第二十二話 家族
ユイリーの誕生日が近い、と知ったのは、二度目のビッケス行きの少し前だった。
「アイト」
台所で木の皿を拭いていると、背中からレンに声をかけられた。
「ん、どうしたの?」
皿を重ねて振り返ると、レンは耳打ちし囁いてきた。
「もうすぐ、ユイリーの誕生日だけど……知ってた?」
「え、そうなの?」
この世界にも、そういう区切りがあるのかと、ぼんやり考える。
「毎年、ささやかだけど皆で祝ってるのよ。今年も何か用意してあげようと思ってる」
レンは、視線を皿の山に落とした。
「あんたも、なにかしてやってくれない? 無理のない範囲で構わないから」
「……分かった。考えてみるよ」
そう返事をしたものの、そのときの俺の頭の中は「誕生日」「何を渡せばいいんだ」という言葉がぐるぐる回っているだけだった。
◇
ビッケスの街を歩きながらも、そのことは頭の端にこびりついていた。
荷車を止め、取引先の商会をまわり、相場を確かめて――仕事は仕事としてこなしながらも、気が抜けると、すぐに思考が「ユイリーの誕生日」に戻ってくる。
なにを渡せば、喜んでくれるんだろうか?
前の世界でも、誰かの誕生日にきちんと贈り物をした経験なんて、ほとんどなかった。
そんなことを考えながら歩いていたときだ。
ふと、通りの端の露店が目に入った。
小さな飾りがいくつも並べられている。
指先ほどの大きさの木片に、模様を彫り込んだもの――それに革ひもを通した首飾りや、手首に巻けそうな紐飾り。
「……ああいうの、いいかもな」
思わず足が止まった。
素朴だけれど、森の中でも浮かなそうな、落ち着いた木の色合い。
ユイリーにも、きっと似合う気がした。
けれど、すぐに現実的な考えが首をもたげる。
今持っている金は、全部“取引のため”のものだ。
これは集落のために預かっている金だ。
取り決めにない品物を、勝手に自分の都合で買い足していい立場じゃない。
露店の前で腕を組み、うんうん唸った。
「なんだ、おまえ。アクセサリーにでも興味があるのか」
不意に背中越しに声をかけられた。リオンだ。
振り向くと、いつの間にかリオンがすぐ後ろに立っていた。
視線は、俺の向こう側、露店の木の飾りに向いている。
「そこの店、さっきからじっと見ていたな」
「ユイリーの、誕生日が近いって聞いて。何か贈れたらなって思ったんですけど……
勝手に金を使うわけにもいかないから、どうしようかと」
リオンは、ふっと目を細めた。
「なるほど。そういうことか」
露店に一度だけ視線をやってから、俺のほうに向き直る。
「だったら、買うんじゃなくて――作ってみるか?」
「作る、って……」
思わず、自分の手を見る。
「弁当箱みたいな、四角い箱なら、なんとか作れますけど、こういう細かいのはさすがに無理ですよ」
指先ほどの木片に、細かい模様を彫る自分の姿が、まったく想像できなかった。
「木彫りの達人を紹介してやる。木を相手にするなら、集落であの人の右に出る者はいない」
「……木彫りの達人?」
誰のことを言っているのか、見当がつかない。
リオンはそれ以上何も言わず、「そろそろ次の店に行くぞ」とだけ告げて歩き出した。
そのときはまだ、俺は本気で、木工に詳しい誰か職人のことだとばかり思っていた。
◇
数日後、ビッケスから戻った俺たちは、真っ先に長老の家を訪れた。
取引の結果を報告し、持ち帰った品物を確認してもらい、一通りの用件が済んだあとだった。
「長老」
横に控えていたリオンが、唐突に口を開く。
「アイトが、木細工を学びたいそうです。少し、手ほどきをしてやってはもらえないでしょうか?」
「えっ」
思わず変な声が出る。
いやいや待ってほしい。
紹介してやるって、長老のことだったのか。
心の中で全力でツッコみながら、俺はこっそり長老の顔色をうかがった。
長老は、太い腕を組んだまま、じっとこちらを見る。
森で鍛え上げた筋肉こそ正義、みたいな体つきだ。
どちらかと言えば、大木を素手でへし折っていそうな側の人間である。
この人が、木細工を教える“先生”……?
