第21話 都市
知識蔵の机いっぱいに、二枚の地図が広げられていた。一枚は、大和たちがこれまで歩いて作った地図。もう一枚は、遺跡の内部で見つけた図をルシアンたちが写したものだ。正確さは分からない。そもそも、あの図が本当に地図なのかも確定していない。
それでも、昨日通った古い道と図の一本の線はかなりよく一致していた。
「だから、次はここ」
大和が指を置いた。今いる遺跡から、古い道をさらに北へ進んだ場所。図では、比較的大きな形が一つ描かれている。中心部らしい巨大な区画よりは近い。シェルドが距離を見る。
「往復なら一日で行ける可能性がある」
「中には入らない」
ルシアンが付け加えた。
「今日は場所の確認だけ」
大和は頷いた。前なら、そこまで行ったら当然中にも入りたくなっただろう。今でも入りたい。ただ、前回の内部調査で分かった。遺跡は広く、怪物もいる。
構造が分からず、灯りも必要だ。一つ調べるだけでも時間がかかる。だから今日は、遺跡で写した図がどこまで今の地形と一致するのかを確かめる。
「つまり外だけニャ?」
横から声がした。大和は嫌な予感がして振り向いた。アビナが立っている。
「どこから聞いてた?」
「最初から」
「いた?」
「いたニャ」
「全然気づかなかった」
アビナは地図へ近づいた。
「外だけなら私も行ける」
シェルドを見る。
「昨日、そう言ったニャ」
シェルドは少し黙った。確かに昨日、安全確認が終わったら考えると言っている。大和は笑った。
「逃げられないですね」
「お前は嬉しそうだな」
「俺が決めたんじゃないので」
アビナが机を叩く。
「行くニャ」
ルシアンが冷静に言った。
「条件」
「何ニャ」
「勝手に離れない。勝手に遺跡へ入らない。知らない物を勝手に触らない」
「子供扱いニャ」
「守れる?」
アビナは黙った。少し考えてから答える。
「……だいたい」
「駄目」
「守るニャ!」
こうして、今日の調査隊にはアビナが加わった。大和、アキト、シェルド、ルシアン、アビナ。ドランは村に残った。昨日持ち帰った黒い破片を、朝からずっと叩いたり削ったりしている。今のところ、ほとんど傷すら付けられていないらしい。
「何か分かった?」
出発前、大和が聞くと、ドランは短く答えた。
「硬い」
「それ昨日も聞いた」
「昨日より分かった」
「何が?」
「思っていたより硬い」
「進んでないなあ」
ドランは気にせず、また工具を当て始めた。
◇
最初の遺跡までは、もう迷わなかった。白灰色の古い道へ出る。用途不明の黒い柱、森に飲み込まれながら残る巨大な構造物。二度見ても、三度見ても、大和にはやはり自分の時代より先進的なものに見えた。それでも大和にとっては、あくまでこの世界の過去だった。
「何年前くらいなんだろうな」
歩きながら、大和が言った。アビナが答える。
「すごく昔ニャ」
「それは分かる」
「じゃあ、ものすごく昔」
「情報増えてないよ」
ルシアンが道の亀裂を見る。
「木の大きさだけでは分からない」
「ですよね」
大和は周囲を見た。この文明が何年前に滅びたのか、百年なのか、五百年なのか、千年なのか、今のところ判断できる材料はない。自分が目覚めた施設も古かった。でも、あれがこの文明と同じ時代のものなのかすら分からない。大和は今のところ、そこを無理に繋げてはいなかった。
似た高度文明が複数あった可能性だってある。異世界なら、そういうこともある。そう思っていた。古い道を北へ進む。昨日まで歩いていない場所へ入ると、森は再び濃くなった。
しかし不思議なことに、道そのものは消えない。植物に覆われていても、盛り上がり方が周囲とは違う。その気になって探せば追える。
「昔の道って、こんなに残るものかな」
大和が呟いた。アキトが聞く。
「お前のところでは?」
「何百年も放置した道路なんて見たことないです」
「なら分からないな」
「はい」
それでも大和には、やはり異常に丈夫に見えた。ひび割れている。植物も入っている。ところどころ沈んでもいる。それなのに、路盤そのものはまだ形を保っている。
古代文明が本気で作った道路。そう考えると妙に納得してしまう。一時間ほど進んだところで、ルシアンが止まった。
