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第四話 集落

「この子はレンっていうの。私の友達だよ」


 ユイリーが、俺の方へ向き直ってそう紹介した。


「ちょっと、何勝手に──」


 フードの奥から、不機嫌そうな声が返ってくる。


「名前ぐらい知っておかないと何かと不便だし、自己紹介くらいは必要だよ」


 そう言うなり、ユイリーはためらいもなくレンのフードに手を伸ばした。


「ちょ、やめ──!」


 抗議の声より早く、布がするりとめくられる。


 あらわになったのは、夜の湖みたいな青い髪と、こちらを射抜く赤い瞳だった。

 その目が、一瞬だけ俺をかすめてから、すぐに横へそらされる。


「……レンよ」


 観念したように、レンが短く名乗った。

 やっぱり、俺の方は見ようとしない。


「あ……藍人。よろしくね……」


 さっきまで鋭い殺意を向けてきた相手を前にしているせいか、思った以上に声がうわずった。

 自分でも情けないくらい、喉の奥が強張っているのが分かる。


「――で」


 レンの視線が、今度はユイリーに突き刺さる。


「さっき“分かんないけど一緒に考えよう”って言ったわよね、ユイリー。

 一緒に考えようなんて言ったからには、何か考えがあるんでしょうね?」


「え……あー、うんうん。もちろん」


 一瞬ぴたりと動きを止め、目を見開くユイリーだったが、すぐに露骨に視線が泳ぎ出した。

 本当に、分かりやすい子だなと思う。


 レンはユイリーに呆れたような視線を送り、すぐに深く息を吐いた。

 今に始まったやり取りではないのだろう。その態度には、またかと言わんばかりの空気があった。


「人間を助けて、姿まで見せておいて――その先のことはノープランってわけ? それでよく“助ける”なんて言えたわね」


「そ、それは……えっと……」


 ユイリーの視線が宙をさまよう。完全にノープランなのが、沈黙だけでバレていた。


「……はぁ。そんなことだろうと思ったわ。まじめに話を聞こうなんて思った私がバカだった」


「あはは……ごめん」


 レンは手慣れたようにユイリーの脳天に軽くチョップした。

 ユイリーは、ばつが悪そうに苦笑を漏らしている。


「一つだけはっきりさせておくわね」


 そう言って、レンはこちらに鋭い視線を送ってくる。先ほどまでの鋭い殺意はもうなかったが警戒心は相変わらずのようだった。

 殺意はないにしろ、俺に対する嫌悪感を隠す気はさらさらないのだろう。


「森の外に帰すのは無理。それだけは出来ない」


レンはそこだけは譲れないとばかりにきっぱりと言い放った。


「でも、それじゃアイトがかわいそうだよ」


 ユイリーが、ぎゅっと拳を握りしめる。


「かわいそうなんて言ってられないわ」


 即座に、冷たい声が返ってきた。


「ここに獣人がいるって知られた以上、外にはもう帰せない。

 集落のみんなを危険に晒すことになる。これは私たちだけの問題じゃないのよ」


「それは、そうだけど……」


 ユイリーの耳がしゅんと下がる。けれど、すぐに顔を上げた。


「だったら、約束してもらおうよ」


「約束?」


「うん。この森のことも、私たちのことも、誰にも話さないって。

 ちゃんと約束してくれたら、きっと大丈夫だよ」


 その「きっと」という言葉に、レンは露骨に眉をひそめる。


「……本気で言ってるの?」


 赤い瞳が、冷ややかに細められた。


「信用できるわけないでしょ。初対面の、それも人間相手なんて」


 その言葉に、俺は心の中で小さく「ごもっともです」とだけ呟いた。


 ユイリーは、どうにも人がよすぎる。

 それは、初対面の俺ですらすぐに分かった。


 獣人だからとか人間だからとか、そういうのは関係なく――ただ、目の前の相手を信用しすぎなんじゃないだろうか。


無論、命の恩人である彼女たちを売るようなことをする気は毛頭ない。

 けれど、それをどれだけ口にしたところで、レンが納得してくれるとは思えなかった。


 レンは、深くため息をついた。

 それは、疲れているようにも、どこか諦めたようにも見えた。


「……連れていくしかないでしょ。集落に」


 吐き出すような声で、レンがそう言う。


「んー、そうだね。それしかないかな」


 ユイリーは、少し困ったように眉根を寄せた。


 先ほどの会話からして、集落とは彼女たちにとって絶対に知られたくない場所のはずだ。

 そこへ連れていかれる以上、もう森の外には出してもらえないだろうことは予想できる。


 今の段階で、それが自分にとって良いことなのか悪いことなのか判断はつかない。

 けれど――もう、なるようにしかならないのだろう。


「ごめんね、アイト。今は、森の外には出してあげられない……」


 今は、と言っているところを見るに、彼女はまだ諦めていないのだろう。

 その気持ちだけでも、少しは救われる気がした。


「かまわないよ。二度も命を助けてもらって、むしろ感謝しなきゃいけないくらいだしね」


 事情が事情だ。ここで何かを言い張る権利なんて、今の俺にはない。


 ユイリーに差し伸べられた手を取り、ゆっくりと立ち上がる。


「じゃあ、決まりね」


