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第八話 初志

 「あの子、変わってるでしょ」


 フィーレアが、子どもたちの輪に混ざって遊ぶユイリーを眺めながら、ぽつりと言った。


 「元気な子ですね。でも、いい子ですよ」


 素直な感想を口にすると、フィーレアはふふ、と小さく笑う。


 「アイトさんも、変わった人」


 冗談めかした声色のまま、けれどその瞳だけはどこか真剣だった。


 「普通、人間さんは獣人に対して、そんなふうに好意的な見方はしないものなんですよ」


 「そう、なんですか?」


 思わず、そのまま聞き返してしまう。


 「ええ。と言っても、私たちも人のことは言えないんですけどね。そのせいで、この集落の中では、ちょっと浮いてるんです」


 フィーレアは、自分で言いながら小さく苦笑した。


 たぶんそれは、人間である俺に対して、ほとんど警戒心を見せない自分たちのことを指しているのだろう。

 はは、と場を和ませるつもりで愛想笑いを浮かべる。


 フィーレアは、その様子をちらりと見て、少しだけ息をついた。


 「私とユイリーは、実はここの出身じゃないんです」


 フィーレアは、子どもたちから目を離さないまま、淡々とした口調で続けた。


 「……え?」


 思わず、聞き返してしまう。


 「私たち、もともとは“奴隷”だったんですよ」


 あまりにもさらりと告げられた言葉に、胸の奥が冷たくなる。


 「……奴隷……?」


 思わず、その言葉を反芻するように口の中で転がしていた。


 「外の世界にいる獣人は、殺されるか、捕まって奴隷にされるか」


 フィーレアは、事実だけを並べるみたいに淡々と言った。


 「この二択しかないんです」


 ぞくり、と背筋が冷える。


 「私もユイリーも、奴隷だった両親のもとに生まれて、生まれたときから奴隷でした」


 淡々とした声色はそのままなのに、どこか乾いた響きが混じっている気がして、俺はうまく息が吸えなくなった。


 フィーレアは、ふっとこちらから視線を外すと、くるりと背中を向けた。


 唐突に、彼女は肩口あたりの布をすっとずらす。


 「な、なにをっ?」


 あまりに突然の動きに、思わず顔をそらしてしまう。

 反射的に視線を逸らしながら、空を仰ぐ。


 けれど――すぐに、フィーレアが何を見せようとしているのかに気づいてしまった。


 恐る恐る視線を戻した先で、俺は言葉を失う。


 華奢なその背中のあたりに、皮膚を深くえぐるような印が刻まれていた。

 焼けただれたようなその痕は、時間がたっても消えない傷跡になっている。


 痛々しいその印は、おそらく「焼き印」というやつなのだろう。


 人間が、自分たちの所有物に押すための、印。


 「これと同じものが、ユイリーにも……?」


 喉がひりつくような感覚の中で、恐る恐るそう尋ねていた。


 「ええ」


 フィーレアは、短く、それだけを答える。

 それ以上、余計な言葉を重ねることはしなかった。


 獣人が人間を恐れるのは、仕方のないことだ。

 こんなものを見せつけられてしまっては、そう考えるほかない。


 フィーレアはさっき、外の世界に生きる獣人たちは「殺されるか、捕まって奴隷にされるか」のどちらかだと言っていた。

 話を盛っているわけでも、大袈裟な比喩でもないのだと、今ははっきり分かる。


 ここへ来てから、獣人たちと関わって分かった。

 彼らにも、俺たちと同じように心がある。ただの獣なんかじゃない。


 なのに、どうしてこんなことができるのか。


 俺には、さっぱり理解できない。吐き気を催す邪悪だ。


 「どうして、ユイリーもフィーレアさんも……俺を怖がらないんですか?」


 気づけば、口が勝手に動いていた。

 不思議で仕方なかった。聞かずにはいられなかったほどに。


 こんなひどいことをされてきたのに、どうして二人が俺を恐れないのか。

 もし俺が逆の立場だったなら、たぶんそんな心境にはなれなかったと思う。


 フィーレアは、ふっと視線を落とした。


 「さっき、あの子の『姉』だと言いましたね。だけど――」


 そう前置きしてから、穏やかな声音のまま続ける。


 「正確には、違うんです。血のつながりは、ないんですよ」


 短くそう告げると、フィーレアは小さく息を吐いた。


 「私たちを家族として迎え入れてくれた人がいたんです」


 フィーレアは、少しだけ遠くを見るような目つきになった。


 「私とユイリーは、その人の家で一緒に育ってきました」


