第16話 捕食
怪物が地面を蹴った。六本になりかけた脚が一斉に動き、さっきまで別の怪物を食っていた巨体とは思えない速度で距離を詰めてくる。
「速い!」
大和は横へ跳んだ。直後、太い前脚がさっきまで立っていた場所を薙ぎ、近くの木の幹を大きく抉る。着地と同時に右腕を構える。白い骨刃はもう伸びていた。以前なら、怪物を前にしても思うように出なかった。
それが今では、戦うと決めた時点で身体が勝手に準備を始める。
「そこは便利になったな」
呟いた直後、ルシアンの声が飛んだ。
「大和、左!」
見ると、怪物の身体の左側で、さっきまで形成途中だった脚が完全に伸びていた。先端は大きく広がり、太い爪が何本も付いている。大和には見覚えがあった。
「それ、さっき地面に潜ってた奴の……」
「食われていた個体か!」
シェルドが気づいた直後、怪物がその爪を地面へ突き立てた。土が跳ね上がる。
「まさか!」
巨体が地面へ沈んだ。完全には潜れない。身体が大きすぎるせいで背中の一部は地上に残っている。それでも、怪物は地面を掘りながら前へ進み始めた。
「取り込んだ身体をそのまま使えるのかよ!」
大和は身構えたが、怪物の進む方向が自分から外れていることに気づいた。その先には、森の外れで待機していたロウとミナがいる。
「ロウ!」
アキトが叫ぶ。
「下がれ!」
シェルドの声で二人が走り出した。土の盛り上がりがその後を追う。
「そっちは駄目だ!」
大和は地面を蹴った。脚の筋肉が一気に張り、怪物の進行方向へ回り込む。地面の下を走る振動が足裏へ伝わってくる。さっき戦った地中型より大きい。だから逆に位置が分かりやすかった。
右へ少しずれた。次の瞬間、振動の向きが変わる。
「こっちに来る」
大和はその場で止まった。
「大和!」
アキトが叫ぶ。
「大丈夫!」
振動が近づく。あと数歩。大和が跳んだ直後、足元の地面が爆ぜた。土を吹き飛ばしながら怪物が姿を現す。
「そこ!」
空中で身体を捻り、骨刃を背中へ突き下ろした。硬い。刃先がわずかに食い込んだところで止まる。
「入らない!」
昨日の融合個体と同じだった。身体の場所によって硬さがまるで違う。取り込んだ個体の特徴なのか、もともとそういう怪物なのかは分からない。
「硬い場所まで引き継いでる?」
「元からかもしれない」
ルシアンが答える。
「どっちでも嫌だな!」
怪物が身体を振る。大和は吹き飛ばされる前に刃を抜いて着地した。いくつもの目が一斉に大和を見る。その中には、ついさっき食われていた怪物のものらしい小さな目まで混じっていた。
「本当に混ざってるんだな……」
今度は潜らず、正面から来る。大和も前へ出た。真正面でぶつかる直前に横へ外れ、柔らかそうな腹部へ骨刃を振る。今度は切れた。深い傷が開き、黒い液体が流れる。
「よし!」
だが怪物は止まらない。身体を捻り、後ろ脚を大和の脇腹へ叩き込んだ。
「ぐっ!」
身体が飛び、木へ激突する。息が詰まった。肋骨が何本か折れている。それでも身体の内側では、すでに修復が始まっていた。大和は痛みに顔をしかめながら立ち上がる。
「治るからって、痛くないわけじゃないんだよな……」
問題は怪物の方だった。さっき切った腹の傷が閉じていく。それ自体は予想していた。しかし、再生した傷の周囲が盛り上がり、白い骨板のようなものが形成され始める。
「また硬くなる!」
一度攻撃された場所を守るように身体そのものを変えている。大和は思わず自分の右腕を見た。
「俺と同じことするなよ」
「同じ?」
ルシアンが聞く。
「あいつも攻撃されたところを変えてる。俺も戦ってると身体が変わるだろ」
ルシアンは怪物と大和を見比べたが、何も言わなかった。否定もしない。それが少し嫌だった。
「大和、正面から行くな!」
シェルドが声を飛ばす。
「動かせ!」
「どっちに?」
「川だ!」
大和は一瞬だけ考え、すぐ意味を理解した。ここは木が多く、怪物は地面にも潜れる。大和たちには不利だ。川辺なら潜れる範囲を減らせる。
「了解!」
大和は足元の石を拾い、怪物の頭へ投げつけた。いくつもの目がこちらへ向く。
「こっち!」
走り出す。怪物も追う。アキトとシェルドは倒そうとはせず、左右から攻撃して進路だけを限定した。左へ逸れればアキト、右へ行けばシェルドが戻す。
