第六話 猶予
部屋の中に入った瞬間、空気が変わった気がした。
中央に座る大柄な獣人――長老が、ゆっくりとこちらを見据える。
その視線だけで、身体の奥がじわりと強張るのが分かった。
「……座れ」
短い一言に従って、俺とレンはその場に腰を下ろす。
ユイリーだけは迷いもなく、長老の正面にちょこんと座った。
「どういうつもりだ、ユイリー」
有無を言わせない声だった。
名前を呼ばれても、ユイリーの耳はほとんど揺れない。
「どういうつもりで、人間など連れてきた」
「森で一人でいるところを、ファングァに追いかけ回されてたの。見てられなかったから、助けたんだよ」
叱りつけられるような空気の中でも、ユイリーは臆した様子もなく、あっけらかんと答えた。
ファングァというのは、おそらく森で俺を追い回してきたあの獣のことだろう。
「……そういうことを訊いているんじゃない」
長老の声が、低く鋭くなる。
「人間と関わるなと、何度も言ったはずだ。助ける必要もなければ、ましてや集落に連れてくるなどありえない」
ユイリーは、じっと長老を見据えている。
その小さな体は微動だにせず、視線だけがまっすぐに向けられていた。
長老は、その視線を受け止めたまま、しばらく何も言わなかった。
「……レン」
視線が移る。
呼ばれたレンの肩が、びくりと揺れる。
「おまえも掟は心得ているだろう。なぜこの男を始末しなかった?」
「…………」
レンは俯いたまま、何も答えない。
その手は、気づけば強く握りしめられていた。
「何も言えぬか」
重たい声が落ちる。
「……その覚悟がおまえにはなかったか」
責めるというより、見抜いた事実をそのまま告げるような声音だった。
レンは、さらに深くうつむくだけだった。
「ならばよい」
長老はゆっくりと立ち上がると、こちらに背を向け歩き出した。
進む先には、鞘に収められた剣がある。
「ユイリーにも、レンにもできぬのなら、私がやろう……」
長老は鞘から剣を引き抜く。
抜き身となった刃を見た瞬間、背筋に冷たいものが流れた。
「人間は、本来ここにいていいものではない」
視線が、まっすぐこちらに向く。
「ここで首を落とす。それで終わりだ」
息が詰まる。身体が動かない。
これが、蛇に睨まれた蛙の気分なのかもしれない。冷や汗が止まらなかった。
「待って!」
ユイリーが、俺の前に飛び出した。
「アイトは悪い人間じゃない!
そんなもの向けないで!」
長老と俺との間に、小さな背中が立ちはだかる。
「ユイリー、そこをどけ」
低く押し殺した声だった。
感情を荒げているわけではない。
それでも、その一言には逆らうことを許さない、冷徹な圧があった。
「おまえとその男は出会って間もないだろう。なぜその男が我々に害をなさないと断言できる?」
長老の言い分は正しい。
初対面の、それも警戒している相手を、無条件に信用などできるはずがない。
だが――
「そんなのアイトが悪い人間かだって断言できないじゃない!
なのに最初から危ないって決めつけるほうがおかしいよ!」
ユイリーは一歩も退かない。
長老の視線を真正面から受け止めたまま、動こうとしない。
互いに、一歩も譲る気はない。
――自分のことだというのに、俺はただ見ていることしか出来ない。
それが、ひどく歯がゆかった。
短い沈黙が落ちる。
「……口ではわからぬか」
長老が低く呟く。
「ユイリー。どくつもりがないのなら――」
「待ってくれ、長老」
そのとき、後ろから声が割って入った。
壁際に控えていた男が一歩前へ出る。
彼は先ほど家に迎え入れてくれた男だった。
「……なんだ、リオン。今は取り込み中だ」
「猟長として、話があります」
彼ーーリオンと呼ばれた男はそう言ってから、俺に一瞬だけ視線を向け、すぐに長老へ戻した。
「人手が足りていないのは、長老もご存じでしょう」
「……」
「子どもは増えていますが、働き手はそう増えていない。
狩りも、畑も、以前より余裕がなくなってきている」
淡々とした言葉だった。
「このままでは、食いぶちは減っていく一方です」
長老は何も言わない。
「だから提案です」
リオンは続ける。
「そいつを、労働力として使うというのはどうでしょう」
「……人間を、か」
「はい。信用しろとは言いません。
逃げないように監視をつけ、武器も持たせない。畑仕事や荷運びくらいなら使えるはずです」
「使えぬと判断したら?」
「そのときは、処分すればいい」
あっさりと言い切る。
「どうせ殺すのであれば、有効活用すべきだ」
静かな沈黙が落ちた。
どこまでも淡々としていて、物騒なことを言っているが、この提案は俺にとっては渡りに船だった。
長老はしばらく考えたあと――
「…………」
わずかに息を吐く音だけが、静寂に落ちる。
長老は剣を鞘に納めると、背を向けた。
「こやつはあくまで“外の者”だ。集落の一員として扱うつもりはない」
長老はこちらに目配せすることもなく、静かに言い放った。
「住む場所も限る。武器も持たせぬ。必ず監視をつける」
一拍。
「使えぬと判断した時点で、その首を落とす。仕事に励め」
剣は鞘に収まったはずなのに、その言葉は刃のように鋭かった。
逃げ場はない。そう突き付けられた気がした。
◇
長老の家を出たところで、ようやく息を吐いた。
そのまま、力が抜けるように膝から崩れ落ちる。
「……はぁ……」
全身の力が抜けていく。
とりあえず、一難は去った。
少なくとも、今すぐどうこうという話ではなくなったのだ。
ひとまず、首の皮一枚は繋がった、というところか……。
だが――悠長に喜んでもいられない。
長老に認めてもらえたとは、とても言い難い。
ただ労働力として、ここに置かれることになっただけだ。
使えないと判断されれば、そのときは――
今度こそ、本当に命を取られるかもしれない。
レンは、まだ家の中に残っているらしい。
今後のことでも話しているのか、扉の向こうからかすかに声が聞こえる気がした。
「よいしょっと……」
隣に、ユイリーが腰を下ろした。
そっと、俺の手の甲に手を重ねてくる。
「……ごめんね。やっぱり、外には帰してあげられなくて」
申し訳なさそうに、ぽつりと呟く。
「いや、それはいいんだ」
軽く首を振る。
「命があるだけでも、十分だよ」
……思えば。
ここに来てから、もう三度も死にかけている。
森で、熊のような生き物――ファングァに襲われ。
レンに弓を向けられ。
そして今度は、長老に首を跳ねられるところだった。
……いい加減、勘弁してほしい。
今度こそ落ち着けることを切に願う俺だった。