 穏やかに紡がれる言葉の端々に、懐かしさと、ほんの少しの痛みが混じっているのが分かる気がした。


 「ロブおじいちゃんは、とても優しかったんです」


 フィーレアの口調が、少しだけ柔らかくなる。


 「実の子どもでもない私たちを、家族同然に育ててくれました」


その表情には、確かな敬愛の色が浮かんでいた。


 外の世界は、獣人たちにとって過酷な環境だ。

 死か、奴隷か――それが当たり前の世界。


 けれど、その中には、獣人を我が子のように育ててくれる人間もいる。

 ロブという男は、まさにそういう人間のひとりだったのだと、フィーレアの語り口から自然と伝わってきた。


 「もちろん、それは当たり前のことなんかじゃないんです」


 フィーレアは、静かに首を振った。


 「私たちの運が良かっただけ。ロブおじいちゃんみたいな人は、きっと多くはいません」


 そこまで言ってから、ふっと目を細める。


 「だけど、ああいうあたたかさを持った人間さんも、確かにいるんです」


 指先で、膝枕していた子どもの髪をそっとすくい上げながら、言葉を続ける。


 「だから、私もユイリーも……人間さんのことを、どうしても憎みきれなかったんだと思います」


 どこか寂しそうにも見える笑みだった。


 「アイトさん、どことなくロブおじいちゃんと雰囲気が似ているかもしれないですね」


 ぽつりとそう言って、フィーレアは俺のほうを見やる。


 「だからかもしれないですね。私たちが、あなたを怖がらないのは」


 穏やかな微笑みが向けられて、うまく言葉が返せなかった。


 「あの子が、あなたのために頑張るのも……もしかしたら、そういうことなのかもしれないですね」


 フィーレアが、どこか含みのある言い方でそう締めくくる。


 胸の奥が、きゅっと締めつけられた。


 ユイリーがどんな心境でいるのかなんて、俺に分かりようもない。

 それでも、あの子は俺のために、何度も身体を張ってくれた。


 なら、俺もそれに応えたい。


 俺も、何かしたいと思った。

 ユイリーが思ってくれているような「いい人間」として、この集落の人たちに認められたい。


 ユイリーやフィーレアが、人間を信じようとしたことは間違っていなかった――そのことを、ここで証明したいと、そう思えた。


 「俺、集落の役に立てるように頑張ります」


 気づけば、そう口にしていた。


 フィーレアは一瞬だけ目を丸くして、それからふわりと微笑む。


 「はい。頑張ってください」


 その穏やかな返事に、胸の奥で小さく火が灯るような感覚がした、そのときだった。


 「なんの話してるのー!」


 少し離れたところから、ユイリーの弾んだ声が飛んでくる。

 子どもたちの笑い声に混じって、その明るさが学舎の中庭に広がっていった。


 ◇


 「ぐおぉぉぉぉーっ!」


 情けない叫び声が、畑にこだました。


 畑仕事の手伝い中、俺は一本の芋を引き抜くのに盛大に苦戦していた。

 土の中にがっちり根を張ったそれは、びくともしない。


 簡単にできるやろ、こんなん――なんて、ユイリーのお手本を見たばかりの頃の俺は思っていた。

 あのときの自分を、今すぐ殴りに行きたい気分だった。


 都会育ちの俺には、これは立派なハードワークだ。

 芋すら引き抜けない人間が「集落の役に立てるように頑張ります」だなんて、へそで茶が沸く。


 「ファイトだよー、アイト」


 能天気な声が、すぐ横から飛んでくる。


 そう励ましながら、ユイリーは俺の隣で、同じくらいの大きさの芋をすっと軽々と引き抜いてみせた。

 肩で息をしている俺の横で、ほとんど汗ひとつかいていない。


 畑仕事に長年従事しているからだとは思うが――それにしたって、さすがにヘコむ。


 年端もいかない女の子に力で負けるとは。

 おまえは一体何ならできるんだ、三日月藍人。


 「なにやってんの、あんた」


 後ろから、聞き慣れた冷ややかな声が飛んできた。


 振り向けば、そこには狩人の装束に身を包んだレンが立っていた。

 弓と矢筒を背負ったまま、じとりとした目で俺を見下ろしている。


 レンは何も言わず、俺が悪戦苦闘している蔦をひょいとつかんだ。

 そのまま、軽く力を入れる。


 すぽん、と拍子抜けするような音を立てて、芋が土から抜ける。

 支えを失った俺は、その勢いのまま後ろにひっくり返り、尻もちをついた。


 「痛ちち……」


 情けない声が漏れる。

 思わずお尻をさすりながら顔を上げると、レンが俺を見下ろしていた。

 その目は、明らかに嘲笑を含んでいる。


 こいつ、わざとやったな……?


