第37話 広がる道
それから数週間が過ぎた。中心区域へ向かう道は、以前とはかなり違うものになっていた。最初に変わったのは、道そのものだった。崩れていた場所には木材が渡され、荷車が引っ掛かる穴には石と土が入れられた。古代文明が作った路面を元に戻すことはできない。
硬すぎて削れないものもあれば、大きく割れたまま動かせない場所もある。だから、直せないものは直さない。その上を通れるようにする。ドランたちがそう決めてから、工事はずいぶん早くなった。
「これ、最初より雑になってない?」
大和が足元を見る。灰色の遺跡の道路の上に丸太が並べられ、その隙間へ石と土が詰め込まれている。見た目だけならかなり不格好だった。ドランは荷車の車輪を確認しながら答えた。
「通れる」
「それは分かるけど」
「ならいい」
「いいのか」
「道は見るものじゃない」
大和は少し考えた。
「確かに」
以前より大きな荷車が、その横を通っていく。荷台には木材と食料、それから空の容器が積まれている。帰りには中心区域から見つかった物や、調査に使う記録板を載せる予定らしい。御者台に座っているのは大和の村の者ではなく、カダ村の男だった。それも、もう珍しくない。中心区域へ行く者、道路を直す者、荷物を運ぶ者、白い区画で大和が読む文字を記録する者、怪物の痕跡を探す者。少し前まで、ほとんど全部に大和が関わっていた。今は違う。
昨日、どこが補修されたのか、何が運ばれたのか、誰が中心区域へ行ったのか。大和自身が知らないことも増えてきた。最初は少し変な感じがした。だが、困ることはなかった。知りたければ知識蔵へ行けば記録がある。
分からなければ誰かに聞けばいい。
「ヤマト!」
遠くから声がした。大和が振り返ると、アビナが遺跡の道路の向こうから走ってきた。
「どうした?」
「西の方でまた建物見つかったニャ」
「また?」
「大きいやつ」
「中入った?」
「入ってないニャ」
大和は少し驚いた。
「珍しい」
「何が?」
「アビナが建物見つけて中に入ってない」
アビナの耳が少し伏せた。
「決まりだからニャ」
中心区域の調査には、いくつか決まりができていた。一人で建物へ入らない。地下へ続く場所はその場で調べない。怪物の新しい痕跡を見つけたら、それ以上先へ進まない。動く古代設備には、大和かルシアンが確認するまで触れない。
「ちゃんと守ってるんだ」
「守ってるニャ」
「偉い」
「何でヤマトに褒められないといけないニャ」
大和は笑った。アビナも少し笑った。その後ろからシェルドが歩いてくる。
「遊んでいるなら行くぞ」
「遊んでないよ」
「西側を見る」
大和は顔を上げた。
「今日?」
「ああ」
数週間前から少しずつ調べている、中心区域の西側だ。地図にはいくつもの太い道路と建物が描かれているが、現在の状態はまだほとんど分かっていない。怪物の痕跡もある。だから、一気には進まなかった。
安全を確認し、道を記録してから、次に少し進む。その繰り返しだった。
「誰が行く?」
大和が聞く。
「アキト、ロウ、バル。ルシアンも行く」
「結構いるね」
「調べる範囲を広げる」
シェルドはそれだけ言って先へ歩いた。大和もついていく。途中で、ドランがこちらを見た。
「夕方までには戻れ」
「何でドランまでそれ言うようになったの」
「昨日、石を運ぶと言って消えた」
「調査に呼ばれたんだよ」
「今日は戻れ」
「分かったって」
大和は手を振った。
◇
西側へ入ってから一時間ほどは、何も起きなかった。遺跡の道路を追う。森の中へ消えている場所もあれば、ほとんどそのまま残っている場所もある。何度か分岐があった。そのたびにルシアンが位置を確認し、地図へ書き加える。
ロウは先頭から少し離れた位置を歩いていた。少し前までなら、大和かアキトがいた場所だ。大和はその後ろを歩く。
