第27話 限界
朝の中心区域は、いつもと変わらなかった。鳥の声がして、風に葉が揺れる。古代建造物は何も知らないように立っている。大和は右腕を軽く振った。
「じゃあ行きますか」
戦うのは、大和、アキト、シェルド、ルシアン、バルの五人。ドランたち作業組は、罠の最終確認を終えた時点で縄張りの外へ退避している。最初の罠は北側で、作戦は単純だった。
大和が怪物を誘って罠の下を通り、ルシアンが縄を切って巨大な板を落とす。
「完璧」
大和が言う。
「まだ何も起きてない」
「作戦は完璧」
「だから、まだだ」
大和は笑い、一人で中心区域へ入った。
◇
大型個体を見つけるのに時間はかからなかった。広い道路の上で、怪物は休んでいた。大和が近づく。五十メートル。まだ動かない。
四十メートル。頭部の目が一つ開いた。
「起きた?」
二つ、三つと、別の場所の目も開いていく。大型個体がゆっくり頭を上げた。大和は骨刃を出した。
「おはよう」
怪物が立つ。近くで見ると、昨日よりさらに大きく感じる。怖い。胸がざわつく。それでも大和は止まらなかった。
骨刃で地面を軽く叩く。
「こっち」
怪物が動いた。大和も走る。後ろを一瞬だけ振り返る。来ている。
「やっぱ速い!」
脚が熱くなる。地面を蹴る。以前なら、身体が変化するたびに驚いていた。今は違う。使うだけだ。
罠が見える。大和が目印を越えた。
「今!」
ルシアンが縄を切る。上で大きな音がした。巨大な板が傾く。落ちる。怪物が真下へ入った。
「当たれ!」
大和が振り返る。怪物は一瞬止まった。そして横へ跳んだ。巨体とは思えない速度だった。巨大な板が地面へ落ち、轟音とともに道路を叩き割る。
怪物はその外にいる。
「嘘だろ!」
板の端が後脚をわずかに掠め、黒い肉が裂けた。それだけだ。
「一個目失敗!」
「分かってる!」
怪物がすぐ大和へ向き直る。前脚が道路を砕く。二撃目は、横から迫る骨の突起。大和は身体を反らし、頬を掠められながら避けた。その瞬間、身体が勝手に次へ動いた。
右足が地面を踏み、足裏が滑らない形へ変わる。左脚の筋肉が一瞬だけ強くなり、大和の身体を怪物の横へ運ぶ。右腕の骨刃は細い刺突型に変わっていたが、白い骨板に当たって弾かれた。
「そこじゃない! 首の下!」
ルシアンの声。大和が黒い部分を見る。右腕を振る。その途中で、刃先がさらに細く長く変わった。
「え?」
以前なら、一度止まって意識し、それから形が変わった。今は違う。攻撃の途中で身体が勝手に選んだ。そのまま刺す。深く入る。
怪物が咆哮した。大和は刃を抜いて横へ跳ぶ。着地と同時に脚が衝撃を吸収する。
「今、勝手に変えた?」
答えを考える暇はなかった。怪物がもう来ている。
◇
二つ目の罠へ誘う。アキトとシェルドが横から攻撃し、怪物の向きを制限する。大和は先に遺跡の道路を通過した。
「来た!」
怪物が弱くした場所へ乗る。一歩。何もない。二歩。路面が沈む。
三歩。道路が崩れた。怪物の前半身が一気に空洞へ落ちる。
「入った!」
巨大な身体が半分埋まり、前脚が引っかかる。
「今だ!」
大和が戻る。骨刃を構え、怪物の背中へ飛び乗った。
「右肩の後ろ!」
ルシアンが柔らかい繋ぎ目を指す。一度、二度。深く刺す。黒い変色が広がる。
「いける!」
だが怪物は止まらなかった。背中に埋まっていた小さな腕の一本が動いた。
「それ使えるの!?」
小さな腕が崩れた壁を掴む。別の腕も地面を押す。巨体が持ち上がる。
「待て待て!」
大和は刃を抜いて飛び降りた。怪物は道路そのものを壊しながら、強引に這い上がってくる。
「罠ごと壊してる!」
