第35話 不老
中心区域の掃討を始めてから三日。怪物の数は、目に見えて減っていた。もちろん、都市全体から消えたわけではない。中心区域の外側にはまだ通常個体がいるし、森の奥まで調べたわけでもない。それでも白い区画と地下道を結ぶ範囲では、少なくとも昼間なら村の者が護衛付きで歩けるようになっていた。
その日、大和たちは久しぶりに戦うためではなく、端末を調べるために病院へ来ていた。大和が画面を起動する。日本語の文字が並ぶ。もう、それ自体には誰も驚かない。
「今日はどこを見る?」
ルシアンが記録板を準備しながら聞いた。大和は少し考えた。前回は、癌細胞を利用した再生技術まで見た。その先にあったのが、老化抑制。人間は癌を治すだけではなく、その増殖能力を使って身体そのものを維持する技術へ進んでいた。
「前の続き」
大和は画面を操作する。医療情報、再生医療、長期維持。その中から、前回見つけた「長期老化抑制治療」を開くと、映像が始まった。
説明に使われている人物の身体は、大和の時代と変わらない。ただ、その横に表示された年齢の数字だけが異常だった。大和は一度読み、もう一度確認した。
「……百三十二歳?」
アキトが聞く。
「長いのか」
「長いなんてもんじゃないよ」
大和のいた時代にも百歳を超える人はいた。しかし珍しかった。そして、百歳を超えれば身体も大きく衰える。画面に映っている人物は違った。見た目だけなら四十代か五十代程度。
普通に歩き、運動し、話している。映像の説明が続いた。
『癌細胞由来の再生細胞と医療用ナノマシンを用いた恒常的組織更新により、加齢に伴う機能低下の多くは管理可能となっています』
大和は思わず言った。
「管理可能って……」
病気のような扱いだった。年を取り、身体が弱り、死ぬ。大和にとっては、生き物なら当たり前のことだった。
しかし、この時代の人間は違う。老化を身体の損傷として扱い、治している。
『治療開始年齢や既往歴によって差はありますが、適切な継続管理下では百五十年以上にわたり高い身体機能を維持した症例も確認されています』
「百五十年」
大和は椅子にもたれた。
「人生二回分くらいあるじゃん」
「二回?」
アキトが聞く。
「俺のところだと、八十とか九十まで生きれば長生きだったから」
「百五十なら、かなり長いな」
「かなりどころじゃないよ」
だが、資料はそこで終わらなかった。別の項目には、さらに新しい方式がある。大和が開くと、治療開始後の経過期間として百七十年、百九十年と並び、二百年を超える記録もあった。
「待って」
大和が映像を止めた。画面の数字を見る。
「これ、寿命が延びたって話じゃないな」
「どう違う」
シェルドが聞いた。
「寿命がどこまであるのか、まだ分かってないんじゃない?」
事故や重い病気で死亡した例はある。治療の失敗例もある。しかし、正常に管理されている者については、老化そのものが死因になっていない。大和は別の資料を開いた。そこには、より直接的な表現が使われていた。
「生物学的老化の恒常的抑制」
「これ……」
大和は少し笑った。
「本当に不老じゃん」
「死なない?」
アキトが聞く。
「死なないわけじゃないと思う」
大和は画面を指す。
「怪我したら死ぬかもしれないし、何かの病気になることもある。でも、年を取ったから死ぬっていうのが、ほとんどなくなったんじゃないかな」
シェルドが聞いた。
「お前もそうなのか」
大和の手が止まった。
「俺?」
「同じ技術なら」
「いや……」
否定しようとして、できなかった。自分は眠っていた。どれだけの時間かはまだ分からない。少なくとも百年以上先の記録を見つけた。そして、その記録が作られた時点でも、この病院は存在している。
自分がいつ治療されたのか、いつコールドスリープが止まったのか、何も分からない。ただ、目覚めた自分の身体には、癌の症状がない。傷が異常な速度で治る。身体が変形する。癌細胞を利用した再生技術と似ている。
医療用ナノマシンが関係している可能性も高い。
「……俺も年取らないのかな」
初めて、その可能性を言葉にした。誰も答えられない。大和自身も、自分の顔を見ても判断できない。目覚めてから、まだそれほど時間は経っていない。一年も経っていないのだから、見た目が変わらなくて当然だ。
「分かんないな」
大和は自分の頬を触った。
「百年待てば分かるか」
アキトが真面目に言う。
「それは確認に時間かかりすぎる」
大和は笑った。だが、笑った後、少しだけ嫌な感覚が残った。百年。もし本当に長く生きられるなら、今、自分の周りにいる者たちは――。大和は考えるのを止めた。まだ分かっていない。
分からないことで先まで悩む必要はない。最近覚えたことだった。
◇
大和は資料の一覧へ戻った。次に目についたのは、治療の普及に関する報道記録だった。
「これ見ていい?」
「何の情報」
ルシアンが聞く。
「この治療をどれくらいの人が使ってたか」
映像を開くと、ニュース番組が始まった。
『長期老化抑制治療の認可拡大を受け、国内では新たに十二の医療機関が施術施設として指定されました』
画面には大規模な施設が映る。大和の時代の病院より遥かに大きい。人もいる。普通の人間だ。耳も、尻尾も、角もない。
大和と同じ姿だ。大和は映像をじっと見た。これまで過去の医療映像には人体図や説明用の人物が出ていた。だが、街の中を歩いている人間を見るのは、また感覚が違う。普通に歩き、話し、笑っている。子供もいる。大和は自然に口にした。
「人間だ」
