第10話 水
川は昨日までと何も変わらず流れていた。大和は岸に立ち、その水を眺めている。
「で」
横にいるシェルドが言った。
「どうする」
「……」
大和は岸から川幅と深さを眺め、後ろを振り返った。アキトたち六人が、こちらを見て待っていた。
「いや」
大和は少し困った。
「そんな見られても」
「お前が言い出した」
「そうなんですけど」
大和は地面へしゃがみ、棒を拾って円を描いた。さっきと同じ絵だ。
「まず、これを川に入れる」
「全部?」
ドランが聞く。
「全部ではない。多分、この辺だけ」
円の下半分を指す。
「ここで水を受けて回すんだな」
「そう」
大和は少し安心した。ここまでは自分でも分かる。
「その回転を、こっちへ」
軸を描く。その先に石臼。そして止まる。
「……」
ルシアンが言った。
「さっきと同じところで止まった」
「そうなんだよ」
水車は縦に回る。石臼は横に回る。回転の向きが違う。見たことのある水車小屋には、歯車と石臼があったはずだ。その歯車がどう噛み合っていたのか、思い出せない。
「歯車」
大和が言った。
「歯車?」
ドランが聞き返す。大和は地面に丸を描き、その周りにぎざぎざを足した。
「こんなの」
「知っている」
「あるんだ」
「小さいものなら」
大和が少し嬉しくなる。
「じゃあ、それを使って」
ルシアンが大和を見る。
「どう使う」
「……」
また止まる。アビナが笑った。
「止まったニャ」
「分かってる!」
大和は頭を掻く。
「歯車同士をこう……」
二つの円を横に並べ、噛み合うように描く。
「これなら回転が伝わる」
ドランが頷く。
「それはできる」
「でも」
ルシアンが二つの円を指した。
「向きは変わらない」
「ですよね」
大和はため息をついた。縦の回転を横の回転へ。どうやる?歯車を九十度で噛ませる?
「斜めに噛ませる?」
ドランが少し考える。
「できなくはない」
「本当?」
「作るのが難しい」
「ですよね」
木の歯を斜めに削って、ぴたりと噛み合わせる。想像するだけでも難しそうだった。
「他の方法は?」
シェルドが聞く。
「それを今考えてます」
大和は川を見る。水は勝手に流れている。その力を石臼へどう繋ぐか。
「一回」
ドランが言った。
「車輪だけ作る」
「先に?」
「まず車輪が回るか確かめる。繋ぎ方はそれからだ」
「あ」
その通りだった。大和は笑った。
「そうしましょう」
最初に作る水車は、大和が想像していた巨大なものではなかった。直径は大人の胸くらい。木の輪の周囲へ何枚も板を固定する。大和は横で見ている。
「こんな感じだった」
「だった?」
「多分」
「多分ばかりだな」
「俺、観光で見ただけなんで」
「かんこう?」
「ああ。見に行くだけ」
「何のために」
「楽しむため」
ドランは手を止めた。
「水車を?」
「古い建物とか」
「なぜ古いものを見る」
大和は少し困った。
「珍しいから?」
「壊せばいいのでは」
「いやいや!」
思わず止める。
「残すんですよ」
「使わないのに?」
「昔こういうものがあったって」
説明しながら、大和は少し違和感を覚えた。観光地で見た、使わなくなった水車を思い出した。説明の札まで付いていたが、ドランには、まず片付けるものに見えるらしい。
「記録」
大和がふと呟く。ドランが見る。
「何だ」
「いや」
昨日、倉庫で考えた。書いて残す。物も知識も、使われなくなれば消える。大和は少し考えた。でも今は水車だ。
「あとで」
「?」
「何でもない」
作業を続ける。大和も手伝うと言った。ドランはしばらく考えてから言った。
「木を持て」
「加工は?」
「するな」
「信用ないな!」
「正しい判断だ」
ルシアンまで言う。
「お前まで!」
結局、大和の仕事は重い木材を運び、加工中の部材を押さえることだけになった。それでも非常に役に立った。
「ここ」
ドランが言う。大和が太い軸を持つ。
「動かすな」
「はい」
ドランが削った部材を合わせ、穴の位置を確かめていく。大和は木を押さえる手元を見ていた。ドランの刃物が近くを通る間、大和は動かさないことだけに集中した。
昼前、小さな水車が完成した。全員で川岸へ運ぶ。ドランとアキトが軸を支え、水へ板の一部を入れる。流れが当たる。水車は――動かない。
「……」
全員が見る。アビナが首を傾げた。
「回らないニャ」
「見れば分かる」
