第26話 仕掛け
中心区域へ入るには、あの怪物をどうにかする必要がある。そう結論が出ても、大和たちはすぐには戦わなかった。翌朝、知識蔵に集まったのは大和、アキト、シェルド、ルシアン、ドラン、それにカダ村から来たバルだった。机の中央には遺跡都市の地図が広げられている。
中心区域を囲むように、ルシアンが一本の線を引いていた。
「昨日、あいつが追ってこなくなったのはこの辺り」
「本当にここから出ないのかな」
「一回では分からない」
「ですよね」
今日はそれを確かめる。中心区域の別方向から近づき、同じ大型個体がどこまで追ってくるかを見る。同時に、昨日ほとんど見えなかった全身も確認する。
「俺が誘う?」
「お前以外に誰がやる」
シェルドが即答した。
「もう少し迷ってくれてもいいでしょう」
「逃げ切れるのもお前だ」
それには反論できない。バルが言った。
「昨日の奴がどれだけ速いか分かってないなら、今日は逃げられない可能性も考えろ」
「嫌なこと言うなあ」
それでも必要な確認だった。中心区域へ入った瞬間に襲われるより、先に相手を知っておいた方がいい。ドランだけは地図の別の場所を見ていた。崩れた建物や高い構造物、傾いた大木がある場所だ。
「何見てるんです?」
「使えるもの」
「何に?」
ドランは大和を見る。
「倒すんだろう」
「もう罠考えてる?」
「正面から戦う理由がない」
シェルドも頷いた。
「使える地形は全部使う」
「そういうの好きだな」
「死にたくないだけだ」
「それは俺も同じ」
治るからといって、痛くないわけではない。カダで腕を食われた時の感覚は、まだ覚えている。できれば二度と味わいたくなかった。
◇
最初に向かったのは中心区域の北側だった。途中で怪物を二体確認した。どちらも通常個体で、中心区域へは近づかなかった。一体は大和たちを見ても距離を取り、もう一体は中心側へ向かっていたのに途中で方向を変えた。
「やっぱり何かあるな」
「獣なら、強い個体の臭いを避けることはある」
バルが言った。
「怪物にも臭いがあるのかな」
「お前には分からないのか」
「俺、鼻普通なんで」
アキトが少し笑う。
「それが普通なのか」
「俺の世界では」
やがて建物の隙間から中心区域が見え始めた。大和たちは古代構造物の陰へ隠れ、十分、二十分と待ったが、何も起きない。大和が少し退屈し始めた頃、地面がわずかに震えた。
――ドン。
もう一度。大和は地面へ手をつく。
「いる」
建物の奥で、重い何かがゆっくり動いている。しばらくして、白い建物の陰から巨大な頭部が現れた。昨日は背中の一部しか見えなかった。今日は違う。怪物はそのまま広い道路へ出てきた。
「……でかいな」
カダで戦った融合個体より大きい。基本の身体は四脚に見えるが、肩から腹部へかけて、明らかに別の身体が混ざっていた。太さの違う脚や小さな腕、白い骨板に覆われた部分、黒い皮膚が剥き出しの部分があり、頭部にも別の骨格が埋まっている。
カダの融合個体より、さらに多くが混ざっている。それなのに、形はむしろ整って見えた。
「前の奴より、まとまってない?」
「そう見える」
カダの怪物は、複数の身体を無理やり一つにしたようだった。目の前の個体は違う。取り込んだものが、すでに一つの身体として馴染んでいるように見える。
「長く融合してる?」
「可能性」
怪物はまだ大和たちに気づいていない。ゆっくり歩き、地面にあった黒い塊へ頭を下げた。怪物の死体だ。大型個体はそれを噛み始めた。
「食ってる」
バルが低く言った。一口、二口。カダで見たものを知っているだけに、大和は目を離せなかった。
「取り込むかな」
「最後まで見ないと分からない」
十分ほど見ていたが、その場で身体が変わる様子はなかった。
「普通に食べただけ?」
「今のところ」
やがて大型個体が頭を上げた。鼻先のような部分が動く。大和は嫌な予感がした。
「気づいた?」
怪物がこちらを向いた。複数の目が一斉に止まる。
「来るぞ」
「予定通り?」
「ああ」
大和だけが前へ出た。道路へ降り、右腕から骨刃を伸ばす。
「こっち」
大型個体の身体が低く沈んだ。次の瞬間、消えたように見えた。
「速っ!」
巨体が一気に距離を詰める。大和は全力で横へ跳んだ。直後、巨大な前脚が路面へ叩きつけられ、白灰色の道路が砕けた。
「嘘だろ!」
大和たちの工具ではほとんど削れない路面だ。それを一撃で割った。大和は予定した方向へ走る。怪物が追う。一歩ごとに地面が揺れる。
大和の脚がすぐに反応し、歩幅が伸びた。それでも思ったほど差が開かない。
「でかいのに何でそんな速いんだよ!」
