第11話 残す
「嫌だ」
翌朝。大和が話し終える前に、シェルドは言った。大和は少しだけ予想していた。
「まだ全部説明してないんですけど」
「昨日より書くものを増やしたいんだろう」
「まあ」
「嫌だ」
「早いなあ」
倉庫。先日作った麦の記録板がある。最初の数、入った数、出た数、残り。欄ごとに数字が書き込まれている。大和は、それとは別の板を持ってきていた。
「でも」
水車のある方向を指す。
「昨日作ったやつ」
「水車」
「そう。今、作り方を誰が知ってる?」
シェルドが少し考える。
「ドラン」
「他は?」
「ルシアンも大体は見ていた」
「シェルドは?」
「構造は分かる」
「俺は?」
「お前が言い出した」
「でも細かく作れない」
「そうだな」
大和は指を一本立てた。
「じゃあ、ドランがいなくなったら?」
シェルドの表情が僅かに変わった。大和は続ける。
「ルシアンが覚えてるうちはいい。でも十年後、二十年後、もっと後。同じもの作れる?」
シェルドはすぐには答えなかった。大和が少しだけ勝った気になる。
「だから残す」
板を見せる。
「何を」
「作り方」
「全部?」
「できるだけ」
シェルドが嫌そうな顔をする。
「増えたな」
「だから言ったじゃないですか」
「嫌だ」
「でも必要でしょう?」
シェルドは板を見る。少し考えた。
「ドランに聞け」
「そこ?」
「作る本人が嫌なら意味がない」
正論だった。大和は板を抱え、作業場へ向かった。ドランは水車の軸を削っていた。昨日は回った。でも少しぶれる。その修正らしい。
「ドラン」
「何だ」
「お願いがある」
「木を持つならそこ」
「今日は違う」
ドランの手が少し止まる。大和は板を見せた。
「水車の作り方を書いて残したい」
「何のために?」
大和は、次に作る人にも方法が分かるようにしたいと話した。ドランは黙って聞いた。そして水車を見る。
「俺が死んだら?」
「そう」
「縁起でもないな」
「俺も言い方悪いと思ってます」
大和は少し困る。
「でも、せっかく作ったのに、壊れたら直せない。次に作る人も、また最初から考えることになる」
ドランは持っていた軸を見て、道具を置いた。
「見れば分かる」
「ドランなら」
大和が言う。
「俺は分からない」
「お前は木工を知らん」
「そう。だから分からない」
少し考える。
「じゃあ木工を知らない人でも、ある程度分かるようにできたら?」
ドランが眉を寄せる。
「無理だ」
「全部は無理。でも」
大和は地面へ簡単な水車の絵を描く。
「形。大きさ。どこを繋ぐか。何を気をつけるか。昨日失敗したところ。そういうの」
ドランが絵を見る。
「失敗も?」
「それ大事」
「なぜ」
「同じ失敗しなくていい」
大和は自分で言いながら、昔の仕事を少し思い出していた。同じ不具合を何度も起こすな。仕事でそう言われ、原因と対応を書き残していた。
「成功した方法だけだと、なんでそうしたのか分からないんですよ」
ドランが見る。
「例えば」
大和は水車を指す。
「最初、川にそのまま入れた」
「回らなかった」
「そう。次に上から水を落としたら回った。でも縦の水車だと石臼に繋ぐのが面倒だった」
「だから横にした」
「そう。それを書いておけば、次の人は最初の失敗からやらなくていい」
ドランはしばらく何も言わなかった。そして言う。
「板では足りん」
大和が目を少し見開く。
「やる?」
「やるとは言ってない」
「でも板足りないって」
「書くならもっと大きいものがいる」
大和が笑った。
「やるじゃん」
「お前は黙れ」
その日の午前。大きな木板が数枚用意された。水車を横や上から見て描き、寸法を測った。そこで困った。ドランの使う単位が分からなかった。
「ここ、三十二」
ドランが言う。大和は自分の知っている単位と比べようとする。無理だった。
「この世界の長さって、基準何です?」
ドランが一本の棒を持ってくる。刻みがある。大和が見る。
「定規?」
「じょうぎ?」
「長さ測るやつ」
「これか」
「それ」
大和は少し安心した。測るという発想は当然ある。
「これ、みんな同じ?」
ドランが止まる。
「何が」
「長さ」
「同じだ」
「本当に?」
ドランが少し不機嫌になる。
「疑うのか」
「いや」