大和は少し焦る。
「何で?」
ルシアンが水と水車を交互に見る。
「板が水を受けてない」
「受けてるだろ」
「深すぎる。上がる方の板まで水に浸かってる」
大和が見る。確かに、水へ入りすぎている。
「浅くする?」
ドランが少し持ち上げる。水車がゆっくり動いた。
「お」
一回。回る。止まる。
「回った!」
大和が少し嬉しくなる。
「止まったニャ」
「今いいところだったのに!」
レティが水を見る。
「流れ弱い?」
ルシアンが下流と上流を見る。
「ここが遅い」
岸の近くは流れが緩い。
「真ん中なら速い」
アキトが言う。
「でも設置できない」
シェルドが川を見る。中央は深い。流れも強い。作業するには危険だ。大和は少し考えた。
「水を、こっちに持ってきたら?」
上流を指す。全員が見る。
「水を?」
「川を全部じゃなくて、少し分ける」
大和は地面へ線を引く。川から岸側へ細い水路。
「ここに流す。狭くしたら流れ速くならない?」
ルシアンが地面を見る。シェルドも考える。
「水路か」
アキトが周囲を見る。
「掘る?」
大和は自分で言っておきながら少し焦った。
「いや……」
本当に掘るのか。シェルドはすでに地面の高さを見ている。
「少し上流から取れば、落差もできる」
「落差」
その言葉で、大和の記憶に別の水車が浮かんだ。山の水車小屋では、木の樋から水が落ちていた。
「そうだ。上から水を当てるやつもあった」
「さっき川に入れると言った」
ルシアンが言う。
「両方あるんだよ!」
多分。大和には少し自信がない。でも、見た記憶はある。
「こっちの方がいいかも」
ドランが水車を見る。
「上から?」
「板に水を載せる感じ」
「押すのではなく」
ルシアンが考える。
「重さで回す?」
大和が一瞬止まった。
「……そういうこと?」
自分が教えられている。ルシアンは水車へ近づき、手で板を回す。
「ここへ水が入る。下がる。次の板にまた水が入る」
「そう」
「なら板は平らでは駄目だ」
ドランがすぐ理解した。
「水が落ちる。受ける形にする」
大和は二人を見る。
「あ」
自分が知っていたものより、どんどん具体的になっていく。
「やってみる?」
ドランが水車を見る。
「作り直す」
大和は少し笑った。
「お願いします」
午後。一号機を改造した。板を少し箱のような形にして、角度を変える。同時に簡単な水路も作った。木や石、土で細い流れを作り、上流から水を引いた。試すための簡単なものだったが、水車まで水が届いた。
「行くぞ」
ドランが水路を塞いでいた板を外す。水が流れた。木の樋を通る。水車の上から当たる。一枚の受けに水が入り、重さで下がる。重そうに動いたところへ、次の受けに水が入った。もう一つ下がり、続けて回り始めた。
「回った!」
レティが声を上げる。今度は止まらない。ゆっくりだが一定に回っている。
「おお……」
大和は思わず近づいた。木が軋む。水が落ちる。そしてまた板が上へ戻ってくる。
「水車だ」
自分の知っているものとは少し違う。でも、水車だった。
「すごいニャ!」
アビナが近づき、手を出す。大和が首根っこを掴んだ。
「触るな」
「見るだけニャ!」
「手出てただろ」
「確認ニャ」
「何を!」
アビナがじたばたする。レティが笑う。ドランは水車を見ていた。軸の端へ顔を寄せ、回転に合わせて目を動かしている。
「軸がぶれる」
ルシアンも言う。
「ここ、削れてる」
大和は少し心配になる。
「ダメ?」
「回る」
ドランが答える。
「でも、このままならすぐ壊れる」
「ああ……」
止まらずに回ってはいる。大和は削れた軸へ目を戻した。
夕方、水車を止めた。軸を外し、削れた部分を見る。摩擦。大和が言う。
「油?」
ドランが見る。
「何だ」
「滑りよくする」
「脂なら使う」
「あるんだ」
また大和の世界だけの知識ではなかった。でも、今度はがっかりしない。
「じゃあ使えばいい」
ドランが頷いた。初日はそこで終わった。まだ石臼は一度も回していない。夕食。大和は少し疲れていた。身体はいつも通り平気だ。頭が疲れた。アビナが横で言う。
「回ったニャ」
「回ったな」
「明日、石も回る?」
「分からない」
「なんでニャ」
「そこが一番難しいんだよ」
アビナが大和の皿から肉を取る。今回は止めなかった。
「どうしたニャ?」
「疲れた」
「肉いらない?」
「いる」
大和はアビナの手を止める。
