第29話 声
翌朝、大和たちは再び白い区画へ向かった。昨日は入口を少し見ただけで戻ったが、今日は内部を調べる。同行するのは、大和、アキト、シェルド、ルシアン、ドランの五人だ。白い建物の前まで来ると、大和は入口脇の赤い十字をもう一度見た。
「やっぱり同じだな」
「何がだ」
アキトが聞く。
「この印。俺のところでも、人を治す場所でよく使ってた」
昨日も同じ話をした。それでも見れば見るほど、大和には馴染みのある形に見える。
「まあ、十字なんて単純な形だけど」
そう言って、大和は黒い扉に手を置いた。低い音が鳴り、細い光が走る。扉が開いた。
「今日も大和には反応する」
ルシアンが記録する。
「毎回書くの?」
「条件が変わるかもしれない」
「真面目だなあ」
「お前が適当なんだ」
「それは否定しない」
シェルドが二人の間を通り過ぎた。
「行くぞ」
◇
内部は静かだった。外の森の音もほとんど聞こえない。入口から伸びる広い通路には、ところどころ色の違う線が残っていた。赤、青、黄色で、かなり褪せている。
「案内っぽいな」
大和が言う。
「なぜ」
ルシアンが聞く。
「俺が知ってる病院にも、色で行き先分けてるところがあったから」
「同じ用途とは限らない」
「分かってるよ」
最近は、その返しにも慣れた。大和たちはまず右側の通路へ進んだ。左右には閉じた扉が並んでいる。大和が触れても何も起きないものが多かったが、中には低い音を鳴らして開く扉もあった。最初に開いた部屋の中央には、人が横になれるくらいの長さの細長い台があった。その上には、細い構造物が何本か伸びている。
「寝る場所?」
アキトが言った。
「俺もそう見える」
大和は中へ入り、台の横にある黒い板に触れた。何も起きない。壁に埋め込まれた黒い面も同じだった。
「こっちは死んでるか」
次の部屋にも似た台があった。別の部屋には椅子のようなものがあり、天井から何本もの細い腕が降りている場所もある。何に使うのかは分からない。それでも、これまで調べてきた遺跡とは違って見えた。
生活する場所ではない。物を大量に作る場所にも見えない。一人か数人ずつ入って、何かをされる。そんな部屋が並んでいる。
「本当に病院だったりして」
大和が言うと、シェルドが答えた。
「昨日より可能性は上がったな」
ルシアンも否定しなかった。大和は少し嬉しくなった。
「珍しく認めた」
「まだ決まってはいない」
「やっぱりそこ付くんだ」
◇
さらに奥へ進むと、広い部屋へ出た。そこには細長い台が何台も並んでいた。大和は入口で足を止める。
「これは分かりやすいな」
「何が?」
「ベッドっぽい」
今までの設備より、ずっとベッドらしく見える。頭側には黒い面があり、側面には透明に近い板が付いている。そこから細い管のようなものが何本か伸び、床へ消えている。大和は一番近い台へ近づいた。昔、入院した時の記憶が少し戻る。
白いベッド、点滴、朝の検温、看護師。病気になる前なら、思い出すこともなかった景色だ。
「ヤマト?」
アキトが呼ぶ。
「何でもない」
大和は台から離れた。
「俺もこういう場所にいたことあったなって思っただけ」
「病気の時か」
「うん」
それ以上は話さなかった。奥にはまだ通路が続いている。
◇
いくつかの部屋を調べた後、大和たちは一度立ち止まった。通路の壁際に、腰ほどの高さの黒い板がある。これまでにも似たものは何度も見ていた。多分、何かの端末。ただし、どれも動かなかった。
「これも駄目かな」
大和が手を置く。何も起きない。
「やっぱ駄目か」
離れようとした時だった。
――プッ。
小さな音がした。全員が止まり、大和も振り返る。黒い板は真っ暗なままだったが、次の瞬間、雑音に続いて声が流れた。
『――本日、医療用ナノマシンを利用した組織再生技術について、新たな臨床試験結果が――』
大和は動かなかった。女性の声は聞き取りやすく、大和にとってはあまりにも普通の言葉だった。
「……え?」
アキトが端末を見る。
「何を言っている?」
大和はすぐには答えなかった。聞こえた単語が一つ、頭に残っていた。
「ナノマシン……?」
「知ってるのか」
シェルドが聞いた。
「言葉だけなら」
大和がいた時代にも存在した考え方だ。身体の中で働く小さな機械。そんな未来技術の話を、テレビやネットで見た覚えがある。実際にどこまで出来ていたのかは知らない。
だが、古代文明の医療施設らしき場所で、普通の言葉で、ナノマシン。その組み合わせに、大和は引っかかった。音声は続く。
