第24話 空白
遺跡都市の中心部へ向かう。そう決めた翌朝、知識蔵に集まった人数はいつもより少なかった。大和、アキト、シェルド、ルシアンの四人だけだ。
「今日はアビナもレティも来ないんだ」
大和が言うと、シェルドは地図から顔を上げなかった。
「昨日見た範囲から先は状況が分からない。建物の密度も違う。地下にも構造物がある。逃げる経路も分からない」
ルシアンが、地図の中央にある遺跡都市で最も建造物が密集している場所へ指を置いた。
「それに、ここだけ怪物の情報がない」
村人たちは遺跡都市の外側にすらほとんど近づいていない。まして中心部まで入った者の記録などない。それでも、シェルドが慎重になる理由は分かる。昨日、地下道の出口から見えた景色は、それまでの遺跡とは明らかに違っていた。森の中に建物があるのではない。
都市そのものが森に覆われている。そんな場所だった。
「今日は調査だけ?」
「ああ。怪物を探しに行くんじゃない」
「建物にも入らない?」
「外を確認してからだ」
「了解」
大和が素直に頷くと、ルシアンが少し意外そうな顔をした。
「何?」
「何も」
「今、俺が素直だから驚いた?」
「少し」
「最近ちゃんと言うこと聞いてるだろ」
アキトが笑った。
「成長したな」
「子供みたいに言わないで」
そこへアビナがやって来た。荷物は持っていない。今日は最初から留守番だと分かっているらしい。
「変なの見つけても持って帰らなくていいニャ」
「珍しい」
「危なそうだから」
「そういう判断できたんだ」
「ヤマトよりはできるニャ」
「一言多いな」
その後ろからノルアも来た。
「帰るのは今日?」
「その予定」
「予定?」
「何もなければ」
ノルアが少しだけ眉を寄せたので、大和は笑った。
「無理はしないよ」
今度は自分からそう言った。
◇
地下道の入口までは、もう地図を見なくても行ける。大和が壁に触れると、低い音とともに扉が開いた。相変わらず理由は分からない。何度試しても、この場所は大和が触れた時だけ動く。ただし、全ての設備がそうというわけでもない。
昨日の地下道には、誰が近づいても何も起きないものが大量にあった。だから知識蔵の記録も、今のところは「一部設備は大和の接触で起動する。条件不明」という一行だけだ。それ以上の結論は出していない。
「今日はちゃんと帰りも開いてくれよ」
大和が壁へ言うと、アキトが横を見る。
「聞こえるのか」
「聞こえないと思う」
「なら何で話す」
「何となく」
シェルドが先へ進んだ。
「行くぞ」
昨日通った経路なので、地下道を抜けるのは早かった。大規模な移動設備らしき空間を横切り、崩落した地上道路の反対側へ出る。昨日は夕方だったが、今日は昼前だ。明るい時間に見る遺跡都市は、また印象が違った。
巨大な構造物が森の上から何本も突き出している。遠くからは一つの建物に見えたものも、よく見ると複数の構造が途中で繋がっていた。高い場所を渡る通路や、隣の建物へ伸びる細い構造、地上から斜め上へ続く巨大な筒のようなものもある。何に使われていたのかは分からない。
「やっぱりすごいな」
大和が言うと、シェルドはすでに周囲を確認していた。
「景色を見に来たんじゃないぞ」
「分かってますよ」
大和も気持ちを切り替えた。鳥や虫の声がし、風に葉が揺れている。昨日までの森と変わらない。
今のところ、怪物の気配もない。ルシアンが遺跡の図と現在の地形を見比べた。
「こっち」
遺跡の図では、中央部へ向かう太い線が一本通っている。現実にはほとんど森だが、植物の下を探すと古い路面が続いていた。大和たちはそれを追った。
◇
中心部へ近づくほど、森の中に人工物が増えていった。最初は建物の基礎だけだった。それが壁になり、やがてほとんど形を残した建造物が道の両側に並び始める。大和はその一つを見上げた。上部が別の建物と繋がり、その先がさらに奥へ続いている。
