第33話 癌
「癌細胞利用型再生研究」
画面に表示された文字を、大和はしばらく見ていた。自分を殺すはずだった病気。治療できないと言われたから、未来の医学に賭けて眠った。その癌が、目の前では、再生医療の項目に並んでいる。
「続き、見る?」
アキトが聞いた。大和はすぐには答えなかった。見たくないわけではない。むしろ知りたい。ただ、さっきまでとは少し違う。
ナノマシンは知らない技術だった。組織再生も、自分の身体と似ているだけだった。癌は違う。これは自分の話に直接繋がっている。
「見る」
大和は画面に触れた。資料が切り替わった。専門家向けではなく、一般向けに作られた説明らしい。最初に現れたのは正常な細胞と、異常に増殖する細胞の比較だった。音声が流れる。
『癌細胞の最大の問題は、正常な組織制御から外れ、増殖を続けることにあります』
「それは知ってる」
大和が小さく言った。自分の身体の中でも起きていた。止まらない。増える。正常な組織を壊す。
だから死ぬ。映像では、癌細胞が周囲へ広がっていく。次に、それが止まった。細胞の周囲へ細かな光点のような表示が集まる。
『一方で、この高い増殖能力そのものを組織再建へ利用する研究は、以前から行われてきました』
大和は眉を寄せた。
「悪いところを使うの?」
『医療用ナノマシンによって増殖範囲、細胞分化、組織形成を制御することで、癌細胞の増殖能力を失われた組織の再建へ転用します』
映像の中で、増え続けていた細胞が形を変えていく。筋肉、皮膚、血管。大和に細かな仕組みは分からない。だが、何をしようとしているのかは分かった。勝手に増えるものを、勝手に増えさせない。
必要な場所で、必要なものに変える。大和は自分の右腕を見た。
「……俺じゃん」
誰も答えなかった。戦う時、切りたいと思えば骨刃が出る。速く走ろうとすれば脚が変わる。傷つけば組織が戻る。大和自身が細胞の形を決めているわけではない。
ただ目的を考える。あとは身体が勝手にやる。
「似ている」
ルシアンが言った。大和は頷いた。
「かなり」
断定はできない。でも、今まで見つかったものを並べると、偶然で済ませるには似すぎている。大和は資料を止めなかった。
◇
次の項目は、再生速度についてだった。癌細胞を利用した方式は通常の細胞培養より遥かに速い。しかし速く増えるほど制御が難しくなる。異常増殖、形態異常、周辺組織への侵入。そうした問題が画面に並ぶ。
「結局、癌になるんじゃないの?」
大和が言った。音声はその疑問に答えるように続いた。
『初期方式では制御から外れた細胞が再び腫瘍化する問題がありました』
「やっぱり」
『その後、医療用ナノマシンによる常時監視と局所制御が導入され、臨床利用が可能な水準まで安全性が向上しました』
大和は少し黙った。身体の中で、ずっと常時監視を続けるということだ。
「ナノマシンって、治療が終わったら出すんじゃないの?」
ルシアンが聞く。
「俺に聞かれても分かんない」
資料を少し戻す。そこには、治療後も一定期間ナノマシンを体内へ残し、再増殖を監視する方式について書かれていた。さらに後の方式では、長期維持も行われている。大和はその記述を見つめた。
「ずっと入ってる場合もあるみたい」
アキトが大和を見る。
「お前にも?」
「分からない」
すぐに答えた。それは本当に分からない。大和はナノマシンを入れられた記憶などない。眠る前にも、そんな治療は存在していなかった。
「俺が寝た後にできた技術だし」
「眠っている間に使われた可能性は?」
ルシアンが聞いた。大和は画面から目を離した。それは考えていなかった。
「……あるのかな」
コールドスリープへ入った理由は、未来の医学なら治せるかもしれないからだ。治療法ができたなら、眠った患者に使う。むしろ、そのために眠った。
「でも俺、起きた記憶ないよ」
「起こす必要がある?」
大和は答えられなかった。注射なら、手術なら、薬なら、意識がなくてもできる。胸の奥が少し重くなった。今まで自分の能力は、目覚めた時からそこにあった。いつ手に入れたのか、なぜ持っているのか、一度も分からなかった。
神様から与えられた。そう考えれば簡単だった。だが今のところ、神様という説明を必要とするものは一つもない。大和は画面を見る。
「俺、治療されたのかな」
誰も答えなかった。
◇
さらに資料を探した。癌細胞を利用した再生医療は、一つの技術で終わっていなかった。臓器の再建、神経損傷の修復、大規模外傷からの回復、失われた組織の再生。どれも大和が眠る前には考えられないものだった。ただ、研究が進むほど別の言葉が増えていった。
「長期維持」「恒常的組織更新」「老化組織置換」。大和の指が止まる。
「これ、何だろ」
大和が一つを開くと、音声が流れた。
『再生技術の長期運用により、損傷だけでなく加齢によって機能低下した組織を継続的に置換することが可能となりました』
大和は黙って聞いた。画面では、時間とともに変化する身体の模式図が映る。通常なら年齢とともに機能が落ちる。その線が、途中からほとんど下がらない。