頭の中のイメージが、現実とうまく噛み合わない。
「木彫りに興味があるのか?」
長老にそう問われて、思わず背筋が伸びた。
「は、はい。ユイリーの誕生日が近いと聞いて、なにか用意したいと思ってて」
自分で言いながら、声が少し上ずっているのが分かる。
長老は腕を組んだまま、しばらく俺のことを値踏みするように見ていた。
長老は今でこそ、昔ほど俺を警戒してはいない。
敵か味方か分からない得体の知れない人間、という評価からは、ようやく外れつつあるのだと思う。
だが、だからといって、個人的に手ほどきをしてもらえるほどの信頼を勝ち取ったとも思えなかった。
さすがに引き受けてもらえないかな……。
胸の内でそう弱気になりかけたところで、長老がようやく口を開いた。
「……明日、仕事終わりにここへ来い。簡単なものであれば、作れる程度に仕上げてやる」
それだけ告げると、長老は話は終わりだと言わんばかりに視線を外した。
「え? あ、はい……お、お願いします」
ようやく絞り出した声は、情けないくらいかすれていた。
◇
「……まさか、引き受けてくださるとは思ってもいませんでした」
長老の家を辞して外に出てから、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、ようやくさっきの会話を頭の中で反芻した。
ぽつりと漏らすと、横を歩いていたリオンが、ふっと笑う。
「長老はああ見えて面倒見はいい。出で立ちから恐れられている人だがな」
「出で立ち“から”どころか、中身までゴリゴリ武闘派の噂しか聞いたことないんですが……」
思わず本音が出る。
ファングァと素手で殴り合ったなんて冗談なのか真実なのか判然としない噂も耳にしたことがある。
そういう話ばかりが耳に残っていたせいで、「木彫りを教えてくれる先生」としての長老なんて、これっぽっちも想像していなかった。
リオンは肩をすくめた。
「木彫りは長老の趣味だ。長老の家の意匠はすべて長老自身がやったものばかりだ」
「へぇー、そうなんですね。それなら腕前は確かですね……」
そういえば、屋根や柱、扉にまで細かな彫りが入っていた。
あれが全部長老の手によるものだと思うと、その腕前は素人目にも一目瞭然だった。
「久々にみたよ。あんな楽しそうな長老は。おまえに木彫りで頼られて、満更でもなかったんだろう」
長老の表情、少しでも変わっていただろうかなどと首をかしげるが、長い付き合いのリオンがそういうのだから、そうなのだろう。
長老はあれで張り切ってくれているのかもしれない。
「……じゃあ、明日、ちゃんと行かないとですね」
逃げ道を断つみたいに口にすると、リオンは小さくうなずいた。
「行け。長老に教わる機会なんて、そうそう転がってはいない」
その言葉に、改めて背筋が伸びる。
ユイリーの誕生日まで、そう時間はない。
少しでも形になるものを渡せるように、明日は――全力で、木と向き合うしかない。
◇
翌日。仕事を終えてから、約束の時間に長老の家を訪ねた。
「入れ」
扉を叩くと、短い声が返ってくる。
中に入ると、いつもの居間の机の上に、拳より少し大きいくらいの木片と、数本の刃物が並んでいた。
「座れ」
言われるまま向かいに座ると、長老は木片を一つ指先で示した。
「まずは、ここに描け。おまえが作りたい形をだ」
「描く、ですか?」
「頭の中だけで形にできるのは、もう少し先の話だ。線にできぬものは、木にもできん」
もっともらしいことを言われている気がする。
「……じゃあ、こんな感じで」
昨日露店で見た飾りを思い出しながら、木片の表面に木炭片で輪郭をなぞる。
シンプルな葉っぱの形。真ん中に一本、葉脈の線を入れただけの、ごく単純な図案だ。
「なるほど。葉か」
長老が、身を乗り出して木片をのぞき込む。
「難しい模様は無理なので、これくらいなら……その、森っぽいかなと」
