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第七話 学舎

 長老の家を追い出されてから数分後、俺はユイリーとレンが暮らしているという家にいた。


 外から見たときの印象どおり、簡素な造りの家だ。

 丸太や板を組み合わせて建てられていて、掘っ立て小屋とまでは言わないが、どこか心許ない。


 中にあるのは、本当に最低限のものだけだった。

干し草を詰めただけのようなベッドが二つに、丸い木のテーブル、小さな椅子。

 どれも強度自体は申し分なさそうだが、どこかお手製感のある見た目をしている。


 ここで、ユイリーとレンは二人で暮らしているらしい。


 そもそも、なぜ俺がここにいるのか。


 話は、数分前にさかのぼる。


 長老の家で、レンはその後のことについて話をしていたらしい。

 その結果として、俺の監視役にユイリーとレンが選ばれた、というわけだ。


 本来なら始末しなければならない人間を、わざわざ集落まで連れてきたのだから、その責任というのもあるのだろう。

  そう考えると筋は通っているが、俺としてはありがたい措置だった。


 初対面の獣人に四六時中見張られるのは、どう考えても気まずい。

 その点、ユイリーとレンとは、短いながらも一応言葉を交わしてきた仲だ。

 まったくの他人と比べれば、いくらかはマシだと思えた。


 「ここがわたしのベッドで、あっちがレンのだよ」


 ユイリーが、さっそく部屋の案内を始める。

 ベッドのひとつをぽん、と叩いてから、楽しそうにもう一つのほうを指さした。


 気のせいか、この状況そのものをどこか楽しんでいるようにも見えた。

  とはいえ、不機嫌そうに案内されるよりはずっといい。

 わざわざ水を差す気にはなれない。


 「アイトのベッドも、そのうち用意しないとね。レンが帰ってきたら相談しよ?」


 ユイリーは、今は何も置かれていない床のあたりを見回しながら、そんなことを言う。


 ここに二人だけで住んでいる――と、さっき聞かされていたが、改めて部屋を見回すと、その言葉にも納得がいった。

  ベッドも椅子も二つきり。三人以上が暮らしている生活感はなかった。


 若いのに、すごいなと思う。


 そこで、ふと新しい疑問が浮かんだ。


 そういえば、自己紹介で互いの名前こそ知ったものの、年齢については何も聞いていなかった。

 見た目からなんとなく想像していただけだ。


 「そういえば聞いてなかったけど、ユイリーとレンはいくつなの?」


 思いついたまま、素直に尋ねる。


 「んー、レンは十三歳だよ」


 ユイリーは、指を折りながら数えてから、思い返すようにそう言った。


 「私も、たぶん同じくらいだとは思うけど……ちゃんとは分かってないんだ」


 「そうなんだ……ごめん、なんか悪いこと聞いちゃったかも」


 気まずくなって、視線を落とす。


 「全然気にしなくて大丈夫だよ」


 ユイリーは、あっけらかんと笑った。


 「年なんかわかんなくても、とくに困ってないしね。

 でもね、きっと私のほうがレンよりお姉さんだよ」


 ふふん、と胸を張るような仕草で、根拠のない自信を言い張る姿が、なんだか微笑ましかった。


 元いた世界で言えば、小学校の高学年から中学に上がるかどうか、くらいの年頃だろうか。

  最初に抱いた印象と、大きくは違っていない。


 そう考えると、レンは年不相応なほどしっかりしている――改めてそう思う。


 さっきまで、その年で「人を殺すかもしれなかった」ことを思うと、胸の奥がひどく重くなった。


 「そういうアイトはいくつなの?」


 ユイリーが、首をかしげながら聞いてくる。


 「俺は十七だよ。今年で十八になるんだ」


 「へえ、やっぱりお兄さんなんだね」


 年齢だけ見れば、俺のほうが上だ。

 けれど、この世界に来たばかりで何も知らない俺には、年の功なんてものはない――そんなことを、ぼんやりと考えた。


 「ほんとは集落も案内したかったんだけど、今日はもう遅いし、明日だね」


 ユイリーは、少し残念そうに言った。


 長老の家に来るまでの道中で、この集落が想像していたよりもずっと広いことは分かっていた。

 見知らぬ家々が並び、思っていた以上に広い土地が広がっている。

