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この世界に残るもの  作者: 深空 律
第一部 知らない世界
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第3話 贈り物

怪物が動かなくなってからも、大和はその場を離れられなかった。


近づいては止まり、少し待ってまた近づく。自分でも馬鹿みたいだと思ったが、さっきまで脚を切り落としても再生した相手だ。


地面の石を拾い、投げてみた。黒い身体に当たって転がる。もう一つ、今度は頭らしき場所へ当てても反応はなかった。


「……本当に死んでるのか」


息を吐き、座り込んだ。手も膝も震えている。戦っている間は、逃げるか斬るかを考えるだけで精一杯だった。静かになって初めて、さっきまでの怖さが押し寄せた。


「俺、人じゃないだろ……これ」


袖をまくった。右腕には血が付いているだけで、刃の出ていた跡すらない。力を込めても変わらなかった。


「出ろ」


言ってみたが、何も起きない。


「……刃」


最初は追い詰められ、殺されたくないと思った。二度目はもっと深く切りたい、倒したいと思ったはずだ。


右腕を前へ出し、怪物を見つめる。あの時のように斬るつもりで、強く意識した。


「……ダメか」


腕を下ろした。安心したのに、少し残念でもあった。二度と出てほしくないようなものが、命を助けてくれた。


肩を確かめた。棘に貫かれた跡はない。左腕にも傷はなく、木へ叩きつけられた肋骨を押しても痛まなかった。身体を捻っても平気だ。


「全部治ってる」


足元に、先の尖った怪物の骨片があった。拾って腕へ当て、一度やめた。痛いのは嫌だ。だが、自分の目で確かめたい。


歯を食いしばり、少しだけ押し込む。


「痛っ」


血が一滴滲んだ。その下で赤い線が細くなり、消えた。


今度は少し深く切った。流れた血もすぐに止まり、数秒で皮膚が閉じる。


「マジかよ」


病院の治療で癌の痛みがなくなった。それなら分かる。だが、切った傷が数秒で治る治療など知らない。


もっとも、眠っていた間に何年経ったのかも分からない。未来なら、そんな技術もできていて――


怪物が目に入った。


「……いや」


腕から剣が生える。倒木を跳び越えられる。そこまでは自分への治療だとして、あの怪物まで再生するのはなぜだ。


「説明つかないだろ」


目覚めたばかりの時は、未来だからと思えば済んだ。だが、あれは自分の知っている動物の延長に置けそうもない。


巨大な森も、見知らぬ植物も、壊れた装置も、何かの手掛かりのはずだった。どう繋げればいいのか分からない。


「……まさかな」


浮かんだ考えを打ち消そうとした。漫画じゃあるまいし。けれど、他に何がある。


癌は治らなかった。コールドスリープに入って、目が覚めたら知らない場所にいた。健康になったどころか、人間離れした身体で怪物を倒している。


「……死んだ?」


コールドスリープが失敗したのなら。


「別の世界に来た?」


口にすると馬鹿らしくて、笑ってしまった。


「異世界転生って」


死にかけた男が異世界で目覚め、特殊能力で怪物を退治する。あまりにもそのままだ。


「いやいやいや。ないない」


両手を振った。数秒後、死体を見る。


「……あるのか?」


少なくとも、未来医療の一言で目の前の全部を片付けるよりは、考えやすかった。


仰向けになると、木々の隙間から青空が見えた。雲も太陽も、見慣れたものだった。


「地球っぽいけどな」


異世界の空も青いかもしれない。自分でも適当な理屈だと思う。今は、この状況をどう受け止めればいいのか、それだけでも決めたかった。


「で」


右腕を持ち上げた。


「これが能力?」


傷が治り、力が強くなり、身体が変形する。あの怪物を殺したのも、この腕だった。


起き上がって死体へ近づき、最後に斬った場所を見た。黒く崩れた組織が残っている。


「俺が斬ったから……?」


最初に斬った脚も頭も治った。最後だけは、刃の形が変わってから治らなくなった。それが理由なのか、他に何かしたのかは分からない。


「……そういうこと?」


死んだ自分が別の世界へ送られ、そこにいる怪物を倒せる力を与えられた。そう並べると、知っている物語の形になった。


「神様とか?」


空を見た。


「いるなら出てこいよ。説明ぐらいしろよ」


風に葉が揺れるばかりだった。


「雑だなあ」