「こっちの方が楽だな!」
走りながら大和が叫ぶ。
「なら最初から勝手に突っ込むな!」
「学習中です!」
やがて川が見えた。大和はそのまま浅瀬へ飛び込む。怪物も追ってきたが、脚が水へ入ったところで明らかに動きが鈍った。
「やっぱり!」
シェルドが叫ぶ。
「潜れない!」
「そりゃそうだ!」
大和は怪物の周囲を回ろうとした。しかし水底は石と泥だ。強く蹴ると足が滑る。
「うわっ!」
体勢を崩した頭上を怪物の腕が通り過ぎた。大和はそのまま水へ倒れ込み、低い位置から怪物の脚を見る。関節の内側だけ柔らかそうだった。骨刃を振る。深く入った。
一本の脚が切れて水へ落ち、怪物の巨体が傾く。
「今!」
アキトが岸から槍を投げ、肩へ突き刺す。続いてシェルドの攻撃が入り、怪物の動きが一瞬止まった。切れた脚の断面では、もう再生が始まっている。ただ、いつもより遅いように見えた。
「水のせい?」
「分からない!」
岸からルシアンが返す。
「分からないのかよ!」
「温度かもしれない。動き続けているからかもしれない。水かもしれない」
「候補多いな!」
大和はもう一度踏み込んだ。また滑る。今度は転ばなかった。足の裏に妙な違和感がある。一歩。
さっきより滑らない。もう一歩。泥の上でも足が逃げにくくなっている。
「また身体が勝手に……」
怪物の腕が来る。大和は水を蹴った。今度は一気に動けた。
「使える!」
側面へ回り、まだ骨板の薄い場所へ骨刃を差し込む。一度刺し、すぐ抜く。もう一度。怪物がその場所を守ろうと身体を低くした。
「そこ嫌なんだな」
大和はわざと逆側へ走る。怪物が向きを変える。その時、アキトが叫んだ。
「大和、下!」
水面で何かが動いている。さっき切断した脚だった。本体から離れたまま、ゆっくり怪物の方へ這っている。
「戻るのか!」
大和はその前へ出て、切断された脚へ骨刃を突き刺した。接触した部分から黒い変色が広がり、動きが止まる。
「本体じゃなくても効く!」
ルシアンがすぐに反応した。
「切り離した部位にも?」
「みたい!」
大和は怪物を見た。融合した身体。なら――
「シェルド!」
「何だ!」
「増えた部分を剥がそう! 切って、俺が止める!」
シェルドは一秒だけ怪物を観察し、すぐ頷いた。
「アキト、左側の新しい脚! ルシアン、繋ぎ目を探せ!」
ルシアンの視線が怪物の全身を走る。
「背中の右。色が違う」
「見えた!」
大和は走った。怪物の腕を一つ避け、二つ目を身体を低くしてかわす。三つ目が左肩を掠め、肉が裂けた。それでも止まらない。怪物の背中へ飛び乗った。
「また乗るのか!」
シェルドが叫ぶ。
「ここが一番切りやすい!」
「昨日潰されたのを忘れたか!」
「覚えてます!」
だから、同じことをされる前に終わらせる。怪物は身体を振り回すが、ここは川だ。昨日のように大和を叩きつける大木はない。大和は接続部へ骨刃を入れた。一度。
浅い。もう一度。怪物が暴れる。足が背中から滑りそうになる。しかし脚の筋肉と足先が勝手に力の掛け方を変え、身体を支えた。
三度目。接続部が裂ける。新しく増えた脚が水へ落ちた。大和もすぐ飛び降り、まだ動いている脚へ刃を刺す。黒く変色し、停止。
「一つ!」
怪物が咆哮した。動きが明らかに荒くなる。
「怒った?」
「分からない」
ルシアンの答えに、大和は笑った。
「でも効いてる」
怪物が突進してくる。大和は避ける。次も速い。さらに前脚。かわした直後、怪物が突然前半身を沈めた。
「え?」
水の中へ潜れるほど深くはない。代わりに、地中型から取り込んだ太い爪で水底の泥を一気に掘った。茶色い濁りが巻き上がる。一瞬で何も見えなくなった。
「うわ!」
怪物も仲間も見えない。声だけが聞こえる。次の瞬間、水の中から太い腕が飛び出し、大和の腹へ直撃した。
「がっ!」
身体が折れ、そのまま岸まで飛ばされる。息が止まった。胸と腹が痛い。立とうとしても、すぐには力が入らない。
「そう使うのかよ……」
地面を掘る能力は、潜るためだけではない。泥を巻き上げれば視界を奪える。怪物が意識してやったのか、偶然そうなったのかは分からない。だが結果として、大和はまともに食らった。怪物が岸へ上がってくる。
まだ身体が戻り切っていない。その前へアキトが入った。