「これ、一棟ずつ建ってたんじゃないのかな」
「どういう意味だ」
アキトが聞く。
「俺のいたところだと、大きな建物でも基本は一個ずつだったんですよ。こっちは……街全体が繋がってる感じがする」
建物同士を繋ぐ構造は一つや二つではない。高い場所にも、低い場所にもあり、場所によっては道路の上まで覆っている。
「雨に濡れずに移動できたとか?」
大和が言うと、ルシアンが返した。
「他の用途かもしれない」
「そうだった」
思いついたことを、すぐ正解にしない。最近はそれも少し覚えた。それでも想像するのは楽しい。この街で暮らしていた者たちは、どんな生活をしていたのか、何を食べ、どこへ行き、何を作ったのか。
「一日見てても飽きないな」
「帰れなくなるぞ」
「今日は入りませんって」
大和が答えた、その時だった。ルシアンが急に足を止めた。
「何だ」
シェルドの声が低くなる。
「跡」
道の端で植物が潰れている。太い枝が折れ、白灰色の壁には深い傷が残っていた。その下には乾いた黒い液体の跡もある。
「怪物?」
「多分」
「古い?」
ルシアンは少し考えた。
「数日前かもしれない」
さらに百メートルほど進むと、今度は地面に大きな爪痕があった。その近くには、別方向へ走る小さな足跡も残っている。
「二種類?」
「大きさが違う」
地面はかなり荒れていた。木が二本倒れ、壁には複数の傷がある。そして途中から、小さい方の足跡だけが消えていた。死体も、骨も残っていない。
「食われた?」
口にした瞬間、大和はカダで見た光景を思い出した。怪物が怪物を食う。そして、取り込む。
「可能性はある」
シェルドが言った。
「またいるのかな」
「まだ分からない」
ルシアンがすぐに返す。
「はい」
危険な痕跡がある。今分かるのは、それだけだ。ルシアンが地図へ印を付けた。
◇
さらに進んでも、怪物の痕跡はあるのに、怪物そのものがいない。一時間近く歩いても一体も見なかったため、大和は最初、それを良いことだと思っていた。
だが中心部へ近づくほど痕跡まで減ってくると、さすがに気になった。
「静かすぎない?」
「俺も思っていた」
アキトも周囲を見ている。シェルドがルシアンへ聞いた。
「新しい痕跡は?」
「少ない」
これまでなら、怪物がいる場所にはもっと痕跡が散らばっていた。足跡、折れた木、黒い液体、何かを追った跡。ここにも古いものはある。だが、中心へ近づくほど減っている。
「怪物が少ない地域?」
「理由があるかもしれない」
シェルドの声が少し低くなった。怪物がいない。だから安全。そうとは限らない。
「強い奴がいると、他がいなくなる?」
大和が聞く。ルシアンはしばらく周囲を見てから答えた。
「それも仮説」
「記録しとこう」
「する」
分からないなら残す。その繰り返しが、最近は大和にも少し安心を与えていた。
◇
昼を過ぎた頃、森が突然途切れた。大和たちは大きな空間へ出た。
「……何だここ」
広場。そう呼ぶのが一番近い。ただし規模がおかしい。端から反対側までかなり距離があり、中央には巨大な円形構造、その周囲には何本もの道路らしきものが通っている。建物も、今まで見たものよりさらに高く密集していた。
「中心?」
ルシアンが遺跡の図を見る。
「近い」
遺跡の図に描かれた中央区画までは、もうそれほど遠くない。大和は少し嬉しくなった。森の中に点々と残る遺跡を見つけ、道路を追い、建物へ入り、遺跡の図を見つけ、地下道を抜けた。ようやく都市の中心が見えてきた。
「すごいな」
思わず口にした直後、アキトが大和の腕を掴んだ。
「何?」
アキトは広場の反対側を見ている。何かが動いた。怪物だ。大きさは普通で、四脚の細い身体をしている。
