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この世界に残るもの  作者: 深空 律
第一部 知らない世界
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11/73

第11話 残す

「嫌だ」


翌朝。大和が話し終える前に、シェルドは言った。大和は少しだけ予想していた。


「まだ全部説明してないんですけど」


「昨日より書くものを増やしたいんだろう」


「まあ」


「嫌だ」


「早いなあ」


倉庫。先日作った麦の記録板がある。最初の数、入った数、出た数、残り。欄ごとに数字が書き込まれている。大和は、それとは別の板を持ってきていた。


「でも」


水車のある方向を指す。


「昨日作ったやつ」


「水車」


「そう。今、作り方を誰が知ってる?」


シェルドが少し考える。


「ドラン」


「他は?」


「ルシアンも大体は見ていた」


「シェルドは?」


「構造は分かる」


「俺は?」


「お前が言い出した」


「でも細かく作れない」


「そうだな」


大和は指を一本立てた。


「じゃあ、ドランがいなくなったら?」


シェルドの表情が僅かに変わった。大和は続ける。


「ルシアンが覚えてるうちはいい。でも十年後、二十年後、もっと後。同じもの作れる?」


シェルドはすぐには答えなかった。大和が少しだけ勝った気になる。


「だから残す」


板を見せる。


「何を」


「作り方」


「全部?」


「できるだけ」


シェルドが嫌そうな顔をする。


「増えたな」


「だから言ったじゃないですか」


「嫌だ」


「でも必要でしょう?」


シェルドは板を見る。少し考えた。


「ドランに聞け」


「そこ?」


「作る本人が嫌なら意味がない」


正論だった。大和は板を抱え、作業場へ向かった。ドランは水車の軸を削っていた。昨日は回った。でも少しぶれる。その修正らしい。


「ドラン」


「何だ」


「お願いがある」


「木を持つならそこ」


「今日は違う」


ドランの手が少し止まる。大和は板を見せた。


「水車の作り方を書いて残したい」


「何のために?」


大和は、次に作る人にも方法が分かるようにしたいと話した。ドランは黙って聞いた。そして水車を見る。


「俺が死んだら?」


「そう」


「縁起でもないな」


「俺も言い方悪いと思ってます」


大和は少し困る。


「でも、せっかく作ったのに、壊れたら直せない。次に作る人も、また最初から考えることになる」


ドランは持っていた軸を見て、道具を置いた。


「見れば分かる」


「ドランなら」


大和が言う。


「俺は分からない」


「お前は木工を知らん」


「そう。だから分からない」


少し考える。


「じゃあ木工を知らない人でも、ある程度分かるようにできたら?」


ドランが眉を寄せる。


「無理だ」


「全部は無理。でも」


大和は地面へ簡単な水車の絵を描く。


「形。大きさ。どこを繋ぐか。何を気をつけるか。昨日失敗したところ。そういうの」


ドランが絵を見る。


「失敗も?」


「それ大事」


「なぜ」


「同じ失敗しなくていい」


大和は自分で言いながら、昔の仕事を少し思い出していた。同じ不具合を何度も起こすな。仕事でそう言われ、原因と対応を書き残していた。


「成功した方法だけだと、なんでそうしたのか分からないんですよ」


ドランが見る。


「例えば」


大和は水車を指す。


「最初、川にそのまま入れた」


「回らなかった」


「そう。次に上から水を落としたら回った。でも縦の水車だと石臼に繋ぐのが面倒だった」


「だから横にした」


「そう。それを書いておけば、次の人は最初の失敗からやらなくていい」


ドランはしばらく何も言わなかった。そして言う。


「板では足りん」


大和が目を少し見開く。


「やる?」


「やるとは言ってない」


「でも板足りないって」


「書くならもっと大きいものがいる」


大和が笑った。


「やるじゃん」


「お前は黙れ」


その日の午前。大きな木板が数枚用意された。水車を横や上から見て描き、寸法を測った。そこで困った。ドランの使う単位が分からなかった。


「ここ、三十二」


ドランが言う。大和は自分の知っている単位と比べようとする。無理だった。


「この世界の長さって、基準何です?」


ドランが一本の棒を持ってくる。刻みがある。大和が見る。


「定規?」


「じょうぎ?」


「長さ測るやつ」


「これか」