大和は棒を受け取る。作業場にある別の棒と比べる。微妙だが同じように見える。
「村の中は同じ?」
「大体」
「大体?」
「元になる棒がある」
「それを写す?」
「そうだ」
大和は少し考えた。
「それ、大事じゃない?」
ドランが見る。
「何が」
「元の長さ」
別の職人が別の棒で測ったら、この図と同じ寸法に作っても部品が合わないかもしれない。
「これ、一個だけじゃなくて、同じものを何本か作って村の中で基準にした方がいい」
ドランが少し考える。
「今もそうしている」
「何本?」
「三本」
大和は少し安心した。
「じゃあ、そこはもうできてる」
ドランが鼻で笑う。
「何でもお前の世界から持ってこなくていい」
大和は少しだけ苦笑した。
「そうですね」
また、教えるつもりで聞いてしまった。大和は借りた棒を返した。
「じゃあ、あるものは使う。ないものだけ足す」
ドランが頷いた。
「それでいい」
午後。ルシアンも呼ばれた。
「何で俺」
「昨日、一番構造見てたから」
大和が答える。ルシアンは水車の図を見る。
「違う」
「何が?」
「ここ。もっと下」
「本当?」
「本当」
ドランも見る。
「下だ」
「じゃあ直して」
「お前が書け」
「俺、ここの文字まだ苦手なんだって!」
結局、大和は絵。ドランは寸法。ルシアンは補足。大和の描いた絵には、二人の訂正が何度も入った。
「名前も付けよう」
大和が言う。ドランが嫌そうな顔をする。
「何に」
「部品」
「名前はある」
「それを全部書く。これを『真ん中の棒』とか『回る棒』とか呼んでたら、どれのことか分からなくなるから」
大和は軸を指した。ルシアンが少し頷く。
「それは分かる」
「でしょ。同じものを同じ名前で呼ぶ」
「当たり前だ」
ドランが即答する。大和が少し止まる。
「当たり前?」
「職人なら」
「じゃあ、それもあるのか」
また教えるつもりが教えられる。大和は少し笑った。
「俺、何しに来たんだろ」
ルシアンが答える。
「騒ぎに」
「ひどいな!」
でも、その後少しだけ大和の出番もあった。
「順番」
大和が言う。
「作る順番に並べたい。上から読んでいけば、次に何をするか分かるように」
ルシアンが板を見た。
「途中で気をつけるところもか。失敗した時は?」
「それも書く」
大和が笑う。
「ここで軸がぶれた。だからこの幅にした。この形だと水が抜けた。だから羽根の角度を変えた。そういうのも残す」
ドランが少し真剣に板を見る。
「それなら弟子に説明する時も使える」
大和が顔を上げる。
「弟子いる?」
「二人」
「いたんだ」
「いる」
「じゃあ、その人たちにも見せよう」
夕方、二人の若い職人が来た。板を見る。ドランが説明する。水車を作った時、どう考えたか。何を変えたか。なぜ変えたか。若い二人が質問する。
「ここ、なんでこの角度?」
ドランが説明する。
「ここ、もっと細くしたら?」
ルシアンが答える。
「折れる」
「ここ、違う木でもいい?」
「硬ければ」
話が続く。大和は気づいた。弟子が指した場所へ、ルシアンも手を伸ばした。二人は同じ図を見たまま、軸の太さを確かめている。
「これ、いいな」
大和が小さく言う。シェルドがいつの間にか後ろにいた。
「何が」
「書いた方が話しやすい」
シェルドも板を見る。
「確かにな」
「でしょ?」
大和が少し得意になる。
「だから」
別の板を出す。シェルドの顔がすぐ嫌そうになる。
「増やすな」
「まだ何も言ってない!」
「顔で分かる」
大和は板を広げた。今度は村の地図だった。以前見た怪物の場所を、もう少し細かく記録する。
「これも」
シェルドが見る。
「地図はある」
「もっと書く」
「何を」
「怪物」
大和は赤い印を指す。
「出た場所。いつ。何体。どんな形。誰を狙った」
シェルドの表情が変わる。ルシアンもこちらを見る。大和は続ける。
「今までは怪物が多い場所、それだけだった。でもこの前、レティを狙った。次は俺を狙った。形も違う。大きさも動きも違う。もし何か決まりがあるなら、記録しないと分からない」
ルシアンがすぐ近づく。
「それはやる」
大和が少し驚く。
「食いついた」
「必要だ」
ルシアンは板を引き寄せた。
「怪物が出たら、場所、向き、標的、逃げた方向、傷の治り方」
大和が頷く。
「あと倒した場合、俺がどう攻撃したか」