笑いながら、もう一度死体を見た。本気で神様がいると思ったわけではない。けれど、怪物に追い詰められた時に都合よく力が出たのは確かだ。


「怪物を倒せって?」


自分にそういう役目があるのだとしたら。


「いや、待て。世界救えとかは無理だからな」


空へ指を差した。


「俺そういうタイプじゃないから」


返事があるはずもない。手を下ろした。


「……まあ」


誰かが困っていたら、その時は助ければいい。自分にできるなら。


ぐう、と腹が鳴った。


「……飯だな」


目覚めてから何も食べていない。あれだけ走り、身体まで変形させたのだ。空腹になるのも当然だった。


「何食えばいいんだ」


草もキノコも見分けがつかない。動物の気配はするが、怪物を見たあとでは、捕まえて食べようという気にもなれなかった。


「人探すしかないか」


歩き出してしばらくすると、木々の間に実のなる木が見えた。


「果物……か?」


実は少し縦長で、表面に浅い凹凸があった。赤紫のもの、黄色いもの、まだ青みの残るもの。大きさもばらばらで、同じ果物を見た覚えはなかった。


一つ取ると少し硬く、甘い匂いがした。


「食えそうではあるけど……」


毒かもしれない。実を見つめていると、また腹が鳴った。


「……少しだけな」


服で拭き、恐る恐る齧る。しゃり、と硬い果肉から汁が広がった。


「ん?」


甘くて、少し酸っぱい。独特の香りの中に、覚えのある味が混じっている。


「……リンゴっぽい」


香りも果肉の硬さも違うが、甘さと酸味がどことなく似ていた。


「うまいな、これ」


次の一口は躊躇しなかった。一つ食べ終え、別の色の実を取る。


「こっちは甘い」


さらに一つ齧ると、今度はかなり酸っぱかった。


「当たり外れあるのか」


笑って次へ手を伸ばした。毒を気にしていたことも、次第に忘れていった。


腹が満ち、木の根元へ腰を下ろす。


「……食った」


満腹の感覚が懐かしかった。手に残った実を見て、ふと病室の皿を思い出した。


母親が小さく切ってくれたリンゴだった。


癌が進んで食欲が落ちてから、何度も「何か食べたいものない?」と聞かれた。リンゴなら、と答えたことがある。


「……母さんのリンゴの方がうまかったな」


笑って、木にもたれた。


腹いっぱい食べた。歩いて、走っても、痛みがない。そのことを母親に教えられたらと思った。


しばらくして立ち上がり、枝に残る実を見た。


「異世界にも、うまい果物あるじゃん」


森を進みながら、何度か身体を試した。少し助走するだけで高く跳べる。枝に手を掛けると、片腕でも身体を持ち上げられた。


「すげえ」


大きめの石を投げたら、思った以上に遠くへ飛んだ。次は木を狙って投げる。鈍い音がして、樹皮が剥がれた。


「本当にチートじゃん」


怖がってばかりだったのに、もう一度やってみたくなった。ただ、変形だけは何度試しても再現できない。


「条件あるのかな」


ゲームならレベルやスキル、魔力といったものがある。


「ステータス」


何も出なかった。


「オープン」


森は静かだった。


「……さすがにないか」


少し恥ずかしくなって周囲を見た。誰もいない。


歩いているうちに水音が聞こえ、小さな川へ出た。底が透けて見えるほど澄んでいる。それでも、寄生虫や細菌がいないとは限らない。


「でも水ないしな」


手ですくって匂いを確かめ、少し飲んだ。冷たかった。


「うま」


続けて飲み、顔も洗った。


水面に映る顔は見慣れたものだった。短い黒髪も変わらない。少し痩せた気はするが、美男になったわけでも、別人になったわけでもなかった。


「転生したなら身体変わりそうなもんだけど」


頬に触れる。転生ではなく転移なのか。そのまま来たのか。


「どっちでもいいか」


答えは出ない。人を探そうと、川沿いを歩くことにした。


何時間か進むと、太陽が傾き始めた。そろそろ寝床を探さなければと思った時、足元の草が細長く途切れているのに気づいた。


「……これ」


しゃがんでみると、土が踏み固められていた。獣道にしては幅がある。枝は切られ、大きな石も脇へ寄せてあった。


「人がいる」


立ち上がって道の先を見た。胸が高鳴る。怪物と戦った時とは違った。


誰がいるのだろう。人間か、エルフか、獣人か。魔法使いまで思い浮かんだ。


「猫耳とかいたりしてな」


自分で笑い、歩調を速めた。


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