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この世界に残るもの  作者: 深空 律
第一部 知らない世界
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19/71

第19話 遺跡

朝、大和が知識蔵へ行くと、入口の前に荷物が並べられていた。食料、水、縄、灯り、簡単な工具。怪物の記録板と、これまでに作った周辺地図もある。


「ずいぶん本格的になったな」


少し前まで、森へ出る時に必要なのは武器くらいだった。正確には、大和の場合は武器すら持っていなかった。怪物が出れば腕から勝手に生えてくる。今は違う。どこへ行くのかを決め、何日かかるかを考え、必要な食料を準備し、帰る予定まで決める。


大和は荷物を見ながら笑った。


「冒険っていうより調査隊だな」


「何が違うニャ?」


横からアビナが荷物を覗き込んだ。


「俺が想像してた異世界の冒険って、もっと適当だったんだよ。剣持って知らない場所へ行って、あとは何とかなるみたいな」


「食べ物がなかったら何ともならないニャ」


「現実的だな」


アビナの手が食料袋へ伸びる。大和はその手首を掴んだ。


「それは今日の昼飯」


「確認してただけニャ」


「何を」


「ちゃんと入ってるか」


「外から触れば分かるだろ」


アビナは不満そうに手を引いた。知識蔵の周囲には、朝から人の出入りがある。カダ村との道が開いてから、村は少しずつ変わっていた。広場には見慣れない犬型の亜人が歩き、倉庫にはカダ村から運ばれてきた麦が積まれている。逆に、こちらから木材や薬草を積んだ荷車が出ていく姿も珍しくなくなった。


知識蔵にも新しい記録が増えている。カダ村で使われていた見張り台の構造、柵の補強方法、道が崩れた時の直し方、保存食、麦の保管方法。大和が何かを教えるだけではない。向こうからも知識が来る。それを見ていると、二つの村が本当に繋がったのだと実感できた。


「ヤマト」


声を掛けられて振り向く。シェルドだった。後ろにはアキトとルシアンもいる。


「準備はできたか」


「いつでも」


大和は荷物を背負った。今日向かうのはカダ村ではない。村から北西。以前、怪物の出現地点を地図へ記録していた時、何度か話に出た場所だった。森の中に古い人工物が残っている。


建物らしきものもある。村人たちは存在だけは知っているが、わざわざ近づこうとはしなかった。役に立つかどうか分からない。怪物もいる。危険を冒して調べる理由がなかった。


だが今は違う。怪物を倒せる。道も一つ取り戻した。食料や人員にも、以前より少し余裕ができている。そして何より、大和には理由があった。


自分が目覚めた場所、森に飲み込まれた壊れた施設。あの場所も、今から見れば遺跡の一つなのかもしれない。もし同じような人工物が他にもあるなら、自分がこの世界へ来た理由や、帰る方法の手掛かりが見つかるかもしれない。


「本当に行くニャ?」


アビナが聞いた。


「行くよ」


「私も」


「駄目」


大和が即答すると、アビナの耳がぴんと立った。


「何でニャ!」


「今回は中がどうなってるかも分からないから」


「見るだけニャ」


「その台詞、前にも聞いた」


「今度は本当に見るだけ」


「余計信用できない」


アビナがシェルドを見る。シェルドは先に答えた。


「駄目だ」


「まだ何も言ってないニャ!」


「言うことは分かる」


「横暴ニャ」


「安全確認が終わったら考える」


アビナはしばらく不満そうにしていたが、最後には諦めた。


「変なの見つけたら持って帰るニャ」


「持てるものならな」


「怪物の頭とか」


「いらない」


大和は笑いながら村の入口へ向かった。今回の調査隊は四人。大和、アキト、シェルド、ルシアン。最初に怪物の死体を確認しに行った時と同じ組み合わせだ。けれど、あの頃とはずいぶん違う。