「二体」
大和も前を見る。まだ姿は見えない。だが、茂みの奥から低い音がする。シェルドが手で位置を示した。アビナは言われる前に後ろへ下がった。
大和が少し感心する。
「ちゃんと守ってる」
「当たり前ニャ」
「偉い」
「子供扱いするなニャ」
その直後、怪物が二体出た。一体は細長い四脚。もう一体は、胴が低く前脚だけが太い。どちらにも融合した痕跡はない。一体が大和へ向かい、もう一体がアキトへ動いた。
「分かれた」
大和が言う。怪物が必ず同じ対象だけを狙うわけではない。それも、これまでの記録で分かってきている。大和は正面の一体を引き受けた。骨刃を出す。
細長い個体は速い。だが、カダへ向かった時に戦った速い個体ほどではない。横へ避け、向きを変えさせる。アキトとシェルドがもう一体を押さえる。ルシアンは二体の位置を見ながら声を出す。
「大和、先にそっち」
「了解」
大和は踏み込み、一体目の肩口へ骨刃を入れた。浅い傷に怪物が反転する。二度目は胸を狙い、深く刺した。黒い変色が広がり、倒れるまで確認してからもう一体へ向かう。そちらはアキトとシェルドがすでに動きを制限していたため、大和が横から入って終わらせた。
二体を倒すまで数分。大きな負傷もなく、新しい能力も必要なかった。アビナが少し離れた場所から見ていた。
「前より早いニャ」
「俺?」
「みんな」
大和は少し嬉しかった。確かに、変わったのは自分だけではない。仲間全員が怪物との戦いに慣れ、連携も良くなっている。
「融合してない」
ルシアンが死体を調べながら言った。大和も近づく。
「また普通?」
「普通」
アビナが首を傾げる。
「融合って、そんなにいるニャ?」
その言葉に、大和は少し止まった。カダ村で見た巨大な融合個体と、水場近くで共食いしながら身体を変えていた個体。二体を続けて見たせいで、怪物は長く生きればいずれああなるのだと、何となく思い込んでいた。だが振り返れば、村の周辺からカダまでの道、水場、道路調査、そして今日まで、見てきた怪物の大部分は通常個体だった。
「そう言えば」
大和が言った。
「カダの人も、あのでかい奴は初めて見たって言ってたよな」
アキトが頷く。
「そうだ」
ルシアンが記録板へ印を付ける。
「今まで確認した融合個体は少ない」
「じゃあ」
大和は少し考えた。
「全部がああなるわけじゃない?」
シェルドが答える。
「まだ分からない」
「ですよね」
大和は笑った。最近は、その答えを自分でも先に思えるようになってきた。確定できるのは、融合する怪物と共食いする怪物が存在し、今のところ通常個体の方が圧倒的に多いということ。それだけだ。
「カダの辺りが変だった可能性もある?」
ルシアンが言う。
「ある」
「融合できる奴が少ないとか?」
「ある」
「たまたま二体近くにいた?」
「ある」
大和は頭を掻いた。
「何でもあるな」
「分からないから」
「はいはい」
それでも少し安心した。すべての怪物が時間とともに融合し続けるなら、この世界はこれからさらに酷くなると思っていた。少なくとも、今の観測だけではそうとは言えない。
◇
さらに一時間ほど進むと、森の中に人工物が増え始めた。最初は白い板や黒い棒、半透明の細い管のような小さな破片だった。どれも用途は分からない。やがて地面から低い壁のような構造物が現れ、百メートル以上も真っ直ぐ続いた先で直角に曲がっていた。
「建物?」
アビナが聞く。
「基礎かな」
大和は壁を跨いだ。その先にも同じものがある。さらに、もう一本。その向こうにも同じ構造物が続いている。ルシアンが遺跡の図を見る。
「位置が近い」
「例の大きい形?」
「違う」
ルシアンは周辺を指す。
「小さい形が集まっているところ」
大和は周囲を見た。見えるのは森と木、草、苔ばかりだ。だが意識して見ると、地面の形が不自然だった。妙に平らな場所、四角く窪んだ場所、一直線に並ぶ盛り上がり。木の根元から白い人工素材が覗いている箇所まである。
大和はゆっくり周囲を歩いた。
「ここ全部?」
誰もすぐには答えなかった。道の左右、森の奥まで人工物の跡が続いている。一つや二つの建物ではない。何十、あるいは何百という構造物が並んでいた可能性がある。