ルシアンが大和を見る。
「刃の形」
「それも?」
「変わっている」
大和が少し嫌な顔をする。
「そこまで見てた?」
「見てた」
「怖いなあ」
「お前の腕の方が怖い」
「それ言う?」
でも大和も分かっていた。自分の能力も分からない。なら、記録した方がいい。何を考えた時に身体が変わり、怪物がどう死んだか。思い出せるうちに書いておいた方がよさそうだった。
「俺の身体も記録するか」
大和が言う。ルシアンはすぐ頷いた。
「する」
「嬉しそうだな」
「興味がある」
「正直すぎる」
シェルドが地図を見る。
「誰が書く」
「見た人」
大和が言う。
「でも、書き方は同じにする」
また形式だ。
「場所。日。数。特徴。標的。被害。最後どうなった」
シェルドが一つずつ確認する。
「誰でも書ける?」
大和が止まる。
「……文字」
村の全員が、同じ程度に読み書きできるわけではない。大和自身、まだ満足に読めない。
「じゃあ、印」
「印?」
大和は怪物の簡単な形を描く。一体なら線一本。二体なら二本。狙われた者は猫耳や犬耳の簡単な記号。
「文字が少なくても分かるようにする」
少し離れた場所からノルアが見ていた。
「色は?」
大和が振り返る。
「色?」
「危ない場所。もっと分けたら?」
地図にはすでに赤が使われている。ノルアが続ける。
「よく出る。たまに出る。今はいない」
シェルドが考える。
「色を変える」
「そう」
大和が少し笑う。
「それいい」
また自分が知らないところから案が出る。当然のようにアビナもやってくる。
「私は何するニャ?」
大和はすぐ答えた。
「勝手に書き足さない」
「なんでニャ!」
「お前絶対、怪物の横に変な絵描くだろ」
「描かないニャ」
大和がじっと見る。アビナが少し目を逸らした。
「……ちょっとしか」
「禁止」
その夜。大きな板が一枚、食事をする場所の壁へ掛けられた。まだ粗い地図だった。川と森、村を繋ぐ道。使われなくなった道や古い建物、怪物の出る場所には印がある。村人が集まってきた。
「あそこ」
誰かが言う。
「去年も出た」
シェルドが振り返る。
「どこ」
指された場所へ印を追加する。別の者が言う。
「ここも」
「いつ」
「寒くなる前」
「何体」
「一体」
「誰を狙った」
「分からない」
また情報が加わる。少しずつ地図が埋まっていく。大和は見ていた。一人一人が知っていたこと。今までは、それぞれの頭の中にあった。今は一枚に集まっている。
「これ」
大和が小さく言う。ノルアが横にいる。
「何?」
「俺が知らなかった情報」
「うん」
「シェルドも全部は知らなかった」
「うん」
「でも、みんなのを集めると、村が知ってることになる」
ノルアも地図を見る。
「村が?」
「そう」
大和は少し考える。
「人じゃなくて、村そのものが知ってる」
ノルアがその言葉をしばらく考える。
「変なの」
「俺も今言ってて思った」
でも、大和にはかなりしっくり来た。また一人、地図へ指を伸ばした。シェルドが聞き返し、新しい印を書き加えていく。
「ヤマト」
レティが呼ぶ。
「これ」
手には小さな板。料理らしい。
「何?」
「レティが作る肉の焼き方」
「何で?」
「残すんでしょ?」
大和は一瞬止まる。レティは少し得意そうだ。
「私のも」
大和は笑った。
「いいじゃん」
「本当?」
「残そう」
レティが嬉しそうに尻尾を動かす。
「でも、材料の量、書ける?」
「量?」
「肉これくらい。塩これくらい。焼く時間。火の強さ」
レティが少し困る。
「いつも見て決める」
「それ」
大和が笑う。
「一番難しいやつ」
アキトも笑う。ドランが横から言う。
「職人も同じだ」
「感覚?」
「そう」
大和は少し考える。
「じゃあ、全部数字にしなくてもいい。どう見えたらいいか。どんな匂いか。どのくらいの硬さか。そういうのも書く」
レティの目が少し輝く。
「それならできる」
「じゃあやろう」
そこから話が広がった。畑の種まきや収穫、保存の方法。怪我や熱、腹痛に使う薬草。刃物の修理から狩り、森の道まで、あちこちから話が出てきた。大和は途中で笑った。
「多すぎる」
シェルドが横から言う。
「だから嫌だと言った」
「正しかった」
「やめるか?」