 「あれ、レン。狩りに行ってたんじゃないの?」


 たくさんの芋を抱えたまま、ユイリーが首をかしげる。


 「ファングァよ」


 レンは短くそう答えた。


 「あいつが集落の周辺をうろついてて、小動物が散ってるの。ファングァの討伐が優先だから、今日は帰れって言われたのよ」


 「ファングァって、もしかしてこないだアイトを追っかけ回してたやつかな。おっきかったもんね、あの子」


 ユイリーが考え込むように言うと、レンは小さくうなずいた。


「たまに大きくなりすぎた個体が集落の周辺をうろつくことがあるって聞いたし、可能性はありそうね。……でも、あのサイズじゃ狩るにしても一苦労かもね」


 二人の会話から、あの化け物に追いかけ回されたときのことを思い出し、思わず身震いする。


 今考えてみても、あのときが一番、生きた心地がしなかったかもしれない。

 いや、その後に怒ったレンや、詰問してきた長老も十分おっかなかったけど。


 背中に、じわりと冷たい汗がにじむのを感じながら、俺はごくりとつばを飲み込んだ。


 「ということで、今日は畑仕事、手伝うことにしたってわけ」


 レンはそう言って、手についた土をぱんぱんと払い落とす。


 「着替えてくるから、先に進めてて」


 ぶっきらぼうな口調のままそう告げると、くるりと踵を返し、家のほうへと歩いていった。

 狩人の装束の背中は、すぐに畑の向こうへと見えなくなった。


 「それじゃ、張り切っていこう!」


 ユイリーが両腕いっぱいに芋を抱えたまま、元気よく声を上げる。


 「今晩の食材、野菜だけでも確保しないとね」


 「お、おう……」


 鼓舞に答えるように返事はしたものの、俺の体力はすでに底をつきかけていた。

 腰は重く、腕はパンパンで、正直もうヘロヘロだった。


 明日は間違いなく筋肉痛だな――そんな未来が、嫌というほどはっきり想像できてしまう。


 ◇


 家に帰ってきて、玄関をくぐった瞬間――その場にぶっ倒れた。


 全身の力が抜けて、床の感触を味わう。

 実に情けない、と思ったら、本気で涙が出そうな気分になってきた。


 「おつかれさま」


 しゃがみこんで、ユイリーが苦笑いを浮かべる。


 都会育ちのもやし。

 それが今の俺だと、嫌というほど痛感させられた一日だった。


 こんなんで、役に立てる日が本当にくるんだろうか――。


 そんな考えが頭の中をぐるぐる回っていると、視界の端でレンが動いた。

 棚にもらってきた野菜などを、てきぱきと並べている。


 すぐに夕飯の支度を始めるつもりなのだろう。

 その姿を見た瞬間、俺ははっとした。


 そうだ。役に立てること、あるじゃないか。


 自分がこの世界に来るまで、何の仕事をしていたかを思い出す。


 ――俺、焼肉屋で調理補助やってたじゃんか。


 「なによ」


 提案したいことがあってレンに近づこうとした矢先、振り向きもせずに嫌そうな声でそう言われた。

 相変わらず、しっかり警戒されているらしい。


