第二十四話 教団
村の入口をくぐった瞬間、空気がいつもと違うのが分かった。
人の声が多い。
老人たちが井戸端で世間話をしている、いつもののんびりしたざわめきじゃない。
誰かが声を張り上げていて、それに混じって笑い声やどよめきが重なっている。
「……なんだ?」
荷車を押しながら、思わず呟いた。
土と木の家が並ぶ細い道を抜けていくと、視界の先、村の中央あたりに人だかりが見えた。
井戸のまわりに、ぐるりと輪が出来ている。
その輪の真ん中で、白い布の塊がうごめいていた。
白い衣。
胸元には、見慣れない紋章。
腰には同じ形の革袋。
何人かの男が、同じような格好で立っている。
片方の腕を高く掲げて空を指したり、目を閉じてなにか唱えたりしていた。
「行くぞ」
前を歩いていたリオンが、短く言う。
視線だけで村の中央を一瞥すると、そのまま道の端へと身体を寄せた。
「必要以上に近づくな。用が済ませたらすぐ帰るぞ」
リオンは静かにそう言った。
どことなく、警戒心が強いような気がした。
「はい」
人間の集団、それも白尽くめのよくわからない人間たちだ。リオンは怪しい連中には近寄らない方がいいと思っているのかもしれない。
返事をしながら、俺は荷車の取っ手を握り直した。
好奇心がないわけじゃない。
白い衣の集団が何を言っているのか、耳をそばだててみたい気持ちもある。
でも、今は取引のほうが先だ。
村の中央を大きく迂回するようにして、俺はいつもの物置小屋へ向かった。
◇
物置小屋の前では、見慣れた背中が待っていた。
灰色の髪をひとつに束ねた、村の年寄り――村長のじいさんだ。もうすっかり顔馴染みとなっている。
井戸のほうを眺めていた彼は、俺たちの姿に気づくと目を細めた。
「おお、行商の若いのか。今日は賑やかな日に来たな」
口ぶりはいつもどおりだけれど、ため息が少し混じっている。
「世話になる」
リオンが軽く頭を下げる。
俺は荷車を小屋のほうへ回し、いつものように中へ荷を運び入れた。
中の棚は、前と大きくは変わらない。
壺に詰めた塩がいくつか。
麻袋に入った小麦。
隅のほうには、干し魚が少しだけ積まれている。
ただ、棚の端に、見慣れない布袋が二つほど置かれていた。
さっき井戸のまわりにいた集団が身に付けていたものかもしれない。見慣れない紋章の刺繍がなされていた。
「今日も、干し肉と薬草を持ってきました」
布袋を開いて、中身を見せる。
じいさんはいつものように肉の硬さを確かめ、薬草の束を手に取って匂いを嗅いだ。
「相変わらずいい肉だ。ここの者たちはいつも助かってるよ」
穏やかな声だった。
「塩と小麦は、いつもどおりでいいかい?」
「はい。いつもと同じくらいでお願いします」
そう答えると、じいさんは壺をひとつ持ち上げ、小麦を少し量ってくれた。
取引そのものは、まったくいつもどおりだ。
ただ、物置小屋の外から聞こえてくるざわめきだけが、違った。
◇
塩の入った壺を受け取り、俺は世間話のつもりで口を開いた。
「さっき……井戸のところにいた白い服の人たちは?」
じいさんは「ああ」と短くうなずいた。
「あれか。教団さまだよ」
「教団……?」
思わず聞き返した俺に、じいさんは目を瞬かせた。
「教団だよ。知らんのか?」
少しだけ不思議そうな顔だ。
「街にも村にも、教会くらい一つや二つはあるだろうに。
わしが子どものころから、祭りのたびに教団の人間がありがたい話をしに来たもんだ」
言われてみればビッケスに教会のような建物があったかもしれないと思い出す。街の出入りは基本的に取引でしているから気に留めることもなかったが。
「……そういうのに縁がなくて」
ごまかすみたいに答えると、じいさんはふっと笑った。
「まあ、そういう者もいるか。昔からある宗教団体だよ。
神さまがどうの、救いがどうのってな」
そう言って、じいさんは棚の端にあった布袋をちらりと見た。
「……ここにも信者がいるのか?」
俺の代わりに、リオンが問う。
「ああ。あそこの水車小屋の旦那なんか、昔から教団に入れ込んでる。
『教団のおかげで腰の痛みが軽くなった』だの、『祈れば救われる』だの、毎日のように言っとるよ」
じいさんは、苦笑まじりに肩をすくめた。
「信じたい者は信じればいい。だが、わしにはああいうのはどうにも性に合わん。まあ客人としては歓迎するが」
「……なるほど」
俺は短くうなずいた。
どこの世界にもそういう組織はあるものなんだなと納得する。
教団。
この世界に昔からある宗教団体。
村には信者もいて、ありがたいと感じている人間もいる。
元いた世界の感覚で言えば、「メジャーな宗教」のひとつ、みたいなものだろうか。
ありがたい話をするだけで済むなら、それはそれでいい。