 レンが短く言う。その声音に、さっきまでの刺々しさは少しだけ薄れていた。


「集落まで連れてく。そこで長老に判断してもらうわ」


「長老……?」


 聞き慣れない単語に、思わず聞き返してしまう。


「えっとね、集落のみんなをまとめてくれてるおじいちゃんだよ」


 俺の疑問符にユイリーが答えてくれた。

 村長みたいなものかな、と考える。


「見た目はちょっとおっかないんだけど、優しいおじいちゃんだよ。

 だからちゃんと話せばきっと分かってくれると思う」


 「大丈夫大丈夫」と言いたげに、ユイリーは無邪気に言い切る。

 その横でレンは、対照的に怪訝そうな表情でユイリーを見ていた。


「……分かってくれるかどうかはともかくとして」


 気を取り直すように、レンは小さく話し始める。


「これは私たちが勝手に決めていいようなことじゃない。だから長老に判断してもらう」


 それはその通りだと思った。

 俺をどう扱うかの決定権を、目の前の少女一人に預けるのは、正直なところ荷が重すぎる。


「じゃあ、行こっか」


 ユイリーが、ぱんと手を打つ。


 レンが一歩前に出て、俺の正面に立った。


「手、出して」


「え?」


 何の前触れもない言葉に、思わず聞き返してしまう。


「いいから。手を出しなさい」


 鋭い赤い瞳に睨まれ、訳も分からないまま両手を前に差し出した。


 次の瞬間、レンはどこからか細くて丈夫そうな縄を取り出すと、迷いのない手つきで俺の手首に巻きつける。

 あっという間に両手は一つにまとめられ、ぐい、と容赦なく締め上げられた。


「ちょ、痛い痛いっ」


「殺されないだけマシだと思いなさい」


 きっぱりと言い切られ、言葉が詰まる。

 確かにそうだけど、ここまでやるのか。そんなことしなくても逃げるつもりはないが、それを言ったところで暖簾に腕押しというものだろうと口をつむいだ。


「あと、これ」


「まだ何かあるの……?」


 レンが取り出したのは、一枚の布切れだった。


「目隠しよ。道を覚えられでもしたら困るもの」


「あー、なるほどね」


 これだけ警戒されていては、仕方ないことなのだろう。

 逆の立場なら、自分もそうしているかもしれない。


 これでレンが少しでも安心してくれるなら、受け入れるほかなかった。


「大丈夫だから。ちゃんと連れていくからさ」


 ユイリーが、背中越しに声をかけてくる。


「うん、わかったよ」


 そう答えたところで、視界がふっと暗くなった。


 布が頭からすっぽりとかぶせられ、後ろで結ばれる感触がする。

 ほんのりと木の匂いと、どこか懐かしい土の匂いが混じっていた。



 手首に食い込む縄の感触が、思考を現在へと引き戻す。

 両手を後ろで縛られ、顔には布をかぶせられたまま、俺はレンに引かれるようにして森の中を歩かされている。


 足元の土の感触だけが、やけに生々しく意識に残った。


 「……はぁ」


 ため息だけが、どうにか動かせる唯一の抵抗みたいに、口から漏れる。


 いつになったら落ち着いて息をつけるんだろうか。俺はそんなことを考えながら彼女たちの後ろを歩き続けた。



 どれくらい歩いただろうか。


 足元の土の感触と、ときどき枝を踏みしめる音だけが頼りのまま、俺たちは森の中を進んでいく。

 目隠し越しに頬をなでる風の向きが変わるたび、木々の密度が少しずつ違っているのだけは分かった。


「アイト、着いたよ」


 耳元でユイリーの声がして、足が止まる。


「今、目隠し外すね」


 頭の後ろで布を結んでいた感触がほどけ、視界がゆっくりと光を取り戻していった。


 そこは、森の中とは思えないほどひらけた場所だった。


 周囲をぐるりと木々に囲まれた広場のような空間に、木造の家々が立ち並んでいる。

 丸太や板を組み合わせて作られているのはどれも共通しているが、背の低い平屋もあれば、二階建ての家や、物置にしか見えない小屋まで、形も大きさもさまざまだった。


 少し外れには、森を切り開いて作ったらしい小さな畑がいくつも見える。

 見知らぬ野菜や穀物らしきものが、区画ごとに植えられて風に揺れていた。


 もっとこぢんまりとした集まりを想像していた分、その広さに思わず息をのむ。


「……結構、大きいんだね」


 口に出してみると、胸の奥にじわりと実感が広がる。

 ただ森の中でひっそり暮らしているんじゃない。ちゃんと「村」と呼べるくらいの場所を、自分たちの手で作り上げてきたんだ、というのが伝わってくる。


 広場には、耳や尻尾の生えた人影がちらほらと見える。

 洗濯物を干している者、木箱を運んでいる者、畑から戻ってきたらしい者――どれも日常のひとコマのようで、この距離からでは俺たちに気づいている様子はまだなかった。


「いい景色だね」


 思ったままを言葉にすると、横にいたユイリーが、はっとしたようにこちらを見上げた。

 そして、心の底からうれしそうに、ぱっと花が咲くみたいに笑う。


「うん。そうでしょ。ここが、私たちの暮らす集落だよ」


 その声を聞きながら、俺は改めて目の前の光景を見つめた。


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