「……街だった?」
大和が言った。昨日、遺跡内部の図を見た時にも同じことは考えた。だが、実際にその場所へ立つと意味が違う。森だと思っていた場所の下に、人工物が延々と続いている。大和は少し背筋が寒くなった。
「この森って」
ゆっくり周囲を見る。
「街の上に生えてるのか」
アキトも黙って周囲を見た。アビナは地面にしゃがみ込み、苔を少し払う。
「ここも硬いニャ」
苔の下から、白い素材が現れた。
「あまり遠く行くなよ」
「分かってるニャ」
大和は遺跡の図を覗いた。自分たちは今、小さな形が大量に集まった区画を横切っているらしい。これが地図なら、現地の様子とかなり一致している。
「本物っぽくなってきたな」
ルシアンが聞く。
「何が」
「地図」
「最初からそう思ってた」
「確定してなかった」
「そうだけど」
さらに歩くと、道が突然大きく広がった。大和は足を止めた。
「何これ」
広い円形の空間だった。中央には今は何もないが、何かを設置していたらしい低い基礎がいくつも残っている。その周囲を囲むように、同じ形の黒い構造物が並んでいた。高さは腰ほど、長さは二メートルほどで、一つ一つがわずかに湾曲している。大和は近づいた。
「椅子?」
アビナがすぐ座ろうとする。
「待て待て待て」
大和が止める。
「触るなって言われたでしょう」
「ヤマトも椅子って言ったニャ」
「椅子かもしれないってだけ」
アビナは不満そうに見る。大和も改めて観察した。座れなくはないが、椅子と呼ぶには形が微妙におかしい。背もたれらしき部分は低く、横には半透明の部品があり、底は地面と一体化している。
「何なんだろうな」
アキトが言う。
「ここに大勢集まったのかもしれない」
「広場?」
大和は周囲を見た。人が集まる広場だったと考えれば、円形の空間そのものは理解できる。ただ、それだけでは説明できない物も多い。外周の地面には細い溝が何本も走り、複数の道路へ繋がっている。半透明になった部分からは、内部に何十本もの黒い線が通っているのが見えた。
「これも電気とか?」
大和が言う。ルシアンが聞く。
「また、お前の世界のもの?」
「似てる考え方はあった。でも、こんなのはない」
大和は笑った。最近はそればかりだ。発想には、自分の時代と似たものを感じる。だが実際に使われている技術は分からない。その距離が大和には面白かった。
はるか昔、この場所を誰かが歩き、道を作り、建物を建て、物を運び、集まって暮らしていた。今は誰もいない。
「何で消えたんだろうな」
また同じ言葉が出る。今度は、少し重かった。
◇
目的の場所へ着いたのは、昼をかなり過ぎてからだった。遺跡の図に大きく描かれていた構造物は、最初に見つけた遺跡とは全く形が違う。低く横へ広がり、巨大な白い板を何層も重ねたような外形をしている。中央部分だけが高く、その周囲には細長い物体が何十個も半ば地面へ埋まった状態で並んでいた。大和はそれを見て立ち止まった。
「……何だこれ」
一つへ近づいてみる。長さは四メートルほど、表面は黒と白で、窓らしきものも目立った継ぎ目もない。片側だけが少し尖っていた。
「乗り物?」
大和が言った。シェルドが聞く。
「なぜ」
「形が」
「車に似てる?」
アキトが聞く。
「いや。全然似てない」
大和は周囲を見回した。形は車と全く違うが、同じ向きに並び、道路らしき場所に沿って建物の横へ置かれている。その配置だけを見ると、乗り物を置く場所のようにも思えた。
「俺の知ってる乗り物じゃないけど」
一つの表面へ灯りを当てる。白い外殻はかなり汚れている。でも腐食していない。大和は指で軽く触った。硬く、滑らかだった。
「これ、どのくらい残ってんだ?」
誰も答えられない。アビナが別の一つを覗いている。今度は触らない。ちゃんと約束を守っている。
「全部同じニャ」
「ほんとだ」
完全に同じではなく、長さや形には少しずつ違いがある。それでも同じ種類の物が、一定の規格で作られているように見えた。ルシアンが図と周囲を見比べている。
「ここ」
