第五話 長老
ユイリーに案内されるまま、俺たちは集落の中をゆっくりと歩き出した。
さっきまで遠くから眺めていた景色が、少しずつ近づいてくる。
丸太を組んだ家の壁。干された洗濯物。軒先に積まれた薪。
さっきまで一枚の風景画みたいだったものが、歩くたびに細かい生活の断片として目に飛び込んでくる。
通りの端では、獣人の子どもたちが石蹴りのような遊びをしていた。
俺たちに気づいた一人がぴたりと動きを止め、その子の視線を追うように、他の子どもたちも次々とこちらを振り向く。
耳と尻尾が、びくり、と一斉に揺れた。
好奇心と警戒が、同居しているような、そんな視線。
「こっちにおいで」
近くにいた大人の獣人が、低い声で子どもたちを呼んだ。
子どもたちは慌てて石を蹴るのをやめ、大人の後ろに隠れるようにして、その場を離れていく。
似たような光景が、視界の端々で繰り返されていた。
洗濯物を干していた女の人は、手を止めたままこちらを見ていたが、目が合った瞬間、はっとしたように洗濯物を抱え込んで家の中へ消えていく。
木箱を運んでいた若い男は、その場に木箱を落とすと、慌てたように走り去っていった。
胸のあたりが、じわじわと冷えていくのを感じた。
一連のレンの態度、言動からなんとなく察してはいた。
やっぱり俺は、ここでは“異物”なんだろう。
獣人は人間を嫌っている。
――いや、嫌っているというより、恐れているように見える。
さっきまで「いい景色だ」と素直に思えた光景が、同じはずなのに、少しだけ違って見える。
ここはユイリーたちの「暮らしの場」だけど、同時に俺にとっては「歓迎されていない場所」でもあるのだと、歩くたびに思い知らされる。
それでもユイリーは、振り返るたびに俺に向かって、小さく、安心させるように笑ってみせた。
「……ごめんね。みんな、人間が怖いんだ」
歩きながら、ユイリーがぽつりとつぶやく。
耳は前に向いているのに、尻尾だけが申し訳なさそうにしゅんと下がっていた。
「うん。それは、見てれば分かるよ」
さっきから浴び続けている視線を思い出して、苦笑いがこぼれる。
好奇心と、触れてはいけないものを見るような気配と――じっと肌にまとわりつくような、遠巻きの拒絶。
この世界では、きっとこれが当たり前のことなんだろう。
獣人は人間を嫌っている。
嫌っていて、恐れている。
だからこそ、一つ疑問に思うことがあった。
「一つ訊きたいんだけど、いい?」
足もとを見つめたまま、言葉を探すように口を開く。
「ユイリーは、どうして俺を怖がらないの?」
前を歩いていたユイリーの足が、ぴたりと止まる。
俺も一歩遅れて立ち止まり、その横顔をうかがった。
「レンも、さっきの集落の人たちもさ。みんな、俺のこと敬遠してるのに」
自分で口にしてみて、あらためて不思議な気持ちになる。
やっぱり、どう考えてもユイリーだけが浮いているのだ。
「ユイリーだけは、最初からずっと普通に話してくれてるからさ。どうして?」
ユイリーは少し俯き、両手を閉じたり開いたりしていた。
「みんなが怖がってるのはね、悪い人間たちなんだよ」
ぽつりと落とされた声は、小さいけれどはっきりしていた。
「ここの大人たちはみんな、悪い人間たちにひどいことをされてきたの。だから“人間は怖い”ものだって、みんな言うんだ。子どもたちは、そうやって教わって育ってきた。もちろん、わたしやレンもね」
聞いていて、状況だけはなんとなく想像がついた。
そんな環境で育てば、「人間は怖いものだ」と思い込むようになっても無理はない。
「でもね、私は知ってるんだ。人間にもいい人はいるって。みんながみんな、大人たちが言うような人間じゃないんだって」
ユイリーが、そっと顔を上げる。
ピンク色の瞳が、真正面から俺を見た。
「アイトは私に助けられたとき、お礼言ってくれたよね」
そんなの当たり前のことじゃないのか、と反射的に答えそうになったのを飲み込む。
ここでそんなことを言うということは、きっとそれは彼女たちにとって当たり前のことではないのだろうと思ったからだ。
「悪い人間は、そんなことしないんだ」
ユイリーは、まっすぐ言い切った。
それがこの子の中で、揺るがない基準になっているのが伝わってくる。
「ちゃんとありがとうって言ってくれた。私のこと、一人の人として見てくれた。それだけで、十分だよ。少なくとも、私にとってアイトは“悪い人間”じゃない」
胸の奥が、かすかにざわついた。
うまく言葉にはできないまま、息だけが少しだけ深くなる。