 案内してもらえたほうが助かるのは間違いない。


 だが、夜の外出は長老から禁止されている。

 今はユイリーの言うとおり、おとなしくしていたほうが賢明だろう。


 「そろそろいい時間だし、晩ごはんにしようか」


 ユイリーがそう提案した、そのときだった。


 がらり、と戸の開く音がする。


 そちらに目を向けると、入口にレンが立っていた。

 事情の説明で集落中を回っていたようで、ようやくそれが終わったのだろう。

  肩を落として小さく息を吐いている。


 「あ、レン、おかえりー」


 ユイリーが手を振る。


 「アイトに部屋の案内、ちょうど終わったところだから、そろそろごはんにしよう」


 いつもの調子でそう言うユイリーとは対照的に、レンは一瞬だけこちらに視線を向け、それから静かに頷いた。


「……そうね」


 短くそう答えると、レンは弓と矢筒を壁際に立てかけ、そのまま迷いなく棚のほうへ歩いていった。


 「今日はなに作る? アイトがここに住むことになったし、気合い入れてお手伝いするよ」


 ユイリーは腕まくりをして、やる気だけは十分といった様子だ。


 「……あんたは掃除でもしてなさい。台所に近寄らないで」


 レンは振り向きざまに、ユイリーの額をつん、と指で押した。


 「えー、なんでさ」


 ユイリーは、不満そうにほっぺたをふくらませる。


 「あんたが手伝ったらろくなことにならないの。自覚しなさい」


 言い方こそきっぱりしているが、その声音にはどこか慣れた響きがある。

 何度も繰り返されたやり取りなのだと、すぐに分かった。


 会話の流れから推測するに、ユイリーは料理があまり得意ではないのだろう。

  レンの容赦のない言葉遣いを見る限り、その腕前は相当ひどいのかもしれない。


 「好き嫌いとか聞くつもりはないからね。出されたもので満足して」


 レンは、こちらを見ることもなく言い放った。

 言い方は刺々しいが、さっき森の中で弓を向けられたときの殺気に比べれば、ずっと平和なものだ。

 それでも、胸のあたりがちくりとするのも事実だった。


 「作ってくれるだけでもありがたいよ。ありがとう、レン」


 胸の中にわだかまりは残ったが、それでもそう口にすると、レンの手がほんのわずかに止まった気がした。

 けれど、特に何を言うでもなく、すぐにまた包丁の音が再開する。


 誰かにこうしてごちそうになるのは、いったいいつ以来だろうか――そんなことを、ぼんやりと考える。


 しばらくの間、心地よい料理の音だけが、静かな室内に流れていた。



 翌日、ユイリーに案内されて、集落の中を歩いていた。


 畑や倉庫、鉄を打つ作業場や、大工たちの仕事場。

 他にも、井戸や家畜小屋など、ユイリーの案内でいろいろと見て回る。


 道を歩いているあいだにも、何人もの獣人を見かけた。

 けれど、近づこうとすると、みんな一様にさりげなく距離を取っていく。


 挨拶どころではない。

 道ですれ違う獣人たちは、誰も彼も、露骨に俺を避けていく。

 目が合いそうになると、すぐに視線を逸らされるか、足早に距離を取られてしまう。


 話しかけられるような雰囲気では、とてもなかった。


 詳しい内情は知らない。

  けれど、ここまで敬遠されるだけのことを、人間たちはこの世界でやってきたのだろう――それくらいは察せられた。


 「あはは……ごめんね、アイト。みんな、やっぱり慣れないみたいで……」


 隣で、ユイリーが苦笑いを浮かべた。


 「うん……まあ、仕方ないんじゃないかな」


 俺は肩をすくめる。


 「俺個人を嫌ってるっていうより、“人間だから”ってだけだろうし。平気だよ」


 そう口では言ったものの、まったくのノーダメージ、というほど俺も無神経ではない。


 あからさまに避けられる感覚は、どうしても胸に引っかかった。

とはいえ、どうすることもできない。

  この疎外感にも、そのうち慣れていくだろう――そう思い込むほかなかった。


 「しかし、立派だね、この集落。いろいろ揃ってて、生活には事欠かなそうだ」


 そこで、気を取り直すように、俺は周囲を見渡した。

 見渡せば、そこにはちゃんとした「暮らし」があった。


 現代を生きてきた人間としては、コンビニどころか街灯すらないことに不便を感じずにはいられないが、無いものねだりをしても意味はない。