「大和から離れろ!」
槍を怪物の口元へ突き込む。怪物の腕をかわし、次も避ける。三本目が肩を掠めたところへシェルドが横から入り、ルシアンも反対側から動きを乱す。三人で怪物を止めている。大和は地面に膝をついたまま、その姿を見た。
いつも自分が最後に殺す。だから、いつの間にか自分が戦いの中心だと思いかけていた。違う。自分が動けない時は、仲間が時間を作ってくれる。
「……頼れるな」
大和は息を吐き、立ち上がった。痛みは残っているが、動ける。怪物は再び川へ入っている。大和も追う。泥はまだ濁っていた。
今度は目だけに頼らない。足裏へ意識を向ける。水底を踏む怪物の重さが、振動になって伝わってくる。前、少し右。大きく踏み込んだ。
腕が来る。見えない。それでも位置が分かった。大和は避けた。
「見えなくてもいける?」
自分でも驚く。濁った水の向こうに怪物の輪郭はほとんど見えない。それでも、どこにいて、いつ踏み込んだかは足から伝わってくる。
「そこ!」
骨刃を振る。手応え。怪物が鳴いた。濁りが少しずつ流れ、視界が戻る。下側の腕が半分ほど切れていた。
「本当に当たった」
ルシアンが大和を見る。
「どうやった」
「足。前に覚えた振動のやつ」
「また?」
「また」
大和は少し笑った。新しい何かが生まれたわけではない。一度覚えたものを、身体が別の場面でも使っている。
「俺より俺の身体の方が戦い方分かってない?」
「喋ってないで動け!」
シェルドの声が飛ぶ。
「はい!」
そこからは四人で怪物を削った。アキトが腕を誘い、シェルドが動きを制限する。ルシアンが接続部を探し、大和がそこを切る。落ちた部位は大和が刺して動きを止める。一本、もう一本、背中の一部、別の皮膚の塊。
少しずつ、怪物の身体から後付けされた部分が消えていく。六本になっていた脚は四本へ戻り、左右で大きく違っていた体形も次第にまとまってきた。大和はそこで気づいた。
「元に戻ってない?」
ルシアンも見ていた。
「融合した部位を切り離しているからだと思う」
残っているのは、最初からあったらしい一つの身体。
「じゃあ、こいつにも本体があるんだ」
怪物が低く鳴いた。弱っている。それでも大和を睨み、最後の力で走り出した。大和の右腕では、骨刃が細く長い刺突形へまとまっていた。今まで何度も怪物を殺してきた形。
「これで最後」
正面から来る。怪物の腕が肩へ刺さった。痛い。だが、大和は避けなかった。そのまま距離を詰める。
「大和!」
アキトの声を聞きながら、右腕を怪物の胸へ突き込んだ。深く。怪物が暴れる。肩の傷がさらに裂ける。それでも抜かない。
「終わり!」
さらに奥へ押し込む。怪物の身体を止める。それだけを考えた。刺さった場所から黒い変色が広がっていく。怪物は大きく震えた。
大和は刃を抜き、すぐ離れる。傷が再生しようとする。一度閉じかける。止まる。別の場所が動く。
それも崩れる。
「効いてる!」
ロウの声が聞こえた。怪物は一歩だけ大和へ進んだ。二歩目で脚が崩れ、身体が傾く。それでも前脚を伸ばす。届かない。
巨体が水へ倒れ、大きなしぶきが上がった。誰もすぐには近づかなかった。十秒、二十秒。黒く変色した組織がゆっくり崩れていく。動かない。
ルシアンが慎重に確認する。
「死んだ」
大和は大きく息を吐き、その場に座り込んだ。
「……終わった」
身体が重い。昨日から何度も戦っている。治るとはいえ、何も感じないわけではないらしい。アキトが近づいてくる。
「肩」
大和は自分の左肩を見た。傷口はもう閉じ始めている。
「平気」
「痛かっただろ」
大和は少し止まった。
「……まあ」
「なら平気ではない」
大和は笑った。
「アキトって、そういうところ細かいよね」
「お前が雑なんだ」
シェルドも近づいてくる。
「それには同意する」
「二人で言わなくても」
やがてロウとミナも川辺へ来た。ミナは怪物の死体を見た後、水場へ視線を移した。
「これで、水を取りに来られる?」
「まだ周囲の確認は必要だ」
シェルドが答える。
「他にいる可能性もある」
ミナは頷いた。それでも表情は少し明るい。大和も川を見た。昨日まで、ここには怪物がいた。誰も近づけなかった。
今、その怪物は死んでいる。
「水場、取り返した?」
ロウが笑った。
「ああ」
