第25話 縄張り
翌日、大和たちは中心区域へ向かわなかった。知識蔵の地図には、昨日見つけた空白がそのまま残っている。怪物の姿がほとんどない場所。その中心から、傷だらけの一体が逃げてきた。気にはなる。
かなり気になる。だが、だからといって翌朝すぐ突っ込むほどシェルドは甘くなかった。
「今日は周りを見る」
地図を囲みながらシェルドが言った。
「ここじゃなくて?」
「ここへ入らずに、その周囲を回る」
「何のために?」
ルシアンが答えた。
「空白がどこまで続いているか見る」
昨日通ったのは東側からの一方向だけだ。北や南から見れば、普通に怪物がいる可能性もある。
「それと、何か一体が原因なら痕跡があるかもしれない」
シェルドが続けた。
「でかい足跡とか?」
「それも含めてだ」
今日の人数は、大和、アキト、シェルド、ルシアン、バル、ドランの六人だ。
「何でドラン?」
「建物を見たい」
「今日そこ?」
ドランは大和の反応を気にした様子もなく答えた。
「中心に近いほど、残っているものが増えるんだろう」
「増えてますけど」
「なら行く」
単純だった。バルはカダ村から来た。狩りと周辺の見回りをしてきた男なので、痕跡を見る経験が多い。ルシアンとは違う見方ができるらしい。
「俺は?」
大和が思わず口にすると、アキトが聞いた。
「何がだ」
「いや、俺の役割」
シェルドが即答した。
「怪物が出たら殺せ」
「分かりやすい」
それでいい。
◇
地下道を抜け、昨日と同じ場所へ出る。今日も扉は大和の接触で動いた。もう誰もそこで立ち止まらない。最初は大事件だったことが、少しずつ日常になっている。
「慣れるもんだな」
「何に?」
バルが聞く。
「古代文明の扉が勝手に開くこと」
「勝手ではない。大和が触っている」
ルシアンが言った。
「そこ細かいな」
「違いは大きい」
「はいはい」
地上へ出ると、昨日の中心区域へ向かう道には入らず南へ回った。遺跡の図には中心部を囲むように複数の道が描かれている。今も全部残っているとは限らないが、人工物を追えば大まかな位置は分かる。最初の一時間は何も起きなかった。やがて小型の四脚怪物を一体見つけた。
大和が構える。
「来ない?」
怪物はしばらく大和たちを見ていた。だが、やがて背を向けて走っていった。
「また逃げた」
昨日の個体とは違い、傷はなく、慌ててもいない。ただ中心区域とは反対方向へ離れていった。バルが怪物の消えた森を見る。
「変だな」
「やっぱり?」
「あの距離なら、普通は寄ってくる。腹も減っている」
「分かるの?」
「身体が細い」
確かに、腹部は少し痩せて見えた。
「なのに来ない?」
「ああ」
ルシアンが記録する。大和は中心区域の方向を見た。
「この辺に来たくないとか?」
誰も答えない。それもまだ仮説だ。
◇
さらに南へ回ると、怪物の痕跡は増えた。ただし、どれも古い。足跡、引っ掻き傷、黒い液体。そして、何かを食べた跡。バルが大きな木の根元で止まった。
地面が掘れ、黒い骨のようなものが散らばっている。
「怪物?」
「多分」
骨は普通の動物とは明らかに違った。形も太さも異様で、ところどころ黒い組織がまだ付着している。
「食われた?」
「そう見える」
「共食い?」
「可能性はある」
大和は一瞬、融合個体を思い出した。だが、すぐに止める。怪物を食べたからといって、必ず融合するとは限らない。ただ食料として食っただけかもしれない。
「骨が残ってるなら、全部取り込んだわけじゃない?」
「少なくとも、ここでは」
ルシアンの答えに、大和は少しだけ安心した。その時、怪物の骨の向こうにある壁を見ていたドランが、大和たちを呼んだ。
「こっち」
白灰色の外壁が、大きく内側へ歪んでいた。割れたというより、押し潰されている。
「何これ」
大和が近づく。高さは三メートル以上。幅はさらに大きい。ドランが壁へ触った。
「硬い」
「それは知ってる」
「だからだ」
大和も意味に気づく。この壁は村の工具ではほとんど傷が付かない。それが、ここまで大きく変形している。
「何が当たった?」
バルは地面を見ていた。少し離れた場所に、深い跡が一つ。さらにもう一つ。大和たちの足跡とは比べものにならない。
「脚?」
バルは答えず、跡を追った。跡は三つ、四つと続き、途中で人工路面へ出ると、そこで消えていた。
「大きいな」
アキトが言った。カダの融合個体も大きかった。だが、この歩幅はさらに広い。
「一体とは限らない」
ルシアンが言う。
「複数?」
「大きなものを運んだ跡かもしれない」
「ああ」
すぐに一つへ決めない。ただ、この場所で何か大きな力が壁を押し潰した。それは確かだった。
◇
昼頃、中心区域の南側へ着いた。そこから北西へ回り込むうちに、傾向がはっきりしてきた。中心に近いほど、怪物がいない。外へ離れるといる。だが、中心方向へは進まない。
「境目あるな」