 「んー、そうだね」


 ユイリーは少し考えてから、うなずいた。


 「どうしても、お塩みたいに外じゃないと手に入らないものもあるけど、だいたいのものは揃ってるから、そんなに困らないかな」


 お塩、という単語に、ふと昨夜の味を思い出す。

 あのささやかな塩気が、妙に印象に残っていた。


 「そうか、付近に海があるわけじゃないし、塩は手に入らないのか。でも昨日の晩ごはんには塩、使ってたよね。どうやって手に入れてるの?」


 なんとなく気になって、歩きながら尋ねる。


 「お塩はね、たまに狩人の誰かが外に出ていって、物々交換で手に入れてるんだって」


 「そっか。物々交換か……」


 意外なような、けれどこの世界では自然なような気もして、「ふーん」と曖昧にうなずく。


 塩を手に入れるのが簡単なことではなさそうだ、ということくらいは分かった。

 なにを手に入れるにしても、どこか昔がそのまま残ったみたいなこの世界では、きっと大変なのかもしれない。


 「そんなことより、最後に案内したいところがあるんだー。学舎なんだけど」


 前を歩いていたユイリーが、くるりと振り返って言った。


 「学舎?」


 「うん。お姉ちゃんが先生のお仕事してるんだ」


 「ユイリー、お姉さんいたんだね。それはぜひ会ってみたいよ」


 学舎で先生をしている、ということは、要するに教師をやっているということだろう。

 人間の社会と隔絶されているこの集落にも、子どもたちに何かを教える場がちゃんとある――その事実が、少し意外だった。


 しかも、そこで教えているのがユイリーのお姉さんだという。


 ここに来てから、他の獣人たちとはまともに挨拶すらできていない。

  けれど、ユイリーのお姉さんなら、もしかしたら挨拶くらいは交わせるだろうか。


 そんなささやかな期待が、胸の中にふっと灯った。



 「あれが学舎だよ」


 ユイリーが指さした先を、俺も見上げる。


 小高い丘の上、斜面の先に、その学舎は建っていた。

 この集落の中では珍しく、二階建てになっているらしく、長老の家よりもひと回り大きい。


 建物の周りには、子どもたちがわいわいと集まっていた。

 走り回る子、木の枝を振り回して遊ぶ子、地面にしゃがみこんで何かを描いている子。

  その様子からして、今はちょうど休み時間なのかもしれない。


 さっきまで集落の視線に肩をこわばらせていたのが嘘みたいに、その一角だけが、ぽっかりと明るく賑やかだった。


 あの中に、ユイリーのお姉さんがいるのだろう。


 「お姉ちゃん、来たよー!」


 ユイリーが、学舎の脇に広がる木陰へ向かって手を振る。


 大きな木の根元には、何人かの子どもたちが集まっていた。

 その中のひとり――うつ伏せで気持ちよさそうに昼寝している子どもの頭を、誰かがやさしく膝に乗せている。


 膝枕をしているのは、一人の女性だった。

 陽の光を受けてきらきらと揺れる、明るい緑色の髪。

 穏やかな表情で、眠る子どもの髪を、指先でゆっくりすくっている。


 「あら、ユイリー。いらっしゃい」


 こちらに気づいたその女性が、柔らかく微笑んだ。

  その声もまた、木漏れ日のようにあたたかかった。


 「そちら様は、噂の人間さんかしら?」


 木陰の女性が、俺のほうへ視線を向ける。

  目が合うと、からかうような、それでいてどこか探るような色が浮かんでいた。


 「そうだよ。アイトっていうの。お姉ちゃんと同い年だよ」


 ユイリーが、得意げに俺の肩をぽんと叩く。


 「はじめまして、アイトさん。その子の姉の、フィーレアです」


 女性――フィーレアは、膝枕している子どもの頭をそっと撫でながら、丁寧に頭を下げた。


 「あ、はじめまして。藍人です。妹さんには、さんざんお世話になっています」


 つられて、俺も慌てて頭を下げる。


 フィーレアの反応に、少し驚かされる。

 ここに来るまで、まともな自己紹介の「じ」の字もなかったせいだろう。


 当たり前みたいに名前を名乗られて、当たり前みたいに挨拶を返されて――それだけのことが、この集落ではむしろ特別なことのように思えた。



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