「それ」


大和は少し安心した。測るという発想は当然ある。


「これ、みんな同じ?」


ドランが止まる。


「何が」


「長さ」


「同じだ」


「本当に?」


ドランが少し不機嫌になる。


「疑うのか」


「いや」


大和は棒を受け取る。作業場にある別の棒と比べる。微妙だが同じように見える。


「村の中は同じ?」


「大体」


「大体?」


「元になる棒がある」


「それを写す?」


「そうだ」


大和は少し考えた。


「それ、大事じゃない?」


ドランが見る。


「何が」


「元の長さ」


別の職人が別の棒で測ったら、この図と同じ寸法に作っても部品が合わないかもしれない。


「これ、一個だけじゃなくて、同じものを何本か作って村の中で基準にした方がいい」


ドランが少し考える。


「今もそうしている」


「何本?」


「三本」


大和は少し安心した。


「じゃあ、そこはもうできてる」


ドランが鼻で笑う。


「何でもお前の世界から持ってこなくていい」


大和は少しだけ苦笑した。


「そうですね」


また、教えるつもりで聞いてしまった。大和は借りた棒を返した。


「じゃあ、あるものは使う。ないものだけ足す」


ドランが頷いた。


「それでいい」


午後。ルシアンも呼ばれた。


「何で俺」


「昨日、一番構造見てたから」


大和が答える。ルシアンは水車の図を見る。


「違う」


「何が?」


「ここ。もっと下」


「本当?」


「本当」


ドランも見る。


「下だ」


「じゃあ直して」


「お前が書け」


「俺、ここの文字まだ苦手なんだって!」


結局、大和は絵。ドランは寸法。ルシアンは補足。大和の描いた絵には、二人の訂正が何度も入った。


「名前も付けよう」


大和が言う。ドランが嫌そうな顔をする。


「何に」


「部品」


「名前はある」


「それを全部書く。これを『真ん中の棒』とか『回る棒』とか呼んでたら、どれのことか分からなくなるから」


大和は軸を指した。ルシアンが少し頷く。


「それは分かる」


「でしょ。同じものを同じ名前で呼ぶ」


「当たり前だ」


ドランが即答する。大和が少し止まる。


「当たり前?」


「職人なら」


「じゃあ、それもあるのか」


また教えるつもりが教えられる。大和は少し笑った。


「俺、何しに来たんだろ」


ルシアンが答える。


「騒ぎに」


「ひどいな!」


でも、その後少しだけ大和の出番もあった。


「順番」


大和が言う。


「作る順番に並べたい。上から読んでいけば、次に何をするか分かるように」


ルシアンが板を見た。


「途中で気をつけるところもか。失敗した時は?」


「それも書く」


大和が笑う。


「ここで軸がぶれた。だからこの幅にした。この形だと水が抜けた。だから羽根の角度を変えた。そういうのも残す」


ドランが少し真剣に板を見る。


「それなら弟子に説明する時も使える」


大和が顔を上げる。


「弟子いる?」


「二人」


「いたんだ」


「いる」


「じゃあ、その人たちにも見せよう」


夕方、二人の若い職人が来た。板を見る。ドランが説明する。水車を作った時、どう考えたか。何を変えたか。なぜ変えたか。若い二人が質問する。


「ここ、なんでこの角度?」


ドランが説明する。


「ここ、もっと細くしたら?」


ルシアンが答える。


「折れる」


「ここ、違う木でもいい?」


「硬ければ」


話が続く。大和は気づいた。弟子が指した場所へ、ルシアンも手を伸ばした。二人は同じ図を見たまま、軸の太さを確かめている。


「これ、いいな」


大和が小さく言う。シェルドがいつの間にか後ろにいた。


「何が」


「書いた方が話しやすい」


シェルドも板を見る。


「確かにな」


「でしょ?」


大和が少し得意になる。


「だから」


別の板を出す。シェルドの顔がすぐ嫌そうになる。


「増やすな」


「まだ何も言ってない!」


「顔で分かる」


大和は板を広げた。今度は村の地図だった。以前見た怪物の場所を、もう少し細かく記録する。


「これも」


シェルドが見る。


「地図はある」


「もっと書く」


「何を」


「怪物」


大和は赤い印を指す。


「出た場所。いつ。何体。どんな形。誰を狙った」


シェルドの表情が変わる。ルシアンもこちらを見る。大和は続ける。


「今までは怪物が多い場所、それだけだった。でもこの前、レティを狙った。次は俺を狙った。形も違う。大きさも動きも違う。もし何か決まりがあるなら、記録しないと分からない」