アキトが画面を見る。
「大和と同じ?」
「うん」
それ以上は言わなかった。当たり前だ。ここが未来の地球なら、人間がいる。それなのに、今はいない。その違和感が、また一つ増えた。
ニュースは続く。
『一方、治療費および長期管理費については依然として高額であり、利用対象の拡大を求める声も――』
大和が画面を止めた。
「高かったみたい」
「金がある者だけ?」
シェルドが聞く。
「この時点では、そうっぽい」
ただし、これだけでは社会全体がどうなっていたのかまでは分からない。後から安くなったかもしれない。公的に使えるようになった可能性もある。大和はニュースを最後まで見た。技術そのものについては肯定的な内容が多かった。
人間の寿命が延びた。病気から回復できるようになった。失った身体も再生できる。老化さえ抑えられる。大和の時代なら夢のような技術だ。
「いいことだよな」
大和が言った。誰も反対しない。
「病気で死ななくなる。年取って身体が動かなくなるのも減る」
自分自身が癌になったから、余計にそう思う。死ぬしかないと言われた人間にとって、治せる技術が悪いはずがない。大和は少し笑った。
「俺の時代にあったら、眠らなくてもよかったのにな」
だが、その笑いは長く続かなかった。画面を閉じると、静かな病院が戻ってくる。誰もいない。百年、二百年と生きられる人間がいた。
老化を抑えられた。病気も治せた。それなのに、大和は周囲を見る。
「本当に何でいないんだ」
答えは出ない。
◇
昼過ぎ、調査を終える前に、大和は報道記録を少しだけ検索した。
「人類」と入力すると、大量の結果が出た。多すぎる。
「これ無理だな」
「絞れない?」
ルシアンが聞く。
「何を知りたいか決まってないから」
人口、政治、医療、戦争、宇宙、経済、文化。何でも出る。どれを見れば、今の世界へ繋がるのか分からない。
「文明が壊れた時期が分かればいいんだけど」
検索欄に「文明崩壊」と入れてみる。結果は出る。だが、大和が探している意味ではない。
昔の文明、外国、災害。小説や映像作品らしきものまで混ざる。
「駄目か」
「現在がいつか分からない」
ルシアンが言った。
「そうなんだよね」
過去のニュースは読める。だが、今が何年なのか、病院には現在時刻を表示する生きたシステムがない。端末に残っている日時も、保存された記録の日付なのか、最後に使われた時刻なのか、判断できないものが多い。
「最後の日を探す?」
大和が言った。報道記録を日付順に並べられることを確認し、最も新しい記録へ移動する。大和は期待した。
だが、途中から大量の破損表示が出た。
「うわ」
最後の数年間は、ほとんど読めない。映像が欠けている。音声がない。文字データだけが残る。
その文字すら途中で切れている。
「ここから壊れてる」
大和が画面をさらに先へ送るが、何もない。
「何年?」
アキトが聞く。大和は最後にまともに残っている記録の日付を読む。それは、大和が眠りについてから、かなり後の時代だった。しかし、そこから今まで何年あるのかは分からない。
「少なくとも、ここまでは普通に文明があった」
大和が言う。画面に残ったニュースには、人間がいて、病院が動き、交通があり、都市がある。
「でも、この後がない」
データが壊れたからなのか、その時期に何かが起きたのか、判断できない。ルシアンが記録する。
「最後の記録と、文明崩壊の時期は同一とは限らない」
「うん」
そこは重要だった。また分からないものが増えた。だが、大和は以前ほど嫌ではなかった。調べる方法がある。
今日答えが出なくても、別の端末、別の建物、別の資料を探せばいい。
◇
帰り道、大和は中心区域の道路を歩きながら、古い建物を見ていた。昨日までは、すごい古代文明だと思っていた。今は、自分と同じ人間が作ったものだと分かっている。
癌になり、病気になり、年を取り、死ぬのが怖い。だから治療法を作った。
癌まで利用した。老化まで止めた。そこまで来た。
「すごいよな」
大和が言った。アキトが横を見る。
「何が」
「人間」
少し前にも同じことを言った。でも今日は、違う意味が混ざっていた。
「病気治して、身体作り直して、年まで取らなくなった」
大和は廃墟を見る。
「でも、何か失敗したんだろうな」
その結果が、この街なのかはまだ分からない。怪物との関係も、アキトたちとの関係も、大和自身との関係も分からない。それでも、一つだけ、前より強く思うことがあった。
「同じことにはしたくないな」
「何を」
「分かんない」
大和は少し笑った。
「何で失敗したか分かってないから」
アキトも笑う。
「なら、先に調べろ」
「そうします」
少し歩く。道の先では、ドランたちが昨日印を付けた崩落箇所を直していた。カダから来た者もいる。丸太、縄、石。古代文明の道を、今の自分たちが直している。
大和は立ち止まった。昔の人間は、とんでもないものを作った。だが、今必要なのは、まずここを歩けるようにすることだ。
「手伝ってくる」
大和が言う。シェルドが止める前に、大和はドランの方へ走った。
「何持つ?」
ドランが巨大な石材を指した。
「それ」
「でかくない?」
「持てるだろう」
「持てるけどさ」
大和は石材の端を持ち上げる。重い。身体が少しだけ出力を上げる。
「どこ?」
「向こう」
「了解」
未来の人間が作った不老技術、自分の身体の正体、滅びた文明。知りたいことはいくらでもある。それでも、今は、道を直す。大和には、その方が少し落ち着いた。




