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この世界に残るもの  作者: 深空 律
第一部 知らない世界
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第36話 使える知識

中心区域へ通う者が増え始めた。最初は大和たちだけだった。怪物がいるかもしれない場所へ入り、道を確認し、建物を調べる。そこへドランたちが加わった。道路を直す者、崩れた場所へ目印を付ける者、荷物を運ぶ者。


さらにカダ村からも人が来るようになった。まだ誰でも自由に歩けるわけではない。中心区域へ入る時は必ず数人で行動する。怪物を見つければ無理に戦わず、大和たちへ知らせる。その決まりも作った。


それでも、少し前まで誰も近づかなかった遺跡都市に、今は人の声がある。大和はその景色が気に入っていた。


「何か普通になってきたな」


大和が言うと、ドランが振り返った。


「何がだ」


「ここ」


二人は遺跡の道路の脇にいた。数人の村人が、崩れた部分へ木材を渡している。完全に元通りにすることはできない。古代文明が使った材料は、今の道具では加工すら難しいものが多い。だから壊れた部分を無理に直すのではなく、その上から木や石を使って通れる状態にする。


見た目はかなり不格好だった。それでも荷車は通る。


「前まで怪物の場所だったのに」


大和は道を見る。


「今、普通に工事してる」


ドランは手を止めない。


「使うなら直す」


「そうなんだけどさ」


大和は笑った。少し前まで、遺跡都市は見るだけの場所だった。今はそこを通り、直し、調べ、使う。少しずつ、自分たちの生活の中へ入り始めている。


「大和」


シェルドの声がした。振り返る。


「何?」


「北側で痕跡が見つかった」


大和はすぐに立ち上がった。


「怪物?」


「ああ」


「行く」


ドランが言う。


「終わったら戻れ」


「分かってる」


「昨日もそう言って戻らなかった」


「今日は戻るって」


大和は走り出した。


◇


怪物は一体だった。中心区域の北側にある、以前調べた建物の近くで、探索班が新しい足跡を見つけた。大和たちが到着した時には、怪物はすでに姿を現していた。四脚の通常個体で、大きさも特別ではない。


「俺が行く?」


大和が聞く。シェルドが首を振った。


「最初はアキトとロウ」


「了解」


以前なら少し不満だったかもしれない。今はそうでもない。アキトが正面、ロウが右。バルが左から距離を取る。怪物が最初に動いた。


アキトへ飛びかかる。槍で受け流す。その横からロウが脚を刺した。怪物が振り向く。バルの槍が反対側へ入る。


三人とも決定的な傷を狙っていない。動きを止める。位置を崩す。大和が入れる場所を作る。


「今!」


シェルドの声。大和が踏み込んだ。骨刃は短い。怪物の首へ刺す。そのまま少しだけ待つ。


黒い組織の動きが止まった。大和は刃を抜いた。怪物は再生しない。


「終わり」


戦闘開始から、それほど時間は経っていない。大和は死体を見る。最近、こういう戦いが増えた。大和一人で倒すより時間は掛かる。それでも、こちらの方がずっといい。


「ロウ、上手くなったね」


大和が言った。ロウが槍を拭きながら答える。


「何回もやってるからな」


「最初、腕怪我してたのに」


「誰のせいで治るまで休まされたと思ってる」


「あれはシェルド」


「お前も言ってた」


「そうだっけ」


アキトが笑う。シェルドは怪物の死体ではなく、周囲を見ていた。


「一体だけとは限らない」


「はいはい」


大和も気持ちを切り替え、足裏へ意識を向ける。遠くから伝わる振動は特にない。ルシアンも周囲の痕跡を確認した。


「新しい跡は、これだけ」


「じゃあ一体かな」


「今の範囲では」


「分かってます」


地図へ討伐位置を記録する。怪物が一体減った。道が少し安全になる。今の大和には、その積み重ねが以前より分かりやすかった。


◇


午後、大和は白い区画へ戻った。今日はルシアンとアビナも一緒だった。


「アビナ来るの久しぶりじゃない?」


「安全になってきたからニャ」


「最初から来たかった?」


「ずっと来たかったニャ」


大和は知っていた。中心区域へ入れるようになってから、アビナは何度も連れて行けと言っていた。大型個体との戦いが終わった直後は、シェルドが許可しなかった。周辺の掃討が進み、ようやく今日になって許された。端末の部屋へ着く。


大和が起動する。画面に日本語が並ぶ。アビナが近づいた。


「これがヤマトには読める?」


「全部じゃないけど、文字はね」


「何て書いてあるニャ?」


「今は医療情報」


「分からないニャ」


「俺も半分くらい分からない」


アビナが少し安心したような顔をした。大和は笑った。


「そこ安心するとこ?」


今日調べるのは、不老技術ではない。昨日までとは目的が少し違う。大和は検索欄へ「衛生管理」と入力した。ルシアンが聞く。


「それを調べる?」


「うん」


「なぜ」


「使えそうだから」


未来の医療技術はすごい。ナノマシン、癌細胞による再生、不老。だが、今の村では何一つ作れない。そもそも電気すら安定して使えない。大和は昨日、道を直しながら考えていた。


