第二十三話 馴染
ユイリーの誕生日から、いくらか日がたった。
朝の台所で皿を並べていると、気づけば三人分を用意するのが当たり前になっている。
いつの間にか、それが「この家の人数」として、体に染みついていた。
「アイト、今日は畑と森、どっちに行くつもり?」
洗い終わった鍋を拭きながら、レンがいつもの調子で聞いてくる。
「午前は畑、午後に森に出ようかな。薪も減ってきてるし、そろそろ取りに行かないとね」
「両方やるんだ。精が出るねー」
ユイリーはそう言って笑った。
「了解。じゃあ畑はあんたに任せるわ。私は水場の点検してくる。午後には一緒に森に行けるように準備しておくわ」
レンは鍋の火を確認すると、腰の道具袋をひょいと持ち上げた。
水場の点検に使う縄や道具が、いつもの定位置にきちんと収まっている。
「じゃ、先出てるわね」
「うん、いってらっしゃい」
軽く手を振って、レンは家を出ていく。
俺も皿を片付け終えると、ユイリーと一緒に鍬を担いで外に出た。
◇
畑に出ると、土の匂いと一緒に、いつもの顔ぶれが目に入る。
「おう、アイト。こっちはこっちでやっとくから、そっちの方頼むわ!」
斜面のほうを任されている獣人の男が、鍬を振りながら軽く手を挙げた。
「はい、任せてください。ここの畝、ちょっと土が固いから、少し崩しておきますね」
腰に手を当てて苦笑する仕草も、冗談混じりの声かけも、もう「よそ者」に向けるものではない。
道具の置き場所も、畑のどの列に何が植わっているかも、ほとんど頭に入っている自分に気づく。
鍬を振るう手つきも、最初の頃のぎこちなさはもうない。
土の重みや、根が引っかかる感触にも、体が勝手に合わせてくれるようになってきた。
「アイト兄ちゃん、水、ここ置いとくね!」
いつの間にか近くまで来ていた子どもが、水の入った木の筒を差し出してくる。
「お、助かるよ。ありがとね」
受け取りながら頭を撫でると、くすぐったそうに笑って、子どもは走り去っていった。
「ふふっ」
そんなときユイリーがなんだか嬉しそうに笑った。
「どうしたのさ、急に笑って」
俺がそう訊くと、ユイリーは嬉しそうに目を細めてこちらを見た。
「アイトがここに来たときのこと覚えてる?
みんなアイトのこと怖がって離れたところから見てるばっかりだったでしょ」
「はは、そんなときもあったね。もうずっと前のことみたいだよ」
俺が集落に来たばかりのころ、みんな警戒していてコミュニケーションどころではなかった。
それはこの世界の人間たちがやってきたことのせいだと頭では理解していても、心に来るものはあった。
「それが今となっては、仕事でも頼られるようになって、冗談言い合って笑い合ったりしてさ。いいなーって思ったの」
にひっと笑いかけてくるユイリー。
ここに来てから、本当にいろんなことがあった。
ユイリーがいつも笑いかけてくれていたから、辛いことや怖いことを乗り越えてこられたのだ。
「ユイリーがいてくれたおかげだよ。君がいなかったら今ごろ俺はどうなっていたかわからない」
ユイリーの頭を優しく撫でる。
ユイリーは自分から撫でられに来る猫みたいだった。嬉しそうに笑う。
「きっかけは私だったかもしれないけど、今があるのはアイトが頑張ってきたからだと思うよ。だから自信持って」
ユイリーの胸元で、誕生日に贈った葉っぱの首飾りが、小さく揺れた。
何でもない畑仕事の最中に、それをつけているのが、嬉しくてくすぐったかった。
◇
昼過ぎ、畑の作業を切り上げると、レンが腰に籠を下げて待っていた。
「来たわね、アイト。今日は食べ物の収穫がメインよ」
「了解。きのこと、木の実あたりかな」
「そう。あんたもだいぶ見分けつくようになってきたでしょ?」
森の入り口を並んで歩きながら、レンが横目でこちらをうかがう。
「まあ、毒のやつはさすがに間違えなくなったかな……多分」
「“多分”って言わない。下手したら死ぬわよ」
口調はきついが、声色はどこか楽しげだ。
ここ最近は、取引の関係で、森に入るときはだいたいリオンと一緒だった。
レンと二人きりで「収穫係」として森に入るのは、久しぶりのことだ。
「ほら、あそこ。あの根元の群れてるきのこ。あれは食べられるやつ?」
レンが指さした先を目で追って、木の根元に身をかがめる。
湿った土の匂いと一緒に、きのこの傘がいくつも目に入った。
「ええと……柄が白くて、傘の裏が薄い茶色。縁がちょっと反ってて――食べられるやつだ」
「正解。さすがにもう間違えないわね」
レンのほうから素直な褒め言葉が出てきて、自分でも少し驚く。
「最初の頃なんて、ぜんぶ“きのこ”で一括りだったのにね」
「それを言わないで……」
苦笑しながら、食べられるきのこだけを丁寧に刈り取って籠に入れていく。
「でもまあ、そういうとこよね」
「そういうとこ?」
「分かんないなりに、ちゃんと聞いて、ちゃんと覚えて、ちゃんとやるとこ」