「老けない?」
大和が言った。
『癌細胞由来の高増殖細胞と医療用ナノマシンによる恒常的維持を組み合わせることで、加齢に伴う組織劣化を大幅に抑制できます』
「それって」
大和は画面を見る。
「寿命、伸びるってこと?」
資料の中には、さらに別の項目があった。「老化抑制治療」、その下に「長期生存医療」、さらに一般向けの報道資料が並んでいる。
大和はそれを開いた。画面に女性のアナウンサーが映る。服装も背景も、大和の知るニュース番組とは違う。だが話し方は普通だった。
『本日、厚生医療機構は、癌細胞制御型再生技術を用いた長期老化抑制治療について、正式な実用化基準を発表しました』
大和は黙って聞く。
『これまで治療対象は重度疾患および重大な組織損傷に限定されていましたが、今後は加齢に伴う機能低下の予防を目的とした利用も段階的に認められます』
アキトが聞いた。
「どういう意味?」
大和は少し考えてから答えた。
「病気を治すためじゃなくて、年を取らないためにも使い始めたってことだと思う」
「年を取らない?」
アキトにはその言葉の方が理解しにくいらしい。
「ずっと若いままってこと?」
レティならそう聞いただろう。大和は自分で想像する。五十年、百年。身体が壊れても治す。老化した組織も交換する。
それを続ける。
「これ……」
大和は画面から目を離さなかった。
「人間、不老になったの?」
少なくとも、この資料では、ニュースはその言葉を使っていない。だが、大和にはそう見えた。ルシアンが聞く。
「死なない?」
「そこまでは分からない」
事故、病気、脳。限界はあるかもしれない。それでも、普通に年を取って死ぬ。その仕組みを人間はかなり遠くまで壊している。
「すげえな」
最初に出た感想はそれだった。大和が眠った理由は、未来の医学なら癌を治せるかもしれないというものだった。実際、未来の人間は癌を治すどころか、癌そのものを利用して身体を再生し、老化まで抑えた。
「未来に賭けたの、間違ってなかったんだな」
自然に口から出た。アキトが大和を見る。大和は少し笑った。癌になった時、終わったと思った。家族がコールドスリープの話を持ってきた時も、本当に助かるとは思っていなかった。
ただ、何もしなければ死ぬ。なら眠ってみる。それだけだった。
「ちゃんと治せるようになったんだ」
少し嬉しかった。自分が助かったかどうかは別として、自分たちの時代にはできなかったことを、後の人間はできるようになった。
「人間、すごいな」
その言葉に、誰も反対しなかった。
◇
しばらくして、大和はニュースを止めた。そこで一つの違和感が生まれた。
「でもさ」
ルシアンが見る。
「何」
「こんなことできたのに」
大和は周囲を見る。白い壁、死んだ設備、無人の病院。外へ出れば、森、廃墟、怪物。人間はいない。
「何で滅びてるんだ?」
誰も答えられない。人間は癌を利用した。再生技術を作った。老化さえ抑えた。文明は大和の時代より遥かに進んだ。
なのに、残っているのは廃墟だった。
「病気で全滅したわけじゃない?」
アキトが聞く。
「少なくとも、癌ではなさそう」
むしろ克服している。では、何が起きたのか。大和は報道記録を開こうとして、その手を止めた。情報は大量にある。
一つや二つの記事で答えが出るとは思えない。
「今日はここまでにしよう」
シェルドが言った。大和も頷いた。昨日なら続きを見たかもしれない。今は、少し整理したかった。
◇
村へ戻る途中、大和は何度も自分の腕を見た。普通の腕で、指も五本あり、皮膚も普通だ。力を入れれば筋肉が動く。だが、必要になれば骨が伸びる。
怪我をすれば異常な速度で戻る。怪物から何かを取っている可能性もある。そして、自分の病気だった癌、未来の再生技術、医療用ナノマシン。それらが全部、自分の身体と似ている。
「俺、まだ癌なのかな」
突然言った。アキトが横を見る。
「治っていない?」
「痛くないし、前みたいな症状もない」
大和は胸に触れる。
「でも、癌細胞がなくなったんじゃなくて、使われてるとか」
言っていて気持ち悪かった。自分を殺そうとしていたものが、今は、自分を生かしている。そんな可能性がある。ルシアンが言った。
「確認できない」
「分かってる」
「今は生きている」
大和は少し笑った。
「それも分かってる」
今すぐ答えが出るわけではない。なら、今できることをする。村が見えてきた。その向こうには遺跡都市がある。
まだ怪物はいる。調べていない場所も大量にある。大和は歩きながら言った。
「明日は怪物の方やろうか」
シェルドが聞く。
「調査はいいのか」
「続きはいつでも見られる」
少し間を置く。
「でも、あの辺に怪物が戻ってきたら面倒だし」
アキトが頷く。
「カダにも連絡する」
「お願い」
大和は遺跡都市を振り返った。自分の身体のこと、人類に何が起きたのか、知りたいことは増えるばかりだった。それでも、答えを探す場所は逃げない。まずは今いる場所を安全にする。
それが少しずつ、自分のやることになり始めていた。