バルが言った。完全な線ではない。柵も壁もない。それでも、ある場所から急に怪物の痕跡が減る。
「縄張り?」
大和が口にした。バルは少し考えた。
「動物なら、そう見る」
「怪物でも?」
「知らん」
正直だった。怪物は食い、動き、追い、争う。生き物には見えるが、普通の動物と同じとは限らない。
「もし縄張りなら、持ち主がいる?」
「可能性は高くなる」
シェルドが答えた。ただ怪物が少ないだけではない。中心へ近づく怪物が避けているように見える。巨大な衝撃の痕跡、食われた怪物の残骸、昨日の負傷個体。それらを並べると、中心区域に一体の何かがいると考える方が自然に思えた。
「融合?」
「まだ分からない」
「見ないと分からないか」
「そう」
できれば見たくない。だが、いずれ見なければならない。
◇
午後、北西側へ回っている途中で、遠くから鈍い音がした。全員が止まる。
――ドン。
二度目。今度は地面がわずかに揺れた。大和は足裏へ意識を向ける。水場で覚えた、地面の振動を捉える感覚だ。
「何か動いてる」
「どこだ」
大和は目を閉じた。細かいことまでは分からない。距離も正確ではない。ただ、重い。一歩。
間を置いて、また一歩。
「向こう。かなりでかい」
中心区域を指す。
「こちらへ来る?」
「多分、横に動いてる」
ルシアンが周囲を見た。
「見る?」
大和は一瞬驚いた。ルシアンから言うとは思わなかった。だが意味は分かる。姿を確認できれば、大きさや種類だけでも情報になる。シェルドが近くの崩れた建物を見た。
「接近はしない。上から見る」
大和たちは建物の外側を使って少し高い場所へ上がった。大和なら簡単に登れるが、他の者は縄を使う。全員が伏せ、中心区域を見る。建物が重なり、視界は悪い。振動が近づく。
「いる」
建物の間を何かが通った。黒い。大きい。一瞬だけだった。
「見えた?」
「一部だけ」
次に現れたのは巨大な背中だった。大和より遥かに高い。表面には黒と白が混ざっている。太い脚が一本だけ見え、すぐ建物の陰へ消えた。
「でか……」
カダで戦った融合個体と同じくらい、いや、それ以上かもしれない。ただ、遠すぎて形は分からない。
「もう一回見えないかな」
「十分だ」
シェルドが即座に言った。その時、振動が止まった。大和は眉を寄せる。
「止まった」
何も見えない。一秒、二秒、三秒。嫌な感じがした。大和は遠くの隙間にある黒いものへ目を凝らす。最初は建物の一部だと思った。
だが違う。丸い。わずかに光を反射している。
「……目?」
そう言った瞬間、黒い点が動いた。こちらを向いた。
「下りる!」
シェルドが即座に言った。全員が動く。大和は最後まで残り、中心を見ていた。地面へ伝わる振動が一歩、二歩とこちらへ近づく。
「来てる!」
大和は縄を使わず飛び降りた。着地の衝撃を脚が吸収し、そのまま走る。後ろで地面が揺れる。
「地下道まで戻る!」
怪物の姿は見えない。だが大和には、追ってくる振動が分かる。一直線ではない。建物を迂回しているのか、少しずつ距離が開いていった。
「もっと速く!」
大和はドランの荷物を奪った。
「持つ!」
「自分で――」
「今はいいから!」
しばらく走り、ある場所を越えた瞬間、振動が止まった。
「どうした!」
アキトが聞く。
「来てない」
大和は後ろを見る。何もない。ルシアンが息を整えながら地図を確認した。
「ここ」
午前中、怪物の痕跡が急に増え始めた辺りだった。境目に近い。
「あいつも出てこない?」
シェルドが言った。
「縄張りの外へ追わない可能性がある」
姿は見えない。だが、何か巨大なものが中心区域にいる。それだけは、もう疑いにくかった。
「じゃあ、本当に縄張りなんだ」
誰も否定しなかった。
◇
村へ戻ると、知識蔵で記録を整理した。「中心区域の周囲には、怪物の活動が減る境界のような場所がある。外側では通常個体を確認。内側では怪物の残骸、強い衝撃の痕跡、巨大な足跡らしきものを確認。大型個体一体を遠距離から確認。形状不明。融合の有無も不明。大和たちを発見した後に接近したが、中心区域外までは追跡せず」。ルシアンは最後に「中心区域を縄張りとしている可能性」と書いた。
「これ、もう結構高くない?」
ルシアンは少し考えた。
「高い」
珍しく、はっきり答えた。
「じゃあ中心へ行くには」
シェルドが言う。
「あれを避けるか、倒す」
知識蔵が静かになった。大和は自分の右腕を見る。今は普通の腕だ。必要なら刃が出る。カダの融合個体は強かった。
腕を食われ、肋骨を折られ、何度も吹き飛ばされた。それでも勝った。今度のものがどれほど強いのかは分からない。そもそも融合個体なのかすら分からない。
「すぐには行かないよね」
「まず記録を整理する」
「よかった」
レティが聞く。
「怖い?」
大和は少し考えた。
「怖いよ。でかかったし」
それから少し笑う。
「でも、まだ何も分かってないからな」
強そう。怖い。今は、それだけで十分だった。