レンは、ふいに真面目な声色になる。
「畑もそうだし、森もそう。最近じゃ、あんたがいると仕事がスムーズなくらいよ」
「……それは、買いかぶりすぎじゃない?」
「そう思うなら、もっと働きなさい」
そう言いつつも、レンの尻尾の先が機嫌よさそうに揺れているのが視界の端に見えた。
この世界に来てから、畑仕事や森の収穫、学舎の先生に取引――慣れないことばかりだった。
右も左も分からないまま、手探りでやってきたつもりだったが、気づけば少しずつ、“ここでの暮らし”が体に馴染んできている。
どれだけ役に立てているか、自分ではまだよく分からない。
それでも、前よりは、誰かの頼りになれる存在にはなれたのかもしれない。
◇
森から戻ると、ちょうど学舎のほうから子どもたちの声が聞こえてきた。
「アイトー!」
真っ先に駆けてきたのは、耳の大きな少女――ココだった。
「どうしたの、ココちゃん。授業はもう終わり?」
「うん! 今日は字の練習早く終わったの。ねえ、ちょっとだけ遊ぼ!」
後ろから、他の子どもたちもわらわらと集まってくる。
「アイト兄ちゃん、かくれんぼしよ!」
「追いかけっこがいい!」
「高い高いしてー!」
要求が一気に飛んできて、思わず苦笑する。
「はいはい、順番ね。レンはどうする?」
横を見ると、レンは籠を肩に担ぎ直しながら、ため息をついた。
「私は先に帰って夕飯の準備するわよ。あんたが子どもたちの相手してる間に、さっさと仕込み終わらせたいし」
「手伝わなくて大丈夫?」
「大丈夫よ。ほら、子どもたちが遊びたがってるし、相手してあげなさい」
レンはくるりと背を向けた。
その胸元で、葉っぱの首飾りがちらりと揺れるのが見えた気がした。
「じゃ、お相手ご苦労さま。ほどほどにね」
軽く手を振って、レンは家のほうへ歩いていった。
「アイト兄ちゃん、早くー!」
ココたちの声に引き戻されて、俺は苦笑しながら腕まくりをした。
「よし、じゃあまずは追いかけっこからな。みんな捕まえちゃうからなー」
わきわきと怪しく指を動かし、子どもたちに見せつける。今日こそは捕まえてみせる。
そのあとしばらく、集落の広場は子どもたちの笑い声と悲鳴と、「待てー!」という自分の情けない声でいっぱいになった。
◇
太陽が傾き始めるころには、俺はすっかりへろへろになっていた。
「……つ、疲れた……」
ココを肩車したまま、木陰までよろよろと歩き、ようやく地面に下ろす。
「ありがとうアイト! また遊んでね!」
元気いっぱいの声を残して、ココは未だに追いかけっこで騒いでいる子どもたちの輪に戻っていった。
木の幹に背中を預けて、深く息を吐く。
「……体力、おかしいだろ、みんな……」
前の世界では、部活にも入っていなかった俺からすると子どもの相手なんてハードワークもいいところだ。
ここに来て少しは体力が身に付いたと思ったが子どもたちには遠く及ばないようだ。
「おつかれさまです、アイトさん」
ふいにかけられた声に顔を上げると、フィーレアが立っていた。
いつものように書板を胸に抱えている。
「フィーレアさん。すみません、ちょっと今、動けないかも」
「あはは……ヘトヘトですね。でも、みんな、とても楽しそうでした」
フィーレアは、木陰の斜面に腰を下ろした。
少しだけ距離を開けて、でも隣に座る形で。
「アイトさん、すっかりたくましくなりましたね」
「そうですかね……?」
午前中にもレンに似たようなことを言われたのを思い出して、思わず苦笑する。
「ええ、身体つきもそうなんですけど……なんだか、前より頼りがいがあるといいますか……」
フィーレアは、そう言いながら広場のほうを見る。
相変わらず子どもたちが走り回っている。
「子どもたちにとっても、アイトさんはお兄さんみたいな存在です。
アイトさんが先生になって以来、以前よりもよく笑うようになりました」
そんな大層なことをした覚えはない。
俺は算数の先生として、遊び相手として出来ることをやってきただけだ。
フィーレアが言うほど「たくましく」なった自覚は、正直あまりなかった。
「……それならよかったです」
喜んでもらえてるのならそれでいい。
少しは役に立てているのであれば本望だ。
「ユイリーもレンちゃんも、なんだか楽しそうですし。
アイトさんが来てから、集落の空気が少し明るくなった気がします」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「ありがとうございます。そう言ってもらえるともっと頑張りたいって思えます」
ふと空を見上げると、木々の隙間から見える空が、すでに夕焼けに染まり始めていた。
「アイトー! そろそろ日が沈むよー。帰ろう!」
遠くから、ユイリーの声が響いてくる。
木陰に流れ込んでいた時間が、少しだけ現実に引き戻された気がした。
俺はフィーレアに軽く会釈すると、立ち上がって、声のするほうへ歩き出した。