だが、こちらを見ていない。全速力で走っている。
「来る?」
大和が右腕へ意識を向けると、骨刃が伸びた。シェルドも武器を構える。しかし怪物は、大和たちから少しずれた方向へそのまま走ってきた。近づいて初めて分かった。身体中が傷だらけだ。
背中は大きく裂け、後ろ脚も一本まともに動いていない。それでも止まらない。
「逃げてる?」
怪物の目が一瞬だけ大和たちへ向いた。普通なら、ここで襲ってくる。だが何もしなかった。そのまま大和たちの前を横切り、森の中へ消えていく。四人とも動かなかった。
「……今の、俺たち無視したよな」
「ああ」
「何から逃げてた?」
誰も答えない。広場の向こうには建物と森と、暗い通路があるだけだった。一分、二分。待っても何も来ない。だからこそ気味が悪い。
「戻る」
シェルドが言った。
「もう?」
反射的に聞き返した大和だったが、すぐに頷いた。
「……うん。戻ろう」
何に襲われたのかは分からない。別の怪物とは限らない。建物が崩れたのかもしれないし、何か事故が起きた可能性もある。確認するために追う必要はない。今日の目的は中心部への経路確認であり、それはもう達成している。
「印付ける?」
「もう付けた」
ルシアンの地図には、広場の横へ一文字だけ書かれていた。危険。
「でかく書いといて」
「分かった」
◇
帰りは、行きより会話が少なかった。何も追ってこない。地下道まで戻り、扉が閉じたところで、大和はようやく息を吐いた。
「怪物に逃げられるとは思わなかった」
「俺たちから逃げたわけじゃない」
アキトが言う。
「分かってる。それが嫌なんだよ」
普通の怪物が、大和たちを見ても襲う余裕がないほど何かから逃げていた。シェルドが言った。
「次は人数を考える」
「増やす?」
「戦える者を増やす可能性もある」
大和は少し驚いた。シェルドは、人数が多ければ安全になるとは考えない。その彼が増員を口にするということは、今日見たものをそれだけ危険だと見ている。
「俺でも戦えるか分からない相手?」
「相手がいるかどうかも分からない」
「そうだった」
また先に決めていた。大和は苦笑した。
「でも、準備はする」
「それは賛成」
◇
村へ戻ると、知識蔵で今日の記録を整理した。「遺跡都市中心部への経路を確認。建造物の密度が大幅に増加。複数の怪物同士が争った可能性のある痕跡。中心部に近づくほど怪物の目撃が減少。負傷した通常個体一体を確認。大和たちを無視して中心部から逃走。原因不明」。最後の項目を書き終えると、知識蔵が少し静かになった。
「怪物が逃げてたニャ?」
アビナが聞く。
「うん」
「ヤマト見ても?」
「完全に無視された」
「珍しいニャ」
「珍しいというか、初めて」
レティが聞いた。
「追わなかったの?」
「追わないよ」
大和が即答すると、シェルドが少しだけこちらを見た。
「何その反応」
「成長したと思っただけだ」
「アキトと同じこと言うなよ」
少し笑いが起きた。それでもルシアンは地図を見続けている。大和も隣へ行った。
「気になる?」
「ここ」
今日歩いた範囲の外側には、怪物の痕跡がいくつかある。中心へ近づくほど減り、最も中央に近い場所にはほとんどない。
「空白だな」
怪物がいないから、記録するものもない。ただの空白。安全ならありがたい。しかし今日見た怪物を思い出すと、違う意味に見える。
「何かいる?」
ノルアが後ろから聞いた。大和は地図を見てから首を振った。
「分からない」
今は、それが正しい。ルシアンは新しい記録板を取り、その一番上に「中心区域――原因不明の怪物減少。遺跡都市で最も大きな建物が集まる場所」と書いた。知りたいものも、きっと多い。どうやら簡単には入れてくれそうになかった。