ルシアンが指した大きな形の横には、細長い小さな記号が大量に並んでいる。大和は現物を見て、図を見て、もう一度現物へ視線を戻した。
「これ?」
「多分」
「じゃあ、この図」
大和の声が少し変わった。
「建物だけじゃなくて、細かい設備まで書いてある?」
「可能性がある」
大和は遺跡の図を見直した。今までただの線や形だと思っていた記号にも、一つずつ意味があるのかもしれない。道路、建物、広場、設備。今は森に埋もれて見えないものまで、この図には描かれている可能性がある。
「すごいな」
大和は素直に感心した。自分の時代にも車や電車、飛行機、高層建築、通信網があった。それでも目の前にある物は、その延長だけでは理解できない。用途すら見ただけでは判断できないほど、技術の距離がある。
「古代文明」
大和は少し笑った。アビナが見る。
「何ニャ」
「いや」
巨大な白い建物と、そこへ並ぶ用途不明の物体。そのさらに奥にも人工物が続いている。
「本当に俺の世界よりすごかったんだなって」
「ヤマトの世界もすごかったんでしょ?」
「まあ」
大和は少し考える。
「俺は普通に暮らしてただけだから、作れって言われても何も作れないけど」
アビナが笑う。
「役に立たないニャ」
「ひどい」
「古代の人の方がすごいニャ」
「今のところ反論できない」
シェルドが建物を見る。
「中は次回だ」
「はい」
大和は今回は文句を言わなかった。外だけでも十分だった。むしろ、一日で見たものが多すぎる。帰って整理したい。
◇
帰り道、大和は遺跡の図を何度も見た。昨日は宝の地図に見えた。今日は少し違う。これは街そのものの記録なのかもしれない。道、建物、設備、広場。
そして中央には、周囲より明らかに構造物の密度が高い大きな区画がある。大和はそこを見た。
「ここ、やっぱり街の中心かな」
ルシアンが答える。
「そう見える」
「今の場所より、ずっと大きいよな」
「図が正しければ」
「行ってみたいな」
シェルドが前を歩いたまま言う。
「道からだ」
「分かってます」
大和は笑った。今は本当に分かっている。一つずつ調べればいい。焦る必要はない。
◇
村へ戻ると、知識蔵で記録の整理が始まった。今日確認したのは、通常個体の怪物二体、古代の道路、多数の建物跡、広場らしき空間、目的地の巨大構造物、そして用途不明の細長い設備。大和は一つずつ地図へ印を増やしていった。ルシアンが横から言った。
「怪物」
「何?」
「今日も融合していなかった」
「ああ」
「これまでの数、まとめる」
大和は頷いた。討伐した怪物も、見ただけの怪物も、融合個体も、共食いしていた個体も記録に残っている。正確な総数をすぐに出せなくても、一つだけは一目で分かった。融合個体は少ない。
「思ってたより珍しい?」
大和が聞く。ルシアンは少し考えた。
「今の記録では」
「それ大事だな」
大和は別の板へ、二つの仮説を書いてもらった。
「融合個体は少数の可能性」
「全怪物が融合するかは不明」
以前は、時間が経てば怪物同士が食い合い、いずれカダで戦ったような姿になるのだと思っていた。だが、違うかもしれない。
「思ったこと残しといてよかったな」
ノルアが聞く。
「何で?」
「前は、全部ああなるかもしれないって思ってたから」
「今は?」
「分からない」
大和は笑った。
「でも、前よりは安心してる」
ノルアも少し笑う。別の机では、アビナが今日見たものをレティへ説明している。
「すごくでかいのがあったニャ」
「どれくらい?」
「ものすごく」
「分からないよ」
「ヤマトよりいっぱい大きい」
「余計分からない」
大和は二人の会話を聞きながら地図を見る。今日、新しい範囲が加わった。遺跡は一つではない。道、建物、広場、設備。それらが繋がり、一つの巨大な生活圏を形作っていたらしい。
大和は地図の空いている場所に、新しい呼び名を書いた。
「遺跡都市」
ルシアンが見る。
「確定?」
大和は少し考え、その横へ小さく付け足した。
「多分」
ルシアンが頷き、大和も笑った。森の向こう、地面の下には、自分たちよりはるかに進んだ文明の街が眠っている。少なくとも今の大和には、そう考えるのが一番自然だった。