「返せ」
「もう私のニャ」
「まだ持ってるだろ!」
いつものやり取りで、少し気が楽になった。向かいにいるノルアが大和を見る。
「楽しい?」
「何が?」
「水車」
大和は少し考える。
「楽しい」
怪物討伐とは違う。あれは終わった時に安心する。こっちは失敗しても、次を考えたくなる。
「全然完成してないけど」
「明日もやる?」
「やる」
即答だった。ノルアが少し笑う。
「楽しそう」
「多分な」
大和も笑った。
翌日。やはり問題は石臼だった。水車の横向きの軸と、石臼の縦向きの軸を繋がなければならなかった。
「これ、やっぱ歯車?」
大和が頭を抱える。ドランは小さな木の歯車を二つ作っていた。
「作ったの?」
「小さいものならと言った」
片方を水車側の軸へ、もう片方を縦の軸へ付け、角度を変えて噛ませた。手で回すと、ぎ、ぎ、と鳴りながら縦の軸が動いた。
「おお!」
大和は感動した。
「これじゃん!」
ドランはまったく喜ばない。
「大きくすると歯が割れる」
ルシアンも見る。
「力も逃げる」
「でもできる?」
大和が聞く。ドランは少し考えた。
「できる。ただし時間がかかる」
「どれくらい?」
「分からん」
大和は少し沈む。早く石臼を回してみたい。その時、ノルアが小さな声で言った。
「石臼を、水車に合わせたら?」
ノルアの声に皆が振り向いた。彼女は口を閉じかけたが、大和が先を促した。しばらく沈黙した。
「どういうこと?」
ノルアは地面を見る。
「水車の向きを変えるんじゃなくて、石臼の方」
大和は考える。石臼は横で回る。それを変える?ルシアンが何かに気づいた。
「水車を横にする」
大和が見る。
「え?」
ルシアンは地面に円を描いた。地面と平行に置く水車。その周囲へ板。
「水を横から当てる」
中心に縦の軸。
「軸をそのまま石臼へ」
大和の目が少しずつ大きくなる。石臼の下に水平な水車を置き、縦の軸で直に繋ぐ。大和は絵の線を目で追った。
「……それ、いけるんじゃない?」
ドランが地面をじっと見る。
「歯車がいらない」
「軸一本」
ルシアンが言う。
「力は弱くなるかもしれない」
シェルドが続ける。
「作るのは簡単になる」
アキトが石臼を見る。
「壊れた時も直せる」
大和は驚いていた。地面の絵には、さっきまで悩んでいた歯車が一つもない。水車と石臼が、一本の軸で繋がっていた。
「そっか」
大和が笑う。
「水車を再現しなくていいんだ」
シェルドが聞く。
「何を言っている」
「俺が見たものと同じにしなくていい」
大和は地面の絵を見る。
「回ればいいんだ」
ノルアが少し笑う。
「そう言った」
「ありがとう」
「私は思っただけ」
「それが必要だった」
大和は本気でそう思った。二号機は、最初の水車とはかなり違う形になった。川の少し上流から細い水路を引き、木の樋で水を狭い場所へ勢いよく流す。その先に水平に置いた小さな羽根車。中心に縦軸。
その上に簡易的な石臼。最初から大きなものは使わない。小さい石で試す。ドランが何度も軸を確認する。ルシアンは水路を見る。シェルドは人と材料を管理する。アキトは石や木など重いものを運ぶ。
レティは水、食事、工具など必要なものを走って持ってくる。アビナは何度も大和に言われる。
「触るな」
「まだ何もしてないニャ」
「その目はする目だ」
「信用ないニャ」
「ある意味信用してる」
「何を?」
「絶対触るって」
大和は部材を運んだ。形を確かめられても「多分」としか答えられず、そのたびにドランが現物へ目を戻す。
夕方に二号機が完成した。水を流すと羽根が回り、縦軸が震えた。その上で石が動き始めた。
「……」
少し回る。止まる。
「ああ!」
大和が落胆する。ルシアンはすぐ下を見る。
「水が弱い」
ドランが羽根を見る。
「小さい」
シェルドが水路を指す。
「流れを狭くする」
樋を細くして、水を一か所へ集めた。再び流すと、羽根が勢いよく回った。縦軸が回り、上の石も動く。ごり、ごり、と音が続いた。
「回った」
レティが小さく言う。誰も騒がない。ただ見ている。止まらない。石臼がゆっくり、確実に回る。大和の顔に少しずつ笑みが広がる。
「回ってる」
アキトも笑う。
「回っているな」
穀物を少し入れる。石臼がごりごりと音を立てる。下から粉が落ちる。大和がしゃがみ、指で触る。粉。
「……できた」
レティもしゃがむ。
「粉?」
「粉」