「ロウ」
「何だ」
「そこ怖くない?」
ロウが振り返った。
「何が」
「先頭の方」
「怖いけど」
「怖いんだ」
「当たり前だろ」
普通に返されて、大和は少し安心した。ロウは怪物を怖がらなくなったわけではない。それでも前を歩いている。
「最初に会った時と全然違うな」
大和が言う。ロウは前を向いたまま答えた。
「俺は最初、お前に運ばれてただけだからな」
「そうだったっけ」
「覚えてないのか」
「覚えてるよ」
カダ村、怪物、負傷者。大和が走り回った。あの頃のロウは、自分が戦う側に回るとは考えていなかったはずだ。大和も考えていなかった。少し進んだところで、ロウが突然手を上げた。
全員が止まる。
「何かある」
地面を指す。大和にはすぐには分からない。バルが近づくと、土の上に浅い跡があり、少し先にも続いていた。
「新しいな」
バルが言った。
「怪物?」
大和が聞く。
「多分」
ルシアンが横から言う。
「多分」
「最近、みんなそこ訂正するよね」
「必要だから」
「分かってる」
大和も跡を見る。四脚か。大きくはない。少なくとも、中心区域にいた大型個体のようなものではなさそうだった。シェルドが周囲を見る。
「距離を広げるな。ここから固まって進む」
全員が配置を変えた。大和は自然に前へ出ようとした。
「大和」
シェルドに呼ばれる。
「何?」
「後ろ」
「俺?」
「ああ」
「怪物いるかもしれないよ」
「いるからだ」
意味が分からず、大和は少し止まった。アキトが横を通り過ぎる。
「俺たちが前へ行く」
「でも」
「危なくなったら呼ぶ」
そのままアキトはロウの隣へ移動し、バルは反対側へ回った。大和だけが一歩後ろになる。
「何か俺、扱い変わってない?」
ルシアンが言った。
「役割が変わった」
「どういうこと?」
「最後に必要」
大和は少し考える。
「止め刺す係?」
「そう」
「やっぱりそれなんだ」
不満というほどではない。ただ、何となく落ち着かなかった。怪物が出るかもしれない。なのに自分が前ではない。少し前までなら考えられなかった。
◇
怪物は、それほど遠くにはいなかった。古い建物の角を曲がったところで、ロウが急に止まった。正面。倒れた壁の向こう。黒い身体が動いた。
四脚、通常個体、大きさも普通。怪物はこちらに気づいた。頭部が上がる。次の瞬間、走った。大和の身体が反応する。
右腕の骨が動こうとする。だが――
「待て!」
シェルドの声。大和は踏み込みかけた脚を止めた。怪物はロウへ向かう。ロウも逃げなかった。槍を構える。
「右へ!」
アキトの声。ロウが動く。真正面から受けない。横へずれる。怪物の爪が空を切る。
その隙にアキトの槍が肩へ入った。黒い液体が飛ぶ。怪物が身体を捻る。バルが反対側から脚を刺した。傷が動き始める。
再生。大和は前へ出そうになった。だが、まだ誰も呼ばない。ロウが一度距離を取る。怪物が追う。
そこへアキトが入り、進路を変える。バルが脚を狙う。完全に止めることはできない。怪物の方が力も強い。傷もすぐ戻る。
それでも、三人は倒れていない。吹き飛ばされてもいない。一人が受ける。一人がずらす。一人が刺す。
怪物がロウへ向きを変えた瞬間。
「そこ!」
シェルドの声が飛んだ。ロウの槍が前脚へ深く入る。怪物の身体が傾いた。アキトが反対側から押す。倒れた。
「大和!」
今度こそ呼ばれた。
「はい!」
大和が走る。数歩。身体が勝手に加速する。右腕から骨刃。長くない。
必要な分だけ。怪物が起き上がろうとしていた。大和は首の付け根へ骨刃を刺した。深く入れる。暴れる。
押さえる。数秒。黒い組織の動きが鈍る。さらに待つ。止まった。
大和は骨刃を抜いた。怪物は動かない。
「終わり」
息を吐く。振り返る。ロウが座り込んでいた。
「大丈夫?」
大和が近づく。