バルが叫ぶ。前脚には深い傷がある。肩も黒く変色している。それでも立った。
「二個目も駄目?」
「傷は入った!」
「でも元気!」
怪物が咆哮する。動きがさらに荒くなった。
「怒ってるな!」
「それは見れば分かる!」
大和は走った。
◇
そこから作戦が崩れた。本当なら、そのまま三つ目へ誘うはずだった。だが怪物は大和だけを追わなかった。途中でアキトへ向きを変え、大きな腕を振る。アキトが槍で受け、吹き飛ばされた。
「アキト!」
大和が進路を変える。怪物の横へ入り、骨刃を振る。刃は途中で広くなり、柔らかい部分を切り裂いた。怪物が大和へ向き直る。
「こっちだ!」
次の攻撃が低い。身体が沈む。右腕の刃が短くなり、狭い隙間へ突き刺さる。抜く。動く。
大和自身の意識が追いつかない。避けようと思うより前に腰が捻れ、肩が下がる。怪物の脚がぎりぎりを通り過ぎた。
「何だこれ」
怖い。だが、使える。身体は一つの変化が終わるのを待たない。走る。止まる。
刺す。避ける。必要な瞬間だけ、必要な場所が変わっている。
「身体が戦ってる……」
ルシアンが大和を見る。
「何?」
「俺、今ほとんど考えてない!」
「考えろ!」
シェルドが怒鳴る。
「無茶言うな!」
笑いそうになった、その瞬間だった。怪物が視界から消えた。
「え?」
横にいた。巨体を低くして、大和の側面へ回り込んでいる。速い。前脚を避ける。だが、その後ろから肩そのものがぶつかってきた。
大和の身体が浮く。
「ぐっ!」
古代建物の壁へ叩きつけられた。肋骨が折れた。背中も痛い。でも、治る。大和は立とうとする。
怪物がもう来ている。
「早すぎ!」
右へ跳ぶ。間に合わない。怪物の口が開いた。顎の横に埋まっていた別の骨格まで動く。大和の腹部へ食いついた。
「――っ!」
肉が裂ける。身体が持ち上がる。大和は骨刃を怪物の顔へ刺した。一度。浅い。
もう一度。怪物が首を振り、大和は地面へ投げ出された。腹が熱い。服が裂け、その下の左脇腹が大きく抉れている。血が流れる。
「大和!」
アキトが来る。
「平気!」
反射的に答えた。いつもなら治る。数秒待てば皮膚が閉じる。右脚にも力が入らない。
投げられた時に膝を壊したらしい。それも治る。
「大和、下がれ!」
「ちょっと待って!」
身体が戻れば、すぐ動ける。そう思って腹を見る。まだ血が流れていた。
「……あれ?」
傷は動いている。肉も少しずつ寄っている。だが遅い。今までとは比べものにならない。
「何で?」
怪物が来る。アキトとバルが前に入り、シェルドが横から動きを止める。ルシアンが大和のところへ来た。
「傷」
「治ってる」
「遅い」
「分かってる!」
呼吸が荒くなる。腹が痛い。膝も戻らない。折れた肋骨のせいで息をするたび胸が痛む。
「こいつの攻撃?」
大和は怪物を見る。再生を止める何かがあるのか、分からない。だが、こんなことは初めてだった。
「下がれ」
「まだいける」
「いけない」
「最後の罠ある!」
「そこまで走れる?」
大和は立った。右脚へ体重を掛ける。痛い。その周囲の筋肉が強く固まり、壊れた関節を外側から支える。治ったわけではない。
別の方法で補っている。
「走れる」
大和は少し笑った。
「まだ便利」
「笑ってる場合じゃない」
「分かってる」
最後の罠へ向かう。
◇
三つ目は南側、縄張りの境界ぎりぎりにある。大和は走った。右脚は普段の半分ほどしか動かない。腹も痛い。呼吸も苦しい。
それでも罠が見えてきた。巨大な板が斜めに立ち、その下を支柱が支えている。ルシアンが縄のそばで待つ。大和が罠を通り過ぎた。怪物が後ろから来る。
「まだ!」
