第14話 異形
ぶつかった途端、踏ん張っていた足が滑った。重い。受け止められると思ったのが間違いだった。右腕の骨刃を前へ出し、真正面から受け止めた。それでも怪物は止まらず、大和の身体ごと押し込んでくる。
「うそだろ!」
足元の土が削れる。強化した脚で踏ん張っても止まらない。怪物の前方には太い腕が二本。その下にもう二本。さらに身体の横から、形の崩れた半端な腕まで伸びていた。そのすべてが別々に動く。
「大和、離れろ!」
シェルドの声が飛ぶ。大和は骨刃を引き抜こうとしたが、その前に怪物の上側の腕が右腕を掴んだ。
「え?」
次の瞬間、腹へ衝撃が入った。別の腕だ。身体が折れるほどの一撃。その直後、横からさらにもう一本が叩き込まれ、肋骨がまとめて潰れる感触がした。
「ぐっ!」
大和は投げ飛ばされ、そのまま家の壁へ突っ込んだ。木材が砕け、埃が舞う。建物の中へ落ちた大和は、数秒呼吸ができなかった。腹が潰れている。胸の骨も何本折れたか分からない。
「……痛っ」
ようやく声が出る。その間にも身体の中では熱が広がり、折れた骨が戻っていく。筋肉が繋がり、見えない内臓まで元の位置へ押し戻されているような感覚があった。外で大きな音がした。大和は顔を上げる。
「まずい」
自分が飛ばされたからといって、怪物が待ってくれるわけではない。壊れた壁から外へ出ると、アキトが怪物の正面に立っていた。二本の槍を使い、一方を脚へ、もう一方を胴体へ突き込む。怪物が腕を振る。
アキトは一撃目を避けた。だが二撃目は別方向から来た。
「アキト!」
間に合わない。怪物の腕が横からアキトを殴りつけ、身体が地面を転がった。
「くそ!」
大和は一気に距離を詰める。右腕から再び骨刃が伸び、怪物の側面を斬った。刃は入った。だが浅い。
「硬い!」
怪物の身体は、場所によって硬さまで違っていた。黒い皮膚の下に骨のような板が重なっている場所がある。道中で戦った怪物の硬い肩に似ているが、その範囲が遥かに広い。もう一度振る。怪物が腕で受けた。
骨刃と硬い組織がぶつかり、大和の刃の先が欠ける。
「また!」
次の瞬間、下側の腕に脚を掴まれた。体勢が崩れる。上から別の腕が振り下ろされ、大和の背中が地面へ叩きつけられた。顔を上げると、今度は怪物の脚が降ってくる。
「うわ!」
転がって避ける。直後、怪物の脚が地面を踏み砕いた。大和はすぐに起き上がった。速い。大きいだけではない。腕が多く、一つの攻撃を避けても次が来る。その次まである。どこから攻撃されるか読み切れない。
「大和、正面に立つな!」
ルシアンが叫ぶ。
「分かってる!」
怪物がもう迫っている。大和は脚を強化して大きく横へ回った。怪物も身体を回転させ、複数の腕を広げる。
「範囲広すぎ!」
さらに距離を取る。シェルドが横から叫んだ。
「右側だ! 右が遅い!」
大和は怪物の右半身を見る。腕が三本。左は二本。さらに背中にも、まだ何かがある。数が多い分、右側の腕は互いの動きを僅かに邪魔していた。
「じゃあ右!」
踏み込む。上の腕を避ける。下から来る腕を跳んでかわす。その直後、三本目が横から来た。
「まだあるのか!」
身体を捻る。完全には避けきれず、腹が裂ける。だが右肩は近い。大和は刃を細くするよう意識し、一点へ突き込んだ。今度は深い。
「いける!」
さらに押し込もうとしたところで、違和感があった。刃が動かない。
「……?」
怪物の肉が、刺さった骨刃の周囲で盛り上がっている。傷を閉じようとしているのではない。刃そのものへ絡みつき、包み込んでいる。
「何だこれ!」
大和は腕を引いた。抜けない。黒い組織が白い刃へ這い上がり、まるで身体の中へ取り込もうとしているように見えた。
「大和、切れ!」
ルシアンが叫ぶ。
「何を!」
「自分の刃!」