「大丈夫」
「怪我は?」
「ない」
「本当に?」
「ないって」
大和は腕や脚を見る。確かに血は出ていない。アキトも無傷。バルの服だけ一部裂けていたが、身体には届いていない。
「倒せたじゃん」
大和が言った。ロウが怪物を見る。
「最後はお前だ」
「でもそこまでやったじゃん」
「死なないだろ、俺たちだけじゃ」
「今はね」
大和は何気なく言った。言ってから、少し止まる。ロウが見る。
「今は?」
「ああ、いや」
別に新しい方法を思いついたわけではない。他の者が再生を停止できるようになったわけでもない。大和は首を振った。
「今のところ、最後は俺が必要ってこと」
シェルドが近づいてきた。
「それでいい」
「いいの?」
「全部を一人でやるよりはな」
大和は倒れた怪物を見る。最初に攻撃したのは自分ではない。追い込んだのも倒したのも自分ではなく、自分がしたのは最後の一撃だけだった。以前なら、怪物を見つけたら自分が戦い、他の者は離れる。
それが普通だった。
「俺、かなり楽になってない?」
アキトが笑った。
「今頃気づいたのか」
「だって、前まで俺が戦った方が早かったじゃん」
「今も早い」
「じゃあ何で」
シェルドが怪物の周囲を確認しながら答えた。
「お前がいない時に怪物を見つけることもある」
大和は黙った。
「その時、逃げるしかできない集団と、持ちこたえられる集団では違う」
「なるほど」
「それに、お前が怪我をしない」
アキトが言った。
「そっち?」
「重要だ」
「俺、治るけど」
「だから怪我していい理由にはならない」
いつもの答えだった。大和は少し笑った。
「はいはい」
◇
怪物を倒した後も、調査は終わらなかった。以前なら、一度村へ戻っていたかもしれない。周囲に他の怪物がいないことを確認すると、ルシアンは地図を広げた。
「この先」
遺跡の道路が西へ続いている。大和が覗き込む。
「まだ行く?」
「予定した範囲まで」
シェルドが答える。
「怪物倒したから終わりじゃないんだ」
「怪物を倒しに来たわけじゃない」
大和は一瞬止まる。それから笑った。
「そうだった」
今日は西側の確認に来た。怪物は途中にいただけだ。それから一時間ほど歩いた。途中で建物を二つ見つけた。一つは大きく崩れていた。
もう一つは外形をほとんど残している。入口らしき場所もある。ただし中には入らない。位置だけを記録する。さらに先へ進む。
遺跡の道路の一部が陥没していた。幅はそれほど大きくない。大和なら跳べる。アキトたちも、回り込めば通れる。だが荷車は無理だ。
「ここまでかな」
大和が言う。シェルドは周囲を見ている。
「今日はな」
ルシアンが地図へ印を付けた。陥没。その横へ迂回できそうな場所も書く。大和が覗く。
「これ、直す?」
「ドランに見せる」
「本人来ればよかったのに」
「今頃、別の道を直している」
大和は少し驚いた。
「今日?」
「朝から」
知らなかった。
「どこ?」
「白い区画の南」
「そこも直してるの?」
「昨日決まった」
「俺聞いてない」
シェルドが大和を見る。
「お前はいなかった」
「どこにいたっけ」
「アビナと端末を見ていた」
「ああ」
確かに、昨日は白い区画で食料保存の資料を見ていた。その間に、別の場所では道路をどう直すか決まっていたらしい。大和は何となく地図を見た。少し変な気分だった。
知らないうちに何かが決まり、誰かが動き、道が直る。前なら、自分がそこにいた気がする。最初の水車でも、カダへ向かった時も、街道を戻した時も、遺跡都市へ入った時も、必ず自分が中心にいた。
今は、自分がいないところでも何かが進んでいる。
「どうした?」
アキトが聞いた。
「いや」
大和は地図を見る。
「俺いなくても、結構みんな勝手にやるんだなって」
シェルドの眉が少し動いた。
「勝手ではない」