自分で言っていても、説得力はあまりない。
長老は「ふん」と鼻を鳴らすと、机に並んだ刃物の一本をとった。
「見ていろ」
太い指には不釣り合いな細い彫刻刀が、長老の手の中ではやけにしっくり収まって見える。
葉っぱの輪郭線に沿って、刃先が静かに滑った。
木の表面が、紙を切るみたいな軽い音を立てる。
「……え、もうそんなに入るんですか」
思わず声が出る。
「力で押すな。刃の角度を使え」
長老はひと通り輪郭をなぞると、今度は刀を俺に差し出してきた。
「次はおまえだ。同じようにやってみろ」
「お、同じように……」
さっきまで長老が握っていた彫刻刀を受け取る。
柄の温もりが、やけに生々しい。
視界の端で、長老の視線がじっとこちらに刺さっているのを感じる。
気にするなと言われても無理な話だ。
「輪郭に沿って……」
ごくりと唾を飲み込んで、刃先を葉っぱの線に当てる。
――ぎぎっ。
さっきとはまるで違う、嫌な音がした。
「止まれ」
即座に低い声が飛ぶ。
「今ので分かったか。おまえは力を入れすぎて、刃を木にねじ込もうとしている」
言われてみれば、手首に変な力が入りまくっていた。
「角度を変えろ。刃を“押す”んじゃない。木のほうを“削らせる”つもりで、すべらせろ」
言っていることは分かるが、感覚が追いつかない。
それでも、何度か深呼吸してから、さっきより肩の力を抜いて、もう一度刃を当てた。
今度は、さっきよりは少しだけマシな音になった気がする。
「……そうだ。そのくらいでいい」
長老の「そうだ」が、ほんのわずかだけ、合格点をくれた気がした。
◇
輪郭を一周削り終えるころには、指先に変な汗をかいていた。
「次は、中だ」
長老が、葉っぱの中心につけた線を指でたどる。
「真ん中を少し沈ませる。周りを高く残す。そうすれば、葉に見える」
言いながら、長老が実演して見せる。
葉脈に沿って筋を入れ、その両側を、山から谷へなで下ろすみたいに、少しずつ削っていく。
ほんの数回、刃を動かしただけなのに、木の板だったものの上に、急に「葉っぱの厚み」が生まれた。
「……こうやって見ると、ぜんぜん違うもんですね」
素直な感想が口をついて出る。
「形が分かれば、あとは同じことをおまえがやるだけだ」
さらっと言うが、その「同じこと」が難しい。
俺は慎重に、さっき長老がなぞった通りに刃を動かし始めた。
「……っ」
力を抜いたつもりでも、木目に逆らうと、刃先が思わぬ方向へ逃げそうになる。
「木目を見ろ。逆らえば、はねる」
すかさず指摘が飛ぶ。
そんな簡単に見分けろって言われましても……。
心の中で文句を言いつつも、言われたとおり、表面の筋をじっと観察する。
よく見れば、木の線が流れている方向が、なんとなく分かる気もする。
少しずつ、少しずつ。
時間をかけて、ようやく一枚の葉っぱらしきものが浮かび上がってきた。
「……なんとか、葉っぱには、見えますかね?」
そう尋ねた瞬間だった。
ぴきっ。
いやな手ごたえが指先に走る。
「あっ」
葉先の細く尖った部分が、ぽきりと音を立てて折れた。
「…………」
しばし、沈黙。
「おまえは“彫った”んじゃない。“削り取った”んだ」
長老の低い溜め息が、やけに重く聞こえる。
「細いところほど、欲張るな。形を急ぐな。木は戻らん」
「……はい」
頭では分かっていたつもりでも、実際に折れてみるとダメージがでかい。
「最初からやり直しだ」
長老が、淡々と新しい木片を俺の前に置く。
「シンプルな葉ほど、ごまかしが利かん。気を引き締めろ」
そうピシャリと言われ、俺は気を取り直すように姿勢を正した。
ユイリーの誕生日まで残りわずかだ。
俺は気持ちを切り替えて、もう一度、木炭片を手に取った。
◇
その日の夕食が終わって、片付けもひと段落したころ。
「ユイリー」
卓の向こうで皿を拭いていたユイリーに、意を決して声をかけた。