『――損傷組織の修復効率は従来方式を大きく上回りました。一方、大規模な組織再建では材料供給量が回復速度を制限することが確認されており――』
「待って」
大和が端末へ顔を近づける。黒い画面には何も映らない。音だけ。
『――周辺の利用可能な生体物質を分解し、再利用する補助系についても研究が進められています――』
大和は端末を見つめたまま動かなかった。アキトが気づく。
「どうした」
「今……材料って言った」
「何の」
大和は答えなかった。中心区域の大型個体との戦いでは腹を抉られ、脚が壊れ、いつもなら治る傷がほとんど戻らなかった。
そして、怪物へ骨刃を深く刺したまま動けなくなった。その後、急に治った。
「まさか」
口にしたものの、その先が出ない。一つのニュースを聞いただけだ。自分の身体と同じ仕組みだと決まったわけではない。そもそも、今聞いた内容を大和自身が完全に理解しているわけでもない。
「何か分かった?」
ルシアンが聞く。
「いや……」
大和は端末を見る。
「まだ」
音声がそこで途切れた。雑音。少し間が空く。そして別の声が始まった。
『――続いて交通情報です。本日午前――』
大和は少し力が抜けた。
「交通?」
「何?」
「いや、今度は道の話」
聞いていても、今の大和たちには意味がない。どこかの道路で混雑。何かの運行が遅れている。聞いたことのない地名、聞いたことのない施設名。数十秒ほどで終わった。
次。
『――本日の市場では――』
「今度は金の話かな」
大和が言う。さらに次。
『――週末に開催される――』
何かの催し物。その次は天気らしい。
『――明日は北部を中心に――』
「本当にニュースだな」
大和は端末の前へ座り込んだ。画面は死んでいる。操作もできない。どうやら保存されている情報を勝手に流しているだけらしい。順番にも意味はなさそうだった。
医療、交通、経済、催し、天気。何の関連もない。
「昔の情報が残ってる?」
「可能性は高い」
ルシアンが言った。
「これ、かなりすごくない?」
大和は黒い板を見る。古代文明について、これまで大和たちは建物の形や道路、残された設備から想像するしかなかった。だが、ここには声が残っている。当時の者たちが何をしていたのか、何を知っていたのか、それを直接聞ける。
「他にも動くの探そう」
大和が言った。
「今日は予定した範囲を先に調べる」
シェルドが返す。
「今すぐじゃなくていいから」
大和は珍しく素直に引いた。ただ、頭の中にはさっきの言葉がまだ残っていた。ナノマシン、組織再生、材料供給、生体物質の再利用。あまりにも自分の身体に近い気がする。
◇
端末はまだ音を流し続けていた。途中で途切れた音声、短い広告らしきもの、誰かの会見、また天気。大和も最初ほど集中して聞かなくなっていた。
ルシアンは内容が分からないので、大和が簡単に説明したものだけ記録している。
「次、何?」
アキトが聞く。
「分かんない。何か食べ物の話」
大和は少し耳を傾けた。
「新しい店が開いたとか、そんな感じかな」
「古代人も店に行ったのか」
「そりゃ行くでしょ」
「知らない」
「そうか」
大和は少し笑った。古代文明、すごい技術、巨大な都市。だが、ニュースを聞いていると、道が混み、天気を気にする妙に普通の暮らしが見えてくる。
店が開き、催し物がある。そこで生活していた。当たり前のことなのに、それまで遺跡としてしか見ていなかったものへ、少しだけ人の気配が戻ったような気がした。また雑音が入り、次のニュースへ切り替わる。
大和は何となく聞いていた。
『――海外では――』
知らない話が途中で途切れ、また別のものへ切り替わる。
『――新型――』
何かの製品の話で、それも終わる。何件目か分からなくなった頃、大和は立ち上がった。
「そろそろ行く?」
シェルドが頷く。
「記録したら進む」
ルシアンが最後の一行を書いている。その時、端末から、新しい声が流れ始めた。
『――日本では――』
大和の動きが止まった。一瞬、聞き間違いだと思った。端末を見る。黒い画面。何も映っていない。
声だけが続いている。だが、大和には、その先がもう入ってこなかった。
「……今」
アキトが大和を見る。
「どうした」
大和は答えない。日本。確かに、そう聞こえた。この世界にある、古代文明の壊れた装置から。大和はゆっくり端末へ近づいた。
「何で……」
それまで感じていた違和感とは、種類が違った。ナノマシンなら、高度な文明が同じ発想へ辿り着いてもおかしくない。赤い十字も、偶然同じ形になっただけかもしれない。だが今、聞こえた言葉は、大和がいた国の名前だった。