あの時の大和は、自分が怪物を本当に殺せるのか確かめに行った。今は世界そのものを調べに行く。入口で一度振り返る。レティが手を振っている。ノルアもいる。


ドランは誰かと荷車を見ていたが、大和に気づくと軽く手を上げた。アビナはまだ少し不満そうだった。


「行ってきます」


大和も手を上げ、森へ入った。


◇


二時間ほど歩いた頃、ルシアンが突然足を止めた。大和も自然に止まる。以前なら理由を聞いていただろう。今は分かる。何かいる。


ルシアンが地面へしゃがみ込んだ。


「一体」


ルシアンは土に残った足跡を指した。四脚で、比較的大きい。跡もまだ新しい。シェルドが周囲を確認する。


「進路上か」


「多分」


ルシアンが答える。大和は右腕を見る。まだ何も起きていない。戦うと決めれば出る。それも、もう分かっている。


「避ける?」


大和が聞くと、シェルドは少し考えた。


「建物まで同じ方向だ。後ろに残すより確認する」


「了解」


少し進むと、森が開けた。直後、右側の茂みが大きく揺れる。怪物が飛び出した。四脚。背中が高く、頭部が横に広い。


融合した痕跡はない。最近、大和たちが「通常個体」と呼ぶようになった種類だ。怪物の視線がアキト、シェルド、ルシアンを順に移動し、最後に大和で止まった。


「また俺?」


大和が前へ出ると、怪物が突進した。速い。だが、もう驚くほどではない。直前まで引きつけて横へ外れる。怪物が通り過ぎたところへアキトの槍が脚に入り、体勢が崩れた。


大和はすぐ戻り、右腕から伸びた白い骨刃を胸へ突き刺す。怪物が暴れたため一度距離を取り、再生が始まった同じ場所へもう一度、今度は深く刺した。傷口の周囲が黒く変わり、怪物の動きが鈍る。数秒後には完全に倒れた。ルシアンが少し待ってから近づく。


「死んだ」


「普通だったな」


大和は骨刃を縮めながら言った。言ってから、自分で少し笑う。


「怪物に普通って言うのおかしいけど」


「比較するには必要だ」


シェルドは気にしていない。融合個体、共食い個体、通常個体。少しずつ分類が増えている。知識蔵を作る前なら、すべて「怪物」で終わっていた。大和は死体を一度振り返った。


今回は新しい能力も出ず、身体も特別変化しなかった。それでいい。毎回何かが増える方が怖い。


「行きましょう」


四人は再び森を進んだ。


◇


昼を過ぎた頃、森の様子が変わり始めた。最初に気づいたのは地面だった。草の間から、不自然に平らなものが見えている。大和は立ち止まり、しゃがんだ。表面の土を手で払う。


「……何だこれ」


石を敷いたものでも、コンクリートやアスファルトでもない。少なくとも、大和が知っている道路とは違う。色は白に近い灰色。長い間放置されたとは思えないほど表面は滑らかで、ところどころ大きな亀裂が走っている。


その亀裂から植物が生えていた。大和は指で破断面を触った。外側と内側で材質が違う。薄い層が何重にも重なり、その間に黒い繊維のようなものが走っている。


「道か?」


アキトが聞いた。大和は左右を見た。同じ素材の平らな面が森の中を長く続いており、幅もかなり広い。


「たぶん。でも……」


靴の踵で軽く叩くと、硬い感触が返ってきた。


「俺の知ってる道路じゃない」


「お前のところにも道はあったんだろう」


「ありましたけど、こんなの見たことないですよ」


そもそも大和が道路の材質に詳しいわけではないが、それでも自分の時代に普通に見たものとは違う。ルシアンも破断面を見ている。


「作れる?」


「俺が?」


「お前のいたところで」


大和は少し考えてから首を振った。


「少なくとも、こういう道路は見たことない」


その事実に、少し胸が高鳴った。この世界には、大和の知っているものとは違う高度な文明があった。しかも、自分の時代より進んでいた可能性がある。


「これ、古代文明ってやつじゃない?」


アキトが首を傾げる。


「古代文明?」


「昔、すごい技術を持った人たちがいて、それが滅びて遺跡だけ残ってるみたいな」


シェルドが聞く。


「お前のところにもあったのか」


「話としては」


大和は笑った。


「でも、俺のいたところよりこっちの方がすごそう」


歩きながら地面を見る。長い時間が経っているはずなのに、基礎そのものはかなり残っている。誰も直していない。それでも道として形を保っている。


「昔の人、どんな材料使ってたんだろ」


その先で、さらに奇妙なものを見つけた。道の端から、黒い細い構造物が伸びている。高さは二メートルを少し超えるくらい、柱のように見えるが、金属ではなかった。表面に錆はない。ところどころ割れ、その中から白い繊維状のものが露出している。


大和は近づいた。


「これも何だ?」


触れてみると冷たいが、金属の感触とは少し違う。非常に硬く、同じ構造物が一定間隔で道沿いに並んでいる。上部には灯りらしい器具もなく、電線も見当たらない。


「街灯……じゃないよな」


「何だ、それは」


アキトが聞く。


「道を照らす灯り」


「これは?」


「だから分からない」


大和は黒い柱を見上げた。自分の世界より高度な文明。そう考えると妙に納得できる。何に使っていたか分からない。使われている材料も分からない。


それで当然なのかもしれない。数百年前の人間にスマートフォンを渡したら、同じような顔をするのではないか。大和は少し笑った。


「俺、今そういう側なんだろうな」


「何がだ」


「これ作った人から見たら、何も分かんない人」


シェルドは黒い柱を一度見た。


「俺たちは全員そうだ」


「それもそうか」


さらに進む。地面には、ところどころ細い線が埋め込まれていた。金属に見える部分、半透明の部分。何のためのものなのかは全く分からない。一部では木の根が構造物の下へ入り込んでいるのに、表面が割れずにわずかに盛り上がっていた。