でも、宗教というものがいつも「いい顔」だけで済むとは限らないことも、俺は知っていた。
「とにかく、今は彼らが村に泊まってる」
じいさんは、そう付け加えた。
「見てのとおり、宿は教団の者でいっぱいだ。足りないぶんは、うちの納屋まで貸してる始末さ」
「納屋まで……」
思わず声が漏れる。
「詳しくは知らないが、なんでも遠征でこの村を一時的に拠点にしたいらしくての。それでこの大所帯というわけだ」
村長は腕を組むと心配するように首をもたげた。
「村としては、お金を落としてくれてありがたいがね。妙なことをしでかさないでくれるといいんだが……」
確かにちょっと異様な集団ではある。村長の心配も理解できないわけじゃなかった。
村の中央で見た光景を思い出してそう思った。
挙動だけ見て勝手にそう思うのは少し失礼な気もするが……。
「アイト、そろそろ切り上げるぞ」
続けてなにか言おうと思ったところ、リオンが割り込む形で声をかけてきた。
なにか急いでいるようにも見えて、少し妙に思った。
さきほどの集団を見かけてからリオンの様子が、どうもいつもと違う。
「そうですね……。それじゃ、本日もお取引ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」
「ああ、いつでも待ってるよ。また来ておくれ」
「ええ。また来ます」
俺たちは荷車に塩と小麦を積み直し、小屋を後にした。
◇
村を出る前に、もう一度だけ井戸のほうを見た。
白い衣の男たちが、まだ何かを話している。
手を広げて空を仰いでいる者。
目を閉じて、ひざまずいている者。
その周りで、村人たちが輪になって聞いていた。
興味がなさそうに通りかかる人もいれば、真剣に頷いている人もいる。
子どもたちは、半分はしゃいで、半分はきょとんとしていた。
何を言っているのかまでは、ここからでは分からない。
ただ、その場の空気だけは、森の匂いとも、いつもの村の匂いとも違っていた。
どこか不気味で、薄ら寒いものが混ざっているように感じられた。
「行くぞ」
リオンが、荷車の取っ手に手を添えた。
「はい」
俺はそれ以上、視線を向けなかった。
リオンが同行している以上、どちらにせよ目立ちすぎるのは、危ない。
この世界ではメジャーな宗教なのかもしれないが、なにも知らない俺からすれば奇妙な集団でしかない。
知らないものには、あまり近づかないほうがいい。
俺たちは荷車を押して、足早に村をあとにした。
◇
「おまえ、本当に変わっているな」
森のなかを移動中、リオンが唐突にそう言ってきた。
「何がですか?」
本当に見当がつかず、問いかける。
なにか変なことをしただろうかと最近の行動を思い返す。
「教団を知らない人間などそういない。獣人すら認知しているんだぞ」
そのことかと納得する。
人間社会から距離を置いている獣人たちすら認知している宗教団体を俺が知らないのは確かにリオンからしたら奇妙な話だろう。
理由は単純明快だ。俺はこの世界の人間じゃない。だから知らないのだ。
だが、それを説明したところでリオンは理解できないだろう。ひどければ頭がどうかしていると思われてしまうかもしれない。
どう説明したものか。そう考えているとリオンが続けて口を開く。
「おまえは獣人に対しても他の人間たちとは明らかに違う価値観を持っている。不思議なやつだよ」
「はは、そうですかね……」
笑ってごまかすみたいに言いながら、俺は荷車の取っ手を握り直した。
本当の理由――この世界の外から来た、なんて話は、口に出せるものじゃない。
どうしたものかと頭を悩ませていたが、リオンはそれ以上、そこを深く追及しようとはしなかった。
代わりに、少しだけ真剣な声で語り始める。
「教団は俺たち獣人の敵、だ」
「え?」
リオンの言葉に思わず足が止まった。
リオンもその場で足を止め、俺を見た。
「獣人差別の象徴。発端だ。
やつらは獣人を奴隷として管理している。焼き印もやつらが用意したものだ」
その声はいつもの調子のはずなのに、怒気が混じっているのはすぐにわかった。
フィーレアの背中の痛々しい焼き印を思い出す。
人の所業とは思えない残酷な行為だ。それを主導しているのが、教団ということだった。
教団は獣人の敵。
頭の中で、その言葉が反芻される。
村で見た白い衣の集団と、フィーレアの背中の焼き印は一本の線で繋がっていた。
この世界では昔からある宗教団体。
村では「ありがたい話」をしてくれる存在。
でも、獣人たちにとっては、鎖や焼き印で自分たちを縛ってきた存在でもある。
ついさっきまでただの宗教団体だと思っていた教団が、まるで別物みたいに見えはじめた。