「だから私は、アイトを怖がらないよ。優しくしたいって思うし、出来れば手助けもしてあげたい」
助けられたから礼を言う。そんな当たり前のことしかしていないからまるで実感は湧かないが、彼女にとってそれはとても重要なことだったのだろう。
少し釈然としないところはある。
それでも、彼女が俺を悪く思っていないという事実は、この四面楚歌の状況では十分すぎるほどの救いだった。
「あれが、長老の家だよ」
なんと返答すべきか考えていると、ユイリーが前方を指さしてそう教えてくれた。さきほどの木箱の男が走り去っていった方向にそれは建っていた。
他の家々よりも、ほんの少しだけ立派な建物だ。
周りの家よりも一回り大きくて、壁の板もきれいに揃っている気がした。
屋根の縁には、見たことのない木彫りの飾りがいくつか並んでいる。
ここが長老の家……。
ここに来て、さすがに緊張してきた。
長老と話をするのは、きっとほとんどユイリーになるんだろう。
俺がどうこうできる場面ではない。それだけは確かだった。
ユイリーは一体どうやって切り出すつもりなのだろうか。
なるようにしかならないのは分かっているが、それでも胃のあたりがきゅっと痛くなる。
「おじいちゃーん、ちょっと話したいことがあるんだけどー!」
そんなことを考えている俺をよそにユイリーは迷いもなく、長老の家の扉をどんどん、と元気よく叩いた。
あまりにも躊躇いのないその行動に、俺の心臓はどくんと跳ねる。
ハートが強すぎる。頼もしさすら覚えるが、こっちはまるで心の準備ができていない。
少し経って扉がぎい、と小さく軋む音を立てて開いた。
わずかに開いた隙間から、若い男の顔がのぞく。
俺とそう変わらないくらいの年にも見えるその男は、なにを考えてるのかわからない無表情のままこちらをうかがっていた。
けれどユイリーの顔を認めた瞬間、ふっと小さく息を漏らす。レンがそうしていたような呆れた息だ。
「話は聞いている。入れ」
低く落ち着いた声でそう告げると、男は扉を大きく開き、俺たちのために一歩下がった。
鍛えられた腕と肩。
腰には使い込まれた短剣。
年齢に似合わない落ち着きと、戦い慣れている者特有の隙のなさがにじんでいる。
男は何を考えているのか分からない顔で、じっと俺を見た。
レンや、さっきの集落の人たちの視線ともまた違う。
警戒はあるのに、それだけじゃない。どこか値踏みするような目だ。
「話?」
ユイリーは男に問いかける。
「ウィードだ。おまえたちが人間を連れ込んできたと知らせにあった」
知らない名前が出てきたがなんとなく察しがついた。おそらくウィードとは先ほどの走り去っていった若い男のことだろう。
「なら話が早いね。お邪魔するよー」
ユイリーはそう言うと元気よく中へと入っていった。
その後ろを、俺もおそるおそるついていった。
敷居をまたいだとき、背後から、かすかにレンの声が聞こえた気がした。
「……ごめん、師匠……」
「…………」
師匠とは男のことだろうが、男の返答はない。どこか気まずそうな、そんな雰囲気が後ろから漂っているのを感じた。
そんなことはお構いなしにユイリーは勝手知ったるようにずんずんと進んでいく。そして少し進んだところにある扉の前で立ち止まった。
「おじいちゃん、入るよー」
ユイリーは扉に向かってそう言うと、勢いよく扉を開け放つ。
俺とレンもそれに続いて、部屋の中へと足を踏み入れた。
そして、思わず息を飲む。
長老って聞いていたから、俺はてっきり、腰の曲がった小柄な老人だと思っていた。
だが、目の前に鎮座していたのは、その想像とは真逆の存在だった。
上半身はほとんど裸で、日に焼けた肌一面に、無数の古傷が走っている。
中でも、胸から脇腹にかけて斜めに刻まれた大きな傷痕は、一目でただ事じゃない戦いをくぐり抜けてきたと分かる代物だった。
筋肉は無駄なく盛り上がり、身体そのものが一つの武器みたいに見える。
座っているだけなのに、その体躯は部屋を狭く感じさせるほど大きい。
殺気、というと言い過ぎかもしれない。
けれど、そこにある気配は、確かに「戦場の匂い」をまとっていた。
目を合わせただけで、皮膚の上をぴりぴりとした電気が走るような錯覚を覚える。
――ユイリーちゃん、話が違うじゃない。
心の中で思わずツッコミを入れる。
これが「ちょっとおっかない」……?
ここに来て以来散々だったがなんとかここまで生き延びてこれた。
……けれど、今回ばかりは。
俺はもうダメかもしれない。