その言葉が、大和には思った以上に響いた。怪物を殺す。それだけなら、痛くて危険な仕事だ。だが一体倒せば、水場が戻る。人が来る。
水を汲む。洗う。飲む。生活が戻る。
「そっか」
大和は川を見ながら言った。
「こういう感じか」
「何が?」
ミナが聞く。
「怪物を倒す意味」
大和は少し考えてから続ける。
「今までは、誰かが襲われたから戦ってた。でも、怪物を倒したら場所そのものが戻るんだなって」
水場、道、畑、建物。怪物のせいで使えなくなった場所は、まだいくつもある。
「これなら、やる理由あるな」
アキトは何も言わなかったが、少しだけ嬉しそうに見えた。その横で、ルシアンだけは怪物の死体を見続けている。
「何?」
大和が近づく。ルシアンが、剥がれた融合部位の内側を指した。白く細いものが何本も伸びている。骨ではない。糸とも違う。
異なる肉や骨格を繋ぐように、内部を這っていた。
「これで繋いでた?」
「分からない」
「またそれ?」
「分からないものは分からない」
「ですよね」
ルシアンはしばらく観察した後、記録板へ何かを書いた。
「少なくとも、食べた相手の身体を取り込んだ」
「それは間違いなさそう」
大和も死体を見る。普通の怪物一体ですら、亜人だけでは完全には殺せない。その怪物が他の怪物を食べ、身体を増やし、使える能力まで増やす。昨日の巨大な融合個体は、もっと長い間それを続けていたのかもしれない。
「……早めに倒した方がいいな」
「可能性はある」
シェルドが答える。
「放置しても同じ強さとは限らない」
大和は少し嫌な顔をした。
「時間が経つほど強くなる?」
「そういう個体ならな」
まだ、全部の怪物がそうなるとは分からない。共食いをする個体がどれほどいるのかも不明だ。それでも、避け続ければ安全という考え方は一度見直した方がよさそうだった。
「戻ったら知識蔵に書こう」
大和が言う。
「共食いしたこと。取り込んだ身体を使ったこと。それと俺の方も」
「お前の身体?」
「地面の振動。水の中でも使えた。それから、足が滑りにくくなった」
大和は自分の足を軽く動かした。今はもう、ほとんど普通の感覚に戻っている。
「身体の記録も残すのか」
シェルドが聞く。
「残した方がいいでしょ。俺自身、何ができるのか全部分かってないし」
「賛成」
ルシアンが即答した。
「早いな」
「お前が忘れるから」
「否定できない」
◇
その日の午後、カダ村の者たちが恐る恐る水場へ戻ってきた。最初は武器を持った数人、次に桶を持った者。やがて女性も男性も、子供まで来るようになった。水を汲み、洗い、飲む。昨日まで怪物がいた場所で、子供が笑っている。
大和は少し離れた場所からその光景を眺めた。
「いいな」
隣にいたミナが聞く。
「何が?」
「普通に戻るの」
ミナは川を見た。
「前より安心できる」
「前より?」
「今までは追い払っても、また戻ってくると思ってた」
怪物は死なない。だから取り戻しても一時的だった。今日は違う。
「あれは戻らないんでしょ?」
ミナが死体の方を見る。大和も見た。
「多分」
「そこは言い切ってほしい」
「俺も初めてだらけだから」
「知ってる」
ミナは少し笑った。しばらくして、彼女が聞く。
「このあと、どうするの?」
「どうするって?」
「自分の村へ帰る?」
「帰るよ」
即答だった。アビナ、レティ、ノルア、ドラン、知識蔵、水車。村の顔が次々浮かぶ。
「でも、また来るかも」
「怪物が?」
「いや、俺が」
ミナも笑った。
「何しに?」
大和は水場を見た。カダ村には大和たちの村と違うものがある。逆に、大和たちの村には水車や知識蔵がある。
「色々。できそうだから」
その時、ロウが遠くから走ってきた。
「ヤマト!」
「何?」
「ガルドが話したいって!」
「俺と?」
「ああ。道の話だ」
「道?」
ロウは森の向こうを指した。
「お前たちの村と、カダを繋ぐ道」
大和は少し黙った。怪物を倒せば、使えなかった場所が戻る。水場だけではない。道も戻せる。人が動けば、村が繋がる。
朝まで頭の中にしかなかった話が、本当に始まりそうだった。
「……そうみたいだな」
大和は笑った。森の向こうには、自分たちの村がある。今までは別々だった二つの場所が、一本の線で繋がり始めようとしていた。