「これ、曲がってない?」


大和が気づく。道路の一部が木の根に押されている。普通なら割れるはずだ。しかし材料そのものが少し変形しているように見える。ルシアンが触れる。


「柔らかい?」


「今は硬い」


「昔は違った?」


「分からない」


また分からない。だが、それが楽しい。大和は、この世界へ来た直後とは違う意味で未知の中へ入っている感覚がした。やがて道の先、森の向こうに巨大な影が現れた。最初は建物だと分からなかった。


形が、自分の知っている建築物と違いすぎたからだ。


「……あれ?」


立ち止まる。白灰色の巨大な塊。木々の間から上部だけが見える。直線だけでもない。曲線だけでもない。


いくつもの大きな面が滑らかにつながり、一つの構造物を作っている。屋根と壁の境界すら、大和にはよく分からない。近づくにつれて規模が分かってきた。


「でか……」


何階建てなのかも判断できない。窓らしきものはある。だが透明ではない。黒い板のような部分が外壁へ埋め込まれ、場所によっては何十メートルも連続している。通常の窓のような枠がない。


外壁にもほとんど継ぎ目がない。一部は大きく崩壊している。破断面を見ると、外側の白い層、その内側の蜂の巣のような構造、さらに黒い繊維の束が見えていた。大和は思わず壁へ近づいた。


「これ……建物だよな?」


アキトが答える。


「そう聞いている」


「いや、そうなんだけど」


自分の時代にも、高層ビルや商業施設、工場のような巨大建築はいくらでもあった。だが、これはどれとも違う。古く、壊れ、森に飲み込まれている。それでも使われている技術だけは、大和の知っているものより明らかに先にあるように感じた。壁へ触れる。


石でも金属でもない。表面は陶器に少し似ているが、巨大な建物を単純な焼き物で作っているとは思えない。


「セラミックみたいだけど……」


「せらみっく?」


ルシアンが聞く。


「焼いて作る硬い材料……みたいなもの。でも、こんなの俺のところにもなかった」


ルシアンが壁を叩くと、高い音が返った。内部まで完全な塊ではないらしい。大和には、軽量化された構造のようにも思えた。


「すごいな」


大和は素直に呟いた。


「本当に、俺のいたところより進んでるかも」


誰も答えない。比較できるのは大和だけだ。少なくとも、彼が知っていた文明にはこれと同じものはなかった。大和の頭の中で、一つの像が形になり始める。この世界には昔、今よりずっと進んだ文明があった。


大きな道を作り、大和にも分からない素材で巨大な建物を建てた。そして何かが起き、その文明は消えた。今は亜人の村と怪物だけが残っている。


「もしかして」


大和が建物を見上げる。


「怪物って、この文明が滅びたことと関係あるのかな」


アキトとルシアンが大和を見る。シェルドはすぐには答えなかった。


「根拠は?」


「ない」


大和は即答した。


「でも、こんなの作れる文明があったのに、今はないんですよ」


大和は建物と、それを飲み込む森を見た。怪物と亜人が暮らす現在の世界を思い浮かべる。


「何かはあったんだろうなって」


それ以上は考えない。何が起きたのか、今の自分には分からない。遺跡が教えてくれるかもしれない。四人は建物の外周を歩いた。入口らしい場所を見つけるのにも少し時間がかかった。


大和の感覚では、巨大な壁の一部が斜めに割れているだけに見える。だが近づくと、床が内部へ続いていた。


「ここから入れそう」


内部は暗く、かなり広い。入口付近には植物が入り込んでいるが、奥までは見えない。ルシアンが地面を確認した。


「怪物の跡」


「新しい?」


「そこまで新しくない」


シェルドが即座に判断した。


「今日は入らない」


大和は中を見た。


「ちょっとだけ――」


「入らない」


「ですよね」


以前なら、一人だったら入っていたかもしれない。今は止める人間がいる。そして、大和自身も止められる理由が分かるようになっていた。中で怪物と遭遇するだけならまだいい。床が抜けるかもしれない。


空気が悪いかもしれない。何か危険なものが残っている可能性もある。


「灯りも足りないな」


大和が言う。シェルドが頷く。


「次は内部調査用に準備する」


「次あるんだ」


「調べるために来たんだろう」


大和は笑った。


「そうでした」


外周をさらに調べていると、ルシアンが何かを見つけた。


「これ」


地面に半分埋まった薄い板を、大和たちで掘り出した。白く、陶器のようにも見える奇妙な素材だ。非常に薄いのに、大和が軽く曲げようとしてもほとんど動かない。表面には色と、文字か記号らしき跡が残っていた。