境界の目印が見える。大和はそこを越えた。十メートル。まだ来る。二十メートル。
さらに来る。三十メートル。そこで振動が止まった。振り返ると、大型個体は境界の手前に立っていた。こちらを見ている。
来ない。
「ほんとに止まった」
しばらく睨んだ後、怪物は背を向けて中心区域へ戻っていった。
「前回の境目に近い」
ルシアンが地図を見る。
「でも完全に同じじゃない」
「誤差はある。別方向でも見る」
シェルドが言う。
「もう一回やるの?」
「やる」
「俺だよね」
「お前だ」
大和はため息をついた。
◇
午後、西側でも同じことを試した。結果はほぼ同じだった。境界付近までは追ってくる。だが、そこから先へは出ない。三度試し、三度とも同じだった。
「確定でいい?」
村へ戻る途中、大和が聞く。
「少なくとも、今日確認した範囲では」
「そこまで付くのね」
「必要」
だが、これはかなり使える情報だった。大型個体には活動範囲がある。その外へは、獲物がいても追わない。なら境界付近まで誘える。
「罠」
ドランが言った。
「何か思いついた?」
「三つ」
「もう?」
一つ目は、北側にある高い古代建造物の上部だ。巨大な白灰色の板が、半分外れた状態で残っている。
「落とす」
「そのままだな」
「当てれば十分だ」
二つ目は西側。道路の下が崩れ、空洞になっている場所。
「ここをさらに弱くする」
「乗ったら落ちる?」
「そうだ。ただし、お前も落ちるな」
「それ大事」
三つ目は南側で、境界のすぐ内側に道幅の狭い場所がある。片側は古代建築の壁で、反対側には倒れた巨大な板状構造物があった。ドランが簡単な図を描いた。
巨大構造物を少し起こし、支柱で固定する。縄を引けば支えが外れ、構造物が倒れる。
「潰す?」
「違う」
シェルドが先に気づいた。
「壁との間に挟むのか」
ドランが頷く。
「殺す必要はない。数秒止まればいい」
その間に大和が深く刺す。怪物の再生を止める。それが作戦だった。
「一個あればよくない?」
「失敗する」
「最初から?」
「初めて戦う相手だ」
ドランも言った。
「思った通りに動く方がおかしい」
「まあ、それはそうか」
三つ全部使わずに済めばいい。大和はそう思った。
◇
罠の準備には二日かかった。村とカダ村から作業のできる者を集めたが、大人数で中心区域の内側へは入らない。大型個体が近づけば即座に撤退する。一つ目の落下罠では、建造物上部の巨大な板を完全に外れないぎりぎりまで弱くし、最後に縄で支えた。
「これ切ったら落ちる?」
「多分」
「多分?」
「実際に落として試せないだろう」
「それはそうだけど」
二つ目の足場は、大和が道路下の空洞へ入り、支えの一部を壊した。怪物の重さが加われば落ちる。はずだ。
「俺が踏んでも落ちない?」
「落ちたら作り直す」
「怖いこと言うな」
三つ目が一番大変だった。大和が巨大な板状構造物を持ち上げ、ドランたちがその下へ太い丸太を組んで支柱を作る。
「まだ?」
大和が歯を食いしばる。
「もう少し!」
一本、二本。構造物が少しずつ起きていく。
「これ、戦う前に疲れるんだけど!」
「今日は戦わない」
「そういう問題じゃない!」
最後の支柱が入った。
「離せ」
大和がゆっくり力を抜く。巨大な板は、その場で止まった。
「おお」
自分が持ち続けなくても、木の支えだけで立っている。
「こういうの見ると、やっぱ俺いらないんじゃない?」
「起こしたのはお前だ」
「役に立ってた」
支柱や縄の位置を何度も確認した。罠が一つ動かなかったからといって、すぐ終わるわけではない。だが戦闘中の数秒は、誰かが死ぬには十分だ。最後にシェルドが全体を確認した。
「明日やる」
誰も反対しなかった。
◇
その夜、大和は知識蔵の外に座り、右腕に目を落としていた。今は普通の腕だが、明日になれば、また刃が出て脚も変わる。
身体が必要な形を勝手に選ぶのは、怖くないと言えば嘘になる。だが以前とは違い、一人ではない。罠を作り、逃げる道も決め、失敗した時の次の手も用意した。
「準備って大事だな」
「今さら?」
横からノルアの声がした。
「いたの?」
「いた」
「みんな気配消すの上手くない?」
ノルアは大和の隣へ座った。
「明日?」
「うん」
「勝てる?」
大和は少し考えた。いつもなら、何とかなると答えたかもしれない。今日は違った。
「分からない。だから罠三つ作った」
「三つ全部失敗したら?」
「逃げる」
「ヤマトが?」
「俺も」
大和は遺跡都市の方向を見る。
「倒すために死ぬ必要ないし」
ノルアはしばらく黙っていた。それから普通に言った。
「帰ってきてね」
大和も普通に答えた。
「うん」
それで十分だった。




