っていた。大和はそれを見て思い出す。
「水と汚れ、離した方がいいよ」
ドランが手を止める。
「どれくらい」
「え」
「どれくらい離す」
そこまで考えていなかった。大和は困ってルシアンを見る。ルシアンも答えない。
「端末には?」
「病院の話だから、ここの距離までは分からない」
「じゃあ何で言った」
ドランが聞く。
「いや、近くに汚いもの置かない方がいいって」
「それは分かる」
「じゃあいいじゃん」
ドランは少し考えた。建物、道、水を取る場所、風、雨が流れそうな方向。それらを見る。
「汚物は下側へ」
「下?」
「雨の水が流れる方」
大和も地面を見る。緩い傾斜がある。
「なるほど」
端末で見た知識だけでは足りない。場所を見て、今使える方法へ変える。前にもやったことであり、ここでも同じだった。
「俺、知ってること言うだけでいい?」
大和が聞く。ドランが答える。
「それでいい」
「何か最近、それ多いな」
「お前より俺の方が作るのは上手い」
「それは認める」
「シェルドの方が運用は上手い」
「それも認める」
「なら余計なことをするな」
「最後だけ悪口じゃない?」
近くでアビナが笑った。
◇
三日目、建物の中はかなり変わっていた。床が見える。入口には簡単な木の扉が付いた。元からあった扉は動かなかったので、その内側へ新しく作ったものだ。壁際には棚があり、水、乾燥させた食料、縄、予備の工具、簡単な布が置かれている。
怪我をした時に使う清潔な布は、別の容器へ入れている。ルシアン用の記録板も置かれた。大和は部屋の中央に立った。
「何か倉庫っぽくなった」
「倉庫だ」
ドランが言う。
「休めるけど」
「休憩所でもある」
「どっち?」
「両方でいい」
壁際には座れるように木材が組まれている。寝床ではない。横になることくらいはできる。だが、まだここで夜を越す予定はない。シェルドは入口の横へ一枚の板を掛けた。
いくつかの決まりが書いてある。怪物の痕跡を見つけた場合は単独で外へ出ない。食料を使った者は記録する。水を補充する。汚れた布を清潔な布と混ぜない。
最後の一行には「夜間利用は禁止」とある。大和がそこを見る。
「まだ駄目なんだ」
「まだだ」
「そのうち?」
「必要なら」
「じゃあ可能性はある」
「勝手に泊まるな」
「しないって」
アビナが奥から顔を出した。
「ヤマトならやりそうニャ」
「俺そんな信用ない?」
「あるニャ」
「どっち?」
「勝手にやる信用」
「それ信用って言わないだろ」
アビナが笑い、建物の中に声が響いた。何百年か、もしかするともっと長い間、誰にも使われず、ただ残っていた建物。今は水があり、食料や道具が置かれ、誰かが掃除し、棚を作った。大和は周囲を見る。
「もう遺跡って感じしないな」
ルシアンが聞いた。
「何で」
「使ってるから」
それだけだった。
◇
翌朝、大和はいつもより早く目を覚ました。ただし、村ではなかった。
「……あ」
一瞬だけ場所が分からなかったが、すぐに思い出す。昨日、西側のさらに先を調べるため、朝の移動時間を減らす方法を試すことになった。
ただし、泊まったわけではない。前日の夕方に調査班の一部だけが必要な物をこの建物へ運び、大和たちは今朝、村を出て普段より早い時間にここまで来た。そして今、一度休んでいるところだ。大和は壁際の木材から立ち上がって外へ出る。すでにロウが荷物を確認し、ルシアンは地図を広げていた。
アキトが水を飲んでいる。
「何か変だな」
大和が言う。
「何が」
アキトが聞く。大和は東を見る。村はかなり遠い。ここへ来るだけなら、いつもはもう結構な時間を使っている。だが、今日は必要な物の多くがここにある。
水も、縄も、予備の武器も、記録板も揃っている。
「もうここから始められる」
アキトも周囲を見る。
「そうだな」
「昨日まで村から全部持ってきてたのに」
「そのために作った」
「分かってるけど」
大和は笑った。分かっていた。だが、使って初めて違いが分かる。少し休んだだけで、もう西へ向かえる。いつものように、帰る時間だけを気にしながら動かなくていい。
シェルドが建物から出てきた。
「行くぞ」
大和はすぐに答えた。
「はい」
その日は、これまでで最も西まで進んだ。怪物には会わなかった。新しい建物を四つ確認した。道路の分岐を二つ見つけた。小さな水場もあった。
以前なら、そこへ着く頃には帰る時間だった。今日は違う。昼を過ぎても、まだ調べられた。そして夕方になる前に、村ではなく、あの建物へ戻った。
最初に入口へ入ったのはロウだった。
「戻った」
誰に言ったわけでもない。ただ、その後ろからアキトが入る。ルシアン、シェルド、大和。最後にアビナが入ってきた。
「ただいまニャ」
大和が振り返った。
「ただいま?」
「何?」
「いや」
アビナは気にせず荷物を置く。水を飲む。ルシアンは今日の記録板を棚へ置く。ロウは槍を壁際へ立てた。シェルドは明日必要な物を確認している。
大和は入口に立ったまま、それを見ていた。ここは村ではない。家でもない。夜になれば、今日も全員、村へ戻る。それでも、朝ここへ来て、ここから出ていき、ここへ戻ってくる。大和は建物の中を見る。何もなかった場所、誰もいなかった場所、古代文明の残骸だった場所。そこには今、自分たちの水があり、道具があり、記録がある。誰かが「ただいま」と言った。
「何笑ってるニャ?」
アビナが聞いた。
「笑ってた?」
「笑ってたニャ」
大和は少し考える。
「何でもない」
外を見る。西へ続く道。その先は、まだ地図にない。だが、明日は、ここから行ける。大和は建物の中へ戻った。
まだ名前もない。ただの小さな場所だった。それでも、誰かが戻ってくる場所には、もうなっていた。