大和は壁を見た。地図と水車の図、麦の在庫板の隣に、レティの料理板まで並んでいた。
「やめない」
シェルドが小さくため息をつく。
「だろうな」
翌日、別の問題が出た。場所だ。板が増える。壁が足りない。
「どうするニャ?」
アビナが見る。大和は腕を組む。
「部屋」
「何の?」
「これ置く部屋」
シェルドが嫌そうに聞く。
「建てるのか」
「いきなりは。空いてる家ない?」
アキトが少し黙る。
「ある」
案内されたのは村の端にある小さな家だった。人は住んでいない。
「前は?」
大和が聞く。アキトは少し間を置く。
「住んでいた」
大和はそれ以上聞かなかった。怪物か、病気か、それとも事故だったのか。聞かずに、閉じた窓へ手を掛けた。古い道具を運び出して埃を払う。窓を開けると、床まで光が入った。棚を作り、水車の図や怪物の地図、倉庫の記録を運び込んだ。
大和は見回した。
「図書館」
全員が首を傾げる。
「?」
大和が笑う。
「知識を置く場所」
シェルドが部屋を見る。
「倉庫だろ」
「物じゃなくて」
大和は板を指す。
「知識の倉庫」
少し沈黙。アビナが言う。
「ちしきぐら?」
大和は少し考えた。
「それでもいいな」
レティが笑う。
「知識蔵」
ドランも頷く。
「分かりやすい」
シェルドも言う。
「それでいい」
大和は少し不満だ。
「図書館の方が格好よくない?」
誰も理解しない。
「……知識蔵で」
決まった。
午後。大和は知識蔵の入口へ小さな板を掛ける。文字は自分では書けない。ノルアに書いてもらった。大和はまだ文字を勉強中だ。
「俺が言い出したのに」
「読めないからね」
ノルアが少し笑う。
「そのうち覚える」
「本当に?」
「多分」
「多分って言うな」
大和も笑う。中には板が並ぶ。まだ数えるほどしかない。でもこれから増える。
「ヤマト」
ノルアが聞く。
「これも、あなたの世界にあったの?」
大和は少し考える。
「建物いっぱいに本があった。紙を何百枚も束ねたものが、棚にぎっしり並んでるんだ」
ノルアが目を丸くする。
「そんなに何を書くの」
大和は笑う。
「何でも。昔のこと。作り方。物語。人の考え。調べたこと。全部」
ノルアは棚の上を見上げた。
「全部残すの?」
「全部は無理。でも、残したいと思ったものは残せる」
ノルアは知識蔵を見る。
「じゃあ、この村のことも? 今ここであったことも残せる?」
「残せるよ」
「ヤマトのことも?」
大和が少し止まる。
「俺?」
「怪物を倒したこと。水車を考えたこと。斧を壊したこと」
大和の顔が変わる。
「最後はいらない」
ノルアが笑う。
「残す」
「やめろ」
「大事な記録」
「どこが!」
外からレティの笑い声。アビナが叫ぶ。
「書くニャ!」
「お前は絶対書くな!」
大和が追いかける。知識蔵ができた最初の日。最初に増えそうになった記録。藤原大和、斧を壊す。大和は必死で阻止した。
その夜。大和は一人、知識蔵へ戻った。小さな火を灯し、板を見る。水車や怪物、在庫に料理。板はまだ少なく、棚には空きがあった。大和は新しい板を一枚取った。そして止まる。文字が書けない。
「……勉強しないとな」
少し笑う。それでも絵なら描ける。大和は筆記具を持った。長い箱を描き、その中に横たわる人を入れた。自分が目覚めたカプセルだ。少し離れたところに、外へ出て見た木々を描き足した。何のために描いたのか、自分でもよく分からない。
ただ、残したくなった。自分がどこから来たのか。何を覚えているのか。病院のことや、眠る前に見た母親の顔も。今はまだ、誰にも全部うまく説明できない。でも、もし、いつか分かる日が来たら。
今覚えていることが必要になるかもしれない。大和は板の隅へ、ノルアに教わった文字をゆっくり書いた。自分の名前だけは、どうにか書けた。歪んだ文字を一つずつ見直した。大和はしばらくその文字を見た。
この世界で初めて、自分の名前を自分で残した。
「……よし」
板を棚へ置く。誰にも見せるつもりはない。まだ。ただ、そこに残す。大和は火を消し、外へ出た。外は暗く、入口の板も読めなかった。中には今日書いたものが残っている。大和はそっと扉を閉めた。
大和は少しだけ笑った。
「こういうので、いいのかもな」
明日、ノルアに文字を教わろう。そう決めて、寝床へ向かった。