「読める?」


大和がルシアンへ渡す。


「無理」


「俺も」


線や点、幾何学的な形が組み合わさっているが、劣化も激しく、大和には意味を読み取れない。


「何の板だろ」


角度を変えて光を当ててみても、用途までは分からなかった。ただ、自然にできた物でないことだけは確かだ。これほど薄く硬い素材を作り、巨大な建物や長大な道を残した文明が、かつてこの世界に存在した。帰る方法や、自分がここへ来た理由の手掛かりがあるかもしれない。それ以上に、この文明が何を作り、なぜ消えたのかを知りたいという気持ちが、大和の中で強くなっていた。


怪物や亜人と関係があるのかも、まだ何も分からない。


「面白いな」


大和が言った。アキトが見る。


「危険かもしれないぞ」


「それでも」


大和は巨大な遺跡を見上げた。


「面白いです」


◇


村へ戻ったのは夕方だった。大和たちが持ち帰った薄い板は、すぐに知識蔵の机へ置かれた。当然、アビナが最初に来た。


「これ何ニャ!」


「遺跡に落ちてた」


「何に使う?」


「分からない」


「何て書いてある?」


「分からない」


「役に立たないニャ」


「それ、前にも言われたな」


ドランもやって来て板を手に取り、爪で軽く叩きながら表面を確かめた。


「金属じゃない」


「やっぱり?」


「石でもない」


「俺も分からなかった」


ドランは板の端をじっくり見る。


「薄いのに硬い」


「作れる?」


大和が聞く。ドランは首を振った。


「今は無理だ」


大和は少し笑った。その言い方が好きだった。


「無理」ではなく、「今は作れない」。


レティとノルアもやって来た。シェルドはすでに次回の調査に必要なものを整理し、ルシアンは建物の外形を描いている。大和も横から覗き込んだ。


「そこ、もっと丸くなかった?」


「どこ」


「上」


「ここ?」


「いや、もう少し……」


「お前が描け」


「ごめんなさい」


ノルアが笑った。


「大きかった?」


大和は頷く。


「めちゃくちゃ」


「ヤマトのところにも同じのあった?」


その質問に、大和は少し考えた。


「ない」


「似たものは?」


「建物はあったけど」


大和は持ち帰った板を見た。外壁も道路も黒い柱も、使われている材料からして自分の知識の外にある。


「多分、俺のいたところより進んでた」


知識蔵の中が少し静かになる。大和の世界。亜人たちはほとんど知らない。大和自身も詳しく説明していない。だが、大和が以前暮らしていた場所には、電気や車や大きな建物があった。


それくらいは皆知っている。その大和が、自分の世界より進んでいると言う。アビナの耳が立った。


「すごいニャ」


「すごかったんだろうな」


大和は答えた。


「昔は」


「昔は」と自分で言って、少し引っかかった。


高度な文明が確かに存在したらしいのに、今はない。


「何で滅びたんだろうな」


誰も答えない。答えられる人間はいない。ルシアンが板に文字を書く。


「調べる」


大和が見る。


「それだけ?」


「今分かることは少ない」


「確かに」


ルシアンは続けた。


「道がある」


一つ。


「建物がある」


二つ。


「今の村では作れない材料がある」


三つ。


「怪物の痕跡もある」


四つ。


「中はまだ見ていない」


大和は頷いた。まず事実を残し、考えたことは別にする。知識蔵を作った時に決めたやり方が、少しずつ役に立ち始めている。ノルアが新しい板を取り出した。


「考えたことも書く?」


「うん」


大和はそう答え、今、自分が思っていることを少し考える。


「この世界には、昔」


ノルアが書く。


「今より高度な文明があった」


大和は続ける。


「多分」


ノルアが顔を上げた。


「多分も書く?」


「そこ大事」


大和は笑う。


「間違ってるかもしれないから」


ノルアも少し笑い、「多分」と書き加えた。その下には、「大和のいた世界より高度だった可能性がある」と記し、さらに「怪物や亜人との関係は不明」と書き足した。


大和は最後に書かれた内容を見た。文字はまだすらすら読めないが、意味は分かる。この世界には、自分の知らない、自分の時代より進んだ文明があった可能性が高い。そして、その文明はもうない。なぜ滅びたのか、大和はそれを知りたかった。


その夜、知識蔵の地図には、村でも怪物でも道でもない新しい印が初めて加わった。


「遺跡」。


大和にとって、この世界の過去へ続く最初の入口だった。


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