大和が振り返る。十メートル、五メートル。
「今!」
ルシアンが縄を切った。支柱が一本外れる。二本目も倒れる。巨大な構造物が傾いた。怪物が止まろうとする。
だが、今回は距離がない。轟音。板が怪物の肩と背中を押し、反対側の古代建築の壁との間へ巨体を挟んだ。怪物が咆哮する。巨大な板がわずかに浮く。
「動くぞ!」
完全には固定できていない。だが数秒ある。
「大和!」
大和は走った。右脚は壊れかけている。腹からも血が出ている。それでも行く。怪物の前脚が一本だけ自由だ。
大和は地面の振動を読み、その一撃を避ける。骨刃が長く細い形へ伸びた。
「胸の下! 黒い部分!」
ルシアンの声。大和が滑り込む。次の前脚は避けきれなかった。肩へ当たり、骨が折れる。それでも右腕は止めない。
「入れ!」
骨刃が怪物の胸へ深く突き刺さった。硬い層を抜ける。その奥は柔らかい。さらに押し込む。怪物が大きく震えた。
「入った!」
大和は刃を抜こうとした。その瞬間、右脚が崩れた。膝に力が入らない。その場へ倒れる。骨刃は怪物へ刺さったままだ。
「まずっ」
腕を引く。動かない。さっき折れた肩にも力が入らない。怪物が暴れるたび、大和の身体まで一緒に振られる。
「大和!」
アキトが来ようとする。
「来るな!」
自由な前脚はまだ動いている。近づけば危ない。罠が軋み、巨大な板が少しずつ持ち上がる。時間がない。腕は抜けない。
脚も動かない。腹から血が流れる。
「くそ……」
息が苦しい。視界も少し暗い。今度こそ、本当にまずい。大和は歯を食いしばった。骨刃は怪物へ刺さったままだ。抜けないなら、逆に押す。
「止まれ……」
怪物の組織が少しずつ黒くなる。だが身体が大きすぎる。まだ足りない。罠がまた動く。腹が痛い。
――はずだった。
「……あれ?」
何かが違う。さっきより呼吸が楽になっている。大和は自分の腹を見た。血が減っていた。
「え?」
傷が閉じ始めている。それまで止まりかけていた再生が、急に速くなった。肉が繋がる。皮膚が寄る。右脚にも熱が走り、膝の奥が戻っていく。
「大和! 傷!」
ルシアンの声。
「分かってる!」
大和にも理由は分からない。怪物へ刺しただけなら、さっきまでにも何度もやっている。違うのは一つ。刃を抜いていない。ずっと刺さっている。
「まさか……」
怪物が暴れる。骨刃を通じて、大和の右腕はまだ怪物と繋がっている。離れられない。それなのに身体は治っていく。偶然かもしれない。
分からない。大和は立ち上がった。さっきまで支えがなければ使えなかった右脚に、力が戻っている。肩も繋がり始めている。
「治ってる!」
アキトが叫ぶ。大和も笑った。
「何でだよ!」
答えはない。罠が限界を迎え、板がさらに持ち上がる。怪物が抜け出しかける。大和は刃を抜かなかった。むしろ、さらに深く押し込む。
「もう少し!」
怪物が咆哮した。黒い変色が胸から肩、首へ広がっていく。暴れ方が弱くなる。大和は刃を離さない。十秒、二十秒。
長い。怪物の力が失われていく一方で、大和の傷は戻っていった。腹が閉じる。膝が動く。呼吸が戻る。
やがて怪物は最後に大きく震え、そのまま止まった。大和はすぐには刃を抜かなかった。待つ。再生は始まらない。黒くなった組織も戻らない。
「大和」
ルシアンが距離を取ったまま言う。
「もういいかもしれない」
「うん」
大和はゆっくり骨刃を抜いた。一歩下がる。立てる。さっきまで歩くことすら難しかった。今は立っている。
怪物は倒れている。大和は自分の腹を触った。傷はほとんど閉じていた。
「何なんだよ……」
勝ったはずなのに、最初に湧いたのは喜びより、困惑だった。




