第28話 白い区画
大型個体が動かなくなってからも、誰もすぐには近づかなかった。罠に使った巨大な板は、怪物の身体へ斜めに乗ったまま止まっている。その下で、黒と白が混ざった巨体は動かない。大和は少し離れた場所へ座った。
「腹見せろ」
アキトが言う。
「もう大丈夫だって」
「見せろ」
「はい」
大和は裂けた服を上げた。左脇腹の、大きく抉られていた場所には赤い跡が残っている。傷はまだ完全には治っておらず、痛みもある。
だが戦闘中、ほとんど止まっていた回復が最後だけ一気に進んだ。アキトは傷を確認し、次に膝に触れた。
「痛い?」
「ちょっと」
「折れていた?」
「多分」
「今は?」
大和が曲げ伸ばしする。
「普通に動く」
横ではルシアンが戦闘中の記録を整理していた。
「何書いてる?」
「お前の傷」
「怪物じゃなくて?」
「両方」
ルシアンは記録を読み上げる。
「腹部、大きく損傷。右脚、歩行困難。肩、骨折の可能性。その後、回復速度が極端に低下」
大和は動かしていた膝を止めた。
「やっぱり見てた?」
「見ていた」
アキトも頷く。
「いつもと違った」
シェルドが怪物から目を離さずに言った。
「最後は逆だった」
大和も、骨刃を深く刺し、抜けなくなった時のことを思い出した。動けず、そのまま長く接触していた。そして治った。
「最初、こいつの攻撃で治らなくなったのかと思ったんだけど」
倒れた怪物へ目を向ける。
「違う?」
「分からない」
「でも、最後はこいつに刺してる時に治った」
「そう見えた」
「偶然?」
「可能性はある」
いつもの答えだった。だが今回は簡単に流せない。
「今までにも、怪物刺してる時に治ってた?」
誰も答えられなかった。戦闘中、大和は何度も怪物へ骨刃を刺している。その間に傷が治ること自体は、今までなら当たり前だった。だから誰も、どの瞬間に速く、どの瞬間に遅かったかなど見ていない。今回は回復が明らかに遅かった。
だから変化が目立った。
「記録しとこう」
「もう書いてる」
ルシアンは板へ、「骨刃を深く刺した状態で長時間接触。その後、再生速度上昇。原因不明」と書き加えた。大和はそれを見て頷いた。
今は、それ以上決めない。
「帰ってから考える?」
アキトが聞く。大和は中心区域を見る。今まで入れなかった場所が目の前にある。
「ちょっとだけ見たい」
シェルドがすぐ振り向いた。
「今日は戻る」
「ですよね」
今回は本気で反対するつもりはなかった。傷が治ったとはいえ疲れている。大型個体を倒したからといって、中心区域が安全になったとも限らない。
「明日?」
「状況を見て決める」
「はい」
大和はもう一度、倒れた怪物を見た。周囲の怪物が避け、広い縄張りを作っていた。少なくとも相当強かった。
「俺、また強くなったのかな」
ルシアンが聞く。
「何が」
「戦ってる途中、刃とか脚とか、いちいち考えなくても変わってた」
以前は、身体が戦い方を覚えていると思った。今回はさらに一歩進んでいる。覚えたものを別々に使うのではない。状況が変わるたび、身体が先に必要なものを選んでいた。
「便利だけど、俺が置いていかれてる感じする」
「お前の身体だ」
「そうなんだけどね」
自分の身体なのに、知らないことが増えていく。その感覚は少し気持ち悪かった。
◇
翌日、大和たちは再び中心区域へ入った。今度は戦うためではない。大和、アキト、シェルド、ルシアン、それにドランが加わった。怪物の死体は前日と同じ場所にあり、再生した様子もない。
「死んでる」
ルシアンが確認する。
「よかった」
大和は本気で答えた。あれともう一度戦うのは嫌だ。罠も三つとも、もう同じようには使えない。特に二つ目の道路は完全に崩れている。
「一発勝負だったな」
大和が言う。
「だから三つ作った」
ドランが答えた。
「全部成功する前提じゃなかったもんね」
「一つ動けばいい」
結果、本当にまともに働いたのは最後の一つだった。
「作戦って、そんなもんなんだな」
「相手も動く」
シェルドが言う。
「ですよね」
大型個体がいなくなった中心区域は静かだった。昨日まで足を踏み入れるだけでも緊張していた場所を、今日は歩いている。もちろん全員、警戒は解いていない。中心区域は広い。建物が密集しているため森は少ないが、植物は壁や屋上、構造物の隙間から伸びている。
今まで見てきた場所より、都市の形がよく残っていた。
「こっちは壊れ方が少ない?」
「建物による」
ドランが外壁を見る。完全に崩れているものもある。一方で、外形をほとんど残しているものもある。大和は上部で別の建物と繋がった巨大構造物を見上げた。
「昔、ここ何人くらい住んでたんだろ」
誰も答えない。村とは規模が違いすぎる。
「すごい街だったんだな」
建物の形も素材も道路も、大和が知っている街とは何もかも違う。だからやはり、大和には異世界の古代文明にしか見えなかった。
◇
しばらく歩くと、周囲とは少し雰囲気の違う一角へ出た。
「白いな」
大和が最初に気づいた。他の建物も白灰色や黒を基調としているが、この一帯は特に明るい。汚れや植物に覆われていても、もとの色が白に近かったことが分かる。建物はそれほど高くない。その代わり横へ広く、複数の構造が連なっているように見えた。
前には大きな空間があり、何本もの道が集まっている。
「遺跡の図を見よう」
ルシアンが地図を出した。中心区域の少し外側に、大きな区画が一つ描かれている。
「ここかもしれない」
「でかいな」
大和たちは近づいた。入口らしい場所はかなり広い。その前には、以前見たものと似た細長い物体がいくつか放置されている。
「人がいっぱい来る場所?」
アキトが言った。
「そう見えるけど、何だろ」
ドランは壁を調べ、ルシアンは周囲の怪物の痕跡を見る。大型個体の縄張りの内側だったからか、足跡はほとんどない。大和は入口へ近づき、大きな黒い扉に手を触れた。
――ピッ。
細い光が走り、扉が開いた。
「まだ動く」
内部は暗い。床の一部にだけ淡い光が点く。大和が一歩入ると、シェルドが言った。
「今日は入口だけだ」
「分かってます」
入口は広く、天井も高い。壁は他の遺跡より白い。正面には大きな黒い面があるが、こちらは動かない。左右には何本もの通路が伸びていた。大和が灯りを動かしていると、入口脇の壁で色の残っている場所が目に入った。
「……あれ?」
近づくと、白い壁に褪せた赤い印があった。縦と横の線が中央で交わっている。十字だった。
大和は少しだけ目を細めた。見覚えがある。
「これ、俺のところにもあったな」
アキトが横へ来る。
「何の印だ」
「人を治す場所とかで使ってたと思う」
大和はもう一度、赤い十字を見る。形そのものは単純だ。たまたま同じ形になっていても、不思議ではない。それでも、意味まで似ていたら少し面白い。大和は軽く笑った。
「異世界でも同じような印を使うんだな」
その日は、それ以上奥へは入らなかった。