 「俺、仕事で調理補助をやってたからさ。少しだけなら料理、手伝えるんだ。手伝ってもいい?」


 できるだけ柔らかく言ったつもりだったが、返ってきた言葉は容赦なかった。


「あんたにナイフを持たせるわけないでしょ」


 ぴしゃりと一刀両断され、心の中でそっと膝から崩れ落ちた。


 んー、返す言葉がない。


 確かに、人間にナイフを持たせるなんて、彼女たちにとっては危険な行為だろう。

 ましてや、こんな閉鎖空間の中なら、なおさらだ。


 やっぱり厳しいか――そう諦めかけた、そのときだった。


 「はい、アイト。これ」


 不意に名前を呼ばれてそちらを向くと、ユイリーがにこにこしながら何かを差し出してくる。


 彼女の手に握られていたのは、皮の鞘におさまったナイフだった。


 「ちょ、なにやってんのよ、あんた!」


 レンが、半ば悲鳴みたいな声を上げる。

 さっきまで以上に険しい顔で、ユイリーと俺の間にずいっと割り込んできた。


 「料理できるなら、レンも助かるじゃん」


 ユイリーが、あっけらかんとした声で言う。


 「あんたねぇー、そういう問題じゃ……」


 レンが眉間にしわを寄せかけたところで、ユイリーはさらに続けた。


 「アイトの腕前、見てから決めよ」


 「人の話を聞きなさいよ」


 レンの抗議を華麗にスルーして、「はい、アイト」とキャベツまで渡してくるユイリー。

 ほんとこの子はハートが強いな、と思わず苦笑いが漏れた。


 腕前、ね。


 別に、料理が得意なわけじゃない。

 教わった通りにやっていただけだ。


 でも――これだけは得意だった。


 俺はキャベツを手に取り、まな板の上に置く。

 半分にカットし、芯を外してから、葉をそろえて縦に細かく刻んでいく。


 とん、とん、とん、と小気味いい音が台所に響いた。


 「ほえー、すごい」


 横からのぞき込んでいたユイリーが、素直な感嘆の声を漏らす。


 「……慣れたものね」


 レンも、腕を組んだままじっと見つめてから、ぽつりとそう評価してくれた。


 「他の野菜とかも、仕込みくらいなら手伝えそうなんだ。どう?」


 刻んだキャベツをまとめながら、俺はレンのほうを見て尋ねた。


 レンは、ぼさぼさと髪をかきむしりながら、上を向いたり下を向いたり落ち着きなく視線をさまよわせた。

 そして、しばらくうーうーと唸り声をあげたあとで、観念したようにため息をつく。


 「……確かに、手伝ってくれるなら助かる。仕込みだけ手伝ってもいいわ」


 「ありがとう。頑張るよ」


 ようやく、まともに役に立てそうな気がして嬉しかった。

 今はまだ、こんなことしかできないけれど。


 「よかったね」


 下からのぞき込むように顔を近づけて、ユイリーがにしっと笑ってみせる。


 本当に、ここへ来てからというもの、この子には助けられてばかりだと思う。




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