「そこ?」
「話して決めている」
「俺抜きで」
「お前が全部の話にいる必要はない」
あまりにも普通に言われた。大和は少し考えた。確かにそうだ。道路を直す場所を全部自分が決める必要はない。荷車の大きさも、誰が何を運ぶかも、どこを見回るかも、自分より詳しい者がいる。
「そっか」
それだけ言った。不思議と、寂しい感じはしなかった。むしろ、少し軽かった。
◇
村へ戻ったのは夕方だった。約束した時間より少し遅い。遺跡の道路の補修場所まで来ると、ドランがまだいた。大和を見る。
「遅い」
「ちょっとだけじゃん」
「日が落ちる」
「分かってます」
「西はどうだった」
「怪物一体」
ドランの手が止まる。
「大和が倒した?」
「最後だけ」
「最後?」
ロウが横から言った。
「俺たちで止めた」
ドランがロウを見る。
「怪我は」
「ない」
「ならいい」
それだけだった。大和は少し不満になった。
「もっと驚かない?」
「何に」
「ロウたちだけで、かなり戦えたんだよ」
「練習している」
「知ってたの?」
「毎朝やっている」
大和はロウを見る。
「毎朝?」
「お前寝てるからな」
「そんな朝早いの?」
アキトが笑った。
「お前が遅い」
また知らなかった。大和は少しだけ悔しくなった。
「明日から俺も起きる」
「来なくていい」
ロウが即答した。
「何で」
「お前と練習しても意味ない」
「ひどくない?」
「速すぎる」
「ああ」
それなら仕方ない。ドランが西側の地図を見る。ルシアンが今日確認した陥没位置を見せる。
「ここ」
「幅は?」
ルシアンが答える。
「十歩より少ない」
「深さ」
「下までは見えない」
「周囲は」
「南側なら回れる」
ドランとルシアンの話にシェルドが加わると、すぐに検討が始まった。橋を掛けるか、迂回路を作るか、先に周囲を調べるか、木材をどこから運ぶか。大和も最初は聞いていたが、途中で自分には何も聞かれないことに気づく。
「俺、何したらいい?」
三人が一度止まった。ドランが答える。
「明日、石を運べ」
「やっぱそれ?」
「必要だ」
「分かったよ」
大和は笑った。それでよかった。
◇
その夜、知識蔵の地図に新しい線が一本加わった。中心区域から西へ伸びる線はまだ短く、途中に怪物一体の討伐記録、二つの建物、陥没、迂回候補が記されている。その先は、また空白になっている。
大和は地図の前に立っていた。少し前まで、中心区域そのものが空白だった。白い区画も、地下道も、カダへ続く道も、知らなかった。今は、線がある。印がある。
名前がある。誰かが歩いた記録がある。
「増えたな」
後ろからルシアンが言った。
「うん」
大和は西へ伸びた線を指で追った。
「でも、まだ全然だな」
遺跡都市は広い。その外にも世界は続いている。怪物もいる。壊れた場所も多い。知らないことは、もっと多い。
それでも今日、空白が少し減った。大和が一人で怪物を倒したからではない。ロウたちが戦い、ルシアンが記録し、シェルドが決め、ドランたちが道を作り、誰かが荷物を運び、誰かが見回る。その全部が繋がって、道が一本伸びた。
「明日はここ直すんだよね」
大和が陥没の印を指す。
「まず調べる」
ルシアンが答える。
「またそれ」
「必要」
「分かってるよ」
大和は笑った。地図を見る。自分が全部やらなくてもいい。だが、自分にしかできないことも、まだある。それでいい。
今は、道を一本ずつ伸ばせばいい。空白を一つずつ減らせばいい。その先に何があるのかは、行ってから考えればいい。大和は知識蔵を出た。外には、中心区域から戻ってきた荷車が止まっていた。
荷物を降ろす声がする。別の場所では、明日の作業について誰かが話している。大和はその横を通り過ぎた。自分が知らないところでも、今日の続きがもう始まっていた。