「ちゃんと?」
「多分」
シェルドも指で少し取って見る。
「少し粗い」
ドランは石の間隔を見る。
「調整する」
大和は思わず笑った。
「できたじゃん」
誰に言ったのか自分でも分からない。水を受けた羽根が回り、石臼から粉が落ちてくる。誰も押していないのに、音が続いていた。大和はしゃがんだまま見ていた。
「ヤマト」
レティが大和を見る。
「すごいね」
大和は一瞬、得意そうになりかけた。でもやめた。
「俺じゃないよ」
「?」
「俺は、水で回せるって言っただけ」
ドラン、ルシアン、ノルア、シェルド、アキトを見る。
「作ったのはみんな」
レティは少し考え、笑った。
「じゃあ、みんなすごい!」
「そう」
大和も笑う。
「それ」
アビナが石臼を見る。
「私も?」
大和が聞く。
「何した?」
「見てたニャ」
「お前は違う」
「なんでニャ!」
笑いが起きる。水車の音は一定だった。ごり。ごり。その日、試しに少量の麦を全部挽いた。いつもなら二人で石臼を回し、途中で休みながら交代する。それが水を流すだけになった。まだ遅く、軸もぶれた。時々止まるたびにドランが調整したが、石を押すための交代はいらなかった。
夜。その粉で薄いパンのようなものを焼いた。レティが大和へ一枚渡す。
「最初」
「俺?」
「うん」
形の崩れた、温かいパンを受け取った。齧ると硬く、少しざらついた。
「どう?」
全員が見る。大和は噛み、飲み込んだ。
「……うまい」
レティの尻尾が動く。アビナもすぐ取る。
「ほんとニャ」
パンが順に手渡され、アキトたちも食べ始めた。別に今までのものと味はほとんど変わらない。材料も同じ。作り方も同じ。違うのは、粉を挽いた方法だけ。それでも大和には妙にうまかった。
「ヤマト」
アキトが言う。
「ありがとう」
大和は少し驚いた。
「いや」
「明日から、石臼を回す者が別の仕事をできる」
大和は、水を運ぶ人、薪、畑、倉庫を思い出す。石臼を押していた二人を思い出した。あの時間を、明日から別のことに使えるのか。
「……こういうの、もっと思い出してみます」
シェルドがすぐ反応する。
「使えるものだけにしろ」
「分かってます」
ドランが言う。
「作れるものにしろ」
「努力します」
ルシアンも。
「原理が分からないものは?」
「みんなで考えよう」
アビナが言う。
「面白いやつがいいニャ」
「お前基準入れるな」
レティが笑う。ノルアも笑っている。大和はパンをもう一口食べた。
今日の水車は、昔見たものとは全然違った。小さくて、軸がぶれ、回るのも遅い。大和一人で見た通りに作ろうとしていたら、まだ歯車の前で止まっていたはずだ。
「こっちの方が」
大和が小さく言う。ノルアが隣から聞く。
「何?」
「いや」
大和はパンを見る。
「俺の世界のを、そのまま作るより、こっちの方が面白いなって」
ノルアも水車のある方向を見る。夜なので、今は止まっている。でも明日。川が流れれば、また回る。
「うん」
ノルアは小さく答えた。
その夜、大和は寝床へ戻ってもなかなか眠れなかった。頭の中にいろいろ浮かぶ。井戸にポンプ、風車、滑車。保存食や炭、道や下水もある。本、学校、時計と浮かんで、病院まで考えたところで止まった。
「いやいや」
大和は自分で笑った。
「俺、作り方ほとんど知らないじゃん」
でも少し前なら、そこで終わっていた。今は違う。自分が知らなくても、誰かが知っているかもしれない。形だけでも伝えられるかもしれない。村にあるものと組み合わせれば、別の形になるかもしれない。
大和は天井を見る。
「次」
考える。今日、水車は人が回していた石臼を水の力で回すようになった。なら他にも、毎日誰かが同じことを繰り返しているものを楽にできないか。しばらく考えて、一つ浮かんだ。倉庫でシェルドが使っていた木板を思い出した。
誰かが死んだら、知っていることも消える。ドランが水車を作れる。でも、ドランしか作り方を知らなければ。もし、いなくなったら。水車もそこで止まる。大和は少し表情を変えた。図と作り方を残せないだろうか。次に直す誰かが、ドランに聞けなくても困らないように。
「……そうか」
大和は起き上がった。暗い部屋。もちろん今すぐ何かするわけではない。でも、次にやることが少し見えた。もう一度横になる。
「明日、シェルドに嫌がられそうだな」
その予想だけは、かなり自信があった。