ルシアンがすぐ近づく。


「それはやる」


大和が少し驚く。


「食いついた」


「必要だ」


ルシアンは板を引き寄せた。


「怪物が出たら、場所、向き、標的、逃げた方向、傷の治り方」


大和が頷く。


「あと倒した場合、俺がどう攻撃したか」


ルシアンが大和を見る。


「刃の形」


「それも?」


「変わっている」


大和が少し嫌な顔をする。


「そこまで見てた?」


「見てた」


「怖いなあ」


「お前の腕の方が怖い」


「それ言う?」


でも大和も分かっていた。自分の能力も分からない。なら、記録した方がいい。何を考えた時に身体が変わり、怪物がどう死んだか。思い出せるうちに書いておいた方がよさそうだった。


「俺の身体も記録するか」


大和が言う。ルシアンはすぐ頷いた。


「する」


「嬉しそうだな」


「興味がある」


「正直すぎる」


シェルドが地図を見る。


「誰が書く」


「見た人」


大和が言う。


「でも、書き方は同じにする」


また形式だ。


「場所。日。数。特徴。標的。被害。最後どうなった」


シェルドが一つずつ確認する。


「誰でも書ける?」


大和が止まる。


「……文字」


村の全員が、同じ程度に読み書きできるわけではない。大和自身、まだ満足に読めない。


「じゃあ、印」


「印?」


大和は怪物の簡単な形を描く。一体なら線一本。二体なら二本。狙われた者は猫耳や犬耳の簡単な記号。


「文字が少なくても分かるようにする」


少し離れた場所からノルアが見ていた。


「色は?」


大和が振り返る。


「色?」


「危ない場所。もっと分けたら?」


地図にはすでに赤が使われている。ノルアが続ける。


「よく出る。たまに出る。今はいない」


シェルドが考える。


「色を変える」


「そう」


大和が少し笑う。


「それいい」


また自分が知らないところから案が出る。当然のようにアビナもやってくる。


「私は何するニャ?」


大和はすぐ答えた。


「勝手に書き足さない」


「なんでニャ!」


「お前絶対、怪物の横に変な絵描くだろ」


「描かないニャ」


大和がじっと見る。アビナが少し目を逸らした。


「……ちょっとしか」


「禁止」


その夜。大きな板が一枚、食事をする場所の壁へ掛けられた。まだ粗い地図だった。川と森、村を繋ぐ道。使われなくなった道や古い建物、怪物の出る場所には印がある。村人が集まってきた。