「ん? なに?」
振り向いた視線がこっちに向いた瞬間、心臓が一段階うるさくなる。
「今日、誕生日だって聞いてたから。これ」
隠していた小さな木箱を、両手で差し出した。
掌にすっぽり収まるくらいの、大きくも小さくもない木の箱。
蓋の表には、拙いながらも、葉っぱの模様が一枚だけ彫ってある。
「わあ……開けていい?」
「う、うん」
ユイリーは大事そうに箱を受け取ると、そっと蓋に指をかけた。
ぱかり。
中には、葉っぱの形をした小さな木の飾りが入っていた。
中央に一本だけ葉脈が走る、シンプルな首飾りだ。革ひもを通せば、そのまま首にかけられる。
「……きれい」
小さく漏れた声に、肩の力が一気に抜ける。
「これ、アイトが作ったの?」
「うん。長老に教わってね。何度も失敗したけどようやくいいものが出来たんだ……」
そう言うとユイリーはくすりと笑ってから、そっと飾りを持ち上げた。
「つけてみても、いい?」
「もちろん」
革ひもを首の後ろで結ぶのを少しだけ手伝うと、葉っぱの飾りはちょうど胸元あたりで揺れた。
「どう?」
そう言ってこちらを向いたユイリーは、なんだかいつもより少しだけ大人びて見える。
「すごく、似合ってると思う」
それは、お世辞抜きの本音だった。
「……あんた、器用なのね」
横からレンの声がした。
「弁当箱もそうだけどさ。ちゃんと形になるまでやりきるんだから、大したもんよ」
ぶっきらぼうな言い方なのに、妙にくすぐったい。
「長老には、だいぶしごかれたけどね……」
苦笑しながら答えると、ふと思い出して、もうひとつ、懐から木箱を取り出した。
「その、はい。レン」
「え? ちょっと、なによ急に」
目を丸くするレンの手をとって、小さな箱を握らせる。
「私は誕生日じゃないわよ」
呆れたように言われて、苦笑しながら首を振った。
「分かってるよ。これは、その……普段からお世話になってるから。せめてもの、お返しのつもり」
頬を掻きながらそう言う。
「実は、二つ作ってたんだ」
ユイリーの箱より、ほんの少しだけ落ち着いた色の木箱。
同じ葉っぱの模様だけど、彫り方も、形も、少しだけ違う。
「……そ。そういうことなら、受け取っておいてあげる」
レンはわざとらしく肩をそびやかせてから、そっと箱を胸に抱えた。
その頬が、ほんの少しだけ赤くなっているように見えたが、指摘はしない。どうせいつもみたいに怒られるのがオチだろう。
「あ、レンにもあげたの? お揃いだねー。いいね、なんだか家族の証みたいで」
ユイリーがぱっと顔を上げた。
「家族って、あんたね……」
レンがむっとしたように眉を寄せる。
家族の証、か。
二人は付き合いが長く、ずっと二人で暮らしていたらしい。
血はつながっていなくても、もはや家族と言って差し支えないのだろう。
ユイリーは、そこでふとこちらを見た。
「ね、アイトの分はないの?」
「え?」
悪気ゼロの笑顔に、思考が一瞬止まる。
「お、俺の分は……作ってないよ。ユイリーの誕生日で作ったわけだし」
なんでそんなこと聞くんだろう、そう思って首をかしげていると、ユイリーは笑った。
「だってアイトも家族じゃん」
「……え?」
あまりにも当たり前みたいな口調で言われて、言葉が詰まる。
「それならアイトも持っててほしいなって思って」
そう言って、ユイリーは自分の胸元で揺れる葉っぱの飾りを、指先でつまんだ。
……家族、か。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
そうか、俺は気付かないうちに、彼女たちの家族になってたんだ。
言われて、認められたみたいで嬉しかった。
「……はは。なら今度また長老に指導をお願いしてみるよ」
「うん! これで三人お揃いだねー」
ユイリーは嬉しそうにくるくると回ってみせる。
俺は自分の分も用意しよう――心の中で、そっとそう決めた。