「できるか!」
怪物の腕が来る。右腕は動かない。大和は左腕で受けた。骨が折れる。続く一撃は顔を避けたが、肩へ当たった。右腕はまだ固定されたまま。
「くそ!」
大和は刺さった自分の刃を見る。切る。自分の身体から生えているものを?できるのか。考えている余裕はなかった。
「知らん!」
左手で右前腕を掴む。外せ。刃だけ捨てろ。そう強く思った瞬間、右腕の内側で何かが切れた。
「え」
骨刃が根元から外れた。怪物の身体へ刺さったまま、大和だけが後ろへ下がる。右腕から大量の血が出たが、傷口はすぐに塞がっていく。
「できるのかよ!」
大和は自分の腕と、怪物に残った刃を交互に見た。怪物の傷口では、黒い組織が骨刃を包み込み続けている。やがて刃の輪郭が見えなくなっていく。
「ルシアン!」
「見てる!」
ルシアンも険しい顔をしていた。
「こいつ、何でも取り込むのか?」
大和は怪物の背中を見る。半分埋まった顔。その横にある別種の皮膚。骨。腕。脚。一体の怪物として見ようとする方が不自然だった。
「ロウ!」
シェルドが叫ぶ。少し離れていたロウが返事をする。
「何だ!」
「こいつはいつからいる!」
「知らない!」
「本当に見たことがないのか!」
「ない! こんなの、昨日はいなかった!」
大和はその言葉を聞きながら怪物を見た。昨日はいなかったという。大和は、骨刃を飲み込んだ傷口と、背中の別の顔を見比べた。
「まさか……食った?」
ルシアンが大和を見る。
「何を」
「他の怪物」
一瞬の沈黙。目の前の身体そのものが、その推測を裏付けているように見えた。アキトが起き上がる。口元には血がついていた。
「あり得るのか」
「分かんない。でも、これ一体じゃないだろ」
怪物が低く鳴いた。身体の側面に埋まった顔の口も、僅かに動いた。音は出ない。大和は思わず顔をしかめた。
「……気持ち悪いな」
右腕からは、すでに新しい骨刃が伸び始めていた。だが、同じ刃が通用するとは思えない。刃を刺せば抜けなくなる。避けても次の腕が来る。新しい刃を出したところで、どう近づけばいいのか分からなかった。
「これ、普通に負けるかも」
シェルドは即座に答えた。
「なら下がる」
「え?」
「勝てないなら下がる。一度で全部守る必要はない」
シェルドは大和を見る。
「死ぬ方が悪い」
大和は少し笑った。
「そういうの、ちゃんと言うんだ」
「当たり前だ」
怪物がまた動き始める。大和は構えながら、後ろの村を見た。壊れた柵。家。逃げる者たち。ロウの姉も、あの中にいるかもしれない。
「もうちょい試してから」
シェルドがため息をつく。
「無理をするなと言われたばかりだろ」
「まだ無理じゃない」
怪物が突進する。今度は真正面から受けない。大和は左へ大きく回り、さらに村の外へ向かって走った。怪物が追う。
「こっち!」
シェルドの声が追ってきた。
「村から離せ!」
アキトとルシアンも続く。怪物の一撃が背中へ当たり、大和の身体が前へ飛んだ。だが傷はすぐに治る。大和はそのまま走った。
「もっと速く!」
脚に熱が集まる。太腿の筋肉がさらに膨らみ、一歩の距離が伸びた。怪物との間が開く。
「よし」
だが、速くなっただけでは倒せない。大和は急に方向を変えた。巨体の怪物は追おうとするが、僅かに曲がりきれない。その隙に背後へ回る。埋まった顔の下。異なる肉同士の境目のような場所が見えた。
「そこ!」
骨刃を振る。硬くない。深く入った。怪物の身体が大きく震える。大和は続けて同じ場所を斬った。背中から生えていた異形の脚が一本落ちる。怪物が振り返り、腕を振った。大和は避ける。
「ここは柔らかい!」
ルシアンもすぐに気づいた。
「繋いだ部分かもしれない!」
「なら――」