「あそこ」


誰かが言う。


「去年も出た」


シェルドが振り返る。


「どこ」


指された場所へ印を追加する。別の者が言う。


「ここも」


「いつ」


「寒くなる前」


「何体」


「一体」


「誰を狙った」


「分からない」


また情報が加わる。少しずつ地図が埋まっていく。大和は見ていた。一人一人が知っていたこと。今までは、それぞれの頭の中にあった。今は一枚に集まっている。


「これ」


大和が小さく言う。ノルアが横にいる。


「何?」


「俺が知らなかった情報」


「うん」


「シェルドも全部は知らなかった」


「うん」


「でも、みんなのを集めると、村が知ってることになる」


ノルアも地図を見る。


「村が?」


「そう」


大和は少し考える。


「人じゃなくて、村そのものが知ってる」


ノルアがその言葉をしばらく考える。


「変なの」


「俺も今言ってて思った」


でも、大和にはかなりしっくり来た。また一人、地図へ指を伸ばした。シェルドが聞き返し、新しい印を書き加えていく。


「ヤマト」


レティが呼ぶ。


「これ」


手には小さな板。料理らしい。


「何?」


「レティが作る肉の焼き方」


「何で?」


「残すんでしょ?」


大和は一瞬止まる。レティは少し得意そうだ。


「私のも」


大和は笑った。


「いいじゃん」


「本当?」


「残そう」


レティが嬉しそうに尻尾を動かす。


「でも、材料の量、書ける?」


「量?」


「肉これくらい。塩これくらい。焼く時間。火の強さ」


レティが少し困る。


「いつも見て決める」


「それ」


大和が笑う。


「一番難しいやつ」


アキトも笑う。ドランが横から言う。


「職人も同じだ」


「感覚?」


「そう」


大和は少し考える。


「じゃあ、全部数字にしなくてもいい。どう見えたらいいか。どんな匂いか。どのくらいの硬さか。そういうのも書く」


レティの目が少し輝く。


「それならできる」


「じゃあやろう」


そこから話が広がった。畑の種まきや収穫、保存の方法。怪我や熱、腹痛に使う薬草。刃物の修理から狩り、森の道まで、あちこちから話が出てきた。大和は途中で笑った。


「多すぎる」


シェルドが横から言う。


「だから嫌だと言った」


「正しかった」


「やめるか?」


大和は壁を見た。地図と水車の図、麦の在庫板の隣に、レティの料理板まで並んでいた。


「やめない」


シェルドが小さくため息をつく。


「だろうな」


翌日、別の問題が出た。場所だ。板が増える。壁が足りない。


「どうするニャ?」


アビナが見る。大和は腕を組む。


「部屋」


「何の?」


「これ置く部屋」


シェルドが嫌そうに聞く。


「建てるのか」


「いきなりは。空いてる家ない?」


アキトが少し黙る。


「ある」


案内されたのは村の端にある小さな家だった。人は住んでいない。


「前は?」


大和が聞く。アキトは少し間を置く。


「住んでいた」


大和はそれ以上聞かなかった。怪物か、病気か、それとも事故だったのか。聞かずに、閉じた窓へ手を掛けた。古い道具を運び出して埃を払う。窓を開けると、床まで光が入った。棚を作り、水車の図や怪物の地図、倉庫の記録を運び込んだ。


大和は見回した。


「図書館」


全員が首を傾げる。


「?」


大和が笑う。


「知識を置く場所」


シェルドが部屋を見る。


「倉庫だろ」


「物じゃなくて」


大和は板を指す。


「知識の倉庫」


少し沈黙。アビナが言う。


「ちしきぐら?」


大和は少し考えた。


「それでもいいな」


レティが笑う。


「知識蔵」


ドランも頷く。


「分かりやすい」


シェルドも言う。


「それでいい」


大和は少し不満だ。


「図書館の方が格好よくない?」


誰も理解しない。


「……知識蔵で」


決まった。


午後。大和は知識蔵の入口へ小さな板を掛ける。文字は自分では書けない。ノルアに書いてもらった。大和はまだ文字を勉強中だ。


「俺が言い出したのに」


「読めないからね」


ノルアが少し笑う。


「そのうち覚える」


「本当に?」


「多分」


「多分って言うな」


大和も笑う。中には板が並ぶ。まだ数えるほどしかない。でもこれから増える。


「ヤマト」


ノルアが聞く。


「これも、あなたの世界にあったの?」


大和は少し考える。


「建物いっぱいに本があった。紙を何百枚も束ねたものが、棚にぎっしり並んでるんだ」


ノルアが目を丸くする。


「そんなに何を書くの」


大和は笑う。


「何でも。昔のこと。作り方。物語。人の考え。調べたこと。全部」


ノルアは棚の上を見上げた。


「全部残すの?」


「全部は無理。でも、残したいと思ったものは残せる」


ノルアは知識蔵を見る。


「じゃあ、この村のことも? 今ここであったことも残せる?」


「残せるよ」


「ヤマトのことも?」


大和が少し止まる。


「俺?」


「怪物を倒したこと。水車を考えたこと。斧を壊したこと」


大和の顔が変わる。


「最後はいらない」


ノルアが笑う。


「残す」


「やめろ」


「大事な記録」


「どこが!」


外からレティの笑い声。アビナが叫ぶ。


「書くニャ!」


「お前は絶対書くな!」


大和が追いかける。知識蔵ができた最初の日。最初に増えそうになった記録。藤原大和、斧を壊す。大和は必死で阻止した。


その夜。大和は一人、知識蔵へ戻った。小さな火を灯し、板を見る。水車や怪物、在庫に料理。板はまだ少なく、棚には空きがあった。大和は新しい板を一枚取った。そして止まる。文字が書けない。


「……勉強しないとな」


少し笑う。それでも絵なら描ける。大和は筆記具を持った。長い箱を描き、その中に横たわる人を入れた。自分が目覚めたカプセルだ。少し離れたところに、外へ出て見た木々を描き足した。何のために描いたのか、自分でもよく分からない。


ただ、残したくなった。自分がどこから来たのか。何を覚えているのか。病院のことや、眠る前に見た母親の顔も。今はまだ、誰にも全部うまく説明できない。でも、もし、いつか分かる日が来たら。


今覚えていることが必要になるかもしれない。大和は板の隅へ、ノルアに教わった文字をゆっくり書いた。自分の名前だけは、どうにか書けた。歪んだ文字を一つずつ見直した。大和はしばらくその文字を見た。


この世界で初めて、自分の名前を自分で残した。


「……よし」


板を棚へ置く。誰にも見せるつもりはない。まだ。ただ、そこに残す。大和は火を消し、外へ出た。外は暗く、入口の板も読めなかった。中には今日書いたものが残っている。大和はそっと扉を閉めた。


大和は少しだけ笑った。


「こういうので、いいのかもな」


明日、ノルアに文字を教わろう。そう決めて、寝床へ向かった。


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