知識が残っていても、使えなければ意味がない。なら、今使えるものから探せばいい。画面に大量の資料が出る。院内感染、水質、食品、排泄物、傷口管理、消毒。大和は一つずつ見た。


「こっちなら分かる」


「何が?」


アビナが聞く。


「水を汚さないとか、怪我したら傷をきれいにするとか」


「それは知ってるニャ」


「だよね」


今の村にも経験から身につけた知識はある。だから、未来の資料をそのまま教える必要はない。違いがあるところ。知らなかったところ。それだけ拾えばいい。


大和は一般向け資料を開いた。飲み水と生活排水を離す。井戸や水源の周囲へ汚物を置かない。食材を扱う場所と排泄物を処理する場所を分ける。傷口へ使う布は清潔なものを使う。


道具は使用後に洗浄する。熱を使えるものは加熱する。


「これならできる」


大和が言った。ルシアンが記録する。


「全部?」


「全部じゃなくていい」


大和は画面を見る。未来の病院では、見たこともない設備を使って衛生を維持している。それを村で再現するのは無理だ。だが、考え方なら使える。


「俺たちができる形に変えればいい」


アビナが首を傾げる。


「どうやって?」


「例えば」


大和は考える。


「村の水を汲む場所と、洗い物する場所をもっと離すとか」


「今も少し離れてるニャ」


「じゃあ、それが合ってたってこと」


別の資料、食料保存、温度管理、乾燥、塩、煙、容器。こちらも、未来の設備そのものは使えない。だが、理由が分かる。何を防ぐためにやるのか、どの条件が悪いのか。


「これ面白いな」


大和が言った。


「ナノマシンより?」


アビナが聞く。


「あっちはすごいけど、作れないじゃん」


大和は画面を指した。


「こっちは明日から使える」


ルシアンが顔を上げた。


「知識蔵に入れる?」


「入れよう」


その言葉を口にして、大和は少し止まった。知識蔵は、最初は自分たちが試して分かったことを残す場所だった。水車、台車、道路、怪物。今、そこへ未来の人間が残した知識が加わる。


ただし、そのままではない。自分たちが理解できて、使えて、再現できるものだけだ。


「これから増えるな」


大和が言った。


「何が?」


「知識蔵」


アビナの耳が動く。


「いっぱいになるニャ?」


「多分」


「増築する?」


大和は少し笑った。


「ドランに言ったら本当にやりそう」


「やると思うニャ」


◇


村へ戻ると、その日のうちに話し合いになった。難しいことではない。大和が今日見つけた内容を説明する。水、食べ物、傷、排泄物、道具の洗浄。村人たちからも意見が出る。


「それなら今もやっている」


「こっちは離した方がいい」


「雨の時に水が流れ込む」


「冬はどうする」


大和は聞いていた。最初は、端末で見たものをそのまま教えればいいと思っていた。だが、違う。大和には村で何年も暮らした経験がない。


どこに水が溜まるのか、冬に何が凍るのか、どこへ動物が入るのか、それを知っているのは村の者たちだ。


「じゃあ、これ俺が決める必要ないね」


シェルドが聞く。


「何を」


「やり方」


大和は資料から書き写した板を見る。


「病気になりにくくするには、こうした方がいいってところだけ残す。それをどうするかは、みんなで決めればいい」


ドランが頷いた。


「その方がいい」


「珍しく意見合った」


「いつもお前が余計なものを作ろうとするだけだ」


「そんな作ってないでしょ」


周囲から何人か笑った。大和も笑う。その後、「水と汚れを分ける」と記された新しい板が知識蔵へ追加された。


その下には、村で実際に試す方法、カダ村での方法、まだ試していない案が分けて書かれた。大和はそれを見ながら思った。未来の知識を、昔のまま戻す必要はない。使える形にする。


自分たちで試す。失敗したら直す。今までと、そんなに違わない。


◇


数日後、村とカダ村を結ぶ街道を、以前より大きな荷車が走っていた。ドランが作った新しい車輪、カダ側で作った荷台。道の悪い場所には補修が入っている。中心区域から持ち帰ったものも運べるようになった。大和は道端に立って、その荷車を見ていた。


「前よりでかくない?」


ドランが答える。


「道が良くなった」


「だから荷車大きくしたの?」


「運べるなら大きい方がいい」


「また俺に引かせる気じゃない?」


「必要なら」


「嫌だよ」


そう言いながら、大和は少し嬉しかった。怪物を倒せば道が使え、物が運べ、知識が増え、村が変わる。全部が繋がっている。アキトが街道の先を見る。


「次はどこを片付ける」


大和もそちらを見る。遺跡都市の西側は、まだ調査が浅い。怪物の痕跡もある。


「あっちかな」


シェルドが地図を広げる。


「先に確認する」


「分かってる」


大和は笑った。もう、怪物を倒すのは何かの使命だからではない。神様に選ばれたからでもない。道を使いたい。人を通したい。


調べたい。作りたい。今いる仲間たちが、少しでも安全に、少しでも楽に暮らせるようにしたい。理由は、それだけで十分だった。


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