大和は再び走る。正面には立たない。速度を使い、側面と背後へ回る。怪物の身体にある境目だけを狙う。一つ斬る。もう一つ。今度は腕が根元から落ちた。地面へ落ちた腕が、まだ動いている。
「まだ動くの!?」
指が蠢き、肉が怪物本体の方へ伸びようとしていた。
「戻ろうとしてる!」
ルシアンが叫ぶ。アキトが槍を突き刺し、切断された腕を地面へ固定した。
「大和!」
「分かってる!」
融合しているなら、一つずつ剥がせばいい。大和は右腕へ意識を向ける。一点を貫く細い刃ではない。接続部を広く、深く断つ形。骨刃の幅が少し広がった。ルシアンが変化に気づく。
「また変わった」
大和は笑った。
「身体も分かってきたみたい」
怪物の腕を潜り抜け、肩の境目を斬る。一本落ちる。次は脚。深く斬ると、怪物の体勢が崩れた。アキトが残った脚を槍で止め、シェルドが反対側の傷を広げる。大和はそのまま怪物の背中へ飛び乗った。
「大和! 何してる!」
シェルドが叫ぶ。
「近い方が腕届かない!」
巨体の怪物は、自分の背中の中心までは腕が回らない。大和はしがみつきながら、異なる組織の境目を次々に斬った。右。左。怪物が激しく跳ねる。背中から生えた別の脚が、大和へ向かって曲がった。
「そこも動くのかよ!」
刃で受け、その脚も切り落とす。次の瞬間、怪物が突然走り出した。向かう先には太い木がある。大和は意図に気づいた。
「あ」
怪物は自分の背中ごと木へ激突した。轟音。大和の身体が怪物と幹の間で潰れる。胸が砕け、頭へ強い衝撃が走った。視界が白くなる。背中から落ちた大和は、そのまま動けなかった。遠くで声がする。
「大和!」
起きようとする。動かない。胸が壊れすぎている。首も変だ。片腕の感覚もない。
「……これは、ちょっとまずい」
身体は再生を始めている。だが、今までより遅い。怪物がこちらを向く。大和はまだ起きられない。アキトが間へ入った。
「来るな!」
槍を突き込む。怪物は止まらない。槍が折れる。次の瞬間、アキトの身体が腕に掴まれた。
「アキト!」
大和は身体を動かそうとする。まだ無理だ。シェルドが横から腕を斬るが浅い。ルシアンが叫んだ。
「大和、まだか!」
「今治ってる!」
「早くしろ!」
「俺に言うな!」
声は出る。胸が戻り、折れた骨が繋がる。怪物がアキトを持ち上げた。地面へ叩きつけるつもりだ。間に合わない。脚はまだ完全には治っていない。それでも大和は地面を蹴った。
「行け!」
右脚の骨が途中で壊れる感触がした。構わない。身体は飛んだ。アキトを掴んでいる腕の付け根へ、骨刃を振る。切断。アキトが地面へ落ちる。大和も転がった。右脚が変な方向へ曲がっているが、すでに戻り始めている。
「平気?」
大和が聞くと、アキトが怒鳴った。
「お前が言うな!」
アキトは槍を支えに立ち上がった。大和はようやく笑えた。
「じゃあ平気だ」
怪物を見る。腕が減り、背中の異形な部位もいくつか失っている。最初より明らかに小さくなった。
「いける。剥がしていけば――」
そこで、大和は言葉を止めた。怪物の切断部が動いている。再生ではない。身体の内側から別の組織が押し出され、欠けた場所を埋め始めている。失った腕の代わりに肩が膨らみ、硬い骨の板が形成された。
まるで装甲だった。
「……うそ」
ルシアンも見ていた。
「大和」
「何?」
「さっきより、切った場所が硬くなってる」
大和は嫌な笑いを浮かべた。
「同じじゃん」
自分の脚も、刃も、戦っている間に変わった。目の前では、斬った場所に新しい骨板ができている。
「似てる」
ルシアンが言った。大和は聞きたくなかった。だが、完全には否定できない。怪物が再び低い声を上げる。複数の喉が同時に鳴っているような、不快な音だった。その中で、大和には一瞬だけ別の音が混ざったように聞こえた。
「……か」
「え?」
今、何か言った?
「大和!」
シェルドの声で我に返る。怪物が来る。大和は避け、反撃の刃を当てた。弾かれる。
「今度は切れない!」
切った場所を中心に、外側はかなり硬くなっている。怪物の攻撃は腕が減ったぶん単純になった。しかし、その代わりに外皮が硬い。切るのは無理。突く場所も守られている。なら、大和の視線が怪物の口へ向いた。
開いた口の内側は、外側ほど硬く見えない。
「中」
シェルドが大和の視線に気づく。
「何をする気だ」
「口」
「やめろ」
「でも外が硬い」
「別の方法を考えろ!」
「今ない!」
怪物が来る。大和は今度、真正面に残った。脚へ力を溜める。腕が振られる。下へ潜る。口が近い。怪物が噛みつく。大和は左腕を差し出した。
「ぐっ!」
歯が腕へ食い込み、骨が砕ける。激痛。それでも止まらない。右腕の骨刃を、細く長く変える。槍のように。口の奥へ突き込んだ。怪物が暴れる。左腕は噛まれたまま引かれる。
「もっと奥!」
刃が喉を突き抜ける。柔らかい。さらに深く入る。その先で、何か硬いものへ当たった。大和には何なのか分からない。それでも身体の奥で、ここだという感覚が走った。
「ここか!」
怪物を殺す。再生を止める。意図をすべて一点へ集める。右腕が今までにないほど熱くなった。骨刃の表面が細かく震える。怪物が突然、激しく身体を振った。ぶつん、と嫌な感触。左腕が食いちぎられた。
「うあっ!」
大和の身体が地面へ飛ぶ。左腕は肘から先がなく、血が大量に噴き出している。それでも、すでに切断面から新しい組織が伸び始めていた。大和は自分の腕ではなく怪物を見る。口の中が黒く変色している。
その黒さが内側へ広がっていく。怪物は動く。止まる。また動く。身体の各部が、ばらばらの方向へ動き始めた。背中に埋まった顔の目が開く。大和は地面へ座ったまま見ていた。一つの身体の中で、何かが争っているように見える。
右の腕は前へ伸びる。残った脚は立とうとする。背中の部位は逆方向へ縮もうとしている。怪物の口が開いた。そこで大和は聞いた。
「……に」
声だった。確かに、ただの鳴き声とは違って聞こえた。大和は立ち上がる。左腕では新しい手首と指が形を取り戻し始めている。怪物の口がもう一度動く。
「……にん……」
大和の顔から表情が消えた。
「今……」
その直後、怪物が地面へ倒れた。大地が揺れる。黒く変色した組織が崩れ、再生は始まらない。身体の各部も、少しずつ動きを止めていった。背中に半分埋まった顔が最後まで大和を見ていた。その目だけが、妙に静かだった。
口が僅かに動く。今度は音が出ない。やがて目も閉じた。誰もすぐには声を出さなかった。大和も動けない。左腕はもうほとんど元に戻っている。だが、そこを見ている余裕はなかった。
「……喋った?」
大和が言う。ルシアンが近づいてくる。
「何が」
「こいつ。声出しただろ」
「鳴いた」
「違う。『にん』って」
シェルドが首を振る。
「聞こえなかった」
アキトも同じだった。大和は怪物を見る。
「俺だけ?」
戦闘で興奮していた。頭も疲れている。鳴き声を言葉に聞き間違えた可能性は十分ある。
「……そうか」
それでも妙に耳へ残っていた。何を言おうとしたのか。考えても分からない。
「ヤマト!」
村側からロウの声がした。村人が何人か、武器を持って出てくる。死んでいる怪物を見て、全員が止まった。ロウはその中の一人の女性へ走る。
「姉ちゃん!」
女性がロウを抱きしめた。無事だった。大和はそれを見て、ようやく身体から力が抜けた。よかった。今はそれで十分だった。村人たちの視線が少しずつ大和へ集まる。大和は穴だらけの服を見下ろした。血を拭おうとしたが、拭う袖まで濡れていた。
一人の年老いた犬型の男が、大和へゆっくり歩いてきた。
「あなたが……」
大和は少し緊張する。
「大和です」
老人は怪物を見た。
「これを倒した?」
大和はアキトたちを見る。
「みんなで」
老人が少し驚く。
「俺一人だったら、多分死んでました」
本当にそう思う。アキト、シェルド、ルシアン。誰か一人欠けていたら倒せたかどうか分からない。老人は深く頭を下げた。
「ありがとう」
その後ろでも、村人たちが一人、また一人と頭を下げた。大和は困ってしまう。
「いや、やめてください」
ロウはこちらを見て笑っていた。少し泣いているようにも見えた。大和は頭を掻きながら、本来の目的を思い出す。
「水場、まだ怪物いるんですよね?」
ロウの表情が戻る。
「ああ」
大和は死んだ異形を見て、ため息をついた。
「これで終わりじゃないのか」
シェルドが淡々と答える。
「最初からそういう話だ」
「分かってますけど」
大和はもう一度死体を見る。
「これより強いの、いないですよね?」
誰も答えない。大和は嫌な顔をした。
「そこは大丈夫って言ってよ」
ルシアンはすでに死体へしゃがみ込み、細部を見始めていた。
「明日」
「何?」
「こいつを調べる」
「今じゃない?」
「暗くなる」
言われて空を見ると、確かに夜が近かった。カダ村では少しずつ灯りが点き始めている。大和は怪物をもう一度見た。斬った傷を覆った骨板も、背中の顔も、まだそのままだ。あの声だけは、他の誰も聞いていなかった。
「……にん」
大和は小さく繰り返した。何なんだ、それ。アキトが横から聞く。
「どうした」
「何でもない」
大和はアキトについて村へ戻った。家々に灯りが入り、食事を用意する声が聞こえ始めていた。入口で一度振り返った。怪物は動いていない。それを確かめても、「にん」という音は耳から離